実際、体が重い。朱浬さんへの愛撫を始めた時と比べて、明らかに身体を動かしづらかった。  
 その原因も、そろそろ心当たりがあった。朱浬さんが達するたびに、僕の中へ流れ込んでくるものが、そこで凝り溜まって、僕の動きを鈍くしている。膨大な活力が体の中で行き所もなく、轟々と渦巻いている感じだった。  
 なるほど……そういうからくりか。レゾネータの影響下で、快感の頂点を極めた方が放出し、相手がそれを吸収する形で、魔力の循環と増幅が行われているのだ。吸収ばかりが続くと、蓄積された魔力を扱いかねて、再放出するまで体が機能しなくなるのだろう。  
 最初にキスで達したのは紫浬さんだった。それに、僕たちが来る前からかなり盛り上がっていたようだから、そこから結構な魔力が僕に流れ込んで、僕の自由を奪ったのだろう。むろん、最初に疑ったように、操緒と僕の共感作用も一役買ったに違いない。  
 そこからは、僕が達し続けることで紫浬さんに増幅された魔力が流れ込み、ついには僕と操緒のなすがままになるしかなくなったのだと思う。そして今、朱浬さんの中で増幅され還流してきた魔力が、再び僕の中でわだかまり、放出されるのを待ちわびていた。  
 いや……くだくだと理屈など考えている場合ではない。このまま時間が経てば、僕自身が自分を制御できなくなる。そうなれば、朱浬さんや操緒にどんな結果をもたらすか、知れたものではない。つくづく、ろくでもないプラグインだ。くそっ。  
 それでも、どうしたらこの状況から脱出できるか皆目見当もつかないまま、僕たちはひたすら突き進むしかないのだった。  
「朱浬、さん……」  
 まだ息が荒い朱浬さんの顔を覗き込む。朱浬さんも、まだ返事ができる様子ではなかったが、ぼんやりとした瞳で僕の顔を捉えはしたようだった。  
「……いいですか……?」  
 問うたのは、もちろん、偽善だ。朱浬さんがどう答えようが、僕は行き着くところまで行き着くつもりだった。だが……それでも、訊くのが最低限の礼儀だと、思ったのだ。  
 朱浬さんは、しばらく何を訊かれたのか、よく分かっていなかったのだと思う。それでも、僕がじりじりとした思いで見つめるうちに、かすかに頷いてくれた、ような気がした。  
「じゃあ……いきます」  
 それでも、この状態からいきなり挿入というのも乱暴な気がして、僕は右手を朱浬さんの秘所にあてがうと指でクリトリスと入り口をなぶり、左手と口で丸く固く盛り上がった乳房を愛撫した。  
「ふ……んんっ……」  
 朱浬さんが軽く反応する。胸の上にある僕の頭にそっと朱浬さんの両手が添えられ、仰向かされた。潤みきった瞳が、僕を見つめる。  
「ト……トモハル……焦らさ、ない、で……ん、く、はっ」  
「朱浬……さん」  
「あたし……大丈夫だから……はあっ……だ、だから」  
「……はい」  
 確かに、そこは十分に濡れそぼっていて、わずかに開いてさえいた。僕は自分のものを右手で誘導しながら入り口にあてると、そこからゆっくりと中へ押し込んでいった。朱浬さんの中が、とてつもない熱さと柔らかさで、僕を包み込む。  
『は……ん……はあっ……あ、あたし……?』  
 操緒が陶然とした声を出し、少しびっくりした顔で僕を見る。ああ。僕が気持ちいいからには、お前も感じるはずだろ。  
「ん……く……っ」  
 あるところまで進むと、朱浬さんが、きれいな顎をのけ反らせた。痛いのかと思って、それ以上の前進を止める。しばらく、お互いの荒い呼吸だけが混じり合う中、僕たちは凍り付いたように動かなかった。  
   
「だ……大丈夫ですか?」  
 朱浬さんは眉を寄せながら、それでも微笑む。  
「……お願い」  
 それで、僕は一気に奥へ進んだ。どうせなら、一瞬で済む方がいいと思って。  
「んあっ」  
 朱浬さんが顔をしかめる。同時に襲ってきた締め付けに促された軽い射精感を、ようやく堪えた僕は、軽く呻いた。操緒の『はん……っ!』という切ない喘ぎが腰に響いたが、何とか持ちこたえる。  
「あ……」  
 朱浬さんのため息が聞こえたので、僕もゆっくりと息を吐きながら、訊ねる。  
「朱浬さん……?」  
 朱浬さんは、驚いたことに、ふふ、と笑った。  
「なんか、妙な感じ……痛い、かと、思ったんだけど……ふわふわしてて……悪く、ない、わ……あれのおかげって、ことかしら……」  
「そ……うですか」  
 朱浬さんが喋るたび、微妙な振動が伝わってきて、それだけで僕を限界へと揺さぶってくる。僕が我慢しているのを朱浬さんはどう取ったのか、  
「トモハルは……大丈夫……?」  
 なんだか、朱浬さんらしくない気遣いだった。いや、これも朱浬さんなのか。  
「大丈夫……じゃ、ないです。気持ちよすぎ……です……朱浬さんの、中」  
 僕が呻くように言うと、朱浬さんは、目を丸くした。それから、軽く吹き出す。いや、今の笑うとこですか? 僕はいたって真剣なんですが。  
「トモハル……もう……バカね」  
『ね……』  
 そんな僕たちに、熱に浮かされたような操緒の声がかけられる。恨めしそうな響きがあった。  
『いい加減……動くか止めるか……あたし、これじゃ……』  
 朱浬さんは目だけで笑い、言ってくれた。  
「動いて……いいよ。トモハル」  
「はい……」  
 許可をくれて、助かった。でなければ、勝手に腰が動き出していたところだ。  
「いきます……ね」  
 一応予告はすると、一突き、入れてみた。  
「あ……はっ」  
『はうっ……は、あ』  
 微妙に異なる二つの喘ぎ声が、僕の耳朶を同時に打つ。まるで二人の女の子と同時にイタしているような感じで、これは、結構やばいシチュエーションだと思う。癖になったらどうしようか、などと、しょうもない考えが一瞬だけ浮かんで消えた。  
   
 それでも、最初は焦るまいと努めたのだった。初めての朱浬さんが痛くないはずはないと思ったし、それに正直言えば、あまり早くに射精してしまって早漏と言われたくないという見栄も、確かにあった。だが、  
「ト……トモハル」  
 何回も往復を繰り返さないうちに、朱浬さんが切なげな声で訴えかけてくる。  
「あたし……このままじゃ……ダメ……もっと……」  
 そうか。僕と同じなのか。体の中で、もはや制御しきれない何かが狂い回り、これを鎮めるためには、我を忘れるしかないらしい。くそっ。もう……どうとでもなれ。  
「は……はい」  
 僕の返事も、息絶え絶えだった。上体を起こし、朱浬さんの腰をがっちりと掴むと、後は全てを擲って、腰の動きに没頭した。  
「あ、は、や……ト、トモ……はげし……や、や、あ……んん……んっ……く、はっ、は、あ、や……やあっ、あ、あん……あ、ひ、は……んんっ……ん、は、……っ」  
『は……ト……トモぉっ……あ、い、いい、や、い、や、あ、は、だ、だめ、だめだめだめ、あ、あた、あたし、も、もう、い、や、や、い、いい、や、い、あ、はうっ』  
 朱浬さんはそれでも拳を口に当てて抑え気味に、操緒は堪えきれない風に絶え間なく甲高く、それぞれが響かせる嬌声が僕の理性を犯していく。肉体だけでなく、魔力も精神も全てがないまぜになって、僕はあっという間に達しそうになり……大事なことに気付いた。  
 このまま中に出したら……それは、さすがにまずい。くそっ、でもゴムを付けるような余裕なんて、この状況じゃなかったんだ。だからといって、もう今更止められない。僕は我ながら超絶的な精神力を発揮し、朱浬さんの中から自分を引き抜こうとした。  
 できなかった。朱浬さんの長い脚が、僕の腰の後ろに回って抱え込んでいた。  
「しゅっ……しゅり……」  
 それ以上言う余裕はとてもなかったが、朱浬さんは僕の言いたいことを分かっていたと思う。数秒間くらいだけ、僕の目をしっかりと捉えて、  
「んっ……は……あ、あた……だ、だい、じょう……ぶ、だ……か、らぁ……っ」  
 そう言い放つなり、再び首をのけ反らせてしまい、僕に反問する暇を与えてくれなかった。  
 いや、その機会があったとしても、僕に何を訊けたろう。その瞬間に朱浬さんの瞳に浮かんだ昏いものを見てしまった以上、朱浬さんが自ら話してくれる以上のことを僕が尋ねたりできる筈がない。僕にできることはといえば、朱浬さんの望むとおりにするだけだ。  
「う……くううっ」  
『や……だめ、トモ、だめ……えぇっ……』  
 ついに、その時が来た。朱浬さんの腰を押さえ込み、一番深いところまで僕を押し込むと、そこで全てを解き放つ。操緒が同様に絶頂を迎えて、空中にぐったりと横たわるのが横目に見えた。次いで、僕も朱浬さんの上に倒れかかり、慌てて両手をベッドにつく。  
「あ……」  
 朱浬さんは、目を閉じて脈打つ僕の全てを迎え入れていた。僕の中で荒れ狂っていたものが、朱浬さんに向かってどくどくと流れ出していく。  
「熱い……トモハルの……あ……あ、あ、あ……な、なに……これ、なに……?」  
 ああ。それは、僕から朱浬さんに流れ込む魔力だ。朱浬さんは僕の下で思い切りのけ反り、もはや抑えることのできない悲鳴をあられもなく放った。  
   
「あ、きゃ、は、お、や、やだ、な、なに、は、や、いや、これ、は、あ、だ、だめ、な、なんか、くる、き、きちゃ、う、や、いや、や……や……あ……は、あ、く……う……っ」  
 歯を食いしばり、喉に筋を浮かせながら、胸を真っ赤に染め上げて、達する。その結果、一度精を放って衰えかけた僕を、その中に残ったものまでも絞りだそうとするかのように、朱浬さんが柔らかくしかし強力に締め付けてきた。  
「く……」  
 僕が全身を固くしたのは、それに耐えようとしただけでない。朱浬さんからの魔力のバックドラフトが来ると思ったからで、それはすぐに予想どおりにやって来た。  
「あ……ぐ」  
『ふあっ!?』  
 操緒が跳ね起きる。こちらも白い裸身を真っ赤に染めて波打たせながら、  
『は、はお、こ、な、なに、ト、トモ、あたし、トモ、だめ、だ、め、ト……トモぉっ』  
 僕に応じる余力などない。朱浬さんから押し寄せてくる激流を、そのまま叩きつけ返してやりたいという衝動をねじ伏せるので手一杯だった。そんなことをしたら、無限ループだ。何が起こるか分からない。  
 何とか乗り切れたのは、僥倖以外の何物でもなかった。これ以上は無理だ、と思った瞬間に、運良く圧力が少し減っただけだった。二度目は……たぶん、ない。それに、今は大人しくしているものが、再び僕を中から喰い破ろうとするのは、時間の問題だった。  
 くそっ……僕にどうしろって、いうんだ。何か、手はないのか。絶望にかられ全力を使い果たして倒れ込んだ僕は、けれど柔らかく受け止められた。顔を上げると、朱浬さんの艶やかなまでに淫蕩な表情があって、ただ、その瞳には強い決意の光があった。  
「は……あ、トモ……ハル……ダメ……ふ……ひとり……で、ん、がんばんない、で……よ」  
「しゅ……」  
 朱浬さんは汗びっしょりの美しい額に黒髪を張り付かせ、荒い息を繰り返しながらも、全て分かっている、とでも言いたげな微笑を口許に刻んだ。  
「ね……あたしだって……いっしょに……ね……? ふたり、なら……きっと……それに、どうなったって、あたし……いい……から」  
「で、でも……」  
『三……人……でしょうがあ……あたし……も、いる……ん、ですから……ね』  
 操緒もぐったりとなりながら、僕と朱浬さんの間に割り込んでくる。さすがに疲労の翳が濃い貌に、じつに操緒らしい不敵な笑みが浮かんでいた。それを見た朱浬さんも、笑みを大きくする。  
「そう……ね。操緒ちゃんも……いるよね」  
「僕は……」  
 それでも躊躇う僕に、朱浬さんは片目をつむってみせた。  
「トモハル……あたしを、誰だと、思ってんの……部長代理、命令だかんね……?」  
『だいじょうぶ、だよ……あたしが、ついてる、よ……』  
 僕は目を閉じた。ちくしょう。なんだって僕には、いつだって、誰かを傷付けるような選択肢しか残されていないんだ。そしてなんだって、僕が傷付ける人たちが、あたかもそれを自ら望んだことであるかのように、胸を張るんだ。ちくしょう。  
 逡巡は、そんなに時間を要しなかった。決断を下すことに、慣れたのかもしれない。だが、この胸の疼きに慣れることは、絶対にないだろう。そんなこと、あってたまるか。  
「……知らないからな」  
 僕が呟くと、朱浬さんがおっとりとした笑顔で頷き、操緒が僕に頬を擦り寄せた。  
   
 とはいえ、それはそれなりにいい場面だったと思うのだが、そんな空気をぶちこわすかのように、  
「あたし……後ろ向こうか……?」  
 言うに事欠いて、朱浬さんがとんでもないことを言い出した。  
「は……?」  
 一瞬、自分たちが置かれている状況のことさえ忘れて、朱浬さんの顔をまじまじと見る。それはその、いわゆる、バックスタイルというもののご提案でしょうか。  
 僕の視線の前で、朱浬さんはみるみる頬を染めたが、同時に、いかにも朱浬さんらしく悪戯っぽい輝きを瞳に宿らせてもいた。  
「だって……あたしの顔が見えない方が、トモハルだって……遠慮なく……じゃない?」  
「いや、それは……」  
「トモハルだって……興味あるでしょ?」  
 その質問は、主語が間違ってやしませんか? いやそりゃ、興味がないといえば嘘になりますが、しかしこの状況でそういう話はですね。  
『いいんじゃない。この際、ヤれることはヤったら?』  
 操緒が笑顔で言う。誓って言うが、あの笑顔は笑ってない。ここで状況に流されたら、絶対にあとで何かしっぺ返しがある。やっぱり、断ろう。正常位で何の問題もないじゃないか。そう決めた僕の目の前で、朱浬さんは、さっさとベッドの上で四つん這いになった。  
「さ……トモハル。ぐずぐずしてたら……」  
 絶対、楽しんでるだろアンタ。さっきまでのあの恥じらいは何処へ行ったんだ。こっちは、そんな余裕なんてこれっぽっちもないってのに。ああ。いいだろう。どうせ、僕も冷静を保つのはそろそろ限界だ。こうなったら、思い切りケダモノになってやろうじゃないか。  
 僕が朱浬さんににじり寄り、そのお尻の肉をつかむと、朱浬さんは「あんっ……」と艶っぽい声を立てた。  
「朱浬さん……その、も少し、腰を落として……」  
「こう……?」  
 朱浬さんくらいに脚が長くてスタイルがいいと、かなり脚を開いてもらわないと僕が挿入できない。それでも実際にその恰好をしてもらうと、目の前にあそこからお尻の穴までが剥き出しに開陳されて、いまさらだが鼻血が出そうになった。  
「んっ……そんな、見ないでよ……」  
 僕が固まっていると、朱浬さんは恥ずかしげに、そのくせ僕を誘うかのように腰を捩った。ああ、もう、ほんとにどうなっても知らないからな。操緒の何となく冷たい視線を頬に感じながら、僕は、ずっと勃起したままだった一物を、朱浬さんの中に突き入れた。  
「んっ……く、は、あっ……」  
『は、ひゃ、あ、ああんっ』  
 再び、嬌声が二重サラウンドで響き渡る。最初の一差しだけで放出してしまいそうになった僕は、そこで暫く波が引くのを待った。朱浬さんの中は相変わらず熱くて柔らかくて、僕のそれはおろか全身を溶かしてしまいそうだった。  
「ト……トモハル……?」  
 朱浬さんが首を後ろへねじ曲げ、訝しげな視線を投げてよこす。そろそろ、動いてもいいか。僕は遠慮なく、最初からスパートをかけた。  
「あ、は……や、トモ、ハルぅっ……や、……あ……は、ひ、ん……あん、あ……は」  
『んんっ、く、は、あ、いい、いいよ、ト、トモ、い、いい、い、や、だめ、や、は』  
 朱浬さんは最初こそ両手を突っ張っていたが、ほどなくあっけなく上半身が倒れ込み、尻を高く突き出した恰好でシーツをくしゃくしゃにしながらのたうつ。操緒もどういうわけか、そんな朱浬さんの横で同じような姿勢になって、スマートな肢体をくねらせていた。  
 だめだ。こんな刺激的な痴態を見せられて、冷静でなんかいられない。さっきから僕の中で今にも零れ出そうになっていたものは、あっさりと、なけなしの自制心を決壊させた。  
   
「お……おおっ」  
『あ、ひゃ、も、もう……だ、だめ、い……いい……っ……だ……め……っ』  
「は……や、は、あ、あ……んん、ん、んっ……あ……き……きてっ……」  
 朱浬さんの腰を押しつぶすようにして、その中にありったけのものを注ぎ込む。朱浬さんが次に来るのを待ち受けているらしく、その背筋が強張るのが感じられた。  
「あ……は……はあ……は、あ、や、く、くる、くる、くる、きちゃう、ト、トモハ、ルぅっ」  
 腰を勢いよく僕に向かって突き出した朱浬さんの声には、さすがにいつもの余裕がなく、僕は思わずその両手と僕の両手を合わせ、指を絡めて握りしめた。少しでも、朱浬さんの力になることを願って。朱浬さんも、僕の手を痛いくらいに握り返してくる。  
「ん、は、や、くる、や、きちゃう、いや、いやいやいや、や、やあっ……や……っ……や、は、や……く……く……る……うぅぅっ……」  
 朱浬さんの腰ががくがくと痙攣し、その中が僕を痛いほどに締め付ける。それから、ゆるやかに力を失って腰砕けになり、完全にベッドの上へ俯せに崩れ落ちた。僕もそれにひきずられるようにして朱浬さんの上にのしかかる。  
 さあ、次は僕の番か。どこまで続くのか、どこまでこちらが保つのか分からないが、力の及ぶ限り、朱浬さんと操緒を見捨てることだけはするまい。  
 それは、津波のようにひたひたと、しかし圧倒的な圧力をもって、僕を襲った。気が遠くさえなりそうなのを、ようやくのことで耐える。  
『や……はあ、あ……や……だ、だめえ……っ』  
 操緒もぎりぎりのところで踏みとどまっているようだが、長くは保つまい。僕はやけ半分で、あっという間に回復した僕のそれを、朱浬さんの中で再び律動させる。しっくりくるよう、朱浬さんの片脚を持ち上げ、僕の腰全体を差し入れるようにして奥へと進んだ。  
「あ、は、ああんっ」  
 つっぷしていた朱浬さんが激烈な反応を示した。海老ぞりになって、高らかに声を上げる。  
「だ、だめっ、いや、だめっ、そ、そこ、そんな、とこ、突いたら、あ、ふ、深い、深い、お、奥、奥、だめ、奥、だめ、そんな、だめ、もう、だめ、くる、きちゃう、くる、あたしぃっ……あ……た……し……いぃっ……く……お、は……あ……は……っ……」  
『あ、はう、や、だめ、だめ、トモ、だめ、トモ、やだ、あたし、もう、やだ、やだ、やだやだやだ、トモ、い、いや、はっ、いや、いやいやいやいやあっ……もう……だめ……だめ、だめっ、は、だめ、だめ、は、やああっ……や……い……い……ぅっ』  
 今度は、僕が放つ前に、朱浬さんが先に絶頂を迎えた。なぜか操緒も、それに同調したような気がする。これは想定してなかった。ただでさえ一杯一杯だったところに、二人からさらに何かが押し寄せ、なす術もない僕のどこかで寄せ返し、二人を再び弄び、そして僕へ。  
「あ……はっ、ま、またっ……ま……た……あぁっ……ふ、あ、や、や……も……う……あた……しいぃぃっ……い……ふ、や、ト、トモ……トモ、ハルうぅっ……う、く、は……あ……だ、だめ……もう……や、だめ、また、き……きちゃ、……あ……っ……っ……あ」  
『い……い、や、ト……トモ、トモ、トモおぉっ……っ……い……あ、は、や、やあ……ま……また……なのおおっ……お、は、あ……あっ……や、は、や……や……あ、また、また、トモ、トモトモト……モお……お……っ……あ……は……だめ……も、だめ……あ、は』  
 息も絶え絶えになりながら、頂点をきわめ、そこから少し下りては、さらにより高みへと押し上げられる。それが、何度繰り返されたろう。もはやどうしようもなく流れに全てを委ねていた僕のどこかで、唐突に、ぷつり、と全てが切れた。  
「あ……?」  
 訳も分からず、だが、それまで体内に満ち満ちて荒れ狂っていたものがあっさりと消え失せ、完全に虚脱した僕は、朱浬さんと操緒の上に倒れ込んだ。二人とも、ぴくりとも動かない。もしかすると、すでに意識を失っていたのかもしれない。  
「な……」  
 僕も、指一本動かせない。急激な睡魔に襲われて意識を失う寸前、だが僕は、見た。  
 ベッドの横で、オレンジ色の光の粒が舞っていた。それは徐々に収束し、やがて音叉の形に凝固すると、ことん、と床の上に落ちた。  
「な……なんなんだよ……それ……」  
 呟いて、そこまでが限界だった。僕の意識は、否応なく深淵の中へと引きずり込まれていった。  
   
 夢、だったと思う。  
 ひどく安らぐ夢だった。何かこの上なく暖かくて柔らかいものに包まれて、髪を優しく撫でる繊細な指と、ときおり額や瞼や頬に触れる湿った吐息とに導かれるようにして、僕はまどろんでいた。もしかすると、小さい頃の母親の記憶だったのかもしれない。  
 今の僕には、そうして寄り添ってくれる眠ってくれるひとなど、いない。いないはずだ。だから、それは夢だった。そう思う。  
 
 目が醒めると、独りだった。朱浬さんがいないのは直ぐに得心がいったが、操緒も見当たらない。まあ確かに、側にいてもらっても、どんな顔をして相手すればいいのか分からないから、ある意味で気は楽だったが。  
 朱浬さんが去る時にでも僕にかけていってくれたと思われる毛布をはぐと、ベッドの上には荒淫の跡が明らかだった。僕たちの体液でぐちゃぐちゃになり、乱暴な扱いに耐えかねてそこかしこに裂け目さえ出来ている。その中に赤黒い染みを認めて、僕は頭を垂れた。  
 ……やっぱり、責任は何かの形で取らないといけないんだろうな。当分は朱浬さんの我が儘に素直に従うとして、命まで落とすような羽目にならないといいんだが。  
 時計を見るとすでに昼過ぎで、これは完全にサボリになりそうだった。どのみち、腰のあたりが妙に軽く、全身が虚脱感に覆われ筋肉痛に襲われているとあっては、学校まで辿り着けそうもない。階下に下りられるかどうかすら、微妙に思えた。  
「……くそっ」  
 頭を振って、昨夜のことを思い出す。何があったのか、細部はいくらかぼけていたが、ほぼ思い出すことができた。だが妙なことに、それが自分の身にあったことだという実感だけがきれいさっぱりなかった。どこか遠い他人事を見ているようだった。  
 朱浬さんと操緒に対して抱いていたはずの、あれだけ狂おしく抗い難かった情欲も切なさも、今は、全く実体を伴わない形骸だけの記憶にすぎない。もしかして、クルスティナを喪った加賀篝の胸中も、こんな感じだったんだろうか。  
 ……まあ、今回はそれでいいんだろう。あんなのをこれからも引きずっていたら、いろいろなところに顔向けできなくなるような真似をしでかしてしまいそうだ。大体、あれは全てあのとんでもないプラグインのせいで、僕にはそんなつもりはなかったんだ。  
「……と」  
 そこで、思い出した。おそるおそる、床の上を見る。二度と見たくないものが、そこに転がっていた。銀色の、音叉型をした、プラグイン。レゾネータ。くそっ、やっぱり夢じゃなかったのか。最後に見たあれは。  
「なんなんだよ……」  
 僕は呻いて、ベッドの上に倒れ込んだ。  
 
 といって、そのままもう一度意識を失うという贅沢は、僕には許されていなかった。  
 放課後には徹夜明けのアニアが帰ってくるだろうし、それ以外にも勝手に遠慮なく押し掛けてくる連中が多いから、それまでには一切の証拠を湮滅しておく必要がある。朱浬さんも、僕より先に目を覚ましたんだったら、少しは片づけていってくれればいいのに。  
 ほとんど這いずり回るようにして、部屋の中から汚れた衣服やシーツをかき集め、階下まで這い下りて洗濯機の中にぶち込み、ついでにシャワーをいつもの三倍は時間をかけて浴び、再び二階に這い上がって部屋の中を片づけ、もうそれだけで、三回位は死ねた。  
 まさか、昨晩の報いってこたないよな? 僕は被害者だぞ。  
 例のプラグインは、仕方がないから、分厚い工作用手袋をはめてつまみあげ、布で厚く巻いて紐で縛り、手近な箱に入れてガムテープで念入りにぐるぐる巻きにしてから、鍵のかかる引き出しに放り込んだ。  
 本来ならコンクリ詰めにして深海の底にでも沈めてやりたいところだが、今はそういう訳にもいかない。そのうちに、八伎さんにでも事情を伏せて頼み込んでみようか。  
 そこまで何とかかんとかやりおおせて、真っさらなシーツを敷き直したベッドに倒れ伏した瞬間だった。玄関のインターホンが、例の間延びした音を鳴らした。  
   
「く……なんだ?」  
 せっかくこれで一休みできるかと思ったところだったのに。窓の方へ首を伸ばすと、  
「智春ー?」  
 聞き慣れた声がした。樋口か。だったら居留守を使うか、と思わなくもなかったが、  
「夏目っ。いるんでしょっ。連絡もなしに休むって、どういうことよっ」  
 佐伯妹の声までがして、僕は顔をしかめた。ここでやり過ごしても、あとで面倒なことになりそうだ。仕方ない。のろのろと体を起こし、腰の曲がった年寄りみたいな恰好で壁に手をつきながら、そろそろと階下へ向かった。  
 その間も、頻繁にインターホンが鳴らされる。いやだから、ちょっと待ってくれ。そんなに早く動けないんだって。ようやく階段を降りきったところで、玄関の扉の向こうから樋口と佐伯妹の会話が流れてきた。  
「やっぱ、いないんじゃねーの?」  
「でも、だって……水無神さんも学校に来てないのよ。奏も杏も何も知らないって言うし。携帯にも出ないし、メールにも返事来ないし」  
 あー……携帯、マナーモードにしたきりで、着信確認なんてしてなかったな。  
「これって、もしかして何かあったんじゃないの……?」  
 珍しいことに、佐伯妹の声はどことなく不安げだった。それにひきかえ、  
「いや、智春のこったから、なんかまたしょうもないトラブルじゃねーの? そろそろ、本気でオカルト絡みの事件とか起きねーかなあ」  
 樋口の声はどことなく浮き浮きしていた。そりゃ、佐伯妹と二人きりでここまで来たのだ。さぞ嬉しかろう。かてて加えて、  
「バ……バカっ。ロクでもないこと言うんじゃないのっ」  
 すかさず佐伯妹に罵られていたからには、幸せ倍増だろう。良かったな、樋口。  
「それが心配なんじゃないのっ。夏目えっ?」  
「は……はい、いますってば」  
 言ってはみたが、声が弱々しいのと、まだ距離があるので、表に届きはしない。君たち、もうちょっと待ってくれ。もうすぐだから。  
「何だったら、入ってみるか?」  
 樋口が脳天気に言い、  
「え……いいの?」  
 佐伯妹が戸惑った声を出した。ところがすぐに続いて、  
「そ……そうね。仕方ないかも。な、夏目のこと、確認しないとね」  
 僕は天を仰いだ。佐伯妹は、僕の知り合いの中では数少ない常識人だと思っていたのだが。人の家に、勝手に押し入らないでほしい。  
「お……おい、だから、いるんだって」  
 ようやく玄関に到達し、そこに敷かれたマットの上によろよろと一歩を踏み出した僕の足は、だがそのまま床を踏み抜いてしまい、ふわっ、と下へ沈んだ。  
「う……わあああっ!?」  
 さすがに大きな悲鳴を上げる。無我夢中で広げた腕が何とかひっかかってくれて、僕は肩の上からだけを床の上に出した状態で宙づりになった。  
「な……夏目っ?」  
 僕の悲鳴を聞きつけたのか、玄関のドアが開いて、佐伯妹と樋口が飛び込んでくる。そういえば、昨晩、中に入った時に音を立てるのがいやで、鍵をかけずにおいたのだった。二人とも、僕の姿が目に入ったのか、玄関で凍り付いたように立ち尽くす。  
「な……夏目……? 何やってんの……?」  
 そう言う佐伯妹のスカートが少し風に揺れて、僕の位置からだと、細い脚の奥にあるものがともすると拝めそうな感じですらあって、その僕の視線の行方に気付いた佐伯妹は、顔を真っ赤にして柳眉をきりきりと逆立てて。いや、これはその、わざとじゃないんだ。  
「な……つめえええっ! この、スケベっ、バカっ、変態っ!」  
 投げつけられた学生鞄が額にクリーンヒットした僕は、それ以上自分を支えていられずに、ずるりと地下室へ落下した。  
   
 いや、ひどい目にあった。幸い、樋口が物置部屋にある地下室−冥王邸への入り口を知っていたから、そこから降りてきてもらって、身動きすらままならない僕を救い出してリビングに落ち着くまでに、結構な時間がかかった。  
 しかもその間ずっと、樋口は「そのやつれようはまさか、ほんとに幽霊憑きに……?」とか嬉々として騒いでるし、佐伯妹は佐伯妹で「一体あんた、何したのよ? 水無神さんもいないみたいだし」とか痛いところを突いてくるし、ああもう、いい加減にしてくれ。  
 ちなみに、僕が床を踏み抜いた理由は、冥王邸の中を見るだけで一目瞭然だった。地下室の床や壁、天井までが満遍なく、ゆっくりと火に炙られたかのように黒焦げており、中でも玄関のあたりの天井(一階からすれば床)がひときわ脆くなってしまっていたのだった。  
 樋口はそれを見て、絶対何かオカルト現象があったに違いないと興奮していたが、僕には考える気力もなかった。確かにこの間までは何ともなかったはずなのだが、この屋敷で起こる正体不明なことを逐一気に留めていたら、気の休まる暇がなくなる。  
 それでも玄関の床に穴が開いているのだけは不都合だから、体が動くようになったら修繕しなければなるまい。僕はリビングのソファにだらしなく横たわりながら、深い深いため息をついた。  
「大丈夫、夏目?」  
 そんな僕の前のテーブルにお茶を置きながら、佐伯妹が訊いてくる。  
「あの、さっきは……」  
「ああ、それはいいんだ。何でもない。いろいろやってもらって、ごめん」  
「そ、そう……?」  
 エプロンをした佐伯妹は、お盆を胸の前に抱えた恰好で、僕の向かい側に腰を下ろす。その横で、思いがけず佐伯妹の家庭的な姿を目にしたからか、樋口がだらしなく頬を緩ませていた。  
「でも、ほんと、何があったの」  
「いや……単なる風邪なんだけど……だいぶ抜けたんだけどさ、節々が痛くて」  
 思いつきの言い訳だったが、僕の体調に関して言えば、事実がひとつまみかふたつまみくらいはまぶされていたから、それなりに信憑性はあったと思う。現に、佐伯妹も樋口もそれなりに納得したみたいだった。  
「じゃあ、寝てないと。こういうとき、一人暮らしって大変じゃない? 薬とか、飲んだ?」  
「ああ……それは大丈夫。ありがとな」  
 こういうとき、佐伯妹の世話好きな性格は、多少面倒ではあるけど有り難いと思う。こんなに怒りっぽくなけりゃ、こいつももっとモテるのにな。  
「な……なによ」  
 僕に見られているのが気に入らないのか、佐伯妹がそっぽを向いたので、僕も苦笑して目を伏せた。  
「連絡できなくて、ごめん。柱谷やん、何か言ってたか?」  
「またか、っつってたよ。後で説明しにいきゃいーんじゃないの?」  
 樋口が言う。そうか。学校の教師にまでそうやってスルーされるのは、有り難いと言うべきか情けないと言うべきか。佐伯妹が僕をたしなめるように、  
「ほんとよ。電話くらいしなさい。わたし……じゃなくても、誰か友だちに、杏とか奏に伝言したっていいんだから。二人とも、何も知らないって言うし。でも、変なの。杏は部活があるけど、奏は一緒に来ると思って誘ったのに、断られたのよね」  
 そこで、佐伯妹が僕の方を探るように見た。  
 
「なんか、真っ赤になってたわよ。逃げるように居なくなっちゃったし。あんた……また、何かしたんじゃないでしょうね? 水無神さんもいないし。夏目?」  
「嵩月のことなんて、知らないよ……」  
 あやうく、操緒のことならともかく、と言いかけて口を噤んだ。危ない危ない。そんな僕を佐伯妹はさも不審そうな目つきで睨んでいたが、そのうちにため息をつき、あらためてリビングの中を見回した。  
「でも……身の回りのことをしてくれる人がいないって、こういう時大変よね。晩ご飯とか。ええと、夏目……もし、何だったら、その」  
「ああ……」  
 そうか。そのことがあったか。  
「悪いけど……杏に連絡とってもらえないかな。お願いすれば、あそこん家から何か差し入れてくれると思う。……って、なんだよ」  
「別に」  
 佐伯妹は少し膨れっ面で横を向く。何なんだ、一体。  
 
 アニアが戻ってきたのは、夕陽がそろそろ落ちようかという頃だった。残念ながら、徹夜した上に授業まですっぽかして調べた結果は芳しくなかったらしく、極めて不機嫌だった。まあ、あんな代物の正体を突き止められても、こっちが困るけど。  
 そうするうちに、杏が差し入れの食事を持って現れて、鳴桜邸では時ならぬ賑やかな夕食会が催されることになった。どうでもいいけど、なんだって樋口や佐伯妹まで居残るんだ。そう訊いてみたら、佐伯妹が何故だか顔を赤くして、  
「……病気のクラスメイトをほっといて帰れるわけないじゃないの。あんたが寝るのを見届けたら、帰るわよ」  
 まあ……有り難い話なんだろうな。疲れるけど。  
 いや、素直に、ここは感謝しよう。樋口に佐伯妹、杏、アニアがいる食卓は騒がしくて楽しくて、おかげで、その間だけは色んなことを忘れていられた。一巡目であれ二巡目であれ、こんな風に、屈託なく穏やかに過ごせる時間だけだったらいいのに、と心から思う。  
 そして、それでも僕に気を遣ってくれたのか、早めに引き上げることにした友人たちを送り出して、僕はようやく束の間の平穏を手に入れた。どうせ長続きはしないんだろうが、休めるうちは休んでおくさ。  
 その夜は、溶けるようにして眠った。夢なんて見なかった。  
 
 僕が学校に復帰したのは、その翌週になってからだ。いくら若いといっても、さすがに半日や一日であのダメージから回復はしない。週末心おきなくゆっくり休んで、ようやく登校できるだけの体力と気力を取り戻した。  
 その間、アニアはずっと疑わしげに僕の言動を監視し、時にはあからさまに詰問してきたが、風邪だからってことで押し通した。レゾネータに関しては、いくら調べても情報が出てこないらしく、そのうちに段々興味も薄れつつあるようで、とりあえず安堵する。  
 操緒は、再登校日の前の日曜日の夜、そろそろ僕が不安になり始めた頃に、復活した。ただ、少なくとも一週間の間、操緒を見ることを僕は禁じられた。「なんでだよ」と訊いたら、「エロい目で見られたくないっ見たら絶交っ」と一刀両断だった。  
 まあ、その方が有り難いのかもしれない。僕にしても、操緒とどんな顔で接したらいいのか、まだ良く分からなかった。  
 久し振りの学校も、特に変わったことはなかった。嵩月の表情が何だかいつもより固い気はしたが、平素から決して愛想のいい子じゃない。操緒も、ずっと、うまく僕の視界から外れたところで漂っていてくれてたから、それほど気を遣わなくても済んだ。  
 昼休みになったところで、何だか知らないが佐伯妹が「あんたやっぱ何かしたんでしょっ。水無神さん、あんた見るたび赤くなってにやついてるし、奏の方は妙にあんたに突っけんどんだしっ。さあきりきり吐けっ」とか絡んできたが、そんなの僕が知るか。  
 そんなことより、僕には大事な用事があった。授業が終わるなり、嵩月と一緒の班だった掃除当番をすっぽかして、化学準備室へ向かう。そこにいるはずの人に会いに。  
   
 たぶん、僕が来るのを予期してたと思う。でなければ、こんなに当たり前に、いつものおっとりとした笑顔で迎えてくれたりはしないだろう。  
「トモハル、おひさしぶりじゃない。体は、大丈夫なの。風邪って聞いたけど」  
 何を白々しい。僕が睨み付けるのを全く意に介する様子もなく、朱浬さんは首をかしげて、  
「何か、用?」  
「こないだのこと、ですけど」  
「忘れなさい」  
「は」  
 朱浬さんがにこやかな表情で腕を一振りすると、がしゃこん、と何かが何かに装填される音がした。僕のこめかみを、冷や汗が一筋流れ落ちていく。  
「何もなかったの。そうよね?」  
「いや、そりゃ……こっちだって忘れたいですよ」  
「なんですって?」  
 僕がぼやくように言うと、朱浬さんの瞳がすっと細まり、赤い光を放った。ええと、たった今、忘れろって言ったのは、そっちですよね? 一体、どっちなんです。  
 まあしかし、お互いに話題にしたくないことであるのは、確かだった。僕の用件も、どちらかというと別のことだ。  
「あのそれより……あのプラグインですけど。僕のところに置いていかれても」  
「ああ、あれ」  
 朱浬さんは平然と答えた。  
「トモハルが持ってて」  
「え……ええっ」  
 それは、困る。あんなものを、僕にどうしろというんだ。だが朱浬さんは、僕がなぜ困惑しているのか理解に苦しむとでも言いたげな様子で、訊き返してきた。  
「それ以外に、何かいい考えでもあるのかしら?」  
「いや、王立科学狂会に返すとか……」  
「あんなもんを、あんなキチガイどもの好きにさせろっての? 大丈夫よ。どっかに消えてなくなっちゃいましたすいません、って報告済みだから」  
 それでいいのか。いやそりゃあ、アニアという証人もいたから、王立科学狂会としては信じるしかないのかもしれないけど。  
「それじゃ……生徒会のどれかに預けるとか。僕が持ってるより、厳重に管理できるじゃないですか」  
「ふーん」  
 朱浬さんが面白そうな声音になり、だがどことなく真剣な目つきで、  
「トモハル……もしかして瑤や倉澤六夏とも、あんなことになりたいのかしら?」  
「やめてくださいよ。僕にだって、相手を選ぶ権利くらいあります」  
 あんまりな言い草じゃないか。僕がよっぽどげんなりした顔をしたせいか、朱浬さんはくすくす笑い出した。なんか、妙に楽しそうだ。僕は何とか、逃げ口上を考えだそうと知恵を絞った。  
「あんなもの、僕じゃ管理できませんよ。制御だって。こないだは、たまたま何とか」  
「ああ、あれ? あれは、狙いどおりかな」  
「はあ?」  
 
 意外なセリフに瞬きする僕に向かって、朱浬さんは得々と、  
「だって、あんなデバイスで、無限ループした時の安全装置が組み込まれてないわけないじゃない。どっかで、ヒューズが飛ぶかブレーカーが落ちるかすると思ったんだけど、そのとおりだったわ」  
「はあ……あの、そんな見込みがあったんなら、先に言っといてくださいよ」  
 あの場での僕の悲壮な決意が、莫迦らしく思えてくるじゃないか。恨めしそうに言った僕に対して、朱浬さんはごくごくしれっと、  
「まー、あん時はあたしもそんな余裕なくって。……誰かさんのせいで」  
 そんな怨ずるように流し目をくれながら言われたって、僕だってあの時は無我夢中だったんだ。大体、この一件の発端は朱浬さんだったんだし、そんなにあのプラグインの扱いに自信があるなら、朱浬さんが引き受ければいいじゃないか。  
「じゃあ、朱浬さんが」  
 僕がそう言った時だった。朱浬さんが狼狽えた表情になり、声から余裕が消えた。  
「あたしっ? あたしは、だめ。だめだから」  
「な……どうしてですか」  
「だってあたしが……あたしにあんなもん持たせて、女の子に恥かかせるつもり? やっぱ、ああいうのは男から……」  
 何を言っているのか、支離滅裂だった。頬がそこはかとなく赤いし、視線はどこかを彷徨ってるし、最後のあたりは口の中にもごもごと消えてしまうし、いかにも朱浬さんらしくない。その挙げ句に、いやにきっぱりと笑顔で、  
「というわけで、あたしはだめだから」  
 いやそれ、説明になってません。だが、あの笑顔の前では、僕が何を言っても無駄だろう。僕は肩を落として大きなため息をついた。対照的に朱浬さんは元気よく、  
「ま、というわけで、やむなくトモハルに預けとくけど。もし、二度とあんなもの使おうなんて気を起こしたら……分かってるわね? 一度目は事故で済ませてあげるけど、二度目は、あたしも……本気になるからね?」  
 言い終わりは、やけに声が低くてドスが利いていた。人にあんなものを押しつけておいて、何かあった時の責任までおっかぶせる気ですか。言われなくても、あんなろくでもないものにこれ以上関わるつもりなど、毛頭ない。自分から平和な日常を乱すなんて論外だ。  
 それに、あんなのを使ってまで女の子とヤりたがる男だと思われるのも心外だ。いくら何でも、僕を見損ないすぎだと思う。僕は憮然として、  
「そんなことしませんって……ちょっとは信用してくださいよ」  
 そう言った瞬間、朱浬さんは妙に無表情になった。すうっと僕に近づいてきたかと思うと、僕の二の腕に激痛が走る。  
「てッ!」  
 慌てて視線をそちらへやると、朱浬さんの細い指が僕の腕の肉を念入りにもう一度ひねり上げてから引っ込むところだった。あやうく涙が出そうになるほどの痛さだった。  
「な、なにするんですか……」  
 僕の抗議にも、朱浬さんは呆れたような見下げ果てたような目でこちらを見るばかりだった。いったい、何だっていうんだ。そんなに機嫌を損ねるようなことを言ったか?  
 しかしそれにしても、いくらレゾネータの媒介があったとはいえ、この人と僕が共鳴したということ自体、今でも信じがたい。紫浬さんは「通じ合う部分を増幅して」と言ったが、あんなことになるような何が、僕と朱浬さんに共通してあったというのか。  
 そりゃ僕から見れば、朱浬さんは中身はともかく魅力的な美人のお姉さんだし、くらっとくることだってないではないが、朱浬さんにとって僕など、ただのからかい甲斐のある後輩にすぎないだろうに。  
「ふふーん?」  
 僕の困惑した様子を見ていた朱浬さんの表情は、けれど不意にふっと和らいだ。  
「ま、いっか。……トモハルだもんねえ。じゃあ、よろしくね」  
「え……あの」  
 踵を返した朱浬さんの後ろで僕が言葉を失ったのは、振り返る直前の朱浬さんの顔に、なんというか、あまり見慣れないものを見てしまったせいだ。それは、はにかみというものにとてもよく似ていたのだが、しかしまさか朱浬さんが。  
 凝然として立ち尽くす僕を置き去りにして、朱浬さんが化学準備室の扉に手をかけ、からりと開く。その向こうに、人影があった。  
「……嵩月」  
   
 僕と違って、真面目に掃除当番を終えてから来たのだろう。いきなり朱浬さんとぶつかったせいか、嵩月は目を見開いて呆然としていたが、朱浬さんと僕の間で視線を二、三度往復させるなり、耳まで真っ赤になった。え……と、何だ?  
 朱浬さんは、そんな嵩月と僕を見比べ、不意に、にやりと笑った。  
「奏っちゃんも、おひさしぶりね。なんか、ここんとこ顔出してくんなかったけど。今日はそんなに、トモハルのこと心配だった?」  
「え。ええ、と。あー……」  
 部屋の中、朱浬さん、僕、と、せわしなく視線を彷徨わせる嵩月を覗き込むようにして、朱浬さんは続ける。  
「そうそう。……なんか、焦げ臭かったわよね?」  
 嵩月が、ぱっ、と朱浬さんを見た。大きな瞳が、限界まで見開かれている。  
「……あー……」  
 何か言いたげだが、言葉が出てこないらしい。代わりに、なのかもしれないが、その体の周囲にゆらゆらと陽炎が立っているように見えた。朱浬さんはその熱気をすぐ側で浴びている筈だが、苦にする様子もない。  
 しかし、朱浬さんは一体なんのことを言ってるんだ。嵩月は分かっているらしいが、僕は全く会話の埒外に置かれていた。朱浬さんはそんな僕にちらりと横目をくれてから、  
「ごめんねえー、どうしても仕方なかったのよ。でも、よかったんじゃない? そっちも、あれで結構ふんぎりがついたでしょ。それに、奏っちゃんもかなり、燃えたんじゃないの? ……いろいろと」  
 二人の動きは、目にも留まらなかった。乾いた音が響いて僕が気付いたとき、嵩月の平手打ちの手首を朱浬さんが受け止めた恰好のまま、二人は静止していた。嵩月の腕を掴んだ朱浬さんの掌から、白い煙が薄く立ち上っている。  
「た、嵩月……」  
 僕の呼びかけにも応えずに、嵩月は、顔を真っ赤にし目に涙をためて、朱浬さんを睨み付けていた。どうしたんだ。嵩月らしくもない。朱浬さんは微笑したまま、ただ、やけに静かで真面目な口調で続ける。  
「八つ当たりしないで。これは、奏っちゃんの問題でしょ。あたしは奏っちゃんを応援してるけど……それは、何があっても、って意味じゃない。あたしなんかに、いつまでも選択の余地を残しとかないでほしいな。分かってるわよね?」  
「……」  
 嵩月は朱浬さんを睨み付けることを止めなかったが、それでも、その腕から徐々に力が抜け、朱浬さんが掴んだ手を離すと、だらりと下へ垂れた。それを見た朱浬さんは、表情と声を明らかに和らげて、  
「ま、でも……挑発したのは、ごめんね。あたしも、ちょっと冷静じゃなかった」  
 そう言って、焼けこげた掌をひらひらと振る。  
「これは、その罰、ってことにしとくわ。じゃねー。……トモハルと、ちゃんと話すのよ。あたしが、待ってあげてる間に」  
 優しい響きすらこめてそう言うと、朱浬さんは嵩月の横をすり抜けていこうとし、そこで、ふと足を止めた。悪戯っぽい眼差しを僕から嵩月の方へすうっと滑らせて、  
「ところでさ。勘づいてたかもしんないけど、あれが何をシミュレートしてたか……分かるわよね?」  
 そう言われて、僕だけでなく嵩月も、きょとんとして朱浬さんを見つめる。だが、僕を差し置いて嵩月の貌にじわじわと理解の色が広がり、と同時に、嵩月の周りで熱風が渦巻き始めた。さすがの朱浬さんも辟易したのか、そそくさと出口に向かって後ずさりしながら、  
「ま、そーゆーことで……契約ってのも、意外と悪くないかもしれないわよ? 楽しみね?」  
「しゅ……朱浬さんっ……!」  
 嵩月のせっぱ詰まったような叫びには応えず、朱浬さんは笑いながら背中を向けて、行ってしまった。ほんとに、何なんだ。一体。二人とも、何の話をしていたんだ。今や竜巻にも似た熱波のせいで嵩月に近づくこともできず、僕は混乱しきって立ち尽くしていた。  
 と、嵩月が僕と目を合わせる。ええと……どうして僕が、そんな恨みがましい、そのくせ縋るような、何かを切々と訴えかけるような視線を浴びなければいけないんだ。僕には何もやましいことは……って、嵩月。もしかして。まさか。  
「……夏目くん、なんかっ……」  
 嵩月の食いしばった唇から、いつになく鋭い言葉が漏れた。  
「きらいですっ」  
 放った一言が僕の胸をきれいに刺し貫くのも待たず、嵩月は身を翻して、走り去って行ってしまった。嵩月の残した熱気と衝撃の中で、僕はへたへたと、手近なイスの上に座り込む。  
 
 二人の会話の途中から……いや、本当は冥王邸の有様を見た時から薄々分かっていて、でも考えないようにしていただけのような気もするが、嵩月の最後のセリフで、僕も確信した。  
 あの晩、嵩月は、冥王邸に、いたのだ。たぶん、別れ際に調子が悪そうだった僕を心配して、いつぞやのように鳴桜邸の地下で、何かがあれば僕を助けようとして。  
 だから、あの一部始終も、耳にしたに違いない。冥王邸が内側からローストされていたのは、嵩月の炎によるものだったのか。確かに、あんな激しい情事に音だけでも付き合わされたんじゃ、純情な嵩月には刺激が強すぎて、さぞかし恥ずかしい思いをしただろう。  
 周囲のことごとくを灼き焦がすのも、抑えられないほどに。  
 なんてこった。嵩月には、知られたくなかったのに。いくら、あのプラグインのせいで正気ではなかったとはいえ、僕が安易に女の子と寝てしまうような人間だなんて、思われたくない。いや決して、安易な気持ちで朱浬さんとあんなふうになった訳でもないが。  
 こうなったら、嵩月には、レゾネータやあの夜のことをきちんと説明しておくべきだろう。どこまで何を話すかは難題だが、早々に誤解を解いておかないと僕が浮かばれない。朱浬さんもそう奨めていたではないか。嵩月が僕の話を聞く気になってくれれば、の話だが。  
 そういえば、もう一つ。あのプラグインについて、朱浬さんは何と言った……? 何かを、シミュレートしていると……? それは、何だ。嵩月も関係する、何か。  
 ふと浮かんだ答えに、僕は愕然とした。  
 あのレゾネータは、もしかして、演操者と悪魔が契約したときの魔力循環を、機巧魔神同士の間でも実現するためのものなのか? ということは、もし僕と嵩月が契約したら、そのときには、僕と操緒と嵩月に、全く同じようなことが……?  
 
 そこまで考えて、僕は天井を見上げた。そうでもしないと、鼻血がこぼれ落ちてきそうだった。そんな僕に、どこからともなく、  
『智春おー?』  
 これ以上はないというくらいの猫撫で声が、呼びかける。  
「操緒……?」  
 今まで、どこにいたんだ。というか、どうせ聞いてたんだろ、全部。操緒との約束にも関わらず、反射的に少し首をめぐらせてしまったが、操緒の姿は目に入らなかった。その代わり、一言一言を区切りながら、背筋を優しく撫で上げるような物柔らかな声が続く。  
『当分、嵩月さんを、見るのも、ぜっ・た・い・き・ん・し』  
「え? おい……」  
 あまりの理不尽な物云いに、僕が慌てた声を出したとき、すでに操緒の気配はなかった。一体、どうしろってんだ。嵩月の席は僕のすぐ前なんだが、授業中は目をつむってろとでもいうのか。  
 
 ああ、だが確かに……これからしばらくは、朱浬さんや操緒はもちろん、嵩月の顔もまともに見られそうにない。健康な青少年男子として、彼女たちの魅惑的な容姿や振る舞いを目の前にして、あの夜の記憶を蘇らせずに自分を抑えられるかどうか、全く自信がない。  
 だめだ。なんだって、僕の周りにいる女の子たちはみんな、こうも魅力たっぷりなんだ。しかも誰一人、簡単には手を出せないときている。これは、何の罰ゲームだ。僕が前世で(もしかしたら一巡目の世界で)何かよほどの悪業でも積んだというのか。  
 自分が不幸だという自覚は元からあったが、この時ほどそれを実感したことはなかった。全くもって、これは地獄だ。一見甘やかすぎるが故にいっそう耐え難い、地獄だ。  
 
 それにしても、つくづく恨めしいのは、あのプラグインだった。絶対、そのうちに何処かへ葬り去ってやる。あんなものを創り出したり掘り出したりしたやつも、地獄の底まで呪われてしまえ。  
 本来の使用目的から言えば、今回のことは不測の副次的結果なのかもしれないが、こっちには慰めにもならない。おかげで、えらい目にあった。いや、まだこれからも、嵩月に話して納得してもらうという大仕事が残っている。操緒にも機嫌を直してもらわねばならない。  
 くそっ。厳封だ。使用厳禁だ。あんなもの、二度と世に出してたまるか。  
 
        ○  
 
 最後に、一つだけ。これはたぶん、永久に解けないだろう疑問がある。朱浬さんは、今回のことを、どこまで想定していたのか。あんなことまでは予想外だったとは思うが、自分と僕との間で何かが起こる可能性くらいは、十分に考えていたのではないか。  
 だとしたら……朱浬さんは何をどこまで望んでいたのか。僕には、分からない。もしかすると、朱浬さん自身にも、分かっていないのかもしれない。それは、あのプラグインと共に、永遠に封印しておくべき疑問なのかもしれない、と僕は思う。  
 
 
 
 

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