また今年もこの日がやってきた―  
跪き目を瞑ると、あの時の光景が甦る。火炎を吐きながら襲い掛かってくる魔物たち。  
薙ぎ倒される木々や家。その間を逃げ惑う人々。悲鳴と怒号と身の毛もよだつ恐ろしい唸り声。  
しかし、本当の悲劇は村を襲った魔物たちが去ったあとに彼女を襲ったのだった。  
瞼の奥にこみ上げてきた涙を抑え、意を決して立ち上がったとき、背後で草を掻き分ける音がした。  
「よおっ」  
「マルティン」  
「その……悪かったな。邪魔をするつもりはなかったんだが」  
振り返ったメルの瞳に深い悲しみが宿っているのを見、マルティンは素直に詫びの言葉を口にした。  
いかつい体に不似合いな花束を抱え、決まり悪そうに頭をかく昔馴染みに、メルは無理やり顔に笑みを張り付かせる。  
マルティンはそれきり何も言わず、墓前に花を供えて天に祈りを捧げた。どうか彼女がこれ以上思い悩むことがないように。  
やがて立ち上がった彼の小さな眼の奥に心配そうな光を認め、メルは先ほどよりは自然な笑顔をマルティンに向けた。  
「ありがとう」  
「いや……。なんでもないさ。これくらいは」  
そう言って振り返り風雨にさらされた墓標を見つめる。  
「俺もあの日のことは忘れられんよ。毎年今日が来るたび、今の平和なリサを護りたいと心から思う」  
僅かな逡巡のあと、マルティンは何気ない調子でその言葉を口にした。  
「まぁ、俺たちにはリサの女神がついているがな」  
気を許した仲間の前では強がる必要も、本心を隠す必要もない。  
メルはきゅっと唇を噛みしめると、俯いて首を振った。  
「私は……女神なんかじゃないわ」  
迷いはまだ晴れぬのだ。  
一番大切な人を護れなくてどこが女神なのか、と。  
あの時、他に何か道はなかったのか、と。  
 
治りかけの傷は放っておくのが一番いい。それは承知していてもそれを実行できる人は少ない。  
本当に治ったかどうか知りたくて引っかいてしまう。  
そしてそこから血が流れるのを見て、更にその身と心を痛めつけるのだ。  
理不尽であってもそれが人間というものである。  
今のマルティンはまさしくそんな状態だった。  
過去の記憶が、その呼び名が彼女に枷を嵌めていることは知っている。  
全く、その通りだ。  
聖女が、女神が、こんなに寂しそうな顔で微笑むわけがない。  
彼女のその表情を見るたび、マルティンは自分の手で彼女にいつもの笑顔を取り戻してやりたいという気持ちと  
それを実行できない自分への苛立ちで板ばさみになるのだ。  
マルティンにとってメルは祀り上げて崇める存在ではなく、一人の生身の女性だった。全身全霊をかけて護りたくなるほどの。  
「今日は家で飯を食っていけ。一人ではいたくないだろう?」  
彼女を抱きしめたくなる衝動を抑えて、マルティンは彼に出来る精一杯の慰めの言葉を口にした。  
 
「味は期待するな」  
と言うがなかなかどうしてマルティンの料理はかなり美味しい。  
もっとも彼に言わせれば、それは彼の料理の腕によるのではなく、丹精込めた野菜のおかげだとか。  
マルティンの性格そのままに、飾らず素朴でありながらじんわりと優しい旨みが広がるスープに、メルの頬も自然とほころんだ。  
「その……な。俺には上手いこと言えないんだが」  
沈黙を破ったマルティンに、メルもスプーンを運ぶ手を止め、静かな瞳で彼を見やる。  
「どれだけ心を込めて野菜を育てても、いっぺん嵐が来りゃあ、作物は台無しになっちまう。  
そうかと思えば、あまり手間をかけなかったものが美味しく仕上がることもある」  
脈絡のない話にも彼から視線は逸らされない。その瞳をしっかりと受け止め、マルティンは彼女に力強い視線を返した。  
「まぁ、つまりだな。こっちがどう思っていても、自然は俺たちの思うとおりになんてならない。  
他のものをどうかしようなんて考えちゃいけないんだ。俺たちに出来るのは、ただあるがままに自然を受け入れることだけなんだ」  
メルの心に温かいものが広がる。それは瞬く間に溢れ、彼女の双眸から流れ出た。  
「だから、お前も、他人の思惑なんかに振り回されないで、自分の思うとおりに生きろ」  
マルティンのがっしりとした体が滲んでぼやけていく。  
ずっと誰かから言ってほしかった。  
ありのままの彼女でいいのだと。あの選択は間違ってなかったのだと。  
ずっと泣くことすらできなかった。  
後悔に苛まれて。リサの女神という名に相応しくあるために。  
あの日から数年の時を経て、やっとメルは自分の感情を素直に表に出すことが出来たのだ。  
 
涙が頬を伝うに任せていると、マルティンが隣に来た気配があり、太陽の匂いがするハンカチを渡された。  
そのぬくもりに更に涙腺を刺激され、メルはひとしきり泣きじゃくった。  
マルティンはそんな彼女をただ黙って優しく見守っていた。  
メルがようやく顔を上げたのは、一日の終わりを告げる鐘の音がリサの町に鳴り響き、人々のざわめきがすっかり途絶えた頃だった。  
 
リサの夜は深い。  
月が雲に隠れるとあたりは漆黒の闇に包まれ、ただ木々をそよがす風の音と時折森の奥で鳴く鳥の声だけが静寂を破る。  
時折部屋に差し込む月光が、互いに触れるか触れないかのところで寄り添う二人をぼんやりと照らし出す。  
妙齢の男女が二人きり。しかもお互い憎からず思っている。  
意識すまいと思えば思うほどかえって動作がぎこちなくなる。  
密やかな息遣い一つにも欲望の色が表れてしまいそうで、二人は身じろぎもできずにただ相手の存在のみに意識を傾けていた。  
 
どれくらいそうしていただろうか。  
やがてマルティンは一つ大きく息を吸い、そしてそれを吐き出した。  
「俺は……、見張り台で寝る。お前はここで休んでいけ」  
そう言って立ち上がり、精一杯の慈愛の眼差しをメルに向ける。俺たちは仲間だ。これ以上は許されない。  
しかし、その言葉にメルは縋るようにマルティンの前に立ち、彼を見上げた。  
月光が彼女の顔を照らし、その瞳の奥まで差し込む。澄みきった、綺麗な目だった。  
彼の全てを包み込むように温かく、彼に全てを委ねるように儚い、黒い宝石。  
手を触れたらすぐに壊れてしまう月晶石。しかし、触れずにはいられない魔力を持っていた。  
 
突然の抱擁と押し当てられた唇に、メルは一瞬驚愕したものの目を閉じてそれに応えた。  
自分に体をもたせかけた柔らかい存在に、マルティンははっと身を離したが、堰を切った想いは止まらなかった。  
一度、そしてもう一度口付けを繰り返す。互いの背に回された手に力が込められる。  
おずおずと、だが明確な意志を持って唇を割った舌が、同じものを見つけ、それを捕えた。  
もどかしく絡め合う舌が二人が同じ思いでいることを告げる。  
唇が離れ、互いの目がかち合ったのも束の間、二人はまた引き寄せられるようにキスを交わしていた。  
 
「メル……、いいのか」  
すらりとした体を抱きしめ、マルティンが聞く。いちいち口に出して確認するところが農作業以外のことには疎い彼らしい。  
メルはぎゅっと目を瞑り、声が震えぬよう注意しながら答えた。  
「今晩一緒にいてくれる?あなたに包まれていると安心するから」  
それは半分は本当で半分は嘘だった。  
これから自分の身に起こることを考えただけで身体に緊張が走る。メルは未だ男を知らなかった。  
回された腕が一際強くメルの体を締め付け、そして解放する。  
服が床に落とされる音だけが部屋の中に響いた。  
 
温暖なリサで力仕事に従事するマルティンは、普段から上半身殆どを露出させている。  
農作業の合間に下着姿同然になっているところを見たこともある。  
しかし、全てを晒した男の体躯はメルに顕著な反応をもたらした。   
メルがよく知る土の匂い。その大地から大樹がそそり立っている。  
初めて見るものであっても、それが並外れた大きさであることくらいはわかる。  
本能的な恐怖を感じ、身震いをするメルを、マルティンはしっかりと抱きしめた。  
こんなときに女性にかけるべき言葉を彼は知らない。その代わり瞳に強い意志を込めて大切な人を見つめ、深く口付ける。  
最初抵抗するように身体を強張らせていたメルから、段々と力が抜けていった。  
 
何一つ纏わぬ白い裸体を抱き、寝台に横たえる。  
鍛え抜かれた身体には痣一つなく、あくまで美しく滑らかだった。  
こんなにほっそりとした体のどこからあんなに強い力が出るのか、とマルティンは感嘆にも似た気持ちを抱く。  
抱きしめただけで折れてしまいそうで、でもその身に自分の印を刻み付けたくて、もどかしい思いでメルの体に手を沿わせていく。  
これほど自分を惑わせる彼女は確かに女神なのかもしれない。リサの町の、ではなく、彼だけの。  
そんなマルティンに、メルはそっと全てを預けた。  
ぎこちなく身体を伝う手はお世辞にも上手とは言えなかったが、彼女を抱きしめる腕はどこまでも力強く、  
彼女を見つめる眼差しはどこまでも優しかった。  
時折感に堪えぬように空を仰ぐメルの、密やかな茂みが雨に濡れた。  
 
その時が訪れたことを知り、二人は静かに瞳を見交わす。  
長年冒険者として共に戦ってきた、愛する町を守ってきた二人だから、甘い言葉も狂おしい熱も要らない。  
肥沃な小麦畑を渡る風のようにメルの肢体がたおやかに揺れる。  
豊かな実りを育む大地のようにマルティンはそれをしっかりと受け止める。  
そうして二人は自然に身を寄せ合い、唇を重ねた。  
 
舌を絡めあったままマルティンは体を起こし、メルの秘所に自分のものをあてがう。  
ゆっくりと押し広げ、その身を沈めていく。  
身を切り裂かれる痛みに、メルの整った顔が歪む。  
そして、破れる。  
「メル、お前……」  
一つに繋がったところから流れ出るものの存在に、しばしマルティンは動きを止め、目を見開いて眼下の女性を見つめた。  
「俺でよかったのか?」  
普段の豪放さが信じられぬほど不安げな声だが、間近で覗き込む瞳はメルを逃してはくれない。  
メルは一つきっと唇を引き結ぶと、マルティンの顔にそれを近づけ、優しく押し当てた。  
 
それだけで何も考えられなくなった。  
豊穣の実りを生み出す巨大な体が力強くうねる。  
迷いなく剣を操る引き締まった体が柔らかくしなる。  
清らかなせせらぎが豊かな大河へと姿を変え、二人を押し流していく。  
彼らを慈しみ育んだリサの肥沃な大地そのままに、二人は互いを包み、一つとなった。  
 
長身のメルがすっぽりと収まる逞しい肉体。  
マルティンの広い胸に抱かれていると、まるで自分が小さな女の子に戻って両親に包まれているような、そんな気分がした。  
優しく甘く懐かしい感覚。初めての男性にそんな気持ちを感じる不思議さを噛みしめていると、上から声が降ってきた。  
「なあ……。お前は町の英雄だが……農家のおかみさんになる気はないか?」  
突然のプロポーズに、メルは一瞬目を丸くすると、いたずらっぽい眼差しを向けた。  
「マルティン……。あなた私に一度も好きだって言っていないのよ?」  
「そ、そうか。いや、ちゃんと伝えたつもりだったんだが……」  
途端にしどろもどろになる様はどこまでも不器用で、愛しさと可笑しさが抑えきれず、メルは声を立てて笑い転げる。  
「あ……いや、その……。メル、俺は、お前を……その、愛して……いる」  
ぼそぼそと紡がれる愛の言葉に、メルはマルティンの腕の中で大人しくなり、じっと目を伏せて聞き入ったあと、きっぱりとした瞳で彼を見上げた。  
「私もよ。お話、お受けするわ」  
 
悲しみに彩られた日は喜びに満ち溢れた日へと変わった。  
辛い過去も、二人でなら乗り越えられる。強く優しい二人なら、きっと。  
 
FIN  
 

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