燭台の炎が揺らめきながら。  
アトリエには重苦しい空気が流れていた。  
ドルニエは長くかすれたため息を吐いた。  
これで何度目だろうか、とリリーは思った。  
「だめだ、どうやってもこれ以上は無理だ。」  
リリーは黙って聞いていた。大きな瞳が今は憂いに暗く翳っている。  
「来月までに資金を用意できなければ、アカデミー建設は中止だ。」  
ザールブルグに錬金術のアカデミーを建設するため。  
海の向こうのケントニスからはるばるとやってきた一行。  
しかし、現実はリリーが思っていたよりずっと厳しかった。  
一生懸命働いたものの、資金繰りは日に日に悪化。  
二年目を迎えたいま支払い遅延のためにアカデミー建設工事の中止を勧告されたのだ。  
 
 
「ああ、もうお終いだ…」  
うなだれて泣き言を繰り返すドルニエを前にして、リリーは重大な責任を感じていた。  
元はといえば自分のいたらなさが原因である。  
依頼は失敗の連続であるし、たまに上手くいっても、  
出来上がった物の品質は最低で評判は下がる一方だった。  
いまやリリーに仕事を頼むアホはいない。  
全てはリリーのへっぽこぶりのお蔭である。  
「――あたしが…」  
うなだれていたドルニエはわざとらしく、急に口を開いたリリーに驚いたように面を上げる。  
(みんなの夢を壊してはならない。自分がいたらないばかりに先生を苦しめてはならない。)  
「あたしが何とかします。」  
瞳に悲壮な決意を秘めてリリーはそう宣言した。  
 
リリーはどうにかしようと思い詰めていた。  
しかし、とってつけたように纏まった金がつくれるはずもない。  
今までうまくいかなかったのだ。  
まっとうなやり口でそれだけの大金を手にする術はなかった。  
いまのリリーの取り柄と言えば若い肉体くらいのものである。  
必然的に女の武器を使って金を稼ぐしかないという結論にいきつく。  
 
ただ一つ気になるのは…ヴェルナーのこと。  
誰からも見放されたリリーだが、ヴェルナーだけはぶつくさと文句を言いながらもよく依頼に来てくれていた。  
しかし、今はそれを気にすることができる状況ではなかった。  
これは自分の夢でもあるのだから、と何度も自分に納得させようとした。  
 
リリーは夜の街に立つようになった。  
 
 
大金は確かにみんなの夢を救っただろう。  
ドルニエは最初こそはわざとらしく驚いていたが、今ではそしらぬ顔でお金を受け取るだけである。  
たぶん、最初から何をして稼いだお金かは分かっているのだろうけど、何も言わない。  
 
こうして欲望やストレスのはけ口を求める男たちが何人もリリーの体の上を通り過ぎていった。  
綺麗なピンク色だったリリーの花びらも、いまや爛れたように黒ずんで、だらしなく口を開けている。  
少しずつ、戻れなくなっていくのを感じた。  
今まで関わっていた人々とも、少しずつ離れていった。  
たまに思い出したように泣いた。  
 
 
ある夜のこと。  
リリーはいつものように街角に立った。  
ザールブルグ中心部からやや外れたところにある繁華街である。  
喧騒と通りを行き交う人ごみとはもはや見慣れた光景でしかなかった。  
いつものように、リリーは過ぎいく人の背中に声をかける。  
「私を…一晩買ってください。」  
その後ろ姿がゆっくりと振り向いた。  
その瞬間、リリーは凍りついた。  
どうしてよく確かめなかったのだろう。  
一番、こんなところで会いたくなかった人――  
「お前…!」  
――ヴェルナー=グレーテンタール。  
「この…馬鹿が!」  
甲高い音が夜の街に響いた。  
 
リリーは驚いたように大きく目を見開いて、ぶたれた頬に手を当てた。  
「最近見かけねえと思ったら……お前は、こんなところで何をやってやがるんだ!」  
凄まじい剣幕にリリーは身を竦ませた。  
頬の痛みがじんわりと心に染み入ってきた。  
「ごめんなさい…」  
おさえきれなくて涙がこぼれる。  
「ごめん…なさい…っ」  
リリーは、ヴェルナーの胸にしがみついて泣きじゃくった。  
ヴェルナーは憮然とした顔つきだったが、やがて幼い子供を慰めるように、嗚咽する彼女の背中を擦ってやった。  
 
「なあ…本当にいいのか?」  
リリーは黙ってコクン、と頷いた。  
ここは繁華街にある逢い引き宿の一室。  
休ませるのもかねて連れ立って入ったが、いざとなるとどうも気が引ける。  
「リリー、やっぱり止そう。今からお前を送り返すから」  
「どうして?」  
「なんか、弱みに付け込んでものにしてるみたいじゃねえか。今夜はもう…。」  
ヴェルナーは絶句した。  
リリーは身にまとっていたものを次々に脱ぎ捨てていく。  
止めるまでもなく、リリーはいまや全てをさらけだしていた。  
「お、おい!」  
スカーフを解き、髪を下ろしたリリーは幼げにみえて、  
夜の煌きに映えた成熟した裸体にアンバランスな危うさを添えていた。  
「抱いて。」  
リリーは一糸まとわぬ姿でヴェルナーにもたれかかる。  
濡れた瞳がヴェルナーを見上げた。  
「お願い抱いて!あたしをヴェルナーで清めて!」  
「リリー…」  
 
ヴェルナーは、もう何も言わない。  
リリーの瞳がそっと閉じられる。  
少しの間をおいて、二人は始めての口付けを交わした。  
はじめは優しく、やがて濃厚に互いの舌を絡め合う。  
「んぅ……んっ……」  
ヴェルナーの節くれだった手がリリーの胸に伸びた。  
指先が豊かなふくらみに触れ、やさしくもみしだくと、ビクン、と震えてヴェルナーに応える。  
閉じていたリリーの目から一筋の涙がこぼれていく…。  
 
「あぁ…っ、ヴェルナー…っ」  
指が触れるたびに、リリーの体の奥深くから熱が生まれる。  
長い口付けから開放されると、リリーはせつなく身をよじった。  
ヴェルナーは潤んだ瞳で見上げるリリーの前髪をサラリと撫で、瞼にキスをした。  
「もう泣くなよ……うんと愛してやるから。」  
「……うん」  
服の上からの愛撫は、安らぎとともに心地よい刺激を与え、リリーの体は急速に熱くなっていった。  
 
 
902様、続編 
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