気まずい雰囲気の中、三人は朝の食卓を囲んでいた。
「やっぱりみんなで食べる食事はおいしいね!」
ネルが少しでも沈んだ世界を脱すべく声を張り上げて言った。
「そうね」
無理に作った堅いひきつり笑顔が不自然なほどイリスに似合わない。
エッジにはそれすら期待するのが間違いだろう。
もくもくと味気の無い穀物を口の中に放り込み、噛むのも程ほどに大きな塊をミルクで嚥下する。
「…………」
男は無言のまま席から立ち上がると、階上へと足を運ぼうとした。
「エッジ、ご馳走様は?」
小さく告げるイリスの視線はテーブルに残されたまま彼のほうを向いてはいない。
「行儀悪いよ?」
さらにネルはエッジに言葉で追撃する。
さすがに二対一では分が悪くエッジは口の中に篭るような声で食卓から退席の言葉を零した。
敗戦兵にこれ以上の追撃は必要なしとしてか、ネルは彼の背中を見送っていた。
「エッジっていつもあんなの?」
ネルは自分の分は平らげたものの、育ち盛りの彼女にはまだまだ足らない様子で
エッジが食べ残したパンに手を伸ばしていた。
「そうね……」
彼女も心ここにあらずといった雰囲気でネルに答える。
「ふ〜ん。ねえねえ、昨日家に女の人が来てたけど……あれ、誰?」
その言葉にイリスの頭の中で昨日の光景が鮮明に蘇る。
エッジとノエイラのまぐわいを目にしたイリスは脱兎のごとくその場から逃げ出してしまったのだ。
それでも瞼に焼きついた裸の男女が絡み合った姿は消えることは無かった。
「ノエイラ……さん。あの人はギルド長なの、……たぶんエッジにミッションで用事があったんじゃないかな」
イリスの声が微かに震えていた。
最初に裏切ったのは確かに自分だが、信頼を寄せていたエッジに裏切られたことが心により深い傷を作ってしまった。
あの状況から想像できることは一つしかない。
最後に残ったイリスの砦はユアンにすがることだった。
彼は優しく、イリスを慰めてくれた。
といっても前のように彼女の体を求めはしない。
もし、彼に抱いてもらっていればこのわだかまりが少しは癒せていたかもしれなかっただろう。
しかし、イリスが思っていた程ユアンは操を軽く思う男ではなかった。
同じ男性としてエッジの気持ちを汲み取っているのだろう
ユアンの口から出る言葉はエッジを擁護し、二人の仲を取り持とうとするものだった。
「今日はどうするの?」
再びネルが問いかける。
昨日の今日でイリスはクエストに出る気分になれるわけも無く、沈黙を決め込んだ。
「ねぇねぇ、クエストしよっか?」
視線を床に落としていたイリスの視界にネルが割り込んでくる。
あっけらかんとした悩み事の無い彼女の笑顔。
今のイリスにとってはそんな笑顔すらもうっとおしく感じてならなかった。
「ごめん……今日はちょっと…………私、ユアンさんに用事があるから……」
イリスは椅子を引き、席を立とうとする。
「そっかぁ……でも、明日はクエスト行こうね! 約束だよ!」
「うん、わかった」
イリスは沈んだ気分のまま、片付けに着手するのだった。
「今日もご機嫌麗しゅう、ミスアナストラ」
聞きなれた物言いに受付のアナはにっこりと満面の笑みで答える。
「お早いお帰りですね、ユアンさん」
顔こそ笑顔を作っているもののその言葉には無数の棘を忍ばせている。
男はいったん驚く表情を浮かべた後、余裕の表情で迎え撃った。
「厳しいですね。否、さすがというべきですか。若いうちからそのような事を言うとあの人のようになってしまいますよ」
「お生憎様です、むしろ私はそうなりたいと願っていますので」
はたかれ見れば仲の良い二人に見えるが男から言わせれば蛙の子は蛙なのだ。
「では私はお勤めが待っていますのでこれで失礼させていただきますね」
「あぁ、ごきげんよう。……そうそう、今日のは濃い方だと思いますよ」
男は意味深な笑いを零し、長いブロンドの髪をはらうとマントを翻した。
そしてコツコツと緩やかなリズムで床に音を奏でながら外へと向かっていく。
アナは男の行方など気にしていない様子でカウンターに「離籍」の札を置くとスカートを掴み足早にギルドの奥へと姿を消した。
「失礼します」
小さな扉を押し開けると広い空間が広がっていた。
ギルド長室。
一部、手練のミストルースが入室を許可された場所。
アナがここに訪れることは少なくない。
ギルド長、ノエイラの特別な客人が来た後は必ず足を運ぶのだった。
カチャリ……
扉には「立入禁止」の掛札がかかっているのだが、入室すると用心深くアナは鍵を閉め部屋の奥へと足を踏み入れる。
ノエイラが普段座っている室長椅子にその姿は無い。
それもアナにとっては当たり前のことだった。
彼女は迷うことなく部屋の隅に置かれている天幕付の寝具へと足を向かわせた。
「アナ?」
問いかけるような物言いにアナは冷淡な口調で返事を返した。
「今日の彼はいつもより凄かったわ……」
「はい」
ノエイラの言う彼とは、先ほど言葉を交わしたユアンであることは明白だった。
アナはノエイラが横になっている寝具の隣まで足を運ぶと自ら服を脱ぎ始める。
穢れを知らぬ乙女、建前と同じく彼女の裸体には傷一つ付いていなかった。
アナはゼ・メールズにしては珍しく露出度が少ない服を着てはいるが、不思議なことにその下には何もつけていなかった。
服を脱げば途端に全裸を晒すことになる。
「今日の彼はあなたの眼にどう映ったかしら?」
「はい。彼の人は持っていた宝石が傷つき、それを必死に修復しようとしている様でした」
「そう……」
だてにアナは幼いころからギルド受付を任されて来たわけではない。
人を見る眼を養い、状況に応じて自分の表情を作るようにとノエイラに厳しく躾られていた。
その甲斐があってか本当の自分を押し殺し万人に好かれる性格を取り繕う程になってしまっていた。
努力の賜物と言うべき業。
すべてはノエイラの期待に沿えるように……
アナにとってノエイラは敬愛するなどと言う生易しいものではなく、ある種の信仰に近いものがあった。
「他に変わったことは?」
天幕の中からの問いかけにアナは自分の服をきちんと皺にならぬように床に畳みながら答えていく。
「はい。姉妹が仲たがいした様子で、クロウリーとユラが共に居るところを目撃したという噂がありました」
あくまで噂だがノエイラにとって興味深い話だった。
最近のクロウリーの奇行は彼女の耳に届いている。
彼の目的はまだ分からないものの、目を光らせておく必要がある存在なのは間違いなかった。
「ノエイラ様、失礼します……」
アナは天幕をくぐりその中へと緩やかにもぐりこんでくる。
天幕の中にいるノエイラは先ほどのアナの言葉に思案をめぐらせている様子だった。
彼女もアナと同様衣服は一切身に着けていなかった。
ノエイラの法衣は枕元に乱雑に脱ぎ散らかされている。
アナはノエイラの細く長い組まれた足を割り、秘裂を覗き込んだ。
花弁から滴り落ちる白濁の雫……アナはそれが何であるかは百も承知だった。
「失礼します」
むせ返るような臭いにもアナは顔を歪めることは無く、舌でそれを掬い取った。
「あ……」
いまだ覚めやらぬ余韻にノエイラは短い喘ぎをあげる。
考えに耽る彼女にとってアナのそれは不意を付く攻撃だったのだ。
臀部を辿り、ナメクジの通った跡のように残る白い筋を舐めあげていく。
丹念に、執拗以上にアナの舌は男の痕跡を無くすためにノエイラの体を咀嚼していく。
体外に残された男の跡はもう見当たらない。
アナは一旦顔を離し、ノエイラの顔を仰ぎ見る。
彼女は悦に浸った表情でアナに視線を返した。
「ノエイラ様、お慕い申しております」
「私もよ……アナストラ」
ノエイラの言葉にアナの表情は綻んでしまう。
それは唯一彼女が作った顔ではなく本心から滲み出てしまう至福の笑み。
どんなに修行を重ねようとも、その言葉に対しては能面を貫くことはできなかった。
一旦中断された愛撫は再び始まった。
アナ曰く今までは掃除であって、これからが本当の愛撫なのだという。
ノエイラの体内に放たれた穢れた流動体。
アナはそのすべてを吸い取り、彼女を浄化していく。
本当の意味で彼女はまだ男を知らないものの、男の味は存分すぎるほどに知っていた。
たとえ顔を見ていなくてもノエイラの相手が違ったときはその味で分かってしまうのだ。
昨日のように……
彼女にとってユアンの味は一番馴染んだ味に違いない。
何度味わっても喉に引っかかる男の排液は嫌悪感を抱かずにはいれなかった。
男は言った「……そうそう、今日のは濃い方だと思いますよ」
その言葉通り、いつもより口腔に残る不快感は度を増していた。
じゅるじゅるるる……ちゅぱちゅば…………
花弁を手で押し拡げ、口をつけてめいっぱいに蜜を吸いだそうとする。
排液に混じりながらも甘く脳髄を刺激する香りと共に甘酸っぱい芳醇な味が口の中に広がり始める。
それは間違いなくノエイラの愛欲の蜜。
先ほどまでアナの喉に浸透した味を忘れさせてくれる甘露の果汁。
「あぁ…………アナ……そこよ…………あぁ……いいわぁ…………ふぁ、ん……」
ノエイラにとってもアナの舌技はこれ以上無い快楽をもたらせてくれていた。
男のような激しさはないものの、ゆっくりと、確実に至高の世界へと誘ってくれる。
アナも自分が欲する蜜をよりたくさん分けてもらえるようにとノエイラの体を蹂躙しつくしていた。
どんな男より、ノエイラ自身より、アナは彼女の体を知っているだろう。
肉襞に合わせて舌でなぞり、熟した肉芽を舌先で転がしていく。
彼女はノエイラが望むなら何分でも、いや何時間でもその行為に没頭しかねない。
しかし、惜しむべきはノエイラの体がそこまで耐え切れないことだった。
たとえゆっくりとした動きであっても高まる気分は徐々に終焉に向かい昇りはじめていく。
「あぁ、あぅ! アナ……アナぁ! ……んっくふぅん…………ん、はぁっ! んぅんん!」
アナは彼女に限界が近いことを察した。
ノエイラはわずかに舌がかすめただけでも身を捩り、快楽にもんどりうっていた。
その状態になってしまうと返ってアナの鈍重な舌技ではノエイラを苦しめる結果になってしまう。
「ノエイラ様、気をやってください」
そこに来て初めてアナは秘裂に指を入れ、内外から一気にノエイラを責め立てた。
「あぁ、ぅん、ん……んっ…………あっ、ああぁ! あん! はぁ……ん! んんぅ─────!」
ノエイラはシーツを掴み、背中をのけぞらせながら唇をかみ締めあふれ出しそうになる言葉を必死に堪えていた。
それでも、快感の波に体が呑み込まれたことをアナは悟った。
アナの指技は一瞬でノエイラの体の昂ぶりを昇華させてしまったのだ。
普段は厳格なイメージを放つギルド長が、欲望のままに乱れる姿をアナは美しいと眺めていた。
アナの、彼女の役目はこれで終わってしまうのだ。
余韻に浸るノエイラを残しアナは別れ惜しげに天幕の外へと這い出ていった。
「アナ……」
背中越しに呼びかけられたアナは動きを止め振り返る。
「はい」
「いつもありがとう」
「そ、そんな。私はノエイラ様を…………そ、その、愛していますから……」
何枚もの仮面を持っている彼女もノエイラの前ではすべてを曝け出す。
自身でも頬が熱く、赤く、火照るのを感じていた。
そんなアナを可愛いとは思うもののノエイラはあくまで部下として彼女にそれ以上は望んでいなかった。
「では、仕事に戻りなさい。あ、それとエッジ達が来たらあのクエストに誘導しなさい」
「かしこまりました。それでは失礼します」
天幕を抜けると慣れた手つきであっという間に着衣するアナ。
コンパクトを開き、顔に残る情事の跡をハンカチで拭うと何も無かったように普段の営業スマイルを携え持ち場へと戻っていく。
「さてと……釣り糸を垂らしてもう少し待ってみるほうが良さそうね」
ノエイラは枕元の衣服の山の中から下着を取り出し、余韻の残滓が漂う体に着け始めた。
同じ時刻……
イリスは心の安らぎを求めユアンを訪ねて、図書館へと足を運んでいた。
図書館の奥に特別与えられた彼の私室兼研究室。
その扉は堅く閉ざされ、彼が不在であることを知らせる札がかかってあった。
「たしか……イリスさん?」
恐る恐る訪ねてきたのはクエストを受け異世界へ一緒に行ったことのあるウィナーだった。
彼は大きな眼鏡を光らせ、イリスを頭から舐めるように足元まで視線を走らせた。
「ウィナーさん。あの…………ユアンさんは……今日は?」
「居ませんが、クエストかなにか? クエストのことならギルドを訪れるほうが合理的だと思いますが」
「い、いえ……ちょっと用事で……居ないならまた今度にします」
腑に落ちない色を浮かべるウィナー。
彼もまたユアンがどれほど複雑な女性関係を築いているのかは知っている一人である。
ましてこのように彼を訪ねてくる女性は後を絶たないことも存知していた。
しかしイリスには良きパートナーのエッジが居ること、二人が同じ家で住んでいることも知らないわけではない。
バツが悪そうに頭をかき、イリスはウィナーの隣をすり抜けてその場から立ち去ろうとした。
「あら?イリス」
イリスを呼び止める低い女性の声。
声の主の顔を見なくてもそれが誰だかイリスには分かってしまった。
「今日は客人が多い、研究以外に無駄な時間を浪費したくはないのだが……」
呆れた風にウィナーは愚痴る。
「いないの?」
「ええ」
「そう……」
単語でやり取りを行うのはいかにも彼女らしいものだ。
尋ね人が不在だと、イリス同様ここには用事がないはずだが、彼女の場合は違っていた。
「これ、ユアンさんが探していた本……見つけたから。お代はまた店に来て払うように伝えて」
女は鞄の中から分厚い古書を取り出し、ウィナーに手渡した。
題名から察するにいかにもユアンが目にしそうな文献だった。
「イリスはなにしにきたの?」
「う、ううん……ちょっと……」
額に油汗が浮かび上がる。
さながら蛇に睨まれた蛙のようにイリスの顔から血の色が無くなっていく。
「それじゃ、失礼するわ」
身動き一つ出来ないイリスを横目に、彼女の前を通り図書館から立ち去っていくエア。
「っ!!」
前を横切り際にイリスのつま先をエアはかかとでめいっぱい踏みつけていく。
手加減の無い攻撃に蹲り、足を押さえるイリス。
「ど、どうしました!?」
尋常でないイリスの痛がり様にあわててウィナーも駆けつけていた。
エアはそんなイリスに目もくれず、足早に図書館から姿を消していくのだった。
そんなやり取りがあり、その後十分程、時間が流れ……
ウィナーに連れられ、イリスは治療のためにユアンの私室へと案内されていた。
そこへ、扉がノックもなく開かれる。
「ただいま……おや? イリスさん」
扉の向こうからまるでタイミングを見計らったようにユアンがその場に姿を現した。
足の痛みがひくのを待っていたイリスは渦中の人物と対面することになる。
彼女の介抱に努めたウィナーは複雑な面持ちで二人を代わる代わる見つめていた。
鼻腔をくすぐるユアンの衣服から香る芳香は紛れもなく彼のものだけではなかった。
ユアンの香水に紛れて優雅な気品溢れる華の香り……
ウィナーは顔を見たことは無いもののそれはユアンが一番好意を寄せている女性のものだと分かった。
普段より強く感じるそれは間違いなく彼が逢瀬を、体を交えて来た事を物語っている。
「どうしました? ウィナーまで」
「ちょ、ちょっと……転んじゃって。えへ、えへへ……」
「…………」
「そうですか。大丈夫なのですか?」
照れ隠しに頭を掻くイリス。
ユアンはウィナーに視線を向けると無言で首を後方に向けた。
それは彼に退席を指示している。
彼も研究以外に時間を浪費したくはない。
無駄な詮索は無用、何よりユアンの複雑に絡まった女性関係に巻き込まれたくないのがウィナーの本音だ。
状況を見計らいウィナーは二人に気取られないようにと部屋の外へと出て行ったのだった。
「あなたから連日ボクを訪ねてきてくれるなんて、嬉しい限りですよ」
髪を掻き上げ後ろに流すと、彼の愛用する香水の香りが辺りに立ちこめる。
ウィナーがそうであったように、嗅覚に敏感なものならその中に彼のものとは違う香りが含まれていることに気が付いただろう。
しかしイリスはその限りではなかった。
「あ、あの……」
「まだエッジさんのことで悩んでおられるのですか?」
図星だった。
言い当てられたイリスは返すはずだった言葉を無くして、コクコクと頷いた。
本音はそれだけではなかったが、イリスはあえて口に出さず思慮の中から消し去ることにする。
「あまり責めるばかりは良くないですよ。例え彼に非があったとしても自分に落ち度がなかったと言い切れますか?」
そういわれてしまうとイリスとて負い目が無いわけではない。
ユアン自身がそのことに関与しているのだからイリスは指摘された傷を隠しきれなかった。
「あ、頭では分かろうとしても……心が、心が分かってくれないんです……」
いくら女好きのユアンと言えども極上のフルコースを食べた後で今更オードブルに手を出そうと思わない。
ユアン独自の女性価値観ではイリスはその程度でしかなかった。
『彼、よかったわよ。やっぱり若いせいかしらね。あんなに激しいのは久しぶりだったわ』
ユアンの頭の片隅に残存していたノエイラの言葉がよぎる。
ノエイラが言った彼とは他の誰でもない目の前に居るイリスの恋人的存在のエッジなのだ。
自分はなぜ苦汁をなめさせられた相手を庇っているのだろうか?
間接的であれエッジに報復するには目の前の女を利用するのも一つだと模索する。
幸いにもイリスはユアンに好意を寄せており、手を差し伸べれば簡単に転がり落ちる相手なのだ。
「分かりました、もう無理はしなくていいですよ。無理をするあなたが痛々しい……」
ユアンは自分が絵に描いた構図と違うものの今後の修正プランは後で練ることに決めた。
今は目の前の相手、イリスを堕とすことにだけ焦点を絞ることにする。
「イリスさん………….」
ユアンは後ろからイリスに抱きかかりその手で顎の輪郭をなぞった。
背後から感じる息遣い、触れているのか分からないほどの繊細なタッチにイリスは心が踊るのを感じた。
彼女はユアンにほだされに、そのためにここに足を運んでいたのだから……
「ユアンさん……」
すぐ間近に感じる彼の気配にイリスは目を閉じ、口付けをせがんだ。
……
…………
しばらくの間合い。
重なることの無い唇に不安を駆られイリスは目を開けた。
目の前にはユアンの顔がある。
しかしその目は冷ややかにイリスを見つめていた。
「イリスさん、逃げてはいけません。以前はそうだったかもしれませんが、今度は違うんですよ……」
イリスはその言葉の意味が分からなかった。
そんな彼女にユアンは続ける。
「今度はあなたから求めなくてはいけない。またボクに迫られたと逃げ道を作るのですか?」
ユアンは分かっていた。彼女が拒まないことも……そして欲していることも……
「ユ、アンさ……ん……」
イリスは自分がしようとしたことを悔いるように俯こうとした。
それを阻止したのはユアンの指。
自分を見つめさせるようにイリスの顎に指をあてがい俯くことを阻む。
いまだに考えあぐねるイリスの瞳が揺れ動いていた。
そんな彼女にそっと唇を重ねたのはユアンからだった。
わずかに触れた二人の唇。
ユアンのその口付けはただ扉を開けたに過ぎない。
しかしその効果は抜群だった。
彼女は開いた扉に飛び込むようにユアンの胸にもたれ、彼女は自ら唇を重ねにいった。
ユアンはイリスにとても優しかった。
彼の愛撫は自分の欲望に任せるのではなく相手を慰めるための手法なのだ。
一度、たった一度だけだが彼女はユアンと体を重ねたことがある。
それは今もなお体が忘れていない極上の甘露。
自分が知る上で一番甘く、そして心や体だけでなく魂までも蕩けさせるほどの愛撫。
時間を掛けてじっくりとイリスの体に染み渡っていく。
「大丈夫ですよ、ここの声は外にまで聞こえませんから……」
男は耳元で囁き落とし、耳たぶを甘噛みする。
無駄の無い動きでユアンはイリスの体を蹂躙しながら調べていた。
性感帯はおろか、ほくろの位置やわずかなあざ、普段見ることの出来ない場所に至るまですべてを頭の中に刻んでいく。
その間も彼の口や手は休まることは無い。
その口は愛を囁き、反応を見せた場所に更なる愛撫を施していく。
「あぁ……ユアンさ、ん…………はぁん……あぁぅ…………んあぁっ」
最初のうちこそ堪えていた喘ぎや吐息も、今では部屋を満たすほどたくさんイリスの口から紡ぎ出されていた。
まだ触れていないはずの双丘の頂にははっきりと分かるほどに、桜色の突起がツンと上を向いて感度の昂ぶりを誇示していた。
ユアンは女性の女性たる部分を責めない。
焦らしつつ期待感を高めさせ、これ以上我慢出来ないところで引導を渡すのが彼の手だった。
先ほどノエイラとのまぐわいが脳裏に蘇り執拗以上にイリスを焦らした。
苦しい、息が出来ないほどに苦しくなる。
切ない、胸が張り裂けるほど切なさに押しつぶされそうになる。
「お願い!ユアンさん!」
イリスは無意識のうちに叫んでいた。
彼に愛されたい一心で……いや、彼女は満ち溢れる欲望を満たして欲しいのだった。
脇腹を舐めていた彼はイリスと視線をあわせた。
その瞳はユアンが仕掛けた罠に嵌ったことを訴えていた。
悟った男はそのまま進路を変え、小さな丘の頂へと登り始めていく。
その頂上たる突起は一切の手を加えていないもののまるで男性器のように勃起しているのだった。
桜色の円を舌がなぞる。
時折舌先が突起に触れたが、尚も彼はイリスを焦らした。
「あぁ、あ、あぁ……はぁ……はぁぅ…………あっあぁ」
もはや彼女の体は限界だった。
カリ……
熟れた突起に軽い甘噛み、唇で挟み込み、舌先でそれをつついた。
「ああぁぁぁぁ…………ぁぁ……、あぁ…………」
途切れ途切れに喘ぎながらイリスは心身ともに満たされ軽い快楽の波に流された。
しかしその波は引くことなくイリスの体に充満していったのだった。
ユアンの指がイリスの性感帯の一部を刺激すれば、たちまち波が押し寄せ小さな絶頂が脳を刺激する。
「あああぁぁぁん! イってる、私イっちゃってるのぉ」
悲鳴のような声でイリスは訴えた。
その声を聞いてユアンは責め手を休め、彼女の姿を眺めていた。
男は快楽の波が引かなければ彼女がこのまま頂点を極め続け、やがて意識を失うことを知っていた。
それだけでは自分の労に見合う程の結果が残せないのだ。
ユアンは自ら衣服を脱ぎ捨て、ようやく力を滾らせた自身を彼女の目に晒した。
繊細で華奢な体つきながらも要所要所にたくましい肉が付いた男らしい彼の体。
しかしそれでもまだ不釣合いに見える股間に聳える彼の怒張。
前にはそれを見る余裕も無かったイリスだが、改めてみるそれは禍々しい武器のようだった。
「イリス。落ち着きましたか? 今度はボクを満たせて欲しい……」
「い、いや……」
怯えるイリス。
それはバージゼルのときに味わった恐怖とはまた違っていた。
男に対しての恐怖ではない、彼女が感じたのは快楽に対しての恐怖だった。
「そ、そんなので……だめ、私戻れなくなっちゃう……」
「どこに戻る必要があるんですか? ボクの元に身を委ねれば良いんですよ」
後ずさるにも文字通り骨抜き状態のイリスには叶わぬことだった。
詰め寄るユアン、イリスの目は彼の股間のモノに釘付けになっていた。
男は無抵抗のイリスの足を押し広げ、その間に体を滑らせる。
イリス自身気が付かなかったが、彼女の秘所はすでに男を迎え入れる準備ができていたのだった。
朝露を浴びてなどと生易しいものではなく、豪雨に打たれたようにその花弁は体の中から溢れるもので濡れそぼっていた。
「いきますよ?」
ユアンは彼女の両腿を抱え、はちきれんばかりに滾ったモノを花弁にあてがう。
彼女とてユアンを受け入れるのは初めてではない二度目なのだ。
この状況は似ていても二人の心境はまったく違うものだった。
ユアンも彼女を堕とすためとはいえ、度が過ぎたと後悔の念に苛まれた。
それ故か、男はイリスに突き入るのを躊躇っていた。
「い、いや……だ、だめぇ、エッジぃ……」
イリスは失言をしてしまった。
この場に及んで他の男の名前を……事もあろうにユアンが憎む相手の名を射てしまった。
次の瞬間容赦なく一気にユアンはイリスの中へと挿し入ったのだった。
「あああぁあぁぁぁぁああ───────!!」
剛直に貫かれイリスの中で収まり始めた肉欲の火種が再び爆発した。
彼のそれは獲物の息の根を止める強烈な責めだった。
イリスはその一撃で文字通り昇天してしまう。
快感の絶頂にもんどりうち、だらしなく開いた口から垂れる涎は普段の清純さなど微塵も感じさせ無い。
ユアンが追撃をすれば彼女は絶頂の中に漂い、意識は霧散することだろう。
「可愛いですよ、イリス。彼にはもったいないぐらいだ……」
イリスの中に深く沈んだままユアンは愛の言葉を囁いた。
「できることならあなたをボクのものにしたい……イリス」
薄れ行く意識の糸を断ち切らないように、ユアンは何度も何度もイリスの名を呼び、心に無い言葉を次々と浴びせかける。
色恋に溺れると言われる由縁は、それが麻薬に近い特性を持つからだろう。
彼の業もしかり、麻薬……いや、劇毒なのだ。
劇毒を持った蛇は彼女の体を這いずり回る。
朦朧とする意識を覚醒させるために、じわりじわりと細部にキスの雨を降らせながら体を、心を侵害していく。
「あぁ…………はぁん…………んんぁ…………わ、たし……」
イリスの口から再び喘ぎが漏れる。
それは彼女の意識がここに戻っていることを意味しているのだった。
「ああぁ…………あっ、あっ、あぁん……」
ユアンの腰がゆっくりと動き一番深いところで、彼自身を子宮孔に押し当てられ、そこをノックしていた。
ぐちょぐちょ…………ぬちゃぬちゃ…………
イリスの中は空気が入る隙間が無いぐらいにユアンのものでいっぱいになっていた。
ユアンはわずかなストロークで抽送を繰り返し、何度も何度も入り口を突き続けた。
女としての本能が男を求め自然と自分の足を彼の腰に絡められる。
「だ、だめ……またイっちゃ……わたし、壊れちゃうぅ!」
「何度でも、何度でも、気をやって良いのですよ。イリス、あなたが望むなら何度でも……」
「あぁぁ、イっ、イクぅ! イクう──────!!」
腰にまわした足に力が入り、自らユアンを奥へと誘う形で彼女は二度目の絶頂を迎えた。
一瞬で体中を駆け巡る快感に全身の力という力が抜け、筋肉が弛緩するのを感じる。
足による拘束が解け、知らず知らずユアンの腕に爪を立てていた手の力が抜けた。
「またイッたようですね、イリス。もっともっと感じて良いんですよ」
「だ、だめ……私、もう壊れちゃう……あぁん……だめぇ…………ユアン……さん」
「壊れて良いんですよ、ボクのものになってくれるのなら……」
彼女の前髪を払い、ユアンはイリスに唇を重ねた。
絡めとられた舌はすでに意識を失ったように嬲られるままユアンのなすがままにされていた。
「イリス、ボクのものになってくれませんか?」
毒蛇は鎌首をもたげ絡みとった獲物を締め付けながら、青白い首筋に牙を突き立てる。
この日初めてユアンはイリスに対して荒々しく腰を動かした。
「はぁ、はぁ……イリス、イリスっ! 君が、君が欲しい!」
「あぁん! あっ、なっ……なります……あっ、あぁん! なりますぅ!」
ユアンが打ち付ける腰に華奢な体ながらも女性らしい部分に付いたイリスの肉が揺れ動く。
胸が……臀部が……そして彼女の心が……
「イリス、本当? 本当ですね!? ボクを、ボクを! 受け入れて……くれますね!」
「はい、はいいぃぃ! き、きてぇ! ……お願いぃ!」
「くっ! い、イキますよ……イリスっ!」
最後の一突きとばかりにユアンは渾身の力でイリスを貫いた。
寸前に声を上げることも無くイリスは絶頂へと到達していた。
彼の一撃はそんな彼女の意識を断ち切るに十分な刃となり、張り詰めた糸を寸断してしまった。
ユアンは堕ちた彼女の中で、その最も奥で、白濁した毒をぶちまけた。
満ち足りたイリスは至福の表情を浮かべ床で気を失なってしまう。
その姿を見てユアンは悪魔のような笑みを浮かべるのだった。
「気がつきましたか?」
イリスの視界を覆ったのはユアンの綻ぶ顔だった。
「あ、あれ?」
目覚めたイリスは自分の体を見て驚いていた。
手繰る記憶の糸では、目の前の男と逢瀬の果てに気を失ったところに戻る。
しかし今の自分は下着はおろか、衣服を身に着けているのだ。
「どうしました?」
「えっと……」
顔を朱に染めながらも考え込むイリスにユアンが助け舟を渡した。
「女性の衣服の着脱は手馴れたものですよ。ボクのイリス」
彼はまるで挨拶のように、イリスに頬に軽いキスを落とした。
「……あっ」
記憶の糸は情事のすべてを手繰り寄せ、彼女は一部始終を思い出していた。
彼に愛されたこと……彼を受け入れたこと……彼のものになると誓ったこと……
イリスの顔はさらに赤みを増し、まるで唐辛子のようになっていた。
「今日はもう遅い、早く戻ったほうが良いのではないですか?」
ユアンは時間の感覚が無いイリスに時計を指差し告げる。
彼の言うとおり時計の針は夕食の時間を指していた。
「か、帰らなきゃ!」
イリスは我に返り飛び起きると、急にしおらしくなってユアンを上目遣いで見つめた。
「あの、ユアンさん……」
「なにか?」
ブロンドの髪を払うユアン。
「また、ここに来ても良いですか?」
毒に冒された彼女は期待の眼差しでユアンの返事を待つ。
彼女は照れ隠しからか胸の前で指をもじもじとさせていた。
「ダメですよ、今日は特別ですから」
「えっ?」
予想外の彼の言葉にイリスは驚きを隠せない。
上気した彼女の顔から一気に血の気が引いていった。
「次からはボクがあなたを迎えにあがりますよ。あまりこちらで目立たれるとボクの立場が危ぶまれますから……それにあなたも」
「…………」
彼の言うとおりここはあくまで図書館で、ユアンの家ではない。
といえどもユアンと逢瀬を重ねた者でも、彼の家を知っているものはごくわずかだ。
「あなたもミストルースとして頑張らなければならない時期なのですから……その手にあるエルスクーラリオの事も含めて」
緑の毒蛇は鋭い牙を光らせ、爽やかな微笑を浮かべた。
彼の毒に犯された者は、それすら自分に向けられた好意の証と勘違いをしてしまう。
「わ、分かりました」
巧みに使い分ける飴と鞭に色恋沙汰に疎いイリスが懐柔されてしまうのは、難しいことではないだろう。
「……それと、あなたももっと男を知ったほうが良い。幸いなことにあなたは男と同居しているのですし」
「え?そ、それって……」
「男を喜ばす術を身に付けて欲しいのです。ボクのために……ボクのイリス」
そしてユアンはイリスをやさしく抱擁する。
華奢ながらも昔培った経験は彼の体に刻み込まれ、雄々しき肉体は今もなお健在だった。
抱擁したまま彼はイリスの首筋に、そして口元に口付けを落とす。
「また近いうちに伺いますよ……待っていてください」
心に穴が開いた少女は、いとも簡単に彼の手に堕ちてしまう。
警戒心が強い女、高慢な女、それらは弱い自分を守るための鎧に過ぎない。
ましてイリスはその鎧すら纏わず、蛇穴に身を投じたのだから自業自得といえよう。
ただ幸せなのは本人がその毒に気が付いていないということだった。
彼に背中を見送られイリスは図書館を後にしていた。
ユアンは完成した絵を再度書き直すべく、その日は明け方まで考察を重ねていた。
だがイリスを擁した事で自分の毒に殺られるなどとは夢にも思わなかった。
□続く□