「んっ……」
濡れた音がリリーとヴェルナー、二人しかいない店に響いている。
飲みさしの珈琲を入れたカップを机の上に置き、いつものように腰掛け目線を落として店を見ているのはヴェルナー。
そして、そのヴェルナーの足の間に跪いているのはリリーだった。
久し振りに訪れたヴェルナーの店で、壁から下げられている鹿の首を壊してしまったのは、確かにリリーであるし、
してはならないことをしてしまったことも、事実だ。
急いで調合したクラフトが暴発したのに、その鹿の首しか被害に遭わなかったのは奇跡的だとリリーは思う。
ヴェルナーも慌てるリリーに、そう言って笑ってくれた。それよりも大丈夫なのかとリリーを心配してくれた。
けれどどうして、そこからこんな状況になってしまったのだろう。
後片付けの最中に、リリーはヴェルナーに
「しかし、どうしてクラフトなんて持ってたんだ? どっかに出かける予定も無いはずだったんじゃないか?」
と尋ねられた。
特別なことでも無いと思ったりリーは、正直に、
「ウルリッヒ様からの頼まれ物なの。ここに来る用事があったから、ついでにって思って。でも、駄目になっちゃったからもう一回作らなきゃ」
と答えた。
それがまさか、こんなことの引き金になるなんて、本当に思ってもみなかったのだ。
あの飽きっぽくて独自の価値観で生きているヴェルナーが、こんな風に自分に執着するなんて、思ってもみなかったのだ。
実際に起きていることだというのに、まだ信じられない。そんな風に思いながら、リリーはヴェルナーの雄に舌を這わせる。
物凄い剣幕で怒られた後、自分でも状況が理解出来ないまま、リリーはヴェルナーの雄と向き合わされたのだ。
むっと押し寄せる男の匂いは、リリーがこんなに近くで嗅いだことの無かったものだ。
確かに自分は、怒られるくらいに危険なことをしてしまった。でも、その代償をこんなことで済ませるなんて。
ヴェルナーと過ごした今までの時間、彼は自分をからかうような部分もあるけれど、いつだって優しかった。
こんな風に無理に体を求められたことだって無かった。
そうやって考えていると、涙が零れてしまいそうだった。
と、リリーの耳にヴェルナーの指が触れた。
ヴェルナーの指は、リリーの耳の輪郭を辿るように動くと、耳の穴をぐるりと撫でる。
「んんっ」
たわいも無い行為だというのに、背筋がゾクゾクとして、リリーはヴェルナーから口を離して喘いでいた。
「なんだぁ? リリー。こんなことで感じちまってるのか?」
はじめてリリーを見下ろすと、ヴェルナーはそう言って低く笑った。
そんなことは無いわ! と否定したくても、耳に触れられて感じてしまっているのは事実なのだから、何も言えやしない。リリーは下を向いて唇を噛み締めた。
淫らな自分を見られることは、とても恥ずかしく耐え難い。彼の前で体を晒したことは何度だってあるというのに、こんな恥ずかしさを感じることは初めてだ。
恥ずかしいと思うのに、なぜかじんじんと熱を持ってしまう体が、たまらなく憎い。
「まぁ、そんな顔しなさんな。もっと見せてくれよ、リリー」
顎を持ち上げられて頬にヴェルナーの雄を擦りつけられる。ぬるぬるとした感触が頬を撫でることに耐え切れず、リリーは口を開くと再度彼を咥え込んだ。
何も考えてはいけない。そう思いながら、リリーはヴェルナーの雄に舌を這わせる。
張り出した部分より上で舌を動かすと、まるでキャンディーのようにツルツルした舌触りをしているおかげで、少しは楽だった。
だが、それだけを繰り返していると頭を押さえ込まれて、幹の部分に舌を這わせなければならない。
喉の奥にぶつかる先端は、少しでも位置がずれればむせて吐き気を呼び起こす。
むせるような感覚に顔を顰めるリリーを見てもヴェルナーはそれを止めさせようとはしなかった、
「……リリー」
ヴェルナーの言葉にリリーは視線だけを持ち上げる。と、彼は瞳を閉じて深くためいきをついたところだった。
普段は決して見ることの出来ない彼の表情に、リリーは驚きを隠せない。
自分が憎いからこんなことをさせているのではないの?
そう思っていたのに、ヴェルナーのこんな顔を見てしまうと心は漣を打つ。胸の奥底がきゅんと痛くて、その痛さが体の中を走って行くような気がする。
解放されない痛みは熱となりリリーの体を蝕むのだ。
ヴェルナーの幹に伸ばした舌を休めることなく、リリーは瞳を閉じて行為に集中することにした。
一時でも、考えることを止めてしまいたかったのだ。
ぬちゅぬちゅという、リリーの口元から発せられる音が響いている。
頭の上からは、ヴェルナーの発する荒い息が微かに聞こえて来る。逃げることを諦めたリリーは、彼が喜んでくれるのなら……、ということだけに集中することにした。
だが、そうやってリリーが懸命に舌を這わせるようになったというのに、今度はヴェルナー自身がその張りを無くして行く。
「ヴェルナー?」
閉じていた瞼を上げてリリーが見上げれば、そこには眉間に皺を寄せたヴェルナーの顔がある。
先ほどそっと見上げた彼の顔は、もっと違った表情を浮かべていたはずだ。リリーは黙ったままヴェルナーを見上げていたが、ヴェルナーは何も言わない。
少しの間沈黙が続いたが、根負けしたリリーはヴェルナーのその部分に、もう一度舌を這わせた。
先端の部分を舌先でちろちろと舐め上げ、指先で茎の下にある袋を撫でる。
こうすれば、ヴェルナーも喜んでくれるはずと思いながら、リリーはそれを再度繰り返そうとする。
なんとなく、先ほどのように彼の顔を確かめることは出来なかったけれど、それでも、リリーはヴェルナーを悦ばせようと一生懸命だった。
何が彼をいつもと違った彼にしてしまっているのか分からない今、自分に出来ることはこれだけなのだ。
何度も何度も、リリーは心の中で無理に作り出した理由を噛み締めた。
少しすると、一度硬さを失ったヴェルナーのものも回復しはじめた。
唾液が絡みちゅむちゅむと音を立てるリリーの舌の動きに合わせて、ヴェルナーの腰もしなる。二人はお互いのリズムを通わせて、一つの快楽へ向かう。
「リリーっ」
荒い息と共にヴェルナーの口から吐き出される自らの名前。頬を撫でる彼の指先。
彼に奉仕しているだけだというのに、自らの体も高まっている。
「んむっ……」
口に含んだ彼を一旦吐き出すと、リリーは先端を唇で優しく挟んだ。くぼみを舌先で刺激すると、ヴェルナーの動きが止まる。
もうそろそろだと思いながらも、リリーはそれを止めようとはしない。
「おい。やめろっ、もう……、や、ばい」
静止の声と共に顎を捕まれたが、リリーは首を左右に振られても、舌の動きを止めようとはしなかった。
もうここまで来てしまったのならこのまま……。そう思うのは、今、自分がこうしている相手がヴェルナーだからだ。
他の誰が相手だとしても、こんなことは思うはずが無い。
必死に自分を止めようとするヴェルナーをそのままに、リリーは彼を再度自らの口中に迎え入れ、きゅっと締め上げた。
熱い肉の塊は、口中の敏感な部分をざらりとくすぐる。
「……ん。リリー、や、め……」
言葉ではそう言っているが、ヴェルナーは既に理性を御することが出来ないでいるらしかった。
既に張り詰めていた彼自身は、リリーの与える刺激にぎゅっと大きくなり、そしてそのまま弾けた。
リリーの口内には、男の匂いが鼻につくどろりとした液体が残された。
吐き出すことも出来るものだったが、リリーは喉を上がってくるえずきをぐっと抑えて、それを飲み込んだ。
さらに、彼の中にまだ残されているものを唇を尖らせてそっと吸い込む。
「なんで……、お前」
荒い息を整えながら、ヴェルナーはリリーの顎を持ち上げると呟いた。
どうすれば良いのか分からない、そんな表情を浮かべるヴェルナーを、リリーははじめて見た気がした。
彼はいつも、己の感情に忠実で、迷いなんてものは見せたことが無かったのだ。
「だって」
ヴェルナーに応えて言葉を続けようとするが、ぐっと込み上げてくる吐き気に、リリーは一度言葉を切る。
すると、ヴェルナーは体を折り曲げてリリーの脇の下に手を入れると、力を込めて彼女の体を自らの膝の上に乗せた。
「どうしてここまでしたんだ」
酷く真剣な目をしたヴェルナーは、そう言ってからリリーの口を自らのてのひらで拭う。
「吐き出したいなら吐き出せ」
そう言っててのひらまで差し出してくるヴェルナーに、リリーは首を左右に振って嫌だと応える。
すると、ヴェルナーは机の上に置いてあった冷めた珈琲を口にして、そのままリリーに口付けた。
「ん……っ。ヴェルナー! 何するのっ?」
普段飲みなれない苦い珈琲の味にリリーが抗議すると、そんなことは問題にもならないとばかりに、ヴェルナーはリリーの額に自らの額を寄せた。
「それは、俺が言いたい言葉だぜ。リリー。どうして、ここまでしたんだ?」
「だって」
と、もう一度呟いて、リリーはヴェルナーの瞳をじっと見つめた。ヴェルナーの顔には、最初に行為を強要した時のような冷たさは無い。
それだけで、安心出来る気がした。
「ヴェルナーがどうして怒ってるのか分からないし、怖かったし」
そう、行為を強要された瞬間。リリーは怖かったのだ。身近で気安い存在になっていた彼の、あんな様子が。
思い出すと、涙腺に不要な涙が溜まってしまう。
それだけ言って黙っていると、ヴェルナーの指が伸びてきて、リリーのまなじりをぎゅっと拭った。
「悪ぃ」
言葉と共に告げられるため息に、リリーは一度唇を強く噛んでから、顔を上げた。
「そうよ! 怖かったんだから! なんでヴェルナーがこんなことさせるのか分からないし、
どう考えてもヴェルナーは怒ってるし、どうしていいのか分かんなかったんだからっ!」
「……悪かったよ。お前が、他のヤツのために夢中になってるの、許せなかったんだよ。だから、なんつーか……」
ヴェルナーの口から漏れた言葉に、リリーは思わず息を止めていた。今の言葉は、聞き間違いでは無いと思う。
けれどまさか、いつも飄々としている彼がそんな風に自分のことを考えていたとは、知らなかった。
「わ、悪かったじゃすまないわ!」
ヴェルナーの顔色が曇ることも気にせずに、リリーはそのまま続けた。嬉しいという感情と、
だからってあれは無かったのではないかという思いが絡まりあって、リリー自身、自分の口を止めることが出来ないのだ。
「ああ、そうだな」
ヴェルナーが自分から視線をそらす。
それに気付いたリリーは、ヴェルナーの頬を両手でぎゅっと挟んだ。こんな気持ちにさせたのだもの、目を合わせて聞いて欲しかった。
「ヴェルナー以外の人だったら、そんな言葉だけじゃ許さないんだから」
リリーの言葉に、ヴェルナーの瞳が見開かれた。
その瞬間の、あまりにも意外だといわんばかりの表情に、リリーは思わず笑ってしまっていた。
こんな彼の表情を見ることが出来るなんて、と、少しだけ嬉しかった。勿論、感情と矛盾していることは分かっていたけれど。
「ヴェルナーがあたしの何かに腹を立てたのは分かった。けど、こういうのはあんまり良くないわ。
だから、今度からは何かあったらまず説明してくれる? それを約束してくれるなら、今日のところは許してあげる。それで、どう?」
自分の能天気さには自分でも時々驚くなどと思いながら、リリーがそう発すると、ヴェルナーはぽかんとした表情を浮かべてから、苦笑を浮かべる。
「先生さまには敵わないな」
「あら? ヴェルナーがあたしのこと先生だなんて思ったこと、一回だって無いでしょ?
そんな風に呼んでも、きちんと言ったこと守ってくれなかったら許さないんだから。って、きゃっ!」
リリーが発した言葉の最後の方は、ヴェルナーの胸に吸い込まれてしまっていた。
抗議すれば腕は解かれることは分かっていたが、リリーはあえてそうしようとは思わなかった。
「好きだぜ、リリー。お前のそういうとこ」
あたしだって、ヴェルナーのこういうとこ好きだよ。と、リリーは心の中で応えていた。
抱き寄せられる腕は強くて、ぴったりと頬を寄せる胸は適度に厚い。やっぱりこうやって抱き合った方がいい。
口に出さずにそう思い静かに顔を上げると、ヴェルナーがいつもの顔で笑っていた。
どうやら、思ったことは同じだったのかも知れない。
「好きだぜ。リリー」
唇にそっと下りてきたヴェルナーの唇を受け止めて、リリーは彼のシャツを強く掴んだ。「あたしもよ」という言葉は、きっとそれで伝わっただろう。
<終>