昔思っていた事がある。
僕がどうして生まれてきたのだろうと。
優秀過ぎる兄も、のんびりすぎた母親も、顔も覚えていない父親も。
僕の事をどう思っていたのか、知らないままだから。
【幽霊憑キノ嘆キ-世界で1番嫌いな人の話-】
「部長、火を持ってないですか?」
化学準備室に入った僕が煙草をポケットから出しつつ、化学準備室で補習中の部長に声をかけた時、別の隅からため息が聞こえた。
「貴方、喫煙癖があるって本当だったの……?」
振り向くと、橘高第3生徒会長がパイプ椅子に座ってため息をついていた。
勿論、会長の視線の先には必死にプリントに取り組む部長の姿があった。
その時になって部長はようやく僕の存在に気付いたのか、顔を上げてきた。
「おや、きみは何時来たんだ?」
「今です。そうだ、部長。火、持ってないですか? ひかり先輩にライターを取り上げられちゃって」
『後で100円ライターでも買いに行けばいいのに』
上で操緒が無責任な事を言ってるがそれは無視。僕は今すぐ煙草を吸いたいのだし。
「……禁煙するとか考えないの?」
数秒の沈黙の後、冬琉会長がため息をつきながら口を開いた。
「僕から煙草を取ったら操緒しか残りません」
「それは自慢するべき事じゃないでしょ」
まぁ、確かにそうではあるが。
「生憎と僕はライターは持ってないな。嵩月に頼んだらどうだい?」
「ダメでしたよ。だって、煙草を出した瞬間に箱ごと灰にされましたから。お陰で1箱空けてないのに無くなりました」
「それはそれでキツいな」
「だから塔貴也も何で注意しないの!」
どうやら冬琉会長の怒りが爆発したらしい。僕と部長は冬琉会長の機嫌が治るまでみっちりお説教を喰らう羽目になった。
適当に聞き流したけど。
「近くの店で100円ライター売ってないのかい?」
冬琉会長は業務があると言って生徒会室に帰った後、案の定プリントを投げ出した部長が再び口を開いた。
「いえ、売ってはいるんですけど取り上げられたジッポが使いやすいし」
『あれ、結構長く使ってたもんね』
僕の頭上で操緒が呟く。
そう言えばあのジッポは土琵湖や洛高地下遺跡で水没しても無事だった。エラいぞ、僕のジッポ。
僕と部長がそんな事を話していると、ふと部長が口を開いた。
「……そう言えば、市原の机の中にライターあった気がするな……」
このお陰でようやく僕は銜えたままの煙草に火をつける事が出来た。うん、これで良し。
僕が2本目の煙草に火をつけた時、再び扉が開いて2人の人影が顔を出した。
「あ、夏目くん! ダメって言ったじゃないですか!」
「夏目くん、喫煙は良くないっスよ……」
顔を出したひかり先輩は僕の煙草を口から引っこ抜き、真日和はその後を呆れ顔で歩いてきた。
折角を火をつけたばかりなのに。まぁ、1本吸ったから良いけど。
「大体、ライター取り上げたのにどうして火をつけたんですか!」
「市原がヘビースモーカーだからです」
僕の答えにひかり先輩はまたしても怒りに震え始めたが、僕は見ないようにして真日和を振り向いた。
「で、どうして2人が?」
「え? まぁ、別に大した用じゃないッス。なんか、夏目くん宛てに手紙がこの学校に来たんスよ」
「へ? 僕宛? 何で学校に?」
「さぁ? 家から転送されて来たみたいっスよ、ほら」
真日和が指さす手紙の宛先は確かに実家で、実家から学校の化學部宛てになっていた。
そう言えば、義父の方は僕の下宿先を知らなかった筈だ。ちょっと反省。
「誰からだろう」
僕相手に手紙を送ってくる奴なんてそうそういないけど、そう思った時。
僕は、差出人を見てギョッとした。
差出人の名前は………。
『夏目ともは』
「……え? ともは、さん?」
手元を覗き込んだひかり先輩が驚いた声をあげる。真日和はついていけてないらしく、首を傾げていたが。
参った。これは、マズい。
「………何で……本物の夏目ともはから来るんだ……?」
僕が思わず呟くと、頭上で操緒が変な声をあげた。
『へ? ともはって……』
「ああ、操緒は知らないんだっけ………あの頃はまだ生きてたからね、操緒は」
「あの、夏目ともは、さんって、実際、いるんですか?」
ひかり先輩が首を傾げつつ聞いてくる。まぁ、確かにひかり先輩は僕の女装である夏目ともはを見破ったけど。
「いますよ。北海道に住んでる、従妹なんですけど」
もっとも、夏目ともは本人は僕としては嫌いな人間ランキングのベスト10に入ってるのだが。
「……珍しいですね、夏目くんが人の事を嫌いって言うの」
ひかり先輩が驚いたような目つきで僕を見て、真日和も「そうっスね」と頷く。
まぁ、そりゃそうだろう。もっとも、僕の嫌いな人間ランキングの大半は夏目と名がつくのだが。
それはどうでもいい事だけれど。
「いったい何の用なんだ……?」
封を空け、手紙の中身を確認。
その内容を読んで、僕は本当に頭を抱えたくなった。
今日のバイトは確か、ともはさんと一緒。つまり、夏目くんが来るという事。
最近の夏目くんは何か元気が無いし、煙草を止める気配も一向に無い。
今日、一緒になったらまた煙草をやめるように伝えておいて下さいね、とでも言っておこうか。
そう思った時だった。
「あれ、ひかり先輩?」
背後から夏目くんの声が聞こえ、同時に私の脇に自転車が止まる。
サドルに跨がって運転してるのは夏目くん。荷台に乗ってる……ともはさん。あれ?
「ほら、この人がひかり先輩」
夏目くんが後ろに座るともはさんにそう促すと、ともはさんは「初めまして」と頷いた。
それにしても、本当によく似ている。夏目くんがともはさんに女装しているのとそっくりで、ちょっと悔しいけど美人だ。
「この前、夏目くん、ともはさんは北海道に住んでるって……」
私が気になっていた事を聞くと、夏目くんは困ったように口を開いた。
「都会に憧れてたから僕の所に住む事になったんですよ……ったく……」
夏目くんがこんな風に嫌な顔をするのも珍しいが、ともはさんはあまり気にした様子じゃなかった。
「それじゃ、僕はバイトに行くから。後で迎えに来る」
「あ、うん……気を付けてね、智春くん」
「言われなくても。じゃ、ひかり先輩。また今度!」
私とともはさんと凄い温度差だ。夏目くん、ともはさんの事をどうしてそんなに嫌っているのだろう。
だけど、ともはさんに聞くのも悪い気がして、私はバイトの内容をともはさんに説明するだけに留まった。
だけど、それでも気になってしまう。
この前、夏目くんが言っていた言葉の1つ。嫌いな人ランキングの大半に、夏目という名が付くという事が。
『……智春』
「なんだよ、操緒?」
僕が自転車を走らせていると、前かごに座る操緒が口を開いた。
『あのさ、何でともはさんの事、あんなに邪険に扱うの?』
「別に邪険じゃない」
僕がそう答えると、操緒は『邪険じゃん』と言ってきた。
まぁ、確かにそうかも知れない。だけどな……。
「操緒。僕と操緒が知りあったのは何時だっけ?」
『え? かなり昔。幼稚園の頃辺りかな? 操緒はそれ位からしか覚えてないんだけど』
「そうか………」
『智春?』
「いや、何でもないんだ」
僕はそう答えると、少しだけ自転車の速度を上げる。
操緒とは長い付き合いになる。そうか、そんな昔からいたのか。
「ありがとね、これからもだけど」
僕はそう呟くと、片手で煙草を取りだし、火を点けた。
いつもの、夕方での、出来事だった。