「第九十六回、この際先に籍だけでも入れて既成事実を作ってしまおうか会議〜!」
と、ヤケクソのように明るい声をあげるのは、ご存知リリアーヌ・ヴェーレンドルフ。
お嬢様、である。
そして彼女が主催しているこの会議という名前のお茶会こそは、アルレビス学園在籍時から続いている伝統ある会合だ。
従者であるロゼの心を、リリアに振り向かせるための会議、という。
今は、その出席者は当事者のリリアと、彼女のマナたるウィムしかいないが。
「わーわー、ぱちぱちぱち」
そのウィムは、まったくやる気のない様子で拍手をした。
盛り上げようという気が欠片も感じられない有様だが、それについてリリアが咎める様子はない。
慣れたような、それでもどこか苦虫を噛み潰したような顔で、なみなみと上質のお茶が注がれたカップを口に運ぶ。
「さて……前回の作戦は失敗だったわね、ウィム」
「はあ。いつものことですけど」
「いつものことになっているのが気に入らないけど、事実なのよね……」
熱いお茶なのだが、リリアは思い切り飲み込んだ。
むせることもなく。その熱量は喉を焼きながら、体内へと収まっていく。
「……ああ! この程度のお茶ではもうわたくしの感情を抑えることさえできないわ!
ウィム! 何かいい作戦は浮かばないの!?」
「そんなこと言われても、もう何もないですよ〜。
それにお嬢様だって、前回のあのどろどろ作戦だとか、意味なかったじゃないですか」
「それは……そうだけど、あれは貴方がもう少し上手くやればきっと……」
「いーえ、あれは絶対無理がありましたって」
「……もう」
リリアは、腕を組んで考え込む。
まあ前回の作戦は、その結果ウィムとしては色々あったのだが、それについては若干別の話である。
ともかく。
そんなことでペースを崩さないのが、このウィムの強みではあろう。
というかあの時ロゼから気持ちは聞いた訳で。
――ロゼさんも分かって無視してますからねー。これは厳しいですよねー。
と、他人事のように考えていた。
そんなウィムを思考の外へと置いて、リリアは考える。
お茶を飲み干してもなお、考える。
「……ロゼは」
考えながら、確かめるようにリリアは呟いた。
ウィムは、少しばかり構えてその言葉に注目する。
「ロゼは、やっぱりどうしても消極的なところがあると思うのよね。
もう勢いでわたくしを押し倒してしまってもいい場面がいくつかあったのに……こうなんだもの」
「そうですかねえ?」
「……そうなの。消極的だから悪いのよね、ロゼったら。
だから、あえてこちらから少し、手厳しくいくのもいいかもしれないわ」
「手厳しく、ですか?」
いまいち意図を掴みかねて、ウィムは首を傾げる。
その様子にふんと鼻を鳴らしつつ、リリアは続けた。
「……無理やりにでも、ロゼに本当の気持ちを暴露させるようにするの。
どうしてもわたくしに逆らえないような、そんな状況に持っていけばいいんだわ……」
それは凄く怖い考えです、とウィムは言いたかった。言いたかったのだが。
口にしてしまうと自分が怖い目にあいそうなので、やめたマナであった。
「決めたわ。これからロゼの部屋に忍び込んで、弱みを握るの。
その弱みでもって脅迫して、正直なところを告白させれば……ふふふ、きっと上手くいくわ」
「脅迫して告白させるって、それは何か致命的なところが間違ってると思いますけど」
「仕方ないわ。それくらいしないと、ロゼったら素直になることも出来ないんだから」
「……そうでもないと思うんですけどねえ」
やはり引いているウィムに対して、リリアはめらめらと闘志を燃やす。
その姿には危ういものを感じざるを得ないところが多分にあったのだが、しかし。
それでもウィムは、止めようとはしていなかった。
お嬢様はどうせ止められないし、というのも原因のひとつだろう。
が、それ以上に。
――自業自得ですからね、ロゼさん。
煮え切らない少年への叱咤というのが、最大の要因だったのかもしれない。
かくして。
まあ、そうは言っても、リリアは根本的には善人の部類ではある。
弱みを握るなどといっても、実際にはロゼの部屋に入って、彼を感じていたい、というか。
この時点では、それほど大したことは考えてもいなかったのだ。
ちょっとだけ、こう、ロゼの秘密を知ることでより彼を身近に思いたいと、その程度であった。
あったのだが。しかし、世の中上手くはいかないものである。
今、リリアは暗く、音のない場所にいた。
これがとても狭く、体ひとつ入れるのにやっとという程度でしかない。
少し身をよじれば壁にあたってしまうような。そんな空間に彼女はいる。
そして何をしているのかといえば。
「ああ……ロゼの寝顔、あんなに無邪気だなんて……じゃなくって……ああ、もう、どうしてこんなことに……」
ある意味、いつも通りではあったが。
要するに。
ロゼの部屋に踏み込み、弱みを握ろうと家捜しをしていたリリアだったのだが、しかし。
「……あんなに早く帰ってくるだなんて、予想外だったわね」
と。家捜しの最中に、ロゼが戻ってきてしまったのだ。
そこで慌てて隠れようとして、入った場所がここである。
衣類を収納した、クローゼットの中に、彼女は隠れていた。
「結局弱みなんて見つからないままで……ここでわたくしが見つかったら、逆に弱みを握られてしまうわ。
そうしたらロゼはつけこんで、きっといやらしい命令を下したりするのよ。
わ、わたくしに犬の鳴きまねをさせるとかそういう……」
妄想が飛び出しそうになったので、リリアはこつんと自分の頭を叩いた。
「そういう状況下ではないのよね。ああ、もう、どうしたらいいの……?」
クローゼットの中から眺めるに、ロゼは昼寝を始めたようだ。
従者の立場にありながらこれとはなんだか怠慢にも程があるような気もしないでもないが、まあ。
元々、ロゼはリリア専属とでもいうような立場でもあるし、そのリリアからの命令が特になければ、わりと自由だったりする。
それが仇となってしまったのが、現在のリリアとなるのだろう。
さておいて、リリアはクローゼットのドアの隙間から、こっそりとロゼを観察する。
横になってしばらくが立つ。見た目と寝息を聞く限りでは、寝入り始めたばかりといったところか。
こういう時に下手に物音を立てると、すぐさま覚醒してしまうのは、ままあることだ。
「しばらくは、身を潜めていないといけないわ」
そう結論付けて、リリアはじっと固まった。
視線はロゼに固定したまま、物音を立てないよう、緊張の面持ちで時間の過ぎるのを待つ。
そんな彼女だったが、ふと右頬に触れる布の感触に、目線が動く。
「これは……制服ね」
まさしく。そこには、ロゼが着用していた、アルレビス学園の制服が吊るされていた。
あのデタラメな学生生活の中、ロゼはいつものこの服を纏い、リリアを守り続けてきたのだ。
一年という短い期間ではあったが、リリアにとってもその思い出は忘れがたい。
「そんなに時間も経っていないのに……懐かしいくらいね、これ。
……ふうん、ちゃんと洗濯はしてあるみたいね……」
ついつい、である。
リリアとしてはほとんど無意識のうちに、頬に触れる制服の匂いを嗅いでいた。
まあ、身動きもあまり出来ないのだから、自然とそうなってしまうと言えなくもない。
「あ、でも、かすかにロゼの香りがするわ……そうよね、これ、ロゼの体に密着していたんだから」
服である以上は当然のことだ。
しかしそれに気づいたリリアは、更なる恐るべき事実に目を見開いた。
「ここは、周りを全部ロゼの匂いに囲まれているようなものじゃない……!」
何しろ、クローゼットなのだ。
日頃身に着けるものをしまっておく場所なのだから。
ロゼの服が――ロゼの匂いでいっぱいであるのは、まさに自然の理のはず。
リリアは、ごくりと息を呑んだ。
上にもロゼ。右もロゼ、左もロゼ。後ろもロゼ。ロゼの匂いで完全に満たされたこの狭い空間に、リリアはひとり、ここに在る。
「考えてみたら……凄い場所に入ってしまったわね……」
自然と胸が高鳴る。
ロゼ本人は、薄い扉の向こうで静かに寝息を立てている。
が、この空間にあってはリリアはロゼによって四方を固められているようなものだ。
それを意識して息を吸えば、ますますロゼが充満してくるような、そんな気さえする。
そんなことを思いながら――半ば、習慣となっているような夢遊の心持ちで。
リリアの右手が、自らの胸に触れていた。
「ん……」
ロゼに囲まれているかのようなこの空間の中では、その手もまた、ロゼのもののようにリリアは感じる。
だから、服の上からでも緩やかに、やわやわと己の――いささか、膨らみとしては控えめなそこを、もみ始める。
当然、刺激は少ない。だがそれでも、もどかしいような痺れが、じわりじわりと広がり始める。
「だ、大丈夫よね……ロゼ、眠っているみたいだし……」
そう、自分に弁解しながら、リリアは手に力を入れる。
この手がロゼのそれであるなら。恐らくは力強いのだろうと、そう思って。
「ん……ロゼ……」
上着のあわせから手を差し込んで、今度は下着ごしに乳房を撫でる。
その程度の刺激でも、精神が昂ぶっているリリアには効果は高い。
「ん……はっ……」
彼女自身も感じるくらいに、乳首がぴんと立ってきていた。
「こんなところで……見つかったら言い訳だって出来ないのに……」
自制の言葉も理由も、数え切れないほどに浮かぶ。
リリアの理性は、こんな馬鹿げた行為は止めろと、懸命に押しとどめているのだ。
それなのに。いや、それだからこそか。
「ん……あ、ん、や……ロゼの匂いが……悪いのよ、こんな……」
布越しに乳首を摘むと、僅かに揺らしてみた。
「あはぁ……あ……だ、ダメ、声は……あげられないわ……」
ロゼの様子に変わりはない。とはいえ、扉に隔てられていてもその距離は近い。
クローゼットの扉に防音の仕組みなどそうあるものでもない以上、下手に喘げばすぐに聞こえる。
「ん……ん、んぅっ」
そう――あらゆる状況が、この行為を止めようとしている。
それなのに、リリアは指を抑えられない。
正しくは、その指を動かして、ロゼの匂い諸共に体に刻もうとする欲望を抑えきれない。
「ダメなのに、どうして……こんな……く、ぅんっ」
ゆっくりと、愛らしいフリルのついたブラジャーをずり下げる。
リリアとしては、いつロゼに押し倒されてもいいように、身に着けるものはいつも勝負下着にしている。
涙ぐましい努力のひとつではあるが、今日はその下着も、自分から外してしまうので意味合いも薄れてしまう。
それでも、リリアは手を止められなかった。
もう布を隔てて胸を撫でていても、もどかしさがこらえられないのだ。
「……はあ、ん、ロゼ……ん……」
空いた左手で、ロゼの制服を誘導する。
より自分に近づけて、香る石鹸の匂いと、その裏にあるロゼ自身の匂いを吸い込んだ。
まるで変質者のやるような行いと、それはリリアも理解しているというのに。
その匂いを嗅ぐだけで、どうしても胸が熱くなってしまう。
「わたくし……そんな女のつもりなんてない、のに……あ、つ、ふぅぅ……」
リリアの指が激しくなった。
直接、己が乳房を揉みしだき、尖りかけた乳首を弾く。
そのたびに、ぴりぴりとしたような刺激がリリアの胸から体へと広がる。
それでも、まだもどかしい。もっと強く、激しく。
そんな欲望がリリアを突き動かす。
鼻を鳴らして、ロゼの匂いを胸の中へと取り込む。
そうすることで、ますます指の動きは激しくなるようだ。
強く。微かに痛みを感じるほどに、控えめな膨らみを自らの手で嬲っても、リリアは苦しいとは感じない。
「ロゼなら……ロゼだったら、きっと、もっと強いわ……たくましいんだから……」
自分の想定するロゼの強さ。それをなぞるように、力加減をしているのだ。
「ロゼ……ロゼ、ぇ……そう、もっと激しく、して……あ、はぁ……っ」
抑えていたはずの声を漏らしつつ。
リリアは、胸から指を離した。
そのまま、下へと降りていく。
そして、その指はスカートの中へと映った。
もう、下着越しなどという遠まわしな真似はしない。
最初から、パンツの中に指を入れて、濡れつつあった秘所を撫でる。
「んん、んっ……ん、はぁ……!」
とろりとした液体が、指に絡みついた。
それを助けとして、リリアの自慰は激しくなる。
淵をなぞる――だけでは、物足りない。
中指をそっと、膣口へと走らせた。
「……ロゼ……ん……ふっ」
恐る恐る、中へと滑り込ませる。
「やだ、わたくし、こんなに反応する、なんて……」
細く白いリリアの指であるのに、それは男のものを受け入れるように肉襞が包み込む。
入れているのも自分の指なら、それを包むのも自らの膣肉だ。
その事実を思いながらも、リリアは指をまるでロゼのそれと重ねて、脳を沸騰させる。
「もっと、もっとかき回して、ロゼ、わたくしを……わたくしの中を……はぁっ」
クローゼットの中に、湿った音が響く。
もう、リリアの目線は眠っているはずのロゼを捉えてはいない。
虚ろな目つきで、幻のロゼを追いながら、ひたすら自身を慰めるのに没頭するのだ。
「あ……は、あ、そこ、そこを擦って、ひ、う、ロゼのなら、わたくし、受け入れられ……る、んっ!」
包皮に包まれた小さな突起――これもまた、乳首と同様に、膨らみつつある。
その部分を。クリトリスを摘むだけで、リリアはその身を痺れさせた。
最早、この動きを邪魔するもの全て、もどかしく感じるほどだ。
だからリリアは、スカートまでもずり下ろし。パンツは足へと絡ませて、秘所を露出する。
躊躇いも自制も、もう彼女には残されていない。
ロゼの匂い。ロゼが身に着けていた服。ロゼの部屋。そして近くにいるロゼ。
そして、自分の姿を覆い隠す、この狭い空間と。
それらがあいまって、もう後戻りは出来ないほどに、心があふれ出てしまう。
「は、あ……ああ、ロゼ、ロゼ、ロゼ……っ!」
狂おしく、思い人の名前を呼んで。
ひたすらに、リリアは自身の膣肉を嬲る。
水音は激しくなり、指にはたっぷりと愛蜜がまとわりつく。
しかしそれほど激しくしても、一気に奥まで指を突き刺すことは、しない。
一線を越えることだけは出来ないと、無意識でも思っているのかもしれないが。
そうであっても、この状況が精神面での昂ぶりを与えてくれるから、リリアには何の問題もなかった。
「ロゼ、ロゼっ、わたくし、わたくし、もう、もうっ」
指の動きが小刻みになる。
口から溢れる喘ぎもまた、高く、悲鳴のようになっていく。
そうして、膣肉をかきまわしていたその指が、不意に――
どこかの部分を踏み越えて、頂へと押し上げて。
「はあ……ロゼ、ロゼぇっ、ロゼっ!」
名前を呼びながら――リリアは、つま先に至るまで硬直させた。
目を見開いて、かき混ぜられた秘肉から広がる痺れに、身を任せる。
全身に駆け巡る心地よさの電流が、その神経を焼くかと思った、その刹那――
まったく……まったくの不意打ちで。
クローゼットの扉が、開かれた。
「……あ……あ、え……?」
「……むう」
予想できていたといえば、予想はできていたこと、なのだろう。これは。
そこに立っていたのは、本当に困った顔のロゼであったのだから。
「あ……ロゼ、ロ……ひ、あ、あああっ!?」
更に、そのショックが引き金を引く。
ロゼの目線に晒されたことで。既に絶頂へと至っていたはずの彼女は、更なる場所へと運ばれる。
「だ、だめ……だめぇっ……」
ぴゅ、と。小さな音を立てて――リリアのヴァギナから、透明な液が飛んだ。
漏らしてしまった、というのとは少し違うが。しかし見ている限りでは、似たようなものでは、ある。
実際のところ、ロゼは最初から気づいていた。
住み慣れた部屋なのだ。そこに違和感があれば、誰だろうと気にする。
ましてや、戦闘技術を学んできたロゼであれば、侵入者など見逃すはずもない。
更に言えば、その正体だってすぐに把握できた。
隠れていたつもりだったようだが、クローゼットの扉はそんなに厳密に閉じていた訳ではない。
僅かだが、リリアの足元が見えていたのだ。
ここまで条件が揃うと、かえってロゼとしては対応にも困る。
何しろ相手はリリア――お嬢様なのだ。下手に暴き立てても角が立つだろう。
――また何かの作戦か……色々やりすぎだよな、お嬢様も。
とまあ、その程度に軽く考えて。ロゼは、さしあたって眠る振りなどしていた。
眠っていると見せかければ、リリアも安心して出て行ってくれるだろう。
後は素知らぬ顔でいつも通りに接すれば、こんな悪戯などすぐに忘れてしまう。
そのはずだった、のだが――
それが。
リリアが、おかしな声をあげはじめたものだから、どうにも不審に思ってしまって。
終いには悲鳴のような声まであげて、何となく嫌な予感はしたものの、流石に放ってはおけないと。
そうやって、ついつい仏心を出した結果が――
この有様である。
「ロ……ゼ……」
「……あの。ええと。その」
リリアの姿は、もうどう取り繕ってもまかないきれない程に、乱れている。
ズレた上着の裾からは、ブラジャーを外された小さな膨らみがはっきりとこぼれてしまっている。
もっとひどいのは下半身の方だ。
スカートは足首に絡み付いて、愛らしいパンツにしても、もうその役目を為していない。
むき出しにされたお嬢様の膣口には、人差し指が突き刺さったままで――
挙句の果てには、その足元には、垂らした体液が小さな溜まりまで作っている。
頂きにたどり着いた余韻もあって、気だるい瞳にロゼを映しているリリアはもとより。
ロゼにしても、この状況下で一体何をどうしたらいいのか、誰かに教えてもらいたかった。
深呼吸する。
呼吸というのは大事なものだ。これひとつで気分だって一変する。
その深呼吸をして、まずは動揺を落ち着けてから、リリアに向けて言葉をかけようと――
「あ……の。お嬢様、俺はその……何も見てはいない、という……」
――が。
「ひ……ぐ……」
「……お嬢、様?」
「ひぐっ……!」
脱力していたリリアの体に、力が戻りつつある。
いや。厳密には戻りつつあるのは、一箇所か。
虚ろであった瞳に、力――というか。
その目が、たちまちのうちにあふれ出るもので覆われた。
「うえっ……うえええええん!」
「お嬢様!? ……ああ、くそ、そうくるかっ」
舌打ちをするロゼの前には、リリアが大声をあげて、泣きじゃくる姿があった。
普段、少なくとも大人びた様子を見せようと、そうしているのもわかるリリアであるというのに。
「うえ……ひぐ、うえ、ええええん!」
こうして一旦火がつくと、もう手のつけられない幼子のような泣き方をするのだ。
これにはロゼもたまらない。手を出そうとしては引っ込めて、為すべき行動に迷う。
「お嬢様、ちょっと、あの、泣き止んで……ですから、そんな、泣かれてもこっちが!」
「うあ、うあああん、うえええん!」
どうにもこうにも、リリアの涙は止まらない。
悲痛な叫び声とあふれ出る涙は、ロゼの部屋から飛び出していきそうな程に激しいものだ。
「お嬢様……っ、く、ウィムでも呼ぶしかないか……?」
そうは言っても、あのマナとてこういう時に頼りになるものかどうかは怪しい気もする。
探してみれば、案外近くにいるかも――むしろ今、どこかでこの様子を伺っているのかもしれないと、ロゼは思う。
思ってはみたが、だからといってウィムを探すのもどうか、というところだ。
だとするならば、一体どうすれば、と悩んで、不意にロゼの脳裏に電流が走る。
学園の卒業を間近に控えたある日の記憶だ。
その日も会議を行い、そしてロゼに無茶なアプローチを仕掛けたリリアは、失敗の末に号泣していた。
しかもやけに規模の大きい作戦であったため、その場にはあのウルリカのアトリエの面々もいたのだ。
「お嬢様、ですからこんなところで泣かれても困るんですが……だ、くそっ」
「うえええ、うえええええん!」
号泣するリリアと戸惑うロゼ。その姿に、ウルリカやらクロエなどは、妙に底意地の悪い笑みを浮かべていたものだ。
まあ、光のマナへのお礼参りでそれなりに打ち解けたとはいえ、彼女らとは因縁も色々あった。
だからそういう態度を取られても自然ではあるので、ロゼとしても不満はない。
しかし気に入らなかったことはもう一つあって、あのペペロンとゴトーの二人が妙にしたり顔で語っていたのだ。
「女性の泣き顔というのは、やはり見ているのが辛いねえ」
「まったく、女の子を泣かせるなんて、ロゼお兄さんはとんだスケコマシだね!」
「ははは、僕も敵わないかもね。僕は女の子を泣かせるのは……ああ、マルータ……いや、まあ、不本意だからねえ」
彼らの会話を聞くと、まるで心を侵されていた頃のような不快感がこみあげるロゼである。
が、まあ、そんなロゼなどお構いなしに彼らは会話を続けていて。
「それにしても、君くらいの技術があるなら女の子の涙を止めるなんて簡単じゃないのかい?」
「うーん、それはそれで難しいものだよ。相手によって手段は変わってくるからね。
ただ、経験から言わせて貰えば、こういう時はそうだね……こんな感じで、つまり、こう……ごにょごにょという感じでだね」
「わあ、それはとっても素敵な止め方だね!」
お前らは一体何を言っているんだ。
そう思ったことを、ロゼは覚えている。
以上を一瞬で回想したロゼであった。
あたかも走馬灯のように記憶が巡る。
しかし走馬灯とは積み重ねてきた経験から危難への対処法を検索する行為を言うのは既に常識であるから、今のロゼにとって当然の行為だ。
この記憶、つまりゴトーが語っていた女の子の涙を止める方法――それこそ、今のロゼに求められているもの。
しかしロゼには困惑もある。大体、ゴトーの話す方法を試そうとする時点で論外ではあろう。
それでも、ただ、この窮地においては、すがれるのはこの記憶のみなのだ。
ロゼは、再び深呼吸する。
泣きじゃくるリリアを見て。……彼女は、主ではあるが。
――潮時、なのかもな。いよいよ。
長いこと保留にはしてきたが。ロゼは、そろそろ認めないといけないのだと、ここで悟る。
傍若無人な主で、無茶な言動と素直じゃないにも程がある、このお嬢様は。
ロゼにとっては、それでも一緒にいるのが悪くないと……心地よいとすら感じる相手なのだ。
それをはっきりと認めて、今、示す時なのだろう。
最近のリリアはもう痛々しいくらいに懸命だったというのもある。
「……俺もひどかったかな」
リリアがここまでの行為に及んだのも、放置しすぎて彼女の心を追い込んだせいかもしれない。
故にロゼは、ゴトーの語ったあの方法を、冗談としか思えなかった方法を試してみる。
「お嬢様」
「ひく、ひぐっ……うえっ、え?」
泣き喚いていたリリアの顔を、そっと手で捉える。
きょとんとして一瞬、涙を止めた彼女の瞳を覗き込んで、ロゼはここでまた遺志を固めた。
そのまま、自らも顔を近づける。
「え……え? う、え……え? え、え、え」
「……失礼します」
少年の唇と、リリアの――少女の唇が、触れ合う。
――なんか、気持ちいいな。
触れ合わせた唇から、彼女の体温が伝わる。
契約したマナとの相性もあるのかもしれないが、そこは温かくはなかった。
けれども確かに伝わる、ほのかなものを受け取って、ロゼは何かが流れ込むのを感じていた。
それは、リリアも同様であるらしい。溢れていた涙は完全に止まっている。
そのまま二人とも、無言のままに唇を重ね続けて――やがて、そっと離れた。
「すみません、お嬢様。突然こういうことをしてしまって……」
「あ……え、あの、え?」
唇を離して、まずロゼが行ったのは、謝罪であった。
「お嬢様があそこに潜んでるの、わかってたんですが、つい。
それであんな……その。無神経な……」
「……え、え、え、ロゼ、え?」
「それから、こういう時に言うのもなんですが。
俺、お嬢様のこと、その……ええと……あの。……好きですから」
と、言ったものの、声は後半になるにつれて小さくなっていた。
ロゼとしても精一杯の言葉ではあったのだろう。
それに、小さくても問題はなかった。
それを受けたリリアの顔が、見る見るうちに赤く染まる。
「それで……キス、を? したの?」
「はい。……その、すみません。色々と」
「い、色々……」
状況としては、そんなに変わっているものではない。
リリアは相変わらず乱れた格好のままで。……人差し指はまだ、膣口の中で。
ただそうであっても、二人の心はまったく違う。
――くそ、もう、言ってやったんだから、どうなっても知らないぞ、俺……
そんな具合によくわからない思考を走らせているロゼと、そして。
「だったら……ロゼ」
「は、い?」
「……証明して」
リリアの目が、妙に据わっている。その気配に一瞬、ロゼは怯んだ。
「証明なさい、ロゼ。それが言葉だけではないって」
「証明って……ど、どうやって?」
「……じょ、状況を考えればわかるでしょう、気が利かないわね!」
いつもの調子が戻ってきたと、そう喜んでいいものかどうか。
「わ……わたくしを、抱きなさい、ロゼ。
……だってその好きだって言うんならそういう……男女がそうなるのは自然なことだって言うし、
それにキスは済ませたんだから次の段階……というよりも本当に本当にこれは現実なの?
現実だっていう証拠があったら喜んでいいのだろうけれど……わたくし夢を見ているのではないのよね、じゃあ、でも……」
ぶつぶつと呟くその姿に、ロゼは軽くため息をついて。そして同時に、心を決めた。
「本当に、そういう、その……やりますよ、お嬢様。いいんですね」
「い……いいに決まっているじゃない! 何度も言わせないで!」
言葉こそ刺々しいが。リリアの顔は、どう見てもにやけている。
なんというか、わかりやすいというか。余裕のなかった以前は、ロゼも気づかないでいたが。
こうして落ち着いて見るに、これ以上にわかりやすい人もそうはいない。
「それじゃ、ベッドに行こうと思うんですが、立てますか?」
「う……」
乱れた姿ではあったが、もう、硬直は解けている。
立ち上がることも可能だったのだが、リリアはそっと呟いてみる。
「……は、運んでくれる? そ、それくらいしてくれてもいいわよね?」
「もちろんです」
心得た、とばかりにロゼはリリアを抱き上げる。
いつかもやった、両手で彼女を横に抱きかかえる姿――俗説的に言う、お姫様の抱き方だ。
「こういうのでいいんですよね?」
「そ、そうよ……これで我慢してあげるわ……」
クローゼットから離れる。
まあ、運ぶといっても室内の話だ。
今しがたロゼが横たわっていたベッドまで、そんなに距離はない。
ほんの少しでつくような距離では、何をどうすることも出来るものではなかったが。
ただ、リリアはその間、ずっとロゼの胸に顔をうずめていた。
言葉もない。
かくして、お嬢様は長年思い続けていた少年の寝床へと横たわる。
仰向けになって、じっとロゼを見つめて、彼女はまた瞳に涙をたくわえていた。
「ロ、ロゼ……ほ、本当にこれ、現実よね?」
「ええ」
「だってそんな……あ、あんな姿を見られて、それで、でも、どうして、そんな急に」
「流石に見かねたというか……百回の大台に乗せるのも悪いと思いまして」
「百か……百回、ひゃっか……ロ、ロゼ、ああああああなたまさか、わ、わわわ、わたくし、わたっ」
「ですから、すみません」
もう一度、ロゼはリリアの唇を奪う。
知らされた事実に震えていたその唇は、再びロゼによって包まれた。
「ん……む……ん」
そうして離れると、暴発しかけていたリリアも収まったらしい。