床についた二人。天井を見上げながら家定がポツリと言った。
「中立…のう」
「はい」
「わしはそちにはできまいと言うたが…まぁよく中立を貫いたものよのぉ」
家定の甲高い声が響く。微笑む篤姫。
「思えばそちには世継ぎの件で随分と苦労をかけたの。真っ直ぐなそちのことじゃ。それだけに辛い思いさせてしまった」
「そのようなこと…」
上体を起こし布団へ目を落とす家定。篤姫もすぐに体を起こした。
「そこでじゃ。そちに提案がある」
「提案…でございますか?」
少し驚いたような顔をする篤姫。
「いっそ世継ぎを定めるのをやめようと思う。」
「…え」
顔をしかめる篤姫。その様子を見てニヤリと笑う家定。
「わしは一ツ橋を好かぬ。しかしだからと言って慶福を世継ぎとすれば、薩摩は窮地に追いやられることになるであろう。そちは今となっては徳川の人間じゃが、薩摩が故郷であることに相違ない。そちの悲しむ顔は見とうない」
家定の配慮に感激する篤姫。しかしぱっと明るくなった表情がにわかに曇った。それでは中立をとっている意味がない…上様にお世継ぎを定めていただかねば…
「されど…」
不安げな表情をした篤姫の心のうちを悟ったかのように目を細める家定。
「そちに頼みがある」
今度はなんだろうと困惑した表情の篤姫。
「…はい」
「わしの子を…産んではくれぬか」
「…え」
目を丸くする篤姫。家定の言葉が飲み込めずぽかんとしてしまう。
そんな篤姫の姿を見て微笑む家定。
「わしに男子ができればその男子が世継ぎとなる。さすればわざわざ世継ぎ争いなどする必要はない。それとな」
まだ呆然とした篤姫のひざに手をおき、顔を近付ける家定。
「そちとわしの子を…わしらの子を抱いてみたいのじゃ」
その言葉を聞いて言葉より先に涙がほろほろと流れる篤姫。だんだん真っ赤な可愛らしい口元がゆるんでいく。
「私も…この手に…あなた様と私のお子を抱いてみとうございます」
幸せそうな満面の笑みを浮かべる篤姫。家定は篤姫をそっと抱き寄せた。
「そうか…」
篤姫はただ涙を流すばか り。家定も微笑みながらもその目にどこか寂しさを宿していた…。
それから幾度かお渡りがあり、体調が許す限り家定は子をなそうとした。篤姫も懸命に応えた。
しかし、家定の体調は悪くなるばかりである。たとえお渡りがあっても事がなせないことも少なくなかった。
篤姫にも懐妊の兆しはない。
『御台…あいすまぬ…。わしにはもはや時間がない…。やはり世継ぎを…一ツ橋か紀伊かに定めねばならぬか…』
言葉には出さなくとも家定の想い…無念、篤姫への申し訳ないという想いは篤姫には痛いほど伝わっていた。
いよいよ死期を悟った家定は世継ぎを慶福にさだめることとした…
そしてあの最後の夜を迎える。