「踊る錬金術師」  
 
 
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 卒業試験が不合格と発表されて、エリーがザールブルグから行方をくらませてから、二年の月日が流れていた。  
 
 初めは皆(特に仲の良かった同級生たちやシスターなどは特に)、必死でその行方を追ったものだったが、半年も経たない内に手がかりに  
なるようなものを全て調べ尽くしたことに気づいてしまった。  
 ザールブルグ近隣の町や村に全く立ち寄ったような痕跡が残っていない事から、彼女の師にあたる錬金術師の教師は、  
『探し出されないように痕跡を自ら消している』  
 と断じ、その結論に不満を漏らす捜索推進派を半ば捻じ伏せるように強引に捜索を打ち切ってしまった。  
 
 アタシは最初の頃の捜索に何度か加わったところで、その結論に達して早々に手を引いた。  
 彼女の事は嫌いではなかったが、自らの行く先を悟られないように痕跡を消して回るだけの余裕があるならば、喉を突くような早まった真  
似には思い至るまい、との考えからである。  
 恐らく、彼女の師も同じ考えに至ったのではないだろうか。  
 エリーには、一人で考える時間が必要なのだ、と。  
 
 彼女が独自に開いていた工房は閉鎖され、今まではそれなりに人の出入りもあったその辺りは、まるで火が消えたように寂しげな通りにな  
ってしまった。  
 アタシは、見切りをつけるなら頃合だろう、と心に決め、「飛翔亭」の主人にだけ軽い挨拶を済ませると、このすっかり辛気臭くなってし  
まった街を後にした。  
 
 とりあえずは東へ向かおうとだけ決めて、久しぶりの長い旅に気持ちを引き締める。  
 ザールブルグや北のカリエルのように王国軍の力が強い所であればまだしも、未だに他の地方では街道筋でも容易く商隊が襲われるなんて話  
がザラにある。油断は禁物だった。  
 
 途中、ここだけにはなるべく寄るまい、と考えていた街の近くで運悪く狼の群れに襲われ、荷物をやられてしまった(狼は撃退した)。  
 飲み水や食料はさすがに次に回す訳にはいかず、アタシはいつもの露出の多い服を隠すように、念の為に用意してあった巻頭衣ですっぽり  
と身体を包む。  
 
 
 ――敗者の町、ベデクト。  
 背徳と汚泥に人の心までも塗り潰され、穢れたこの町に、アタシ――ロマージュ・ブレーマー――は実に五年ぶりに足を踏み入れることになる。  
 
 
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 不意に男の怒号が向こうで響き、通りを歩いていた人々が一瞬足を止める。  
 
 続いて女の悲鳴と、また別の男の罵声が響き渡り、そして止んだ。  
 動きを止めていた人々は何事が起きたのかを気にする風も無く、すぐにまた  
歩き出す。彼らが足を止めたのは、声の先で起きた何かの厄介事が、自分に降  
りかかってこないかを見極める為でしかない。  
 その先で誰が誰を傷つけ、殺そうとも、自分に危害が及ばない限りは何の関  
係も無いこと。ここでは誰かのことを考えるよりも、自分のことだけを考えて  
いなければ、明日には身包み剥がれて死体になっていてもおかしくない土地な  
のである。  
(相変わらずね、ここも)  
 ロマージュは貫頭衣のわずかな隙間から覗く目を細めて、周りの人間の反応  
に唾を吐き捨てたくなるのを堪える。  
 
 今のロマージュは普段の彼女の様子とは違い、身体の線が出ないようにわざ  
とサイズの大きな服を着、歩き方も脚を引きずるような妙な仕草をしていた。  
 ここで女一人がふらふらと出歩くことは、狼の群れの中に一匹だけで羊を放  
り出すのと大差が無い。歳や美醜を問わず、女であれば構わないというような  
下衆な者たちがあちこちに巣食っている以上、抜けるまではなるべく女である  
と悟られないようにするのが肝要である。  
 それは、冒険者としては高い実力を備えたロマージュであっても用心を怠る  
べきではない。ここでは油断と隙を見せた者から、他者の餌食になっていく。  
過去の失敗からそれをロマージュは学んでいた。  
 
 腰をそれと判るように曲げ、杖代わりに拾った木の枝に身体を預けながら歩  
く。わざとらしくなり過ぎないように、周囲に気を配りながら。  
 この町はそれほど大きい町では無いが、路地が複雑に入り組んでおり、通り  
抜けようとすると結構厄介な場所である。  
 なるべく人の動きの少ない所を選びながら進んでいくと、道端で大きな焚き  
火をしているのが目に入った。ぼろ雑巾のような格好をした者たちが取り囲む  
その焚き火から、少しでも離れるように建物の側を寄り添うように歩いていた  
ロマージュは、不意に足を止める。  
 
 その瞳は驚きに大きく見開かれ、腰を曲げたまま不自然に立ち止まる姿は、  
焚き火の側の幾人かに見咎められていたが、ロマージュはそんな事を気にして  
いる余裕が無いほど、動揺していた。  
「ほれ、さっさとこっち来いノロマめ!」  
「は、はい――あっ!」  
 男の罵声と、髪でも引っ張られたのか、息の詰まったような微かな女の悲鳴  
が薄い壁の向こうから聞こえてくる。  
「いつまで経ってもノロマは治らんな……ほれっ!」  
「っく!」  
 パシッと乾いた音が響き、悲鳴が後に続く。  
 ロマージュは慌てて周囲を見回し、自分に注意を向けている者が幾人かいる  
のを確かめると、少しだけ足を速めて建物の裏側へと回り込み、そのまま身を  
隠した。  
 
 息を潜めて周囲の気配を探りながら、激しく打ち鳴らし続けている自分の動  
悸を静めようと、手首を押さえてゆっくり数を数え始める。  
 たっぷり百を数えたところでようやく動悸は元通りに。  
 上手く身を潜められた事も確かめ終えると、今度は自分が背にしている建物  
の板壁に耳をつけ、中の様子を伺う。  
 板一枚隔てた向こうは部屋になっているようだが、今は誰かが居るような気  
配は無い。更に奥の方から何か聞こえないかと、しばらく耳を澄ませていたが、  
結局無駄に終わった。  
 大雑把ではあるが、大体の状況を把握したところでロマージュは行動に移る。  
 
 懐から湾曲したナイフを引き抜くと、それでもって板壁の隙間に慎重に刃を  
通す。安普請の壁を手際よく、しかもほとんど音を立てずに解体すると、人が  
一人通れるくらいの穴を開けてしまう。  
 中の様子を再度伺い、安全を確かめるとカビくさい部屋の中へするりと滑り  
込み、板を立てかけるだけで元通りに見えるように細工を施す。  
 部屋の中には何かの穀物袋のようなものが幾つか積んであり、その向こうに  
は無用心にも扉ひとつ無く、すぐに廊下が見えていた。  
(金持ちの家にしては用心が薄いし……商人の余所蔵かしら?)  
 しかし、それにしたってこの警備の手薄さは酷い。ちょっとした心得のある  
盗賊なら、あっさり破れるような所に蔵を作るというのも道理に沿わない。  
 安全を考えれば、とにかくここがどこで、誰の者であるか、何の為の場所な  
のかをしっかり把握するのが定石だが、  
(時間が惜しい)  
 というのが、偽らざる本音であった。  
 先ほどの声の主がもし、ロマージュの想像通りの人物だとすれば、とにかく  
一刻も早くこの家――いや、この町から連れ出さなくてはならない。  
 そう決意すると、ロマージュは危険を承知で行動を起こした。  
 
 
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 想像通り、最初に侵入した部屋もその隣、更にその隣の部屋も麻袋に詰まっ  
た何かが積み上げられた、倉庫のようになっていた。  
 
 余所蔵、というのがある。  
 商人やある程度の蓄えを持った貴族などが好んで造るもので、自分の店や屋  
敷に全ての財産を集中させて置いておくのを危険とし、イザという時に備えて  
隠し蔵のようなものを余所に拵えるのである。  
 ここがどうやら、この町にあるどこかの商人が造った余所蔵だというのは想  
像がついたが、では何故そんな所から聞き知った声が聞こえてきたのかは、以  
前判らないままであった。  
 
 ロマージュは、まるで幽霊のように音も立てずにするすると部屋と部屋の間  
を歩き回ると、ひとつの部屋の前で足を止める。  
 そこは、今までの警戒の薄い部屋とは違い、立派な鉄造りの扉が据え付けら  
れており、頑丈そうな鍵も付いていた。  
(ここかしら?)  
 先ほど建物の外から中の様子を盗み聞きした部屋が、この位置だったかどう  
かに自信は無かったが、このあからさまに厳重な扉が、ロマージュの勘を刺激  
していた。  
 廊下のどちらからも人の気配が無いことを確かめると、鉄の扉に耳をぴたり  
とつけて中の様子を伺う。  
「……ぅ」  
「っ!」  
 微かな呻き声のようなものを耳に受け、思わず漏れそうになる声を咄嗟に口  
を押さえて防ぐ。  
 声はひとつ。人の気配も、ひとつ。  
 勘の働きに間違いさえ無ければ、どうやら先ほどの横柄な声の主である男は  
いないようであった。  
(……よし!)  
 僅かな逡巡の後、ロマージュは腕輪のひとつに仕込んだ小さな金属の糸を抜  
き取り、錠前へと差し込んだ。  
 
 大仰な拵えの割には構造は単純なようで、ほんの一息の間にロマージュは鍵  
を開けることに成功した。  
 再度、中の様子を伺って本当に一人しか居ないのかを確かめると、重さだけ  
は一人前にそこそこの扉をゆっくりと開けていき、中へと素早く滑り込む。  
「――や、っぱり」  
 我知らず、声が掠れてしまっているのにロマージュは気づかなかった。  
 窓ひとつ無い薄暗い部屋。  
 カビや人の体液が生む饐えた臭いがいっぱいに充満しており、それはロマー  
ジュにとって忌むべき記憶の中でよく知るものであり、知らず眉を顰める。   
 湿って最早使い物にならないであろう、僅かな寝藁と、その上に横たわる少  
女の姿に、ロマージュは自分の唇が震えてしまうのを抑え切れずにいた。  
 
「エリー……どうして……」  
 
 裸の身体に首輪ひとつという、凄惨な格好で横たわっているのは、二年もの  
間行方を晦ませていた錬金術師、エルフィール・トラウムその人であった。  
 
 
 

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