夜の砂漠を、見に行かないか。
そう言われたのは想いが通じ合った直後のことで、その唐突さに彼の肩へ伏せていた顔を上げる。
アンワールは淡く微笑んで、一緒に見に行きたいと思ってたんだ、と続けた。至近距離で見た笑顔は
優しく、あまりに愛しげで、ティアは思わず視線を落とす。初めて見た顔はどこか厳しげな無表情で、
次に見たのはぎこちなく視線を外す様子で、その次はやっぱりぎこちなさを多分に含んだ、慣れてな
いような笑顔。もっと知りたくて笑ってほしくて、花や甘いものを大量に抱えては彼の元へ通い詰めた。
目を逸らしてしまったティアの恥ずかしげな様子を勘違いしたのか、だめか、と不安の色を含んだ声
が降りてきて、慌てて首を横に振る。
「だ、だめじゃ、ない、……一緒に行きたい……」
「そうか」
よかった、と溜息をつくような声が続くのと同時に、見上げた顔が、いつも厳しい目元がやわらかく綻ぶ。
頬に熱が上ってくるのがわかったけれど、今度は硬直してしまってとても目を逸らせなかった。
色んな顔を見たかった、色んな声を聞きたかった、彼に少しずつ心が戻っていく様子が感じられるようで
その変化が嬉しかった。でも、そんな、こんなに急スピードで、こんなに優しい、愛しい表情をしてくれるな
んて思ってなかった。
未だ寄り添ったままの身体で、彼の裾を掴んだままの手に強く力を込める。好きで、かわいくて、愛しくて、
どうしていいのかわからない。
一日中一緒にいるなんて大丈夫なのかな、私。心臓が破裂するんじゃないのかな。半ば本気で心配しな
がら、先程の回答を甘く悔やんだ。
ひとりで、あるいは精霊たちと歩いた砂漠は正直なところ景色を眺める余裕もなかった。ここから逃げなくちゃ、
迎えに行かなくちゃ、預言書を取り戻さなくちゃ。そんな思いに駆られてばかりで、強烈な暑さと渇きだけが印象
に残っている。
刻一刻と模様を変える砂丘を見つめて立ち尽くす、そんなティアの様子が珍しいようでアンワールは小さく首を
傾げながら繋いだ手をゆるく引いた。
「珍しいか?」
「うん、前はすごく急いでたし、ちゃんと見れてなかったから」
薄く、不思議と丈夫な布をティアの頭にかけながらそうかと頷く。街では勝手のわからないアンワールをティアが
あれこれ教えるのがほとんどだったが、砂漠に拠点を移せばそれも逆転するようだ。ティアにはわからない方法で
器用に巻くアンワールを眺めていると、なんだか甘やかされてる気がして嬉しくなった。
「……何だ?」
「ううん、好きだなって思って」
「そう、か。俺も好きだ」
「……うん」
縛り終えて(きつくもないのに頭を上下させても解けないのがティアには不思議だ)笑い合い、寄せた顔を
そのままに見つめ合う。唇が触れ、離れて、……いいか? という小さな囁き声と頷きの後にもう数度触れ合った。
(精霊ですが……預言書の外に出づらいです……)
「ネアキ、どしたのー?」
「なんでも、ない……」
「出ないなら交代しろってウルとレンポが」
「それはだめ……」
いくつかの夜を、共に過ごした。街と砂漠を行き来して、今は何度目かの砂漠の夜だ。
アンワールは気が向けば簡易テントを這い出して小さな弦楽器を鳴らしてくれる。あまり
上手くはないんだが、と前置きして奏でられる曲は確かに若干たどたどしく、弦への
力加減がわからない様子がうかがえて、それもティアには好ましかった。
「アンワールは、誰に楽器を習ったの?」
「前から、知ってはいたんだが、魔術と同じでなかなか身に付かなくて。……最近になって、ナナイに」
「へえ」
「前よりは……弾けるようになった」
きっとおまえのおかげだな、と途切れた曲の続きのように言う。膝を抱え、アンワールに
与えられた布に身を包んでいたティアは、その声色にどきりと胸が鳴るのを感じた。夜の
砂漠は何故かきらきらと月光を弾いて、夢の世界のようだと思う。そうしてその夢のような場所に、
大好きな人と一緒にいる。
「……」
「……」
楽器は砂の上へ置き去りにされ、途切れた会話の隙間はキスで埋まる。幾度も幾度も触れるだけの
キスを繰り返し、やがて月光の元で開かれた瞳は互いに淡く潤んでいた。
この数日で数え切れないほどに交わしたキスと抱擁。今回もまた同じように抱き合い、でもその様子が
少し違うのを互いに感じ取っていた。抱き合って笑い合って終わるはずの口付けが途切れない。一度強く
抱いて、ティアが苦しむより先に解放するアンワールの腕から力が抜けない。距離をとり、照れくさそうに
肩をすくめて笑うはずのティアが、彼のそばを離れようとしない。
角度を変えたキスにやがて水音が混じり、舌を伸ばしてより深く交わろうとする。ほぼ同時に
息を切らして見つめ合う、その目の中に、拒否の色は見当たらなかった。
「……テントに、戻るか」
「うん……」
砂漠を吹き抜ける風は冷たく、渇いていて、それから守るように強く抱きながら言う。
ティアも彼に強く抱きついたまま、頷いた。