帯刀を大奥へ呼びつけ二人で碁を打ったその夜…  
 
「尚五郎さん…いけません…ああ…」  
「篤姫さま…私は、私は薩摩にいた頃から姫様のことをずっと…」  
「ですが…ああ、尚五郎さんにはお近さんが…ああ!」  
「お近のことなど…今は…今は篤姫さまのことしか考えられませぬ」  
「だめ…私にも公方さまが…家定さまがいらっしゃいます…!」  
「家定公は既にお亡くなりではありませんか…お気になさらずとも…」  
「そのような酷い…あっ、そこはいけませぬ…尚五郎さん…」  
「姫様が江戸へ発たれた折、私がどれほど、どれほど悔しく、辛かったか…」  
「そんな、今更…。そこまで好いて下さっていたのなら、なぜ止めて…ああ!!」  
「今泉のお父上に、お父上に姫様を嫁に下さいとお願いしていたのです!」  
「えっ…ま、まことです…あん…いけません…」  
「篤姫さま…心から、心の底からお慕いしております…」  
「だめです、尚五郎さん…あああ…私は、私は徳川の妻…大御台なのです…」  
「今は…今だけは一人の男と女…それで構わないではありませんか!」  
「あ、それ以上はいけません…私は…はじめてで…」  
「まことですか…ああ、嬉しい。私が、私が篤姫さまを初めて…」  
「いや、尚五郎さん、やめて…ああああ…!!!!」  
 
「天璋院さま、天璋院さま!」  
寝所に響き渡る天璋院のうめき声を聞きつけた侍女たちが傍にかけよる。  
その声にはっと我に返り目を覚ます天璋院。  
「かなりうなされていらっしゃいましたが…どこかお体のお加減でも!?」  
心配そうに寝所を覗き込む数名の侍女。  
「な、なんでもない…。少し怖い夢を見たまでのこと。騒ぐでない…」  
そう言いつつ、天璋院は自らの下半身が今まで体験したことのないほど濡れて  
いることに気づく。  
一瞬、失禁したのかと思い違うほどに、太もものあたりまでがべっとりと汚れている。  
驚きと戸惑いの表情が一瞬天璋院の顔を覆う。  
 
(まさか尚五郎さんとの夢だけでこれほど…? そんな…)  
「天璋院さま、どこか痛まれるのでは? す、すぐにお医者さまを…」  
「よ、よい! 誰も呼ぶでない…! 少し疲れておるだけじゃ…」  
医者を呼ぼうとする侍女を慌てて制する。  
こんな姿を医者にさらすことなど大御台としてできるわけがない。  
(大奥になど尚五郎さんを呼ぶのではなかった…)  
激しい後悔が天璋院を襲う。  
(公方さま…私は…私は…)  
「いま少し休む…。そなたらはさがっておれ…」  
布団を頭までかぶり横になる天璋院。  
心臓の鼓動が速くなる。  
(公方さまを裏切って…私はあんなはしたない夢を…)  
目を閉じ、唇を噛み締める天璋院。  
処女のまま未亡人となり、女としての喜びを知らぬまま歳を経る。  
そんな自分の運命を受け入れたはずなのに…。  
侍女が襖を閉め、寝所が再び静寂を取り戻す。  
「公方…さま。申し訳ございません…。私は、私は…」  
天璋院の目から涙がこぼれる。  
しかし、一人になったとたん、その部分が再び熱くなってくるのがわかる。  
(うそ…こんなこと…)  
天璋院の心の奥底に、一人の男性の顔が浮かび上がる…。  
 
天璋院の瞼の裏に、真っ白な絹の着物を着た若い男性が現れる。  
顔は靄に包まれたように霞んでいる。  
(ああ…あのお着物は…家定様…)  
閉じられた天璋院の目から再び涙が溢れる。  
(申し訳…ございません。あのような淫らな夢を…。あの者はただの幼馴染なのです…、決して…)  
頭を垂れて必死に哀願を繰り返す。  
(私がお慕いするのは家定さまのみ…。あの者とは久々に会うて懐かしさがこみあげただけ…)  
その白装束の男性が天璋院の傍に座る。  
 
「亡くなられた家定さまとお間違えでいらっしゃいますか?」  
「えっ…そのお声は…まさか!?」  
「はい、家茂にございます」  
「家茂どのがなぜ私の寝所などに…まさか、先ほどの夢のことも…」  
「失礼とは想いながら、帯刀なる薩摩の侍へ母上さまのお気持ち、しっかりと拝見つかまつりました」  
「あ、あれは…ゆ、夢なのです…。決して、私は…家定さまを裏切ったりなど…」  
「母上はまだお若い。自分のお気持ちに正直になられてもよろしいのでは?」  
「な、何をおっしゃいます…。義理とはいえ母に対してそのような…」  
「私は嫉妬しておるのです。私も、あの侍のように母上に想われてみたい…」  
「…家茂どの、いったい何を??」  
「母上、私のお気持ちにはお気づき頂いていらっしゃいませんか? いや、お気づきのはず…」  
「気づくも何も…私とそなたとは母と息子…」  
「江戸城へあがりし折より、ずっと母上さまのことをお慕いしておりました」  
「そ、そのようなはしたない…」  
「母上さまとて故郷の幼馴染に想いを馳せていらっしゃったではありませぬか」  
「家茂どの、そのたは征夷大将軍です。帝の妹君、和宮さまという奥方をお持ちではありませんか!」  
「母家さまの美しさに比べれば、和宮などなにほどのものがありましょう…」  
「家茂どの…」  
「和宮を抱きながらも、私の心はいつも母上さまのもとにおります。さぁ、母上さま…」  
「あ、家茂どの、いけませぬ…」  
「ああ、このように母上さまを抱きしめる日がくるのをどれほど夢見ていたことか…」  
「離して…下さい…私とそなたは母と…子…。お気持ちは、お気持ちは気づいておりましたが…」  
「母上さま…今夜は、今夜だけは私の妻としてすごして頂きとうございます…」  
「家茂…どの…あ、そのようなところに…ああ…家定…さま…」  
「お父上のお名前はお口になさいますな…今はただ、家茂と、家茂とだけ…」  
「あっ! やはり、いけませぬ…このようなことは…ああっ!!!」  
「ああ、母上さまとひとつになれる…夢のようです…」  
「あん…あああ…家茂…どの…」  
 
「天璋院さま、天璋院さま! やはりお体がお悪いのでは!?」  
侍女の叫ぶような声が隣室から聞こえる。  
再び目覚める天璋院。また大きな声でうなされていたのか…。  
次第に意識がはっきりとしてくる。  
(えっ、私…まさか…)  
自らの右手が、着物の裾を割り、既にべっとりと濡れたその部分へと伸びていることに気づく。  
(大御台ともあろうものが、このような淫らなことを…)  
激しい悔恨の情が天璋院の体を包む。  
「さ、騒ぐな。何でもない…。もう大丈夫じゃ。朝まで声をかけるでない…」  
ゆっくりと布団から身を滑り出し、寝具の上に正座する。  
(先ほどの夢…家茂どのとあのようなことなど…それに…)  
粘着物が付着した右手の指をみつめ、すぐに視線をそらす。  
下半身のほてりはまだおさまってはいない。  
(夢とはいえ、夢とはいえ息子とあのようなことを…)  
尚五郎との夢だけでも亡き夫に申し訳がたたぬというのに、同じ晩に更に不謹慎な夢を見る。  
天璋院は自分でも自分が信じられなかった。  
しかし、襦袢だけでなく寝具までも汚してしまったこの事実をどう考えればいいのか。  
家茂が自分に好意を抱いてくれていることはわかっている。  
それが母親に対するものだけではなく、歳の近い一人の女性への仄かな感情が混じっていたことも薄々気づいてもいる。  
しかし、それは家茂と和宮がうまくいきさえすれば自然と消え行くもの。  
そう自分に言い聞かせ、気づかぬ振りをして母と子の関係をつくりあげてきたはず…。  
(まさか…和宮さまと仲良くなられはじめた家茂どのに…私が嫉妬しているとでも…?)  
家茂の凛々しい誠実な顔や仕草が天璋院の脳裏を駆け巡る。  
体のどこからか、熱い何かがじわっと染み出すのが自分でもわかる。  
(いけない…私は大御台。家定さまの妻…)  
しかし、夢の中で抱きしめられたときの家茂の体の温もりが今でもはっきりと肌に残っている。  
(この温もり…和宮さまもお渡りの度に感じていらっしゃるの…? 羨ましい…)  
目をつむり、唇を噛み締める。  
(尚五郎さん、家茂どの…うう、私はなんて淫らな…。和宮さまに嫉妬するなど…)  
ふと油断すると再びその部分に伸びそうな右手を必死で押しとどめる。  
(これ以上はいけない…ここで自分の気持ちを整理せねば…。家定さまに申し訳がたたぬ…)  
大奥のあちこちでかすかに侍女たちが動き回る音が聞こえてくる。  
夜明けなのだろう。  
朝の身支度を終えれば、仏間で家茂や和宮たち、そして家定の位牌と会わねばならない…。  
(しかし、このような気持ちのままで皆にお会いしてしまえば…)  
ひとり思い悩む天璋院。  
 

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