「―ッ!」  
痛みに顔を顰めて、家定は手を引っ込めた。焼けるような痛みとは、まさにこの事だ。  
良く晴れてはいても、気温は緩む気配がない。  
そんな冬の午後、御台所と政の話に夢中になっている内に、つい手許が疎かになっていた。  
うっかりして、手を翳していた火鉢の金網に触れてしまったのだ。  
金網が火から遠かったので然程焼けてはおらず、幸い大したことはないものの、赤い痕が  
ついた人差し指に、気休めで冷水がわりに息を吹きかける。  
「大事ございませんか!?」  
まるで大火傷かのような慌てぶりで家定の手をとる御台所に、家定は笑いを洩らした。  
「大袈裟じゃのう。大丈夫じゃ、ほら」  
痛みはあるが、すぐに引くだろう。  
それでもまだ心配そうな顔の妻に、よく見えるように人差し指を出してみせた。  
「でも…赤うございます」  
「これくらい、」  
言い掛けたところへ突然指を咥えられて、家定は思わず焦った。  
「み、御台ッ」  
「あ…申し訳ございません」  
家定が発した声を、違う意味で受け取ったらしい篤姫が、慌てて唇を離す。  
「いや、痛くはないのだが…」  
「良かった」  
安心したように微笑んた篤姫は、こともあろうにもう一度その口に指を含んだ。  
引こうにも、手は篤姫にそっと握られていて、家定はより一層うろたえた。  
ふっくらとした唇が指を挟み、ひりりと痛む患部に、つるりとした舌が押し当てられる。  
皮膚が吸われる感触に、全神経が一点に集まってしまったかのような錯覚を覚える。  
舌先が撫でるように動いたかと思うと、次第に絡みつくように蠢いて、味わったことの  
ない感覚に、そこだけでなく全身の皮膚が粟立ち始めた。  
「も、もう良い」  
微かな筈の水音すらも大きく耳に届くようで、家定は堪らずに声を上げる。  
そんな声など耳に入っていないのか行為は止むことなく続けられ、やがてそれは火傷の  
部位から人差し指全体へと広がって、しゃぶるような有様になっていく。  
 
「御台っ」  
ちゅ…ちゅぱ…ちゅ…  
「んっ…ん」  
伏し目がちだった眼差しが、ゆるりと家定に向けられる。  
潤んだ瞳と微かに上気した頬、そして濡れた唇。  
光射す刻限だからこそ際立つ淫らさと後ろめたさの狭間で、自分の行為にどこか陶酔して  
いるように見えるその姿に、我知らず喉が鳴った。  
「御台、頼む。もう――」  
空いた手で頬を包むと、御台所は擽ったそうに目を細めて唇を離した。  
表情を引き締めて、どうしたのだと問い質すつもりだった。たった今まで。  
くちゃりと音がして、細い銀糸が引かれ、儚く切れる。  
その一瞬の間も待てぬ勢いで、開いたままのその唇に吸い付いた。  
塞ぐのと同時に舌を差し入れ口内をまさぐり、舌を合わせる。  
胸元に縋る篤姫の手を自由になった手で握ると、指を絡めて応えてくる。  
くちゅ、ちゅっ、ぐちゃ…  
直に響く水音に、意識が持っていかれそうになる。  
「ん、ん…っ」  
飲み下しきれない二人分の唾液が口の端から零れ、障子越しに入り込む陽光に微かに光る。  
小さく身を震わせる篤姫の手をきつく握ることで、あらぬ方へ向かいそうな意識を留める。  
 
「――ま、上様」  
無粋な声を無視できたらどんなにいいか。  
「表へお戻りの刻限にございます」  
「――。分かって、おる」  
真っ赤に頬を染めた篤姫から目を離さずに、障子の向こうに現れた影に返事だけを投げた。  
息を弾ませた篤姫の唇は、すっかり紅が剥げかけている。  
とろりとして焦点の定まらぬ双眸が、まだ強請っている風にも見えて、家定は苦笑する。  
「どうしてくれる」  
「え…」  
「このままで、表の仕事に身が入ると思うか? ―そちの所為じゃ」  
「あ、私…っ!」  
初めて我に返って羞恥を覚えたらしく、顔を両手で覆おうとするのを、その手を掴んで  
止めた。揺れる瞳を見詰めながら、もう一度唇を奪う。  
「ん、はぁ…うえ、さま」  
濡れた唇を指先で拭ってやりながら、家定は微笑む。  
立ち上がり、障子を開ける手を止めて振り返る。  
「今宵は五つ並べなど出来ぬぞ」  
惚けたように座り込んだままの篤姫に言い置いて、家定は部屋を後にした。  
 
家定が息を飲む気配と同時に、口内に先走りの苦味が広がって、篤姫は目線を上向けた。  
苦笑する瞳が嫌がっていないのを確認して、ほっとする。  
こんな事は初めてだったから、些細な反応にも過敏になってしまい、その都度顔色を伺う。  
頭の片隅にこびりついて離れない艶然とした微笑を、心中で振り払う。  
眼差しを合わせたまま咥え直し、根元で輪を作っていた指先を窄めながら上下に動かすと、  
家定の表情が歪んだ。  
「もう良い、やめよ……っ!」  
呻き声を上げて篤姫を引き離した家定は、眉を顰めたまま息を荒げている。  
「…御台、そなた…」  
「…お嫌なのですね。私ではやはり…」  
無理をした果てが、この消えてしまいたい程の恥ずかしさと惨めさだ。  
お志賀ならこうはなるまい。大人で器量も良くて、何より女の篤姫自身から見ても  
その色香には溜息が出る。いつぞやの、生けた花の花弁を口に含んだ姿が思い浮かぶ。  
あのような姿、真似ようとしても所詮は無理なのだ。  
「お志賀?」  
思わずその名が漏れてしまったらしく、家定が怪訝な顔で繰り返す。  
「どうしてお志賀が出てくる? 訳を聞かせよ」  
「それは、その…。子供で色気のない御台所に比べて、お志賀の方が大人で…ずっと  
色香があると…言われて」  
「なっ…! 誰がそのような事を申した?!」  
「誰でも良いのです。…私もそう思います故」  
「それで昼間からこのような真似を」  
溜息と共に、呆れた調子の声が返ってくる。軽蔑した眼差しが怖くて、篤姫は目を逸らした。  
「まったくのう。確かにそちより、お志賀の方が良いおなごじゃ」  
自覚はしていても、直接言われると胸がきしむ。ましてや、最愛の夫に言われては。  
必死に堪えていたものが堰を切って、目の前が滲んだ。  
次の瞬間、家定の背後の景色が天井に変わり、背中に寝具の厚みを感じていた。  
「きゃっ、うえさ……!」  
唇が塞がって、言葉が途切れた。深く激しい口付けは、数刻前の白昼夢のようなひととき  
を思い出させる。  
 
今の篤姫には、辛い仕打ちにしか思えなかった。熱く蕩けそうな感覚に、すっかり  
溺れられたらどんなに良いだろう。  
「ん、んんっ」  
「誰か知らぬが、よく言うたものよ」  
肌蹴てはしたなく零れていた胸の膨らみを、家定の手が揉みしだいている。  
じんじんとする先端を指で弄られて、弾かれ捏ね回され、戸惑いを覚える中でも快感が  
突き抜ける。  
漏れそうになる声を、両手で口を塞いで抑え込んだ。これ以上、家定に軽蔑されたくない。  
「当たり前じゃ。そちのこのような顔も…このような姿も…儂しか知らぬのだからな」  
涙で滲んだ夫の表情は、愛おし気に微笑んでいて。  
「困ったおなごじゃ」  
「上様、」  
大きな手が濡れた頬を撫でて、耳許に熱い息が吹き掛かる。  
――愛いぞ、御台。  
切なく疼く場所に差し入れられた、細長い指が蠢く。濡れたそこは、指が動く度にくちゅ  
くちゅと音を立てて、ひたすらに篤姫の羞恥と快楽を煽った。  
内壁を擦りながら大きく掻き回されて、悲鳴にも似た嬌声が上がる。  
その指が引き抜かれるや、ぐいと足が開かされて、熱く滾ったものが這入ってくる。  
「分かるか? そちが悦うしてくれたのじゃ」  
「わたくし、が…」  
「“子供で色気のない御台所”がな」  
悪戯っぽく微笑まれて、頬がカッと熱くなる。迫力のない涙目で睨むと、家定の表情から  
余裕が消えた。  
「今日は随分とそなたにして貰うたからのう。今度は儂の番じゃ」  
ゆるゆると動いていた腰つきが速さを増して、激しい快感が高波のように押し寄せる。  
あっという間に高みに連れて行かれて、篤姫はひっきりなしに甘い声を上げながら  
家定の背に腕を回した。  
「捕まえて、いて、くだ、さ…い。でないと、どこか、行ってしまいそ…」  
「…っ、こうか」  
「ひゃあぁん」  
反った背の隙間に両の腕が回って、きつく抱きすくめられる。その所為で一層深く繋がって、  
荒い呼吸をしていた家定が一瞬息を詰めた。  
「っは、みだ、い」  
「うえさま――」  
繰り返し呼ぶ声は、どちらからともなく重なった唇の中で掻き消える。  
幾度かの大きな突き上げの後、二人は同時に果てた。  
 
「まったく困ったおなごよのう」  
寝入ってしまった篤姫の頬を、赤い痕の残る指でなぞりながら、家定は呟く。  
下らぬ戯言を真に受けるくらいだ、子供というのも言い得ているといえばそうかも知れぬ。  
意識を手放す寸前に、家定の手をきゅっと握った篤姫の、囁くような言葉が胸を擽る。  
――あなた様が、すきなのです。  
「案ずるな」  
普段のそなたも、儂しか知らぬそなたも、この上なく愛おしいのだから。  
 
 
了  

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