オトハの庇護下、赤子達も日々少しずつ成長している。
転がしておいた時、以前なら這って移動していたトーマも、最近では自分から浮いて
あたりをちょろちょろと漂う回数が増えてきた。
アポロニアスは基本は転がりっぱなしだが、たまにトーマが手を引いて促せば浮く。
――やればできるのにやろうとしない、怠惰の塊。
モロハに毒づかれたことがあるが、否定はできない。
先のチンコ絡みの一件でも、アポロニアスは予想外の動きでトーマから逃げ回ってみせた。
オトハ自身思い出すだに情けない失態だけれど、アポロニアスが意外と動けることと、
トーマ相手でも嫌なことは嫌と主張できるとわかったのがせめてもの収穫か。
アポロニアスのトーマへの態度が特に変わっていないのにも救われている。
むしろ前より親密かもしれない。
以前はされるがままだったアポロニアスだが、今はトーマが抱きつけば抱き返し、
膝に乗せるようにして抱えたりしている。
おしめ姿でくっついて転がっているのは実に微笑ましい光景だ。
微笑ましくも可愛らしいが、しかしそろそろ衣を着せなくては、とオトハは思案していた。
いつまでも上半身裸でいるわけにもいかない。
トーマに何を着せようかと考え出したら楽しくなってきて、オトハはひとり浮かれた。
もう片方の赤子のことはすっかり忘れて。
思い立ったが吉日とばかりに、その日のうちにオトハは布を取り寄せた。
まだ赤子でもあるしと濃い色調は避け、淡い色合いのものを中心に何十枚と広げていく。
残りは傍らに積んだが、それも結構な量だ。さらに追加が来ることになっている。
その前に何点か決めてしまおうとオトハは俄然張り切った。
片端からトーマにあてがい、どれも似合うとうっとりする。
最初はトーマも大人しくしていたが、しばらくするとじっとしているのに飽きたのか、
肩にかけられた布を落として宙に浮きかけた。
「お疲れですか? 少し休憩しましょう」
オトハがトーマを少し持ち上げてから手を離すと、布の輪の外へとふわふわ漂っていった。
行き先はオトハの目下の悩みの種・どの色も似合いそうにないアポロニアスだった。
半目で鼻をほじっている許婚に、トーマが笑顔で抱きつく。
オトハはため息をついて側に行き、アポロニアスが鼻をほじる手を取り上げて拭いた。
すかさずアポロニアスは、もう片方の手で鼻をほじりだす。
そちらの手も取り上げてしまい、まとめて拭きにかかった。
「いい加減にしないと、鼻の穴が大きくなってしまいますよ?」
「好きなだけやらせてやればいいだろう」
オトハの小言を遮ったのは大量の布を傍らに浮かせたモロハだった。
「止めて鼻の穴が小さくなるわけでもなし。仮になったとしても、所詮は不細工」
オトハはむっとしたが、言い返すこともできず、鼻糞を拭っていた布を脇にやった。
「わざわざ申し訳ありません。モロハ様ともあろう御方に使い走りをさせてしまうなんて」
「気にせずともよい。こちらの方についでがあったからな」
ついでなどなく大本命であることは微塵も匂わせない。
オトハの下を訪れるべく、端仕事を命じられた天翅から強引に布を奪い取ってきたのだ。
「ありがとうございます」
そう言って受け取ろうと伸ばしたオトハをかわし、モロハは頭上に布を持ち上げた。
つられて上方に伸ばした両腕をそのままに、オトハは上目遣いでモロハを軽く睨む。
そんな表情も可愛いとやにさがる男は、すぐには寄越してくれない。
「モロハ様?」
改めて手を掲げる仕草に、乳房が少し揺れるのが布越しにも見て取れる。
まだ見ていたかったが、本格的に機嫌を損ねるつもりはない。ほどなく下ろした。
「子供じみた真似はなさらないで下さい」
素早く布を抱え込んで、オトハはそっぽを向いた。
どさくさまぎれに体を触ったりはしなかったモロハの律儀さなど、察してくれそうにない。
律儀といっても、決して誠実さに由来するものではなかったけれど。
触るとしたら姑息な真似はせず、時間をたっぷりとって本格的に口説く時と決めているからだ。
決めているのはモロハだけで予定は未定、という情けない現実は見ないことにしている。
見れば赤子達に八つ当たりしたくなること間違いなし。
アポロニアスもトーマもほんの赤子、自力ではろくに何もできないのだから身の程をわきまえて
大人しくしていればいいものを、余計なことをしてはオトハの手を煩わせ、時間を奪う。
いまもオトハの目が離れたのをいいことに、アポロニアスは両の鼻の穴に人差し指を
一本ずつ入れて思う存分鼻ほじりを満喫していた。
「これ、いけません」
オトハが穏便にやめさせようとするのに、ぬるいと苛立ったモロハは、つい手を出してしまった。
「いい加減にしろ」
後頭部をはたかれ、アポロニアスは身を折って苦悶した。
それほど強い力ではなかったのだが、はずみで指が二本とも鼻の穴に深く突き刺さり
すぐには抜けなくなってしまったらしい。
「モロハ様!――ゆっくり抜きなさい。慌てずに、そっと」
こんな鼻くそ赤子は放っておけば良いと思っても、今のは自分のせいだから言うに言えない。
かいがいしくオトハが世話を焼くのが面白くなくて、モロハは傍らの布をかき回し始めた。
「トーマにはこの辺りでいいだろう」
手早く見繕うと、アポロニアスにへばりついていたトーマの足首を掴んで強引に引き離した。
そしてばさばさとトーマの肩にかぶせていく。
もうそんな気分ではなくなっていたトーマは、最初の一枚は両手を振り回して嫌がったが、
次々と掛けられるのに諦めたか、すぐに大人しくなった。
ふくれっ面の赤子とは対照的に、オトハは相好を崩し両手を胸の前で組んだ。
「見事なお見立てですわ。さすがモロハ様」
がさつな言動とは裏腹に、こういうところで外さないモロハを、オトハは素朴に賞賛した。
もちろん、下心があってのことだ。
「ついでと申し上げては失礼ですが、その……」
ちらりとやった視線の先には、まだ痛むのか両手で鼻を押さえているアポロニアスがいた。
「どれも似合いそうにないから持て余していたのか」
ずばりと言われ、オトハはバツの悪さを隠さずに頷いた。
「それこそ適当でいいだろう。どれも似合わない、即ち、どれでも同じということだ」
とは言いながらも、モロハにもオトハの苦悩は理解できなくもない。
そもそも届けられた布からして、トーマのことしか考えられていないのが丸出しだった。
きらびやかなのもあれば柔らかな色合いのもあるが、いずれもアポロニアスが纏った日には
道化にしかならないのが目に見えている。
そこでモロハは一つ思いついて、白地の布を取り上げた。
少し待つように言い残し、一旦その場を去る。
残されたオトハは、あれでは寂しいし何よりおしめと大して変わらない気がすると
思ったけれども、モロハのセンスを信用して大人しく待つことにした。
さほど時間を置かずにモロハは戻ってきたが、携えた布はところどころ赤く彩られていた。
漂ってくる香りを遮るべく、オトハはそっと衣の袖口で鼻を覆った。
白かった布を何で染めたのか、天翅族ならば誰でもわかる。
「……赤子には、刺激が強いかと」
昂ぶりを押し隠して懸命に平静を装うオトハに、モロハは良いものが見られたとほくそえんだ。
「どうせなら、全力で笑いを取りに行こうかと思ってな」
広げた布には適当丸出しで円が殴り描きされていた。
「殺めたのですか?」
翅無しなどいくらでも補充は利くが、赤子に着せるには生臭すぎるとオトハがためらう。
「殺してはいない」
モロハは端的に答えた。どついて鼻血を出させただけだ、とも言わない。
鼻くそ赤子には鼻血が似合いだと思いながら、翅無しを逆さに持って筆のようにして描いたのだ。
まだ完全に乾いてないそれに惹かれてか、アポロニアスとトーマも揃って鼻を鳴らし
目を見開いている。
モロハはアポロニアスを摘み上げると、手早く布を下肢に巻きつけてトーマの隣に戻した。
目を細め、陶然とする赤子達を見て、オトハはしようがないとばかりに溜め息をついて
布を片付けにかかった。
「こやつらのことは見ておくから気にせずともよい」
しょっちゅう振り返っては赤子達を気にするオトハに、モロハが手を振りながら告げる。
今ひとつ信用できないと思いながらも、さっさと終わらせるべくオトハは頷いて一旦背を向けた。
モロハの眼下、アポロニアスとトーマはいつものようにくっついていた。
アポロニアスの背後からトーマが抱きついて、翅を触れ合わせている。
いつもと違う点を探すなら、トーマの手がアポロニアスの下肢を覆う布の下にもぐりこんでいるところか。
モロハはオトハがこちらを見ていないのを確かめてから、ひょいと布をめくった。
トーマの両手はおしめの中に入り、なにやらもそもそと動いている。
気が進まなかったが、おしめに指をかけて中をのぞくとトーマの両手はアポロニアスのチンコを掴み
やわやわと揉むような動きをしていた。
アポロニアスはといえば、だらしなく口を半開きにして鼻の穴を広げている。
まだ勃起こそせぬものの、一応感じてはいるらしい。
どのみち広がるのか……とくだらないことを考えていたら、トーマが両の手を広げて
アポロニアスのチンコを覆い隠した。
そしてアポロニアスの肩に顔を乗せ、唇を引き結んでモロハを睨みつけてくる。
誰が取るか馬鹿、と呆れながらモロハは手を引いた。
「せいぜいオトハに見つからぬようにしておけ」
モロハの忠告は、二重の快感に酔いしれたアポロニアスには届かず、トーマは余計な
お世話とばかりに唇を尖らせた。
「モロハ様?」
「なんでもない」
振り向いたオトハを誤魔化しつつ、モロハは己の情けない役目に嘆息した。
「そうか、もうそんなことをするようになったか」
モロハの報告を受けたヨハネスは、実に嬉しそうだった。
「しかし、色気づくにしても早すぎるのでは」
苦々しげなモロハを、ヨハネスが一蹴する。
「何を言う。早いに越したことはない」
「それにしても、あれはないかと」
赤子のアポロニアスのチンコが、すでに大人と変わらぬ形状を備えているグロテスクさに
異を唱えてみたが、女児の方がませるのは早いからあれでよいのだ、といなされた。
確かにトーマの方がませている、と睨み付けてきた紫の瞳を思い出す。
あの様子なら万が一にも他の男の種を宿すことはないだろうから、あれもまた
ヨハネス的には正しいのだろう。
執着されるアポロニアスの将来を思うと、いささか同情せぬでもないが。
そしてオトハがあの十分――いや、百分の一でもいいから、自分に執着してくれたらと
密かに憂うモロハだった。
―――おしまい―――