「あっ、ジーノくん!」  
トロンプ高原での修行中、大きな樹の枝の上で幹にしがみついているトトリに遭遇したのは、  
一日のノルマを半分ほど終えて今夜の寝床を探している時だった。  
「……トトリー、何やってんだー?」  
「ええと、風船の実を採ろうと思ったんだけど……」  
困り果てた表情で頭上を見上げるトトリの視線の先には、カラフルな丸い実が何個か実っている。  
 
トトリの話によると、自分の受けている依頼に使う素材が足りないことに気づき、  
開拓に忙しいメルルの手を煩わすのもどうかと思い、こっそりひとりで採取に来たところ、  
質の良さそうな風船の実が生っている樹を発見。  
いざ採取と登り始めたものの、木登り初心者には少々敷居の高い樹だったようで  
勢いで樹に登って降りられなくなった猫の如く、にっちもさっちも行かなくなっていたのだとか。  
この幼馴染は相変わらず、木登りを苦手としているらしい。  
 
「だからあんだけ、木登りくらいできるようになっとけって言ったのによー」  
「これでも少しは登れるようになったんだよー、でもこの樹、枝が思ったより細きゃー!」  
会話の途中、樹をゆらりと揺らすほど強い風が吹いて、トトリの乗っている枝も大きくしなる。  
「ジ、ジーノくーん、たすけてー」  
足元が不安定な上、絶えず吹きつける風のせいですっかりへっぴり腰のトトリは、  
肩掛けバッグからなにやら紙切れを取り出し、ひらひらさせ始めた。  
紙切れに書かれている文字に目をやると――『従者券』。  
 
あの時、ステルクとジーノそれぞれが用意した従者券のうち、ジーノの分については  
何故かメルルが使用権を放棄したので、トトリが使うことになっていた。  
理由を尋ねても、にまりとした笑顔――酒場に居るギルド受付嬢のそれと少し似ていた――で  
『先生に使ってもらった方がいいですよね!』  
とかなんとか返されるばかりで、よくわからないままだったのだけど。  
 
「それをここで出すのかよ……」  
作成者としては、もっとこう、日常的な用途を想定していたのだが。荷物持ちとか。  
「い、いいじゃない! 今がちょうど、いちばん頼みごとしたい時なんだものー」  
「まーいいけどさ。じゃ、今から日付が変わるまで俺、トトリの一日従者なー」  
ここで従者の務めを果たすのは街中よりも骨が折れそうだが、一度約束したことを曲げるのも嫌だった。  
ひとつひとつ片付けていくしかない。  
まずは情けない声で助けを求めている一日主君の救出。それから十中八九採取にも付き合わされるだろう。  
長い一日になりそうだった。  
 
日が落ちて、風車小屋の中にふたりで腰を落ち着ける。  
当初はいつものように適当な窪地ででも野宿するつもりだったのだけれど、  
トトリが一日主君権限で、命懸けの睡眠は嫌だ、と主張したからだ。  
風車と、それに連結している仕掛けの回る音が少々耳障りではあるが、  
この辺りで雨風や魔物の夜襲を凌げそうな場所はここしかなかった。  
 
「あーあ。主君さまがこき使ってくれるもんだから、どっと疲れたぜー」  
小屋に備え付けてあった蝋燭ランプの頼りない灯りの元。  
同じく小屋に置かれていた干し草の山に仰向けに倒れこみ、ジーノは大きく伸びをした。  
トトリも近くに座り、ジーノが採取したカゴ一杯の素材を整理しながら小首を傾げている。  
「そう? 変な氷とか出さなくてもいいし、ジーノくんの修行よりよっぽど簡単だと思うけど」  
「変な氷って……わかってねえなあ。あれはだな……あ、やっぱやめた。  
 説明すんのめんどくせーし」  
「ええー。言いかけて途中でやめるのは禁止だよー」  
気安いやりとりが快かった。  
ふたりでアーランドの地図とにらめっこしていた頃に戻ったようで、自然と笑みが浮かぶ。  
 
「しっかし、先生だなんだ言ってても、やっぱ中身はどんくさいトトリのままなんだな」  
「ど、どんくさくないよ! ちょっと木登りが上手じゃないだけで」  
ちなみに、今回のことはメルルちゃんには絶対内緒だからね! と、やたら念を押された。  
自分にまっすぐ尊敬の眼差しを向ける愛弟子には、情けない姿を知られたくないのだろう。  
 
「でも、ジーノくんがすぐ通りがかってくれて、良かったよ。  
 もしあのまんまだったら、何も採らないでトラベルゲートで帰る羽目になってたかも」  
「なんだそりゃ。凄いんだか凄くないんだかわかんねーな……  
 つーか、ひとりで来たのか? ミミとか師匠は居なかったのかよ」  
「それがね、ミミちゃんもステルクさんもちょうど、メルルちゃんの護衛に出てて。  
 ロロナ先生はアストリッドさんに呼ばれてたし、ケイナちゃんもライアスくんもエスティさんも、  
 自分のお仕事で忙しいみたいだったから、私の不手際に付き合わせるのも悪いかなって」  
 
トトリは経緯を説明しながら自分の状況を思い出したのか、どんどんしょんぼりした様子になっていく。  
放っておくと面倒なことになりそうだったので、適当に遮った。  
「ま、運が悪かったんだろ。今度は樹から下りる道具でも作っとけばいいじゃんか、錬金術で」  
「わ、ジーノくんがまともっぽいこと言ってる。そっか、その手があったよね」  
「あのなあ……」  
かと思えばあっさり立ち直ったように見え、何やら思案し始めたトトリに、溜め息を付く。  
特に腹が立ったというわけでもないのに、どこか面白くない。  
面白くないといえば、採取に付き合ったおかげで、今日のノルマも達成できないままだった。  
ふと意地の悪い言葉が思い浮かんだのは、そんなもやもやした気持ちがあったからかもしれない。  
 
「あ、言っとくけど、明日からはもう従者じゃねーかんな。ひとりで行ってこいよな」  
「うん。今日で結構集まったから、もう大丈夫だと思う。  
 ごめんね、修行の邪魔しちゃって」  
わざとらしくにやりと笑って告げても、寂しそうに笑みを返すだけのトトリに、ジーノは何故か狼狽した。  
面白くない気分はますます膨らむばかりだったが、それよりもこの妙な動揺を早くなんとかしたくて、  
自分が本当は何を期待していたのかを理解するよりも先に、次の行動に出る。  
 
「……ったく、冗談だよ。ここでの用事が終わるまでは付き合ってやる」  
結局のところ、従者券の効力うんぬんなんてどうでもよくて、それが言いたかったのだ。と思う。  
面白くなさを隠せないままそう言うと、トトリはきょとんと瞬いた。  
「え、いいの?」  
「ああ。それに今日のトトリの様子見てたら、そのうち樹の上で干からびてそうだもんな」  
死地(?)にひとり赴かんとする幼馴染を見捨てるのも夢見が悪い。ただそれだけのことなのだけど。  
それでもトトリは、ふわりと嬉しそうに表情をほころばせた。  
「ありがとう、ジーノくん」  
「お、おう」  
その笑顔がどうしてか、見てはいけないものに思えて、ジーノは慌てて目を逸らす。  
さっきまでの面白くない気分は、いつの間にかどこかへ消えていた。  
 
 
 ◇ ◇ ◇  
 
 
その後、それぞれ持ってきていた夕食を食べ終え、寝床の準備をしていた時。  
「ジーノくん、ちょっと服脱いでみて」  
適度な厚さに広げた干し草の上に毛布を敷き、簡易ベッドを作っていると、突然背後からそんな声が掛かった。  
「はあ?」  
いきなり何を言い出すのか。  
頭から干し草の山に突っ込みそうになりながら振り向くが、トトリの表情は真剣そのものだった。  
 
「なんだよ。そんな寒そうな格好してるからって、俺の上着は貸さねーぞ」  
年中風が止まない場所だけあって、日が沈むと室内でも若干の肌寒さを覚えなくもない。  
自分ですらそうなのだから、肩を露出させているトトリはさぞ、と思ったのだけど、  
「違うよ……いいから脱ぐの。従者は主君の命令を聞くものです」  
違うらしい。さっぱりわからない。  
が、一日従者としては不本意でも従わざるを得ないのだろう。例え罰ゲームのような命令でも。  
 
師匠が以前、従者の心構えとやらについて何か語っていたような気もするが、全く覚えていない。  
もしかすると、このような状況下での平静の保ち方も説いてくれていたのかもしれない。  
少しは聞いておけばよかったと、初めて後悔を覚えつつ。  
上から脱いだものかそれとも下からか、ジーノが手のやり場に迷っていると、  
それを察したトトリは顔を赤くして、上だけでいいよ上だけで! と慌てて付け加えた。  
 
「背中のとこ裂けてたから、もしかしてと思ってたんだけど……やっぱり」  
はたして、ジーノの上半身の衣服を全て剥ぎ取ったトトリは、その背に何かを見つけたようだった。  
「ここ、斬り傷ができてる。魔物にやられたの?」  
背中――左肩甲骨の下辺り――を横になでる指に沿って、じわりと鈍い痛みが走る。  
自分からは見えない場所だし、怪我をしているという認識も特になかったが、  
思い返せば昨日、リザードの集団を相手に大立ち回りをした覚えがある。  
その時にでも、背後から軽く一太刀貰っていたのだろうか。  
 
トトリの見立てでは、もう血は止まっているし、大して深い傷でもないらしい。  
だが、ぷにぷにの集団に喧嘩を売った程度で大騒ぎだったあのトトリが、  
そんな傷を見つけて放っておくわけがなかった。  
ジーノの基準では、身体を動かすのに支障が出ないのであれば怪我のうちには入らないのだけど、  
トトリの基準はそれとはまた違っているはずで。  
 
「そんくらいいつものことだって。唾でも付けときゃ治るよ」  
「だめだよ。武器に何か塗られてたかもしれないし、化膿だってするかもしれないんだし、  
 ちゃんと手当てしておかなくちゃ」  
予想通り、再び一日主君の強権を持ち出す気満々のトトリに、ジーノは早々に降参する。  
「はいはい。主君さまのお好きにどうぞ」  
「もう……あとで困るのはジーノくんなんだよ?」  
「だから、これくらいどうってことないっての」  
子供の頃から、この手の行為はどうも苦手だった。怪我の治療だとはわかっていても。  
今ならその理由がなんとなくわかるような気がしたものの、あえて直視するのは避けてきた。  
トトリは冒険者を辞めたのだし、もう意識に留めておく必要もないと思っていたから。  
 
 
 ◇ ◇ ◇  
 
 
傷口を洗ったり消毒したりといった作業に刺激が伴うのは、経験上わかりきっていたけれど、  
その後の作業にもまた別の刺激が伴ったことはあっただろうか。  
少なくとも、こんな事態に陥った覚えはなかった。と思う。  
 
少しひんやりとした指が、ヒーリングサルヴを塗り付けながらそうっと背中を撫でていく。  
傷口の辺りに到達すると、指先がどこか気遣うような動きに変わるのが妙にむず痒く、  
大声で叫びながら今すぐここを出て行きたい衝動に駆られる。  
ただ、そうすると敗北を認めたことになりそうで――トトリにか、過去の自分にかはわからないが――  
行動には移せなかった。  
 
背後のトトリも、こんな時に限って黙り込んだまま作業を続けていた。  
やわやわと続く背中の感触に意識を集中させてしまうと色々とまずい予感がしたので、  
他の事を考えて気を紛らわすことにする。  
……のだが、思い浮かぶのは何故か、昼間に樹から下ろしてやった時のトトリのやわらかな感触で。  
そして身体的な変化を起こしかけている自分に気づき、ああアレか、と、  
どこか諦めたような気分で悟った。  
 
『そういったこと』を考えた経験がないわけではないし、  
その類の妄想を始めたとき、まず思い浮かぶのは、大抵トトリだった。  
でも、トトリをそこに持ってくるのは場違いな気もしていた。  
小さな身体も、薄い胸も細っこい脚も、ふたりで冒険者ごっこをしていた頃から何も変わっていない。  
弱っちくてどんくさくて泣き虫の、守ってやらなきゃいけない、幼馴染のトトリだったから。  
 
けれど今日のトトリは、記憶の中の姿よりもずいぶんと女性らしい丸みを帯びていたように見えた。  
僅かにレオタードを押し上げる胸の膨らみも、スカートから覗く脚から腰にかけてのラインも、  
間近で見てしまったせいもあって、強烈に脳裏に焼きついているし、  
こんな薄暗い場所でさっきみたいに微笑まれると、だんだんおかしな気分になってくる。  
 
服や手袋越しではなく、直接その身体に触れてみたい、と頭のどこかでは望んでいる。  
ただ、トトリが怖がったり痛がったりしないよう、大事にしてやりたい、という昔から存在する思いも、  
魔物か何かのように力ずくで組み敷いてめちゃくちゃにしてやりたい、という凶暴な思いも  
ぐるぐる混ぜこぜになっていて、その気になった自分がどういう行動に出るのかまるで読めない。  
 
いくら考えても答えは出なかった。それもそうだ、元々頭を使うことになんか慣れちゃいない。  
というか、なんでこんな考えを延々と巡らせる羽目になったのか。経緯を遡ることすら億劫だった。  
忘れよう。手当てが終わったら寝る。もう全部忘れて寝る。  
 
堂々巡りを無理矢理断ち切って決意を固めたとき、ふと何かが動いた気配を感じ、  
後ろを振り向くと、すぐ目の前にトトリの顔があった。  
トトリの方もこのタイミングで振り向かれるとは思っていなかったのか、  
硬直したまま、お互いの瞳を至近距離で覗き込むことになり――首の後ろがぞわりと粟立った。  
 
「だああああ!」  
「わああ!?」  
ジーノが突然大声を上げて仰け反ったせいで、包帯を巻こうとしていたトトリも驚いてバランスを崩す。  
前に倒れこんでくるトトリをとっさに受け止めて、そのままほとんど衝動的に抱きしめる。  
でないと何か別の行動に出てしまいそうだった。  
「わ、え、ジ、ジーノくん?」  
「トトリ!」  
「はい!」  
切羽詰まったジーノの声に、思わずトトリも背筋を伸ばして答える。  
「その、い、一緒に寝てもいいか」  
トトリは言葉が出ないほど驚いたのか、しばらく口をぱくぱくとさせていたが、  
やがて耳まで赤くしてこくりと頷いた。  
 
落ち着いて考えると意味がわからないし、もう少し他に言いようがあったのではないかとも思ったが、  
それでもトトリには通じて、受け入れてもらえたのだから、あれでよかったのかもしれない。  
錬金術士の衣装とやらは相変わらず脱がし方がわからなかったので、トトリが自分で脱いだ。  
薄灯りの中、身体の曲線があらわになっていくのを、靄がかかったような頭でぼうっと眺めていた。  
 
「トトリ、なんか……変わったよな」  
こちらに向けて白い裸身を晒すトトリを前に、正直な感想を口に出すと、  
「なにそれ。どうせ私は変ですよーだ」  
今度はうまく通じなかったらしく、拗ねてしまった。  
なかなか働こうとしない頭を慌ててフル回転させて、より適当な言葉を捜す。  
普段はとても言えないようなことを口走ろうとしている、という認識はどこかへ吹き飛んでいた。  
 
「ち、違うちがう。  
 えーとあれだ、やわらかくて、いい匂いで……女らしくなった、って言いたかったんだよ」  
「……ジーノくんだって、変わったよ」  
ジーノの言葉にほんのり赤く染まっていく頬を隠すかのように、トトリは少し俯いた。  
指を折り、何か数えるようにしながら、ぽつぽつと話す。  
「私ひとり、簡単に樹から下ろせちゃうくらい、力が強くなってて……  
 背も伸びて、背中もすごく広くて、男の人みたいで。  
 さっき薬塗ってる時だって、本当はすごくどきどきしてたんだから」  
むず痒い言葉をトトリ自身の口から聞かされて、かあっと顔に血が上っていくのがわかった。  
しばらくふたり揃って赤面したまま、無言で俯く。  
 
ふと、えらく当たり前のことを言われた気がして、ジーノは我に返った。  
「そりゃそうだろ。俺、男だぞ」  
「私だって、女だよ」  
「あー……なるほど」  
「そうだよ」  
どうやらトトリも同じようなことを考えていたようで。  
伏せていた視線を上げて、お互い様だと、なんとなく笑い合う。  
 
当然といえば当然のことだった。いつまでも子供の頃のままで居られるはずがない。  
誰だって子供から大人になるし、その過程で薄れて消えゆくものだってあるだろう。  
けれど、今まで様々なこと――それこそこうして裸に近い状態で向き合ったり――を経験しても、  
相変わらずふたりはふたりで居られている。  
ならば、もう少しだけそのつながりを信じてみてもいいのではないかと、そう思った。  
 
「いいのか? 本当に」  
「……うん」  
気の迷いとか、その場の勢いだとか、そういうことにはしたくなかった。  
「途中でやっぱ嫌だってなっても、止められない……と思うぞ」  
「大丈夫……だよ。ジーノくんだし」  
「『だし』って何だよ。『だし』って」  
語尾に若干ひっかかるものを感じて問うと、トトリはうーんと少し考えた後、  
「ジーノくんが、いいよ。  
 いつか誰かとこういうことする時が来るなら、ジーノくんとがいいなって、ずっと思ってた」  
あの、おかしな気分になる微笑みと共に、そう言い直した。  
 
もう一度、今度は自分の意志でトトリを引き寄せ、抱きしめる。  
手に伝わるすべらかな肌の温度も感触も、  
裸の胸が触れ合い鼓動が伝わってくるのも、全てがたまらなく心地よかった。  
 
 

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