「……もり、わき……」
掠れた声で名を呼ばれて、またどくんと胸が高鳴り身体中があつくなる。
その音色には甘さなんて微塵も含まれていないと知っているのに、ちゃちな征服欲を満たす錯覚を見せるに十分の湿度を持っていた。
熱に潤んだ黒い黒い瞳が、うつろにこちらを見上げている。
組み敷いた細い身体は、確かに熱を孕んで森脇を受けいれているはずだ。なのにその瞳はただ虚空を映すのみ。
骨ばった彼の手の動きに反応して、びくりと身体を震わせ吐息を漏らすのに、なぜこうも人形を抱いているようなのか。
常々抱いていた疑問の解答をやっと得て、森脇は眉根をきつく寄せた。
その表情の変化にもまるで頓着をせず、みずほは浅く早い呼吸を繰り返す。
「……ッ、」
ほとんど噛み付くようにかぷりと首筋に歯を立てれば、やはり身を強張らせて声を漏らして従順に反応をして見せるのに、それ以上は嫌がりもねだりもしない。
いっそ激しく森脇を拒否してくれたら、こんなにもみずほを憎まずに済んだかもしれないのに。
白いシーツに沈んだ華奢な身体の、隅々まで手を滑らせて舌を這わす。
この滑らかで透き通るような肌。乱暴に扱ったら折れてしまいそうなほど薄っぺらい身体。長くしなやかな四肢。すべてが作り物のようなみずほは、森脇の理想だった。
ああ、と胸の内で呟いて、唇を寄せる。
はっと眼を見開いたみずほが、素早く顔を反らした。つめたい指先が、森脇の唇に触れて拒否をする。
仕方なく森脇は、その青白くも見えるほほに音をたてて吸いついた。
下肢に手を伸ばせば、彼女の秘所は若干の潤いを持って興奮を森脇に伝えていた。
準備は決して十分でないそこに、指を突き立てる。
「っ、んんっ!」
痛みに身を引きつらせたみずほが、それでも拒否も甘受もせずにただその身体を震わせている。
――みずほ
決して口には出せぬ、愛しいその名を胸の中で幾度も繰り返し呼びながら、内部をかき回すように蹂躙する。
「……あ、や…ん! …………いや、いや…やだ!」
いやだ、とくちでは突っぱねて見せるものの、みずほのそこは、自身からとろとろとあふれ出た密により柔らかく溶け始めていた。
入口で抜き差しを繰り返せば、みずほがいっそう淫らに喘ぎながら身を捩らせる。
急に、みずほがずるりと森脇の愛撫から逃れるように身を引いて、その黒曜石の瞳でじっとこちらを見据えた。
それは、早く彼を寄越せとの無言の命だった。
こんなときでも、彼女は張りつめている。
最高に魅力的だ。
口元を歪めて笑みの形を取り、折れてしまいそうなほど華奢な肩を押してその身体をベッドに沈ませた。
乱暴なその扱いに眉根を寄せた彼女の、ちょうど眉間のあたりに唇を落として期待を高めてやる。
自身のいきり立った性器を、彼女の秘部に擦りつければ、挿入を期待してさらに蜜をあふれさせたみずほの腰が淫らに揺れた。
ぐちゃぐちゃと、卑猥な音をたててみずほと森脇が絡み合う。
「……ぁ、はっ! ん…………も、りわき…や、も…やっ……はやく……っ」
その、焦れたような哀願は本心なのか演技なのか。
森脇には見極めが出来ない。
しかしそこが、またみずほに溺れる要因なのだ。
彼女を知りたい。もっと、知りたい。その仮面を剥ぎ取ってしまいたい。
素顔の彼女を見てしまえば、興味が失せる自分も承知していた。
それでも森脇は知りたかった。
知ることは、手に入れることと同義語だからだ。
ずん、と腰を突き上げた拍子に、あつくぬめる内部へと挿入を果たした。
「あっ……んん、ふ……」
腰を揺らす度に、乱れてあげて見せるこの嬌声はほんとうにみずほの本心なのだろうか。
「……森脇……っ、」
なぜ、そんな顔で手を伸ばして森脇を求めるのか。
この情交は判らないことが多すぎる。セックスとはなんと痛みを伴うのだろう。
「あっ……ああ!」
みずほのあかい唇からいっそう高い悲鳴が漏れて、ぎゅっと埋め込んだ自身の根元が締め付けられた。
最奥で動きを止める。みずほがびくびくと全身を揺らしたのちに、ぐったりと力を抜く。
その様子を細めた瞳で観察をして、同時に律動を再開させる。
「あ、やだっ…ん、んん! や、やあっ……!」
あまいあまい悲鳴を洩らしながら、みずほが森脇から逃げるように求めるように腰を揺らす。
きつく閉じたその眼尻には、涙がにじんでいた。
あつい身体とは裏腹に、冷えた心持ちで森脇は彼女を見下ろしていた。
みずほ、知ってる? 俺があなたを救ってあげたんだ。
みずほ、こっちを見て。
みずほ、俺が欲しい?
俺を求めて。
俺は、あなたのためならなんだってする。どんなことだって。
だから、俺を、
「森脇……っ、もりわきっ……んあッ、は!」
思考は艶やかな悲鳴にかき消された。
腕のなかのみずほは、ぽろぽろと真珠のような涙を流しながら、森脇の名を呼び背をのけぞらせ、息を弾ませる。
ぎゅっときつく握りこんだ森脇の指に、外さないままの指輪が食い込んだがその痛みさえも、甘く胸を刺激したのだった。
*
「おはよう」
いつものクールな声音。クールな表情。きつく結いあげた髪と喪に服した真黒な服。
仕立てのいいその洋服に包まれた華奢な身体が、どれだけ官能的に鳴くか知る人間がこの世にあと何人いるのだろう。
明日あの男が死ねばまた一人減る。
森脇は瞬きの合間に、心地よい想像に浸る。
「何がおかしいの?」
知らず浮かんでいた笑みを自分の前に立ち止まったみずほに指摘されて、慌てて曖昧な微笑みでごまかしていいえと呟いた。
「いえ……ただの思い出し笑いです」
「……そう」
みずほは颯爽と身を翻すと、いつものように革張りの豪奢なチェアに腰をかける。
「……森脇、今日の予定を」
「ありませんよ」
「え?」
デスクを回りこんで、みずほの真横に佇んだ。
くるりと椅子を回転させて、みずほがチェアに身を沈めたままこちらと対峙した。
黒曜石のようにきらめく瞳が、まっすぐにこちらを見上げている。
膝を、みずほの腿のすぐ横に乗り上げた。
このイスは、前社長がわざわざイタリアから取り寄せた、赤字経営の会社には過ぎた調度だ。
身を屈めて唇を重ねる。
みずほは身じろぎもしない。
ただ森脇の唇をそこにあるものとして受け入れている。常とは違うその態度を不思議に思いながら、森脇はあまやかなくちづけを堪能したのだった。
あまくつめたいキスは、すぐに終わりを告げた。
身を起して直立に居住まいを正し、出来るだけ平坦に告げる。
「社長職を、辞任していただきます」
一瞬だけ眉根を寄せたみずほが、黒い瞳を逸らさないまま唇を震わせた。
「今のあなた、最高に魅力的ね」
どうも、と唇を歪めて表情のみで謝辞を述べる。
初めてみずほが森脇を、ほんとうに瞳に映した。
そしてこれが、最初で最後だろうと森脇は予感している。
さようなら、と胸の内だけで呟いて、警察に連行されるみずほを森脇は静かに見送った。
短期間に主が幾度も入れ替わり、無機質な香りの漂う夜の社長室。
最後まで、あのひとは張りつめていた。
脅えていた。弱い自分に。過去の業に。
もっと早くに、己の間違いに気がついて森脇が伸ばしてやった手を取っていれば、違った未来があったはずなのに。
そうは思いつつも、なぜあんなにも頑なに一人で生きて行こうとしたのか、判らなくもない。
自分も、同じだ。これからは孤独との戦いだ。
うまくやれる。俺は身近にいる異性と、関係を持つことで己を保ったりはしない。
主の摩り替った室内で、質感の良い革張りのチェアに身を沈めた森脇は、己の乾いた唇をそっと撫でた。
みずほの柔らかい唇が、思い起こされる。
――最初で最後のキスは、絶望の味がした。
(終わり)