「夏目ともはちゃん、いらっしゃいますか?」  
 
 そう言ってからすぐに、ついさっきの決意も忘れて、後悔した。電話口から流れ出てきたのが、それはそれは重たい沈黙だったから。思わず受話器にしがみついて、情けない声を出してしまう。  
「……あの。あのっ。夏目くんっ? 聞いてますかっ?」  
 息を詰めて待つことしばし、いかにもしぶしぶといった感じの声が返ってきた。  
「……聞いてますよ」  
「良かったあ……」  
 どっと体から力が抜ける。ほんと、切られなくてよかった。ちょっと反省。  
「……何の用ですか、ひかり先輩?」  
 ふたたび聞こえた夏目くんの声からは、少し険しさが減っていた、ような気がした。私の必死さに免じてくれたのかもしれない。やっぱり夏目くんは、優しい。  
「あ、あのね」  
 もういっぺん勇気を出して用件に移ろうとしたときに、ふと大事なことに気が付いた。夏目くん、もしかして。  
「……どうしたんですか」  
 今度は、ちょっといぶかしげな声。私が感動のあまり、何も言葉を続けなかったからだ。慌てて、  
「う、うん。ごめんなさい。でも夏目くん、声だけで私だって、分かるんですね」  
「え……そりゃあ……」  
 夏目くんは口ごもったけど、私は単純に嬉しかった。それって、夏目くんにとって私がまるきり赤の他人というわけじゃない、ってことだから。  
「まあ……ひかり先輩と電話で話すのは初めてじゃないですし……」  
 夏目くんはぶつぶつ言うけど、でもそんなの、何ヶ月も前だよ。声を憶えててくれたなんて、やっぱり嬉しい。  
「え……と、そんなことより」  
 あ、ごまかしたね夏目くん。  
「何の用ですか?」  
 一転して硬い声。警戒してるなあ。無理もないけど。私もぜんぶ知ってるわけじゃないけど、夏目くんはいろいろな人にいろいろと大変な目に合わされてるので、どんな時でもまず身構えるのがクセになっちゃってるみたい。  
 私のせい……も、少しあるかなあ。でもあれは、悪いのは六夏ちゃんだったんだし、あのおかげで夏目くんと友だちになれたんだし、私としてはすごくいい思い出なんだけどな。夏目くんも水に流してくれたと思ってるんだけど。  
 確かに、夏目くんにはよからぬ目的で近づいてくる人も多そうだから、気を付けた方がいいけど、私は大丈夫だよ。だって私のは、下心じゃなくって、乙女心っていうんだもん。  
「え、ええと。あのですね」  
 がんばれ私。  
「お、お願いが、あるんです」  
「お願い?」  
 うわあ夏目くん、今あからさまに引いたね? 大丈夫だよう、そんな無理なお願いじゃないから。  
「んと、その、あのですね、この週末、お買い物に行きたいな…なんて」  
「はあ」  
 少し拍子抜けした反応。よし。GO。  
「ともはちゃんと、いっしょに」  
 
 夏目くん。そこで黙りこくったら、白状したも同然だよ。「ともはって、誰ですか?」くらいに返さなきゃ。まあ、私が知ってるってことを夏目くんは知ってるし、私が知ってるってことを夏目くんが知ってるってことも私は知ってるから、いまさらだけど。  
 夏目くんが立ち直る隙を与えないように、私はまくし立てる。  
「あの、私、クリスマスプレゼントを買いに行きたいんです……ある男の子に、なんですけど」  
「……」  
「でも、男の子の好みってよく分からなくって、ちょっとアドバイスがほしいかなー、なんて」  
「……」  
「こういうこと頼める人、他にいないんです。だめ……ですか?」  
「……それって、僕……でも、いいんですよね」  
 うん。ほんとは、それが一番なんだけど。  
「えっと……その、夏目くんといっしょにお買い物だと、周囲に誤解を招くというか……」  
「……」  
 夏目くんと私の関係は、微妙だ。学校の美化委員だとか、ファミレスのバイト仲間だとか、…その、演操者と悪魔だとか、そういったシチュエーションなら、お互いのポジションがはっきりしているから、割と自然に話したりできる。  
 でも、全くのプライベートで週末にお出かけするのが当たり前、という間柄ではない。今のところは。残念だけど。  
 もちろん、近いうちにそうなったらいいなあ、とは思う。けど今のところは、二人で歩いてるのを他の人たちに見られると、いろいろ支障がありそうな感じがする。  
 夏目くんの周りにいる女の子たちの目もちょっと怖いし、だいいち六夏ちゃんなんか、また夏目くんと私を無理にくっつけようと暴走しかねない。悪気はない…はず、じゃないかしら、たぶん、と思うんだけど、それはできれば避けたい。  
 というわけで思いついた名案が、ともはちゃんとのお出かけ、なのだった。これなら、ともはちゃんの正体を知る黒崎さんにさえ出くわさなければ、夏目くんといっしょにいても問題ないはず。操緒さんもいっしょなのがちょっとあれだけど、それはまあ仕方ないし。  
 そうすれば、夏目くんと一杯おしゃべりしたりご飯を食べたりプレゼントを選んだり、それはもういろいろとできちゃうわけで。…えーと、こほん。で、もちろん、選んだプレゼントは後日しかるべき人に渡す、と。  
 うん。我ながら、完璧な伏線と回収のストーリーだね。この流れなら、いくら鈍ちんの夏目くんでも、私の気持ちを分かってくれるはず。  
「……はあ。そりゃ、その男の子に見られたくないのは、分かりますけど」  
 え。ええっ? 今、なんて?  
「でも、だからって……その、僕といっしょなのをその人に見られて、もし誤解が生じるなら、僕からきちんと説明してもいいわけで……」  
 
 夏目くん。なんで、なんでそうなるのー!  
 男の子って、夏目くんのことなんだってばっ。それが……いや、それを察してくれる夏目くんなら、そもそもこんな苦労はしないんだっけ……。  
 それでも、まずい。私が他の男の子を好きだなんて誤解されたら、ただでさえ鈍い夏目くんにとって、私なんか完全に対象外になっちゃう。もしかして私、思いっきり墓穴を掘ったりしちゃった?  
 完璧に脱力して気が遠くなりそうな私の耳に、夏目くんの言葉が続けて流れ込んでくる。  
「だいたい、気になる男子がいるなら、直接その人に声をかければいいんですよ。ひかり先輩なら、大丈夫ですって」  
 いやだから、今まさにそうしてるんだってば!  
 なんか、だんだん腹が立ってきた。もう頭も混乱しきってしまって、どうしたらこの会話の流れを修正できるのかも分からない。  
 ……こうなったら、奥の手を使うしかない。夏目くんが、悪いんだからね。  
「……そうですか。ともはちゃん、だめですか……」  
「あ、いや、それは……」  
「また会いたかったんですよねー。残念です。六夏ちゃんとも、ときどき話すんですよ。ともはちゃん、どうしてるかなー、って」  
「え」  
「六夏ちゃん、ともはちゃんのこと結構気にしてるんですよね。また会ったら今度こそ決着付けてやる、とか言って。洛高の生徒らしいって聞いて、探したんですけど見つからなくって。私も、あんた何か知ってるでしょって、問いつめられたりしたんですけど」  
「あのう先輩、もしかしてそれで何か……」  
 夏目くんがおずおずと訊いてくるけど、構わずに続ける。  
「六夏ちゃん、ともはちゃんには絶対何か裏がある、とかって。それを掴んだら、きっと何かお金儲けのタネになるに違いないって言い張るんです。全く、しょうがないですよねー」  
「……」  
「私も、ともはちゃんのこと、実はよく知らなくって。でも、六夏ちゃんも大事なお友だちだし。二人には、もっと仲良くなってもらいたいな、なんて思うんです。だから今度、ともはちゃんのこと、六夏ちゃんにちゃんと話して……」  
「……いつ。どこ。ですか」  
 あら夏目くん。そんな嗄れ声、初めて聞いたけど、大丈夫?  
「え。何ですか」  
「いつ、どこで、待ち合わせ、です、か」  
「あの。ともはちゃん、お出かけ大丈夫なんですか?」  
「ですから。いつ。どこで」  
 さすがにそろそろ夏目くんの声が怖くなってきたので、待ち合わせの時間と場所を決めて、電話を切った。なんだか、ちょっとひっかかる成り行きになっちゃったけど、最低限の目的は達したから、とりあえずはよしとしよう。  
 夏目くん、ちょっぴり強引なお誘いでごめんね。でも、きっと楽しいよ。うん。  
 
 
 土曜日のお昼前。待ち合わせ場所に着くと、ともはちゃんがもう来ているのが見えた。やっぱり、ちゃんと約束を守ってくれたんだ。最後の最後でやっぱり嫌だって言われるんじゃないかって心配だったから、とっても嬉しい。  
 私が近づいていくと、その行く手を遮るように、知らない男の人がともはちゃんに近づいて話しかけた。あれ、もしかしてあれって、ナンパっていうの? ともはちゃんは迷惑そうに断ってるみたいだけど、男の人もしつこそう。  
 えっとえっと、どうしよう? 私、ナンパなんてされたことないから、どうしたらいいか全然分かんない。六夏ちゃんがいてくれたら、あっという間に撃退してくれるんだけど。  
 ついつい歩みがゆっくりになった私を、でも、ともはちゃんが見つけてくれた。男の人を無視して、手を振ってくる。それに勇気づけられて、ともはちゃんに走り寄ると、ぴたりと側に寄り添った。  
「ともはちゃん。遅くなってごめんなさい」  
「どういたしまして。あの、そういうわけで、連れが来たので、もう行きます。すみません」  
 ともはちゃんのセリフの後半は、男の人に向けたもの。でも、男の人は私たち二人をじろじろ見ながら「あ、連れもいるの。オレぜーんぜん気にしないよ。かわいーじゃん。てか、3P? マジやべちょーラッキー」とか言って、引き下がろうとしない。  
 嫌な感じ。あの、ところでともはちゃん。3Pって、何ですか?  
「いや、それはどうでもいいですから先輩」  
 ともはちゃんの頬がかすかにひきつってる。なんか、悪いこと訊いちゃったのかな。ともはちゃんは男の人に向き直ると、不機嫌きわまりないドスの利いた声で、  
「いい加減にしてもらえませんか。しつこいと、大声出しますよ」  
 ともはちゃん、かっこいい。男の人もちょっとひるんだみたいだけど、「いや、オレ、気の強い女だーい好き」とか、いやあな薄笑いを浮かべて、ともはちゃんの手を取ろうとした。  
 そんなことさせない。と、思ったときにはもう、私はともはちゃんの腕にしがみついて、男の人からガードしてた。男の人をにらみつけて、叫ぶ。  
「あの! 私たち、これからデートなんです! だからじゃましないで下さい! 行こ、ともはちゃん!」  
 そうして、ともはちゃんの腕を引っ張るようにして歩き出した。それでも男の人が追っかけてくるんじゃないかって気が気じゃなかったけど、どうやら幸い、諦めてくれたみたい。角を曲がったところで、やっと歩調をゆるめた。  
 
「ひかり先輩……」  
 呻き声に視線を上げると、ともはちゃんの困惑しきった顔があった。私もいまごろになって震えがきて、ともはちゃんの腕にすがる。  
「どど、どうしようかって、思いました……。ともはちゃん、大丈夫でしたか?」  
「いやぼ……私はいいんですけど、先輩こそ」  
 私はふるふると首を振る。  
「うん。私も大丈夫。ともはちゃんといっしょだから、もう平気です」  
「そ……うですか。いやしかし先輩……デートって……?」  
「そう言うのが一番いいと思ったんですけど……迷惑でしたか?」  
「いや、そういうわけじゃ……」  
「よかったあ」  
 私は全然問題ないと思うんだけど、ともはちゃんはまだ何か口の中でごにょごにょ言ってる。  
「ひかり先輩、ちょっと性格変わってませんか……? それに、女同士でデートって……間違ってないか……? いやええと、この場合は正しいのか……? いやしかし」とか何とか聞こえたような気もするけど、気にしない気にしない。  
 私は、ともはちゃんの手を引っ張りながら、くるりと身をひるがえして、ともはちゃんと正面から向き合った。  
「ともはちゃん。ありがとうございます、来てくれて。嬉しいです」  
 私がにっこり笑ってみせると、  
「えっ……いやーその……」  
 ともはちゃんは照れくさそうに、ちょっと目を伏せる。  
 うーん。やっぱりともはちゃん、美人だなあ。男の人が寄ってきちゃうのも、分かるよ。綺麗な顔立ちに神秘的な表情が映えて、背が高くってスタイルが良くって、お化粧もファッションもばっちり決まってる。  
 ……でも、その上にその胸は、さすがに反則じゃないかなあ。  
「な……なにか……?」  
 気付くと、ともはちゃんが、腕で胸をかばうようにして、身をよじってた。いけないいけない。羨ましくって、ついじろじろ見ちゃった。けど、その恥ずかしがる仕草の可愛さときたら、ちょっと犯罪的かも。できれば他の人には見せたくないなんて、思ってしまう。  
 
「さっ、行きましょうか」  
 くいくい、と、ともはちゃんの手を軽くひっぱると、ともはちゃんは少しだけ首を傾けて、  
「それで……このあとは、どんな予定で……」  
「あ……そうですね」  
 思わぬハプニングで、すっかり最初の段取りが狂っちゃったから、ちゃんと仕切り直さなきゃ。  
「まずは、お願いしてたクリスマスプレゼントのお買い物をして……あの、お昼はお弁当を持ってきましたから、どこかでいっしょに食べましょうね。それでもし時間が余ったら、いろいろお店をのぞいたり、お茶とか……お礼に、おごりますから」  
 できれば映画を観たり食事したり、もっとデートっぽいこともしてみたいんだけど、慌てない慌てない。今日のところは、あまり欲張らずに自然な流れでいくつもり。  
「はあ」  
 ともはちゃんはというと、いたって気のない返事だった。ちょっとめげたけど、気を取り直して、ともはちゃんを促していっしょに歩き始める。  
 目的地は、専門店がたくさん入ってるショッピングビル。いろんなお店があって楽しめるし、屋外に出なくてすむから寒くない。午後いっぱいくらいは、十分に遊べるはず。  
 そこで、ふと気になっていたことを思い出した。  
「そういえば……操緒さんは?」  
 夏目くんの幼なじみの、射影体の女の子。夏目くんからあまり離れられないはずなのに、さっきから姿が見えない。  
「いますよ。その辺に。ぎりぎり遠くに行っててくれるよう、頼みました。操緒がぴったり側にいたら、分かりやす過ぎますから」  
 そうなんだ。気を使わせちゃったかなあ。周りを見渡したけど、ちょっと見当たらない。そんな私を見たともはちゃんが、  
「あそこですよ」  
 指さした先に、確かに操緒さんがいた。メガネをかけて、髪型もちょっと大人っぽく結い上げてるから、ぱっと見で分からなかったのね。私の視線に気付いて、笑顔で軽く手を振ってくれる。良かった、怒ってないみたい。  
 でもやっぱり、操緒さんが見てるんだ。分かってたけど、ちょっぴり残念。けど、まあ仕方のないことだし、操緒さんともちゃんと仲良くなりたいから、あとで人目の少ないところがあったら、操緒さんにも側に来てもらおうかな。  
「あの……操緒さん、何か言ってましたか? 私とお出かけすること」  
 私がたずねると、ともはちゃんはううっ……と押し黙り、しばらくしてから、長いため息をついた。  
「いいんです。先輩が気にすることはありませんから」  
 なーんか、そう言われるとすごく気になる。でも、ともはちゃんはそれ以上その話題に触れたくないみたいだったから、突っ込んで訊くのはやめておいた。  
 操緒さんのお許しをもらうのに、そんなに苦労したのかな。操緒さんのご機嫌は悪くなさそうなんだけど。ともはちゃんも、大変だね。  
 

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