自分がまだ、こんなにも人を愛せるなどと。
愛情など誰にも抱かず、我が身すら慈しまずに一生を終えるものとばかり思っていたのに。
御台、そなたは不思議な女子じゃ。
初めは信じられなかった。
誰も信じず―信じられず生きてきたのだ。
そなたも、他の輩と同じだと思った。
見え透いた政略結婚。周囲が望むのは、名ばかりの、お飾りの夫婦。
利用し、利用されるだけ。
だから、そう接した。
そなたはただ、「御台所」と呼ばれるだけで良いのだ、と。
この儂が名ばかりの「公方」であるように。
それがそなたの役目だと。
それなのに。
真っ直ぐにこの目を見てくれた。「公方」ではない、儂の目を。
うつけを装って接しようと、どれだけ冷たく接しようと、怯みもせず諦めもせず。
結局、悪足掻きをしただけなのだ。
共に語り、笑うことが増えるのと同時に、安らぎを覚えずにいられなかった。
いつの間にか、一緒に居ることが当たり前になっていた。
傍にそなたがいなければ、この身が千切れてしまいそうなほどに。
のう、御台。
そなたは信じぬかも知れないが、儂は初めから―
一目見たあの時から、そなたに惹かれておったのだ。
儂は誰かのように素直に出来ておらぬから、
こうしてその体を腕に抱くことくらいしか出来ないが。
そなたに伝わればいいと―
この狂おしい程の愛おしさを込めて。
この想いが身を焦がすようになったのは、いつからでございましょう。
初めはただただ、「夫婦らしく」なることに必死で。
愛するとはどういうことなのかも、満足に知らぬというのに。
あなた様の、本当のお姿を知ることばかり考えておりました。
憂いと寂しさを抱えた眼差しを垣間見たとき、お救いしたいと、
傲慢にも、そう思わずにはいられませんでした。
そんな身の程知らずの決意も、
きっと「夫婦」になれると信じていたのも、
思えば愛情の芽生え故だったのかも知れません。
いつしかあなた様の表情が変わって、共に語り、笑いあうようになって。
鋭敏な為政者としてのお顔も、優し気な微笑みも、屈託のない笑い顔も、
考え事をする時に口許に当てられる指先も、大きく温かい手も――
―あなた様の好きな所など、挙げればきりがないくらいでございます。
上様。
あなた様は、お笑いになるでしょうか。
一目でも会えぬ日は、まるでこの世から色が消えてしまうような気がすることを。
この胸の痛みに、眠れぬ夜があることを。
こうして温かな腕の中にいると、嬉しさに我が身が震えるのです。
あなた様が惜しみなく愛を注いで下さるように、
私は上手に、この気持ちを伝えられているでしょうか。
あの日、日差しが降り注ぐあの庭で、素顔に触れた時から
切なく溢れて止まない、
この愚かしいまでの愛を。
「―泣いておるのか」
柔らかい声が降ってきて、御台所は思わずぴくりと身を震わせた。
幼子のように、公方の胸に顔を埋めて声を殺す妻。
その頬に手を添え、公方はそっとその顔を上向かせる。
「上、様」
泣き濡れた瞳が、優しく微笑む眼をひたと見詰める。
困ったように眉を下げる瞳もまた、赤みを帯びていて。
「そなたは泣き虫じゃのう」
途端にくしゃくしゃの泣き顔を見せる御台所の頬を、長い指がそっと拭う。
瞼に、頬に、唇に、口付けを降らせて。
再びひしと抱き合えば、互いの温もりを全身に感じる。
このまま溶けてしまえばいい―。
離れることなどないように。
何であろうと、
二人を分かつことなど、できぬように。