「はい、トモハル」
突然、朱浬さんに部室に呼ばれたかと思うと謎の物体を手渡された。
今僕の手の中にあるこれはゴムのような透明な容器であり、中には透明な液体が入っている。
経験上このパターンは何かしら悪魔にかかわることで、更にまた佐伯兄と一悶着が起こる。間違いない。
既に(と言うより呼び出された時点でだが)覚悟を決めた僕は朱浬さんを見つめて何をすればいいのかと聞くことにする。
「えー…コレは何で僕は何をすればいいんですか?」
僕の後ろに漂う自称守護霊の操緒もやはり諦観の境地に達しているらしく、ただ疲れたため息を吐き出すのみである。
もはや単なる雑用係と言うべき立場であるのに文句を言わさせないのは朱浬さんが相応の"暴力"と"魅力"を持っているからだろうか?
そんな考えを持っていた僕に返ってきた答えは意外なものであった。
「ん?コレはローション。あと別に何もする必要はないけど」
『………絶対嘘』
操緒の限りない疑惑の目線を軽く受け止め、僕にコレの説明をした。
「うーん、トモハルには関係あるけど別になにしろって事では無いわ。奏っちゃんに渡すか大事に保管しておくかどちらかしておけばいいわ」
「…でもローションって事はあの、つまり化粧水ですよね。コレは何か特別なヤツですか?」
どうやら特に貴重品でも無いのはぞんざいな扱い方をしているのでわかったし面倒事に巻き込まれる心配もあまりなさそうだ。
しかし、僕の発言を聞くや否や朱浬さんはその紅唇を楽しげに歪ませて僕をしっとりと見回した。
「あの…?」
「訂正するわ。奏っちゃんに渡しなさい。それもなるべく早くにね」
目が狐のように弧を描くような笑い方を表現した。
操緒はどうやらとても嫌な予感がしたらしく
『智っ!用事は済んだんだから戻るわよ!』
強引に用事を切り上げてしまった。
あわただしく去る僕達の背中を見送った後、朱浬さんが笑顔で
「がんばって頂戴、トモハル」
と誰しれず呟いたのは当人以外は知るはずも無かった。
一方の僕はと言えば教室に戻り、嵩月に例の物を渡し終えた所だった。
「これは……」
「朱浬さんが嵩月に渡せって……どうかした?何だか表情が暗いけど」
だいたいペットボトル程度のソレを手に、嵩月は眉をハの字にしてなにやら困っている。
とするとやはり何か変な物では無いのか?コレ。
その様子に操緒も興味津々とばかりに覗くがやはりただの透明な液体である。
水のようにも見えるがよく見ればほんの少し粘性があるようにも見える。
そんな僕と操緒の視線に気づかずに嵩月は手渡されたままの格好で「あの…」だの「…その、」だの呟くのみだ。
心無し顔が赤く染まってるようにも見えるがただの光の加減だろう。むしろ化粧水を渡されて照れるような理由が無い。
とりあえずこのまま立っていてもしょうがないので席に戻ろうとした僕の制服の袖が掴まれた。
「私の家に来て下さい!!」
……教室が静まった。
校内有数の美少女が大声であまり冴えない男を家に誘う姿を見れば納得できる現象であろう。
その中心に居た僕と嵩月。
嵩月は顔をうつむかせて僕の袖を軽く焦げ臭くなるまで握り締めているだけだが、僕はそうはいかない。
「……………」
「……………」
『…………』
クラスメイトの大半が僕を睨む中、特に佐伯妹と杏、操緒の目線が痛かった。
杏はびっくりしたような顔をすると僕を居ないかのように無視し始め、佐伯は口を「シ・ネ・ヘ・ン・タ・イ」なんて動かす。
操緒はむしろ笑顔だがそれが怖い。
そんな中、嵩月は僕の返事を待っている。
無論ここで波風を立てない選択ができるならそれがいい。だが朱浬さんの指示の延長線にこの嵩月の行動があるのだ。
災いの種というのは放っておけばすぐに芽がでて成長するものなのである。
ならば、何かが起きる前に手を打てればそれが最上だ。
僕は物理的な殺傷力を持ちかねない視線に晒されながらその申し出を受託した。
『変態』
かくして、表面上は何事もなく平穏な毎日に分類されるであろう1日が
『なに鼻の下伸ばしてるの?馬鹿みたいだよ?』
…1日が、ようやく1/4も終わり、約束通り僕は嵩月の家へ
『やっぱ胸に釣られたんだね。あーあ、ニアちゃん悲しむだろうなー』
……嵩月の家へ、
『佐伯さんも恨みがましい目で見てたしあれは夜道に後ろからブスッて刺すね』
…………………
『何?どうかした?』
何故かずっと不機嫌…いや、表面上はいつも通りの操緒はずっと帰り道から愚痴(?)を僕の耳元で独り言のように話していた。
おかげであの化粧水は何だったのか?とかやっぱ佐伯妹が睨んでたから悪魔に関係するものだろうか?などといった思考も途中で寸断された。
それを止めるように言ってみたが『独り言を言ってるだけだし』と言って聞く耳を持ちやしない。
なので、止めさせる事を諦めて延々続く自称独り言をBGM代わりに嵩月の家へとたどり着いたのだ。
「…ぉじゃましまーす」
そして奇跡的に誰にも会わずに例の純日本家屋!とでもいった建物へと着き、中でなにが起こるのかと心配が伺える情けない声で挨拶をした。
『…誰もいないのかな?』
しかし返ってくる声は無く、暗い闇がそこに在るばかりであった。
これでは仕方がないな、と安心半分不安も半分で肩の力を抜き、帰ろうかと踵を返そうとしたその時。
「…お待ちしておりました」
しっとりと、どこか艶を感じさせる嵩月の声が闇の奥から聴こえた。