「あなた様をお慕いしております。」  
「え……?」  
ついに言ってしまった。言うまいと、一生心にしまっておこうと決めていたのに…。  
 
碁盤の上の小さな手に己の手を重ね、握り締めた。  
「な、尚五郎さん?」  
「好きなのです。ずっと、誰よりも。於一殿…」  
今は呼ぶことも許されないその名。口にしただけで胸が締め付けられる。  
 
目を丸くされている於一殿。抱き締めた瞬間、その掌からぽとぽとと碁石が落ちた。この方は抗うこともできずにいた。  
 
いつか自分がこの方にふさわしい男になったときには夫婦に…と密かに思っていた。  
だが於一殿は、あっという間に手の届かない存在になられてしまった。  
そしてこれから他の男の妻となられてしまう於一殿、いや、今は篤姫様か。  
そのお相手は、新しい公方様、将軍徳川家定公。  
敵うとか、敵わないとか…もう、どうにもならない。  
 
一生の恋も死ぬ気になれば忘れられると思っていた。  
だが、いくら忘れようとも、行き場のない想いは己の中で渦巻くばかりであった。  
 
 
もうすぐこの方は江戸へ行ってしまわれる。  
奥に入られたら、この先会うこともかなわないかもしれない。  
 
 
せめて、一度だけ。  
 
 
それだけで生きてゆける。  
 
さすれば、主君に、故郷に、国に、この方に、喜んで我が身を捧げよう。  
 
 
於一殿は、なんと柔かいのだろう。  
いつもころころ笑い、こちらを驚かすようなことばかりなさっていたこの方を  
今は手が届かないこの方を、今、私は抱き締めている。  
そのことだけで下の方から熱くなっていくのを感じる。  
 
少し躊躇しながら、顔を近付け、白い首筋にそっと唇を這わす。  
「っ……」  
頬を染め、目を瞑り、少しびくっと震える於一殿がたまらなく愛しい。  
これ以上、自分を抑えることができず、そのまま於一殿を掻き抱き、組み敷いた。  
 
 
本当に公方様のものになってしまわれるのですか。  
私を見つめる黒い眼も、かわいらしい唇も、白い首筋も、か細い手足も、控え目に膨らんだ乳房も…  
公方様に慈しまれ、撫でられ、あなたは悦びの声をあげるのだろうか。  
私の知らないお姿をお見せするのか。  
 
嫌だ。  
そんなこと、耐えられぬ。  
あなたは私の於一様だ。  
誰にも渡したくない。  
 
「な、尚五郎さん、痛い…腕…」  
その声に漸く我にかえった。  
思い余って、つい腕を強く掴んでしまったようだ。  
 
「申し訳ありません。」  
慌てて放すが、体勢はそのまま。  
この方を怯えさせたいわけではない。  
だが、離れてしまえば逃げられてしまうかもしれない。  
そのまま二度と触れる機会がないかもしれない。  
 
 
「「……」」  
於一殿はしばらく伏し目がちで、何か考えていたようだったが、意を決したようにこちらを見上げた。  
「わたくしのこと、そのように思っておられたのですか…」  
やはり怒っておられるのか。表情が堅い。  
 
「はい。気付きませんでしたか。」  
「ええ。少しも。」  
色恋沙汰には本当に鈍い方だ。  
「あなたは、私を女だと思っていないものと…」  
私のせいであろう。  
於一殿にとっての日本一の男になるまでは気付かれぬよう必死であった。  
全ては遅すぎた。  
 
「嬉しい。」  
「は?」  
我が耳を疑った。  
今、何と。  
「私も、です。」  
下で於一殿がやさしく微笑む。  
「私も、あなた様のことが、好き…」  
え、えええ!  
「まことですか!?」  
「ええ。」  
信じられない。まさか、この期に及んで、思いが通じるとは。  
 
於一殿は目を閉じた。  
これは…よいということなのか。  
これから私のすることを全てお許し下さるのか。  
 
 
私は於一殿に口付けようとした。深く、二人が二度と離れぬように…  
 
だが、急に、目の前に…  
何か…ばさばさと…  
嗚呼、またしても、私たちは引き離されてしまうのか…  
 
 
「旦那様。」  
「はっ。」  
「どうされましたか。」  
「ち、ち…近!?」  
ここは、小松家の…私は…今のは…夢!?  
 
「こんなところで眠って、お風邪を召されますよ。」  
「あ、ああ…」  
体が痛い。縁側でおかしな寝方をしてしまったらしい。  
「すまない。」  
と、近に背を向けたまま言う。何と無く後ろめたい。  
「もうすぐ夕餉ですので、いらしてくださいね。」  
「ああ。すぐ行く。」  
近の足音が遠のいた。大きく息を吐く。変な汗をかいて気持ちが悪い。  
 
 
何という夢だ。  
篤姫様と別れて早数年、あの方はすでに御台所となられたというのに。今更。  
まだ未練があるのか。何度も自分に言い聞かせたではないか。  
あのとき、気持ちを伝えたところで何も変わらない。  
あの方は、すでに御台所への道をまっすぐ進む決意をしておられた。  
あの方を連れて逃げることなどできなかった。  
そんなこと、あの方も、自分も望んでなどいなかったではないか。  
 
 
情けない。  
だが、夢でもなんでも、元気なあの方にお会いできてよかった。  
 
「まだ、残っている。」  
篤姫様のお声、温もりも、香りも、息遣いも。  
体がいまだに熱い。  
いかん、いかん。  
つい破廉恥なことを考えてしまい、頭を振る。  
 
それにしても、最後に目の前を覆ったもの、あれは何だ。何か…獣のような…  
「あ。」  
肩に何かついていた。  
「羽根…?」  
 
 
 
 
 
 
そのころ、江戸城大奥では…  
 
「よーし、よし。」  
日も暮れかけた中庭の池の畔。一人佇む家定公。  
「上様、いかがされましたか?」  
家定は含みのある笑みを向けた。  
「こやつらに褒美をとらせておるのじゃ。」  
「褒美…?」  
篤姫は首を傾げた。  
家定はそんな妻を愛しそうに見つめ、そっとその小さき手をとる。  
「さあ、日も暮れた。中に入ろう。そちの分もあるぞ。」  
「夕餉の前でございますよ。」  
 
 
 
池には上様お手製かすていらをついばむ家鴨たち。  
 

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