「あら、帝国の将軍様、ごきげんよう」
「……君か」
城への道から下町方向へ歩くヒースに、甘く蜜を含んだような女の声がかけられる。
ゆっくりと振り返ったヒースは、眉間にしわを寄せた。
そこに立っていたのは、燃えるような赤毛が目を引く美女だ。
「そんな顔しないで。いくら住民に忌み嫌われる魔女でも傷つくことはあるのよ?」
くすくすと、己を卑下するような言葉を零しながらそれでも楽しげに
笑うナナイに、ヒースは首を振った。
「違う。君が魔女と呼ばれているとか……そういうことはオレにとってはどうでもいい。
それに、君がそう呼ばれるとおりの人物でないことは、きいている」
ぱち、と目を瞬かせたナナイが、艶やかな唇を吊り上げた。
「ふぅん、それはティアから、かしら?」
「そうだ」
「ふふ、そう。そうなのね」
どこか嬉しそうに、先ほどとは違う少女じみた笑顔を浮かべるナナイに、
この女もティアに救われたのだろうと想像するのは容易だった。
「そのティアのことだが……」
いくら仲がよいからとはいえ、ティアに余計なことを吹き込むのは感心しない。
せっかくの機会、きっちり釘を刺しておくのもいいだろう。
「あまり焚きつけないでくれないか」
「え?」
ナナイが、きょとんと無防備な顔をする。思い当たるところがないらしい。
「なんだ、その……夜のこととか、だ」
夕暮れ間近とはいえ、明るい太陽の下では、あの夜を思い出すことさえ気が引ける。
ましてや、あんなことやそんなことを説明しづらい。
口ごもっていると、「あ」とナナイが間の抜けた声をあげた。
「え、まさか、ティア本気にしちゃったの!?」
「まて、どういうことだ」
ずい、とヒースが一歩詰め寄ると、ナナイが一歩下がった。
「ええっと……」
ナナイはあさっての方向を向きながら、長い睫を伏せる。
「ちょっと、その、からかうつもりで……いろいろと……。
ティアの反応がいちいち可愛らしかったから……つい」
「……勘弁してくれ」
そう白状されて、ヒースは若干の眩暈を覚えた。
どうやら、助言やけしかけるためというものではなく、単純にからかっただけらしい。
「だ、だって、実際ティアが行動に移すなんて思わないでしょ!? あんなこと!」
「……ティアは、素直な性格だ」
ヒースは額に手を当てながら、苦々しく呟いた。
おそらく、ナナイの冗談もすべて真に受けたに違いない。
「……そうね。そうだったわね」
そういわれれば、ナナイにも思い当たる節があるらしい。
二人の間に気まずい沈黙が落ちる。
しかし、それを打ち破ったのはナナイだった。
美しいその顔に、にやりという表現がふさわしい笑みが浮かぶ。
「でも、そうね……ふぅん……」
なんだか嫌な予感がして、今度はヒースが一歩下がるとナナイが二歩踏み出した。
「なんだ?」
見上げられ、思わずたじろぐ。
「なんだかんだいっても、まんざらじゃないんでしょ?」
「うぐっ」
確信をつくその言葉に、さすが魔女だと思う。
ヒースの様子に、やはりそうかと頷いて、ナナイは笑う。
「やっぱり。じゃあ、なにも問題ないわね」
大有りだ。今度また同じようなことをされたら心臓に悪い。
何か言おうとする前に、ナナイが外套と長い髪を翻し、ヒースに背を向ける。
「ふふ、これからも楽しみがあっていいじゃない」
「……え?」
これからも。
これからも、ってなんだ。
「お、おい! 君はティアになにをどれだけ吹き込んだ……!? っ!」
問いに対する回答を得る前に、ナナイが怪しげな霧に包まれる。
「じゃあ、あたし用事があるからこれで失礼するわ」
「待て!」
「お幸せにね」
からかうような笑い声が薄まると同じく霧が消え、その場にはヒースだけが取り残された。
しばし呆然としたあと、ヒースは頭を抱えてしゃがみこみたい気分に陥る
「次は、何があるというんだ……」
楽しみといえば楽しみだが、自分の隠された性癖を暴露されていくようで
空恐ろしい。ティアが相手というのも多分にあるが、止められる自信がない。
友人は選べとティアにいったら「はい、私の友達は素敵な人ばかりです!」
と輝く笑顔で言うだろう。
そんなことを考えながら、なんだかどっと疲れたヒースは、
のろのろとティアの家に向かって歩き出した。