突き刺さる視線が痛い。
それに堪えられず、善男は挙動不審にしのぶに背を向けた。
「や、やっぱり怒ってますよね…」
「当たり前でしょ?あのお金はこれから二人で生きて行くための支度金だったんだから!」
善男としのぶ。一見親子にも見える不釣り合いな二人が今、いる場所は箱根の温泉宿。
しのぶの提案で狂言誘拐を実行し、事務所から踏んだくった2千万円を、事もあろうか善男は募金に使ってしまったのだ。
しのぶの静かな怒りが善男の背中に突き刺さる。
「僕はしのぶさんとは生きて行かれません。僕は自分で自分の人生の幕を閉じようと決めたんです。
この決意は例え誰が何を言おうと、絶対に揺らぐことはありません…!」
善男が下を向きつつ言うと、しのぶは呆れた様にため息をついた。
それっきり2人とも黙ってしまい、重苦しい空気が部屋に流れる。
「やっぱり許してくれませんよね…?」
どれくらい時間が経ったか、最初に口を開いたのは善男の方だった。
「それは善男ちゃん次第かな〜…」
意外な答えに驚いて振り向くと、しのぶは整えていた爪の先をフッとひと吹きし、大きな瞳で善男を見据えた。
相変わらず何を考えているかわからない女だ、と善男は思う。
愛くるしい幼さの残る顔は、いつでも彼女の本音を隠してしまう。
と、しのぶはいきなり立ち上がり、まるでドラマの台詞を言っているかの様に言葉を発した。
「宵町しのぶは、2千万で喜多善男を買いました!」
しのぶの奇行に善男は訳がわからずに、しばしポカンとする。
「あの…しのぶさん…?」
気でも違ったかと心配する善男をよそに、しのぶは甲高い声で笑いながら善男を見下ろした。
「残念でした♪善男ちゃんは私に買われたんだよ」
「買われた?」
笑いながらよろけて転ぶしのぶを、善男は慌てて抱き留める。
「そう。元々は私が考えて作ってあげたお金を、善男ちゃんは勝手に使ってしまった。
つまり、善男ちゃんは私に借りがあるわけ。だから何でも私の言う通りにしてもらう。
それって私が善男ちゃんを買ったことにならない?」
目茶苦茶なしのぶの言い分に、善男は頭を抱えてしまった。
とてもじゃないが、自分はついていけない、と思う。
「それで一体僕にどうしろ、と?」
「女がさ、男を買うっていったら決まってるじゃん。」
善男が見上げると、しのぶは事もなげに言ってのける。
善男はますます頭を抱えたくなった。自分より20以上歳の離れたオジサンに、この娘は何を言っているんだろう。
「しのぶさん、あの、何ていうか…あなたにそんな事言ってほしくないです…。」
赤面して小さくなる善男を見て、しのぶは楽しそうに笑っている。
「あ〜!善男ちゃん今ヘンな事考えたでしょ!やらし〜!」
キャハハハと笑いながら善男に近づく。
お金の件はもう怒ってないのだろうか?と善男は思った。
「私が欲しいのは善男ちゃんの体じゃないよ。私が欲しいのは」
近付いてきたしのぶは真顔に戻っていた。そして人差し指で善男の胸の真ん中あたりに触れる。
「ここ。」
善男は初めて間近で見るしのぶの顔を美しいと思った。
芸能人じゃなくて、一人の女の子に戻ったしのぶが目の前にいる気がする。
「心だよ、善男ちゃんの。」