〜もしも〜家定が助かったらのお話です。  
ビタミンB1を補う野菜を食べて症状を改善してきたと言う設定にしています。  
医学の知識がないので、勝手に症状改善という形にしましたので、ご了承下さい。  
 
 
御台よ、何故、何時かの様に会いに来ぬ。  
儂からは、もう行けぬ・・・行けぬのだ・・・  
 
病床に伏せる儂の心は御台への想いで溢れていた。  
政略結婚で夫婦となった儂と御台。  
薩摩から来る儂の妻となる女子は、聡明で賢いと阿部が言っていたのを思い出した。  
儂は、阿部に、この大奥では、賢さ等、役に立たずとも言ったが・・・  
それは、儂の間違いじゃった。  
確かに御台は、賢き女子で不思議な力を持つ女子じゃと思った。  
何時しか、儂は御台に惹かれていった。  
御台は、儂に生まれて初めて人を愛しく想う気持ちを教え、人を信じる事。  
家族を守りたいと言う気持ちを教えてくれた。  
生きたい。  
生きて、御台と共に国を守り・・・  
家族を守りたい。  
叶うものなら、女子でも良い。  
儂と御台の子が欲しい。  
もっと安らげる場所が欲しいと思った。  
儂の命の炎は、後、どれ位・・・持つのだろうか?  
 
瞼を閉じると御台の顔ばかり浮かぶ。  
この命を燃え尽きる前に、もう一度でいい。  
この目で御台の笑顔が見たい。  
この手で御台の頬を触れたい。  
 
「公方様」  
ゆっくり瞼を閉じようとした時、儂を呼ぶ母上の甲高い声が聞こえて来た。  
母上、もう少し静かな声で入って来て下さい。  
この声が御台だったら、どれ程良かったものか・・・  
部屋に母上が入って来ると同時に、膳を持った奥女中が入って来た。  
部屋に入って来たら来たで、膳を持った奥女中は、病床に伏せる儂の側に座った母上の前に  
その膳が置かれた。  
 
「公方様。お気を確かにお持ち下さいませ。公方様のご病気に良いと言われる食材を  
ご準備させましたゆえ、今は、食べたくないかも知れませぬが、少しだけお食べ下さいませ。」  
病床に伏せる儂の側に座ると母上は、器と箸を取り、柔らかく煮込まれた南瓜を儂の口元に持って来た。  
 
「母上のお心遣い、嬉しく思いますが・・・申し訳ございませんが、今は食せる気分ではございません。」  
丁重に儂は、母上に断りを入れると溜息の様に大きく息を吐いた。  
困った表情を浮かべ母上は、儂の顔を見ていた。  
「公方様、母の手から食べられないと申すのでしたら、御台様の手でございましたら、少しでもこの料理を  
お口に入れて頂けるのですね。」  
念を押す様に母上は、儂に申す。  
今の状況から母上がこの場に御台を呼ぶ等、考えられぬ事。  
「御台を呼んで下さるのでしたら、食してもかまいません。」  
 
「歌橋、公方様がお呼びだと言って、御台様を呼んで参れ。」  
張りのある声で母上は、歌橋に指示した。  
驚いた。  
御台が一橋家の慶喜を次期将軍に推挙していると分かった日から母上の態度は、一転され、儂と御台を  
会わせぬ様に細工までした母上が御台に協力を要請した。  
 
※脚気発症原因。  
 ビタミンB1の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患。  
 
束の間の間、儂は瞼を閉じた。  
しかし、鉛の様に儂の体が重い。  
寝返りすら間々ならぬ。  
耳を済ませると遥か遠くから廊下を歩く御台の足音と共に衣が擦れる音が聞こえて来た。  
儂の心は、恋を知ったばかりの青年の様に胸が高鳴った。  
 
「上様」  
新御殿から走って来たのか、息を切らせ中奥にある儂の寝所まで来た。  
儂の病状を聞き付け急ぎ儂の所に来てくれたのか!  
愛いやつ。  
そちの儂への想いが伝わった瞬間だった。  
「御台。」  
御台に触れたく細くやせ細った腕を宙にあげ弱々しい声で儂は御台の名を呼んだ。  
母上は、驚いた表情を浮かべていた。  
何故なら儂は、人に触れられるのが嫌いだからじゃ。  
そんな儂が自ら進んで御台に触れたく手を差し伸べたからの。  
それだけ儂は、御台に心を許した証拠。  
儂が心から寵愛した女子。  
御台と過ごす時間が儂にとって唯一の安らぎだった。  
 
「上様」  
宙高くあげた儂の手を御台が握ると同時に、ふぁと御台から漂う甘い香りが儂の鼻を擽った。  
「御台。」  
「お会いしとうございました。上様」  
「儂もじゃ、御台」  
「お加減の方はいかがですか?食が細いと聞き、心配しておりました。」  
「心配をかけてしまったの。」  
「上様」  
御台は、儂の側に置いてある膳に目をやった。  
御台の事だ、その膳が殆ど儂が食した形跡がなければ、きっと儂に進めるだろう。  
「上様、全然、膳に手を付けていないじゃありませんか?食欲がありませぬか?」  
「今は、何も食べとうない。」  
「しかし、上様。」  
「何じゃ!」  
「ご気分が優れないからと言って、何もお食べにならなければ、病に勝てませぬ。少し、お食べになられては?」  
「そうじゃのーっ。そちが儂に食べさせてくれるなら、食べても良いぞ!」  
他愛もない儂ら夫婦の普段の会話に側にいた母上と歌橋が目を丸くして聞いている姿が、儂にとって可笑しな光景だった。  
「分かりました。私が上様に食べさせてあげましょう」と言って御台は、儂の手を離すと胸元から徳川宗家の家紋が  
入った手拭を広げると儂の口元に広げると御台は、箸と器を持つと箸で料理を一口大の大きさに切った南瓜を儂の  
口元に持って来た。  
「上様、お口を大きく開け下さいませ。」  
儂は、御台に言われるまま口を開けた。  
口の中に甘い南瓜の風味が広がると同時に何とも言えぬ幸福感が広がった。  
「上様、おいしゅうございますか?」  
器と箸を持ったまま御台は、微笑んでいた。  
この笑顔を儂は、守りたい。  
御台のその手に触れていたいと思うと同時に、半ば生きる事を諦めていた儂の心に、こんな病に負けてたまるか!  
と言う気持ちが儂の胸中から強く湧き上がった。  
 
「美味じゃ。そちのその想い、しかと受け止めた。」  
儂は、再び雛鳥の様に口を開けた。  
しかし、一向に儂の口の中に食べ物が入ってこぬ。  
側に居る御台を見ると笑いながら涙を流していた。  
何故、御台が泣いているのか、今の儂には理解出来なかった。  
女子の心は分からぬ。  
体が自由に利くのなら、涙を流す御台を抱きしめ、頬に流れる涙を拭ってやる事も出来たのに・・・  
今は、思うように体が動かせぬ自分に腹立たしく思った。  
許せ!  
御台。  
もう少し儂が元気になった暁には、涙を流すそちをこの胸に抱き止め慰めてやるからの。  
それまで、待っておれ!御台。  
 
「何をしておる、御台。早う、儂の口に入れぬか?」  
「申し訳ございませぬ。上様、次は何が宜しゅうございますか?」  
手で涙を拭い言う御台。  
「何があるのじゃ?儂からは、見えぬ。」  
「先程、お食べになられた南瓜の他に小豆、さと芋が入った、汁物にございます。」  
「ほう。汁が飲んでみたいの」  
「汁でございますか?」  
「そうじゃ、汁じゃ」  
「汁でございますか?でも、上様?」  
「何じゃ」  
「汁ですと・・・まだ、熱うございます。」  
「そちが・・・その息で冷ませば良いじゃろ?」  
「上様」  
 
「公方様、それは、いけませぬ」  
近くに控えて居た母上が慌てて、それを阻止しようと口を出して来た。  
御台は、どうして良いのか分からず戸惑っていた。  
「母上、何故いけないのですか?私達は夫婦。何の心配がありましょう。もしや母上、御台が儂に  
毒を盛るのでは?と疑っておいでですか?」  
御台が儂に毒を盛る?  
そんな事、考えもしなかった。  
御台は、筋の通った賢き女子。  
毒を盛る前に御台は、儂に向かって物申すであろう。  
徳川家の人間として生きると儂に誓ったのだ、儂を裏切る様な女子でない。  
裏切る様な女子なら、儂は、最初から御台と距離を取り、寵愛などせぬ。  
 
「しかし、公方様」  
尚も又、母上は御台の息がかかった食べ物を儂に食べさせるのをやめさせ様としている。  
だが、例え母上とて、儂がこの国の将軍の間は、儂の命令は絶対なのだ。  
「母上、心配致しますな。私達は夫婦、一心同体でございます。もし、御台が私を殺す気なら、とっくに  
私を殺しているでしょう。何故なら私達は、何度も共に夜を過ごしていますゆえ。」  
「公方様」  
これで、母上は儂ら夫婦に口出ししまい。  
どれだけ、儂が御台を大事に思い、寵愛しているか分かるであろう。  
「御台、何をしておる。早くいたせ。」  
「はい。上様」  
母上と儂の会話を黙って見守っていた御台が驚いた声で答えた。  
御台は、匙で汁を救うと可愛らしい口元に持って行くと息を吹きかけ汁が冷めたかどうか、口に付け確認すると  
儂に飲ませた。  
「上様、熱くありませぬか?」  
「うん。丁度良い。美味であるぞ御台。」  
汁を口に入れ飲み込んだ瞬間、不思議に儂の体が暖かくなり、生きる源が儂の体に染み込もうとしているのが  
分かる。  
儂は、生きるぞ!  
生きて、御台と共に徳川将軍家を守る。  
「御台、もう良い。満腹じゃ。」  
「しかし、上様。お口にされたのは、私が小さく切った南瓜一口と汁一口だけでございますよ。もう少し、お食べに  
ならなくては、力がつきませぬ。」  
御台よ!  
そう、心配そうな顔で儂を見るな!  
もう、儂は大丈夫だ!  
食事と共にそちの儂への愛情も一緒に食したのだ。  
それだけで、儂は満腹じゃ。  
「何て言う顔をしておるのじゃ!儂は、大丈夫だ。儂の側には、そちと母上が・・・こうしてついておるからの。」  
「上様」  
「公方様」  
「儂は、疲れた。寝る。御台、儂が眠るまで、こうして・・・儂の側に付き、こうして手を握っていてくれぬか?」  
「分かりました。上様。私は、何時までも上様のお側におります。ご安心してお休み下さい。」  
儂は、御台の手の温もりを感じたまま、久しぶりに安らかな眠り付く事が出来た。  
 
 
あれから数日。  
あれ程重かった儂の体が不思議の様に軽くなった。  
自力で起きる事ができなかったが、今は自力で起き上がる事が出来る様になった。  
後、少しじゃ。  
儂がここまで良くなれたのは、御台のお陰。  
日中、殆ど御台は、儂が休む中奥に居て何かと儂の世話を妬いてくれている。  
こうして、一日中そちと一緒に居る事は、初めてじゃの。  
病に伏せるのも悪くはない。  
側で書物を読む御台を儂は見ていた。  
「上様、いかがいたしました?」  
儂の視線に気づいた御台は微笑み儂を見た。  
儂は起き上がろうと体を起こしはじめた。  
すると、御台は儂の側に来て、儂の体を支え起き上がるのを手伝ってくれた。  
御台は、本当に優しく、気の利いた女子じゃ。  
そちが儂の妻でよかった。  
儂は、そのまま御台の手首を掴み儂の側に引き寄せた。  
「上様」  
驚いた表情で儂を見つめる御台。  
儂は、御台の右手で御台の頬を包み込む様に沿え親指で唇をなぞった。  
「う・・え様。」  
そのまま儂は、左腕を御台の腰に腕を回し引き寄せると御台のその薄い唇に唇を重ね口吸いした。  
今はただ、御台の唇に儂の唇を重ねるだけ。  
唇を離し御台を見ると御台は、顔を真っ赤にしたまま恥らう様に俯いていた。  
我らは夫婦。  
何を恥らう事がある。  
本来なら、儂達は婚儀の夜に全て済ませておかなくてはいけない行為。  
何て可愛らしいんだ。  
口吸いだけで、そのように真っ赤になっていては、この先、何も進まぬぞ!御台。  
御台は、そのまま儂の胸に顔を埋めた。  
はぁ〜。  
御台よ〜っ、これじゃ〜・・・また、そちに口吸いが出来ぬではないか・・・  
御台に聞こえぬ様に儂は、溜息を付いた。  
 
初めて儂が御台に口吸いをした日から数日が立ち、儂は何も変わらぬ日常生活に戻った。  
しかし、床を上げてからの儂は、目が回るほどの忙しさで御台と思う様に過ごせぬ苛立ちを覚えた。  
今の儂は、朝、御仏間で御台と顔を合わすのみ。  
今日こそは、昼までに奥泊まりを瀧山に申し付けようと思っていたが、家臣達との政務が長引き  
結局、申し付ける事が出来なかった。  
今宵も御台と過ごせぬかーっ!  
半ば諦めていた頃、堀田が話しかけて来た。  
「恐れ入ります。公方様」  
「何じゃ!」  
今は、そちと話とうないわ。  
儂が今、話したいのは、御台とじゃ。  
「床を上げられてから、御政務続きでお疲れでしょう。今宵は、御政務は、ありませぬ。  
今から御台様の所に行かれ、お寛られては、如何でしょうか?」  
「何?今宵は、政務がない?何故その様な大事な事をもっと早く申さぬ。」  
無意識のうちに儂は、立ち上がり足は、奥へ向いていた。  
「申し訳ございませぬ。」  
尚も又、堀田は、平伏せ言う。  
「公方様」  
「何じゃ」  
まだ、用があるのか?堀田。  
「公方様のお怒りを覚悟で申し上げます。今宵、私から瀧山殿に御台様の所に公方様のお渡りがある事を、  
申し上げてしまいました。申し訳ありませぬ。」  
堀田!何だ、そんな事か。  
そちは、気が利くのーっ。  
儂の気持ちがそちにも通じたか・・・  
「儂は、怒ったりなどしておらぬ。御台とゆっくり過ごしたいと思っていた所じゃ。堀田、礼を言うぞ!」  
「勿体ないお言葉、それと公方様」  
「何じゃ。まだあるのか?早う、儂は、御台とゆっくり過ごしたいのじゃ。」  
「申し訳ございません。本日の夕餉でございますが、奥にて御台様と本寿院様と共に食せるよう、手配も  
整っておりますする。」  
「分かった。そちも、もう下がっても良いぞ!」  
と言い残し儂は、奥へ向かった。  
夕餉も御台と共にかーっ!  
母上は余計だが、仕方あるまい。  
 
 
一方、新御殿に居る篤姫。  
 
今日も私は居室で一人書物を読んだり、庭に出て上様の事を想い過ごしていた。  
政務でお忙しい上様。  
お志賀の所にもお渡りがない。  
当然、妻たる私の所にも・・・  
毎朝、上様のお姿を御仏間でお会いするものの、ゆっくりお話する事も叶わぬもどかしさを胸に押さえ  
恋を知った乙女の様に、私は、ただひたすら、上様のお渡りを待つのみ。  
上様。  
私は、貴方様も妻でございます。  
何故、妻たる私が上様に自由にお会いする事が出来ぬのだ・・・  
上様に初めて抱きすくめられた橋のふちに肘を置き小川を見ていた。  
「御台様、本日、公方様のお渡りがございます。」  
初瀬が平伏せし私に伝えて来た。  
お渡り。  
「そうか・・」  
自然と笑みがこぼれ頷いていた。  
「また、公方様が御台様を御殿にお呼びする様、申し付かりましたので、御殿の方へ起こし下さいませ。」  
と初瀬が言葉を続けた。  
「上様が私を呼んでいる?」  
「はい。公方様が今宵、御台様と本寿院様と夕餉も楽しみたいと仰っているそうです。」  
「上様が・・・そうか・・・上様の所に参る」  
私はそのまま上様が居る御殿まで急いだ。  
 
つづく  
 

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