トーマの許婚のアポロニアスは、勇敢な戦士だった。  
数多の屈強な戦翅たちの先頭に立ち、翅無したちや魔物たちを狩る。  
トーマは強い男が好きだった。  
だからそんな強い男であるアポロニアスが好きだったし、  
自分も同じように強くありたいと思っていた。  
 
今日もアポロニアスは地上へと戦翅達を率いて狩りに出ようとしていた。  
今、地上には強力な魔物が現れていて、翅無しどもが大勢その犠牲になっているらしかった。  
翅無しどもがいくら殺されようと、  
同じく補食者である天翅達には彼らに同情心など湧くはずもなかったが、  
翅無しは天翅達にとっても大事な“主食”であり、  
彼らの数が減ることは、天翅達にとってもおもしろい事態であるとは言えなかった。  
そのため元凶である魔物の討伐に、天翅族一の勇者であるアポロニアスが選ばれたのだ。  
トーマはいつもの通り出陣する許婚の見送りに立ち会った。  
そしていつもの通り、  
『わたしも連れて行って欲しい。君には及ばないかもしれないががわたしとて戦えるんだ』  
と許婚にせがんだのだった。  
アポロニアスはそんな自分より頭一つ小さい婚約者の翅髪をぽんぽんと撫でると、  
癇癪を起こした子供を宥めるように優しく言い聞かせた。  
『君はこれから神を宿さなくてはならない。  
そんな大事な身体に万が一傷が付くようなことが起きたら  
種族にとっては大きな損失だし、何よりわたしが悲しい。  
だから君はいつも通り大人しくわたしの帰りを待っていておくれ』  
君はいつだってそうやってわたしを子供扱いして……と  
むくれて口を尖らせる許婚をアポロニアスはたくましい腕で抱きしめた。  
「トーマ……この討伐から戻ってきたら、結婚しよう。  
君もわたしもみんなから尊敬される立派な天翅になった。  
誰からも祝福されるめおとになれるだろう。  
君も、わたしも、そして生まれてくる子供達も、きっと幸せになれると思うよ」  
思いがけないアポロニアスからの求婚に、トーマは目頭が熱くなった。  
アポロニアスが初めて自分から結婚について話してくれたからだ。  
二人は幼いころから一緒だったためか、許婚と定められてからも  
気恥ずかしさからかアポロニアスは意図して結婚の話題を出さなかった。  
トーマは、アポロニアスのその態度に自分とつがいになるのは本当は嫌なのではないか、  
と、よく不安にかられたものだった。  
そのアポロニアスが自ら結婚という単語を口にし、しかもそれが求婚であるなどと!  
文字通り天にも昇る気持ちのトーマは、アポロニアスの腕の中でしばらく泣き続けた。  
 
突然のプロポーズに驚かされ、ある意味上手くはぐらかされてしまったが、  
トーマはアポロニアスと同行し、ともに戦いたいという気持ちをなくしたわけではなかった。  
(アポロニアスはわたしが大事だから連れて行かないというけれど……)  
トーマの思い描く理想のめおとは、アポロニアスの考えているような  
夫が狩りに出て妻子を養い、夫が狩りに出てる間妻が家を守るといった古典的な夫婦像ではなかった。  
トーマはいつだって付き添い、お互いに支え合う間柄こそ理想の夫婦だと思っていた。  
アポロニアスは戦士で、だから当然戦うことが仕事だ。  
そして戦士の妻なら、たとえ場所が戦場であれ連れ添い、ともに戦うことが役目なのだ。  
わたしはそのためにアポロニアスの留守の間、日々剣の修業をしてきたのだから。  
わたしはアポロニアスには及ばないかもしれないが、  
決して弱くはないし、むしろ並の戦翅などは足元に及びもしない。  
今は実戦の経験こそないが、アポロニアスさえ前線に立つことを許可してくれれば、  
きっと役に立つ自信がある。  
そして彼は思うはずだ。  
わたしこそ頼りになる妻はいないと!  
トーマの頭の中には自分の強さに驚き、今まで見くびっていたことを謝罪し  
彼女に感謝するアポロニアスの姿が浮かんでいた。  
アポロニアスはきっとわたしとの結婚の許可をヨハネス様にいただくために  
手柄を立てようと魔物退治を引き受けたのだ。  
ならば尚更、今わたしが彼を助け、二人の未来を勝ち取らなければなるまい。  
トーマは地上へと降りていく許婚の背中を見つつ、自らも翼を広げた。  
 
 
地上へ降りたトーマは許婚の残していったプラーナの気配を追いつつ、その場へと向かった。  
途中、件の怪物に破壊されたのであろう、廃墟と化した翅無し達の集落で、  
何体もの無残な翅無し達の屍を目にした。  
それらは形容するのもおぞましいほどの残骸で、トーマは恐怖を覚えた。  
(だけど……アポロニアスは今きっと怪物と戦っているんだ。  
わたしが彼の助けになってあげないと……!)  
トーマはアポロニアスへの強い思いで恐怖を押し殺した。  
震える指先をまだ生々しい鉄臭を放つ翅無しの血に浸し、赤くそまった先端で唇に紅を引く。  
それは彼女なりの戦化粧だった。  
『アポロニアス、待っていてね』  
 
トーマがアポロニアスらの気配を追い、  
アポロニアスが怪物と対峙していた場所へたどり着いたとき、すでに決着は付いていた。  
あたりに散らばる血、肉片。  
そして翅、翅、翅。  
地に倒れ伏していたのはトーマの同朋である戦翅達だった。  
彼らはいずれもアポロニアスにこそ及ばないが、  
天翅族の名だたる剛の者達ばかりである。  
そんな彼らのこのような姿はにわかには信じられなかった。  
だが次の瞬間、彼女は今度こそ自分が見ているものが現実なのかどうかを疑った。  
アポロニアスが、彼女の許婚が、無数の蔓のようなものによって宙づりにされ、  
蓑虫のように締め上げられていたのだ。  
そのがっくりとした様からは意識があるのかどうかさえ窺うことが出来ない。  
『アポロニアスっ!!』  
トーマはすぐに許婚に飛び寄ろうとした。  
だが、何故か身体が宙に浮かない。  
重力が重い足枷となって彼女を地面に縛り付けていた。  
この不可解な状況にパニックを起こしそうになりながらも、  
トーマは懸命に愛する許婚を救う手段を考えていた。  
飛べないならば、彼を戒めている元凶を直接断てばいい。  
トーマはレンシが彼女のために精を込めて作り上げた剣を抜いた。  
そしてアポロニアスを吊り上げる蔓の根元……それに目を向けた。  
その瞬間、トーマはあろうことか神聖なる口から悲鳴をあげていた。  
 
……数百本の触手がまるで毛糸玉のように絡み合って球体になり、  
その球体の中心にイソギンチャクのようなグロテスクな大きな口を備えた異形の姿……  
 
天翅族は同朋にも容姿が奇なる者達が多数いるため、  
いわゆる奇形と呼ばれるような外容の者を目にしても、嫌悪感を抱かないのが普通である。  
そんな一般的な天翅の感性を持つトーマでさえ、それは吐き気を催す程の醜悪さであった。  
そしてトーマは本能的に察した。  
この異形の容貌の主こそが、翅無したちと地に横たわる戦翅達を殺害せしめ、  
トーマの許婚をこのような目にあわせた元凶であると。  
『貴様ぁ!よくもアポロニアスを!!』  
一瞬萎縮してしまったトーマであったが、すぐに闘志を取り戻し  
抜いた剣を怪物へと向け直す。  
すると何故か剣が重い。  
決して非力ではないトーマであったが、その重さは尋常ではなく  
持つだけがやっとで、振りかぶることなど到底出来そうにはなかった。  
『くっ……!一体なにがおこっているんだ!!』  
「……ト、トーマ。トーマなのか?」  
頭上から愛しい許婚のかすれた肉声が響いた。  
『アポロニアス!だ、大丈夫なのかい?今助け……』  
「来るな!」  
駆け寄ろうとするトーマを、力強い声が制止した。  
「おまえだけでも逃げろ、トーマ。こいつは……」  
 
アポロニアスが言い終わる前に、トーマは無数の触手に囲まれていた。  
『なんだお?この女、おまえの彼女かお?』  
トーマの頭の中に直接声が聞こえた。  
それは天翅の翅音とは明らかに異なる念話だった。  
『なっ!だ、誰だ?姿を現せ!』  
その瞬間、トーマを取り囲んでいた触手がいっせいに彼女の身体に纏わり付いた。  
『や、やめろ!汚らわしい!わたしに触れるな!!』  
トーマは触手に拘束されまいと、翅をはためかせ神話力を開放しようとする。  
が、やはり何故か翅の力を使うことが出来ない。  
思いの他俊敏な動きの触手は、瞬く間に彼女の身体を締め上げていた。  
「やめろぉ!トーマにだけは手を出すな!」  
アポロニアスは残された力で、  
ありったけの抵抗をして自分の身を拘束していた触手を振りほどこうとした。  
しかし彼の身体を締め上げる触手の万力のような剛力の前に  
満身創痍の守護天翅はなすすべもなかった。  
アポロニアスとトーマ、愛し合う二人の懸命な抵抗も虚しく、  
トーマの身体は触手によって引きずられ、触手の本体である触手玉の前に連れていかれてしまった。  
目前に迫る異形の口腔。  
もしや自分はこのままこの怪物に補食されてしまうのだろうか?  
無意識にトーマはカチカチと奥歯を鳴らしていた。  
彼女は生まれて初めて被補食者としての恐怖を感じていた。  
『ふーん……あのおっさんの彼女にしては中々の美人さんだお。  
もったいないくらいだお。  
フケ顔のくせして生意気だお。  
むかつくからちょっといたずらしてやるお』  
怪物の口が大きく広がりそこから漏れ出したあまりの臭気  
(トーマは知らなかったが、それは汚物の臭いだった)、  
に、トーマは吐き気を催した。  
『頭に翅が生えてるなんておまえおもしろい奴だお。  
ちょっと触らせてみろお』  
次の瞬間、トーマの後頭部は怪物の口に飲み込まれていた。  
「ひぃいぃいい!!やめろぉお!!!  
食べるなぁ!食べないでぇ!!」  
トーマは補食される恐怖のあまり、またもや翅音を忘れ神聖な口で叫んでいた。  
怪物の異臭を放つ口腔にに、天翅にとっての命である翅を侵食されているのである。  
正常でいられるはずがなかった。  
生暖かくぬるりとした怪物の口中の感触のあまりの気持ち悪さに、  
トーマは泣き出したくなるのを必死に堪えていた。  
 
『ぴーぴーうるさいメスだお。  
別に食べたりしないお。  
ちょっと触ってみるだけだお』  
怪物の巨大な舌が、ぬるりと円を書くようにトーマの頭を撫でた。  
「ひぃ!だ、だめだ!翅は……!」  
ぬるぬるとした舌が翅を揉むように撫でる。  
巨大な歯が翅を甘く噛む。  
繊細な神経の詰まった器官である翅が、トーマに不快感とは違うある感覚を呼び起こさせる。  
気がつけば、トーマは舌や歯で刺激を受ける度、びくびくと身体を跳ねさせていた。  
「ひ、ひぎぃ!も、もうっ……やめてぇ……!」  
『ん、おまえ……もしかして感じているのかお?』  
「ち、違っ……そんなわけ……」  
トーマは必死に否定したが、内心では事実であると認めざるを得なかった。  
醜い怪物に翅を攻められ、トーマはあさましくも性感を得ていたのだ。  
「トーマ、おまえ……」  
「アポロニアスっ!違う!違うの!わたし感じてなんかない!」  
『それはどうかお?なんだかさっきからメスの匂いがプンプンしてるお』  
トーマの身体を拘束していた触手が、彼女の纏っている分厚いローブを捲り上げた。  
あらわにされた秘所はぬらぬらと光る体液で濡れていた。  
『ほら言ったとおりだお。やらしい汁がこんなに出てるお。  
自分の目で見てみるがいいお』  
「ひっ!」  
触手の一本がトーマの性器を軽く掠める。  
それだけでその先端にはとろりとした液体がたっぷりと付着していた。  
『見えるかお?この汁はおまえが漏らしたんだお』  
「ち、ちがぁ。こんな、わたしはこんな……」  
『彼氏の目の前で散々ひんひん言っておいてまだ認めないのかお。  
まったく強情なメスだお』  
天翅族の聖母たる聖天翅として、そして守護天翅の妻になる者としての矜持が  
それを認めることを頑なに拒んでいた。  
「わ、わたしは天翅族の聖天翅トーマ・エパノルト!守護天翅アポロニアスの妻だ!  
どんな恥ずかしめを受けようと貴様のような下等生物に屈したりはしない!」  
『……聖天翅!?おまえ聖天翅なのかお!?』  
トーマの口から出た“聖天翅”という単語に、魔物は何故かひどく驚いていた。  
『地上で聖天翅を捕獲出来るなんておいら最高にツイてるお!神に感謝だお!』  
怪物の不気味すぎる喜色混じりの念話に、トーマとアポロニアスは嫌な予感がした。  
そして、その予感は的中した。  
『おまえら二人とも殺そうと思ってたけど、予定変更だお。  
おいら今から聖天翅たんと結婚するお。  
これからおいら達は夫婦の契りをするからフケ男は見届け人として見てるがいいお』  
 
 

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