「母の愛憎」の時期の話。  
 
家定は表の仕事をこなしながらも篤姫と会えない日々の  
もどかしさを感じていた。  
「どうしたものかのう・・・」  
「はっ?何がにございますか!?」  
老中堀田の素っ頓狂な声が響く。  
「・・・何でもない。早うそちらの意見書を持て。」  
「はあ、申し訳ございません。」  
首を傾げながら仕事をする堀田にため息をついてしまう。  
(こやつはいつも単純で能天気で良いのう・・)  
毎日篤姫の事を思い出して悩み深い自分に比べて、  
いかにも能天気なこの男。  
いっそ自分が本当にうつけなら良かったと思う。  
いつもの疲労を和らげる薬を飲もうと懐に手を入れると、  
堀田がまた素っ頓狂な声をあげる。  
「あ!公方様!お待ちください!」  
「何じゃ、びっくりするではないか!」  
「御台様から預かりものがあったのでした。いや〜思い出せて良かった。」  
「御台から・・じゃと?」  
「はいっ、ぜひに公方様に渡して頂きたいと先日お会いした際・・・」  
家定がすっくと立ち上がり堀田の所まで近づいた。  
 
「おぬし、御台に会うたのか。」  
「はいっ、大奥に呼ばれたのです。頼み事をしたいということで。」  
鬼気迫る表情の家定に気付く様子もなくにこにこしながら応える堀田であった。  
「この薬を渡して欲しいとのことでした。  
なんでも疲れが良くとれるよう薬師に調合を頼んだとか。」  
薬の包みを受け取り、篤姫の心遣いを嬉しく思う。  
と同時に会いたさが募る。  
「いや〜それに致しましても、御台様はお美しゅうなられましたな〜」  
その言葉にぴくりとして堀田を睨んだ。  
それに全く気付く様子もなく、うんうんと頷きながらさらに続ける。  
「なんというか、まあ、大奥に入ってすぐの頃はまだ無邪気な姫君という  
感じでしたが、今はなんというか匂いたつような美しさと申しましょうか・・・」  
篤姫に会った時の事を思い出しながらそう語る堀田を、家定はいまいましく思う  
「なぜそなたが会えて儂が会えぬのじゃ」  
ぼそっと言った家定の言葉が聞き取れず、はてと首を傾げる堀田。  
「公方様、御台様はなぜ直接お渡しにならぬのでしょうか?  
あ〜、公方様、まさかお志賀のところにばかり言って御台様のところは  
久しく行っていないのではございませぬか?もったいのうございますよ、  
ほんに御台様はそれはもうお美しゅうて、私にも優しくしてくださり・・・」  
「堀田。」  
鋭い家定の口調と目に一瞬固まる堀田。  
「な・・・なんでございますか?」  
「そなたに頼みたい事があるのじゃ」  
「な・・・なんなりと・・・」  
堀田は嫌な予感がした。  
 
 
後日、山のような幕府の意見書に目を通すように言われた堀田の悪戦苦闘する姿があった。  
「く、公方様、私が一体何をしたというのですか〜〜」  
その悲鳴は江戸城中に響いたといわれている。  
 
 
 

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