むかしむかし、まだ天翅の子供がうじゃうじゃいたころ
アトランディアにそれはそれは美しい赤子がいました
トーマと名づけられた赤子は仕草や声までもが愛らしく
おとなの天翅たちはこぞって可愛いともてはやす
けれどひとつだけなさけないことは
トーマは男の趣味がわるかったのです
しかもあるときトーマは許婚と体が違うのに気づき
チンコと玉袋に興味を示しはじめました
その結果ぶさいくな天翅と呼ばれていたアポロニアスは
不幸な事故に出会います
抵抗は一度もできませんでした
そしてアポロニアスは自らの力及ばず
オトハと共に居合わせたモロハに助けられ
トーマの両手から逃れました
アポロニアスのチンコが心配になったオトハは
とりあえずモロハに相談しました
モロハは当てにならず
オトハは自らの失態を責め
もっと頼りになる天翅を訪ねました
血相を変えて訪れたオトハを、シルハは香箱を作ったまま迎えた。
その泰然とした姿を目にしてオトハの肩から少しだけ力が抜ける。
「珍しい組み合わせだな」
トーマとオトハは当然として、アポロニアスとモロハの組み合わせは確かに珍しい。
もっとも、それぞれ赤子の扱いは実に対照的だった。
オトハは泣きじゃくるトーマをしっかりと抱きかかえ、時折目をやっては
軽くゆすってあやしていた。
一方モロハは、アポロニアスを気遣うつもりはないと宣言するかのように
背中とおしめの間に指先を引っ掛け、荷物のようにぶら下げている。
「トーマがどうかしたのか」
「いや、トーマではなくこれの方だ」
これ扱いをされたアポロニアスは、膝を抱えて団子虫のように身を丸めていた。
モロハは先ほどの状況を手早く説明し、アポロニアスのチンコと玉袋に異状がないか
診てくれと偉そうに頼んだ。
「体をつつけば動くから大丈夫だと言ったんだがな」
自分の見立てでは不服らしいとモロハが続けると、シルハが頷いてみせた。
「死なぬまでも、用を成さなくなることもある。それが心配なのだろう」
恐ろしいことを淡々といってのけられ、オトハは愕然とした。
「恥ずかしながら、そこまで思い及びませんでした」
ヨハネスより預かった大切な子達。
己だけは差別してはいけない、可愛がるなら公平にとむきになっていたくせに、
身の安全も確保できていなかった。可愛がる以前の問題だ。
「そう気を落とさずとも。まずは診てからだ」
シルハは前足を伸ばし、モロハが無造作に投げた赤子を受け止める。
「なるほど、痛がっている様子はないな」
「だろう? いじけているだけだ」
モロハは腕組みをしてアポロニアスを見下ろした。
「そうだとしても、何に対してかが問題だ」
シルハは前足の爪で器用におしめを外し、肌を傷つけることなくフリチンにした。
そしてアポロニアスの全力の抵抗を無視して強引に膝頭をこじ開ける。
何をされるかわからないという怯えと、先刻の壮絶な痛みの記憶。
そんな許婚の思念をまともに受けて、トーマは火のついたように泣き出した。
見ていてモロハも同情を禁じえなくなる。
「これが被害者の振りをした加害者というやつか。泣きたいのはあれの方だろう」
アポロニアスは、チンコと玉袋を診終わったシルハに体を引っくり返され、
尻の穴まで検分されていた。
しばらくしてシルハは赤子の両脚をそろえ、特に異状はないとオトハに告げた。
「しばらく様子をみて、具合が悪そうならまた連れてきなさい」
やっと解放されたアポロニアスは暴れて疲れたのかぐったりとしていた。
シルハが手際よくおしめを当て、ついでお座りをさせてからポンポンと頭をなでると、
ようやく我に返って辺りを見回す。
やがてオトハに目を止めると同時に、露骨に体を強張らせた。
「やはりな」
シルハは重々しく呟いた後、オトハを前足で招いた。
近寄るとアポロニアスの背の翅が勢いよく広がり、少しずつ体が浮きあがる。
そのまま遠ざかろうとしたけれども、モロハに捕えられて叶わなかった。
「逃げるな」
そう言ってモロハはアポロニアスをオトハの胸元、トーマの眼前につきつけた。
「あー」
ようやく帰ってきた許婚にトーマが無邪気に手を伸ばす。
しかしながらその手は、アポロニアス本人によってびしりと叩かれた。
「あ、あ」
痛みに涙ぐみながらトーマは再度手を伸ばしたが、
アポロニアスは頭も手足も振りまわして全身で退けようとする。
オトハの知る限り、いまだかつてアポロニアスがトーマを拒んだことはなかった。
「うすのろ馬鹿と聞いていたが、誰のせいで痛い想いをしたかは覚えているようだな」
モロハの言葉に、シルハが尻尾をばたりと打ち鳴らす。
「トーマのせい、か。直接的にはそうかもしれぬな」
では間接的にはどうなのかなどと聞けるはずもなく、モロハは明後日の方を向いた。
「………私の、せいです」
オトハがほろほろと涙を流し、モロハが慌てる。
「大した怪我もなかったのだ、この馬鹿が忘れればすむことではないか」
モロハはアポロニアスを抱えたまま、オトハからトーマをもぎ取った。
「いつまでも根に持つな。仲直りでも何でも―――あ」
強引に対面させる寸前にアポロニアスが宙に逃げだした。
普段あまり動かず、たまに動いてもゆっくりだったために、どうももっさりした印象が
ぬぐえなかった。まさか隙を突いて逃げるとは。
窮地に追い込まれ、隠していた爪をついに出したかと感心しかけたモロハだったが、
ほどなくして目を覆った。
機敏には程遠い動きも、赤子では致し方ない。
一番もどかしく思っているのはアポロニアス自身だろう。
しかし、せっかく逃げておきながら、なかなか前に進めず、いつまでたってもこうして
目の前をもたもたと漂われると、だったら最初から逃げるなと言いたくなってくる。
先ほどの驚きを返して欲しい。
「ええい、往生際の悪い」
根が短気なモロハは、アポロニアス目がけてトーマを放り投げた。
「モ、モロハ様!」
オトハの存在を忘れ、ついやらかしてしまったことに気づき、慌ててごまかしにかかる。
「トーマは甘やかされ過ぎだ。たまにはいい薬だろう」
投げられたトーマはアポロニアスに向かって懸命に宙を漕ぎ出した。
一見、おしめ姿の天翅がよちよちと戯れる、実に微笑ましい光景だ。
しかと見れば、両者の熱意と焦燥がひしひしと伝わってくるのだが。
必死で逃げ回っていたアポロニアスも、診察時に暴れた疲れか、
それとも平生の運動量の差が出たか、次第にトーマに距離をつめられ、
ついにオトハの背後で力尽きた。
「あー」
トーマは歓声を上げて捕まえようとしたが、いきなり引き戻されて叶わなかった。
おしめに爪を引っかけたシルハによって阻まれたのだ。
シルハは、不服そうなトーマをそのまま引き寄せ、うつ伏せにして前足で押さえ込んだ。
もがいても泣いても足をゆるめない。
「しばらく、アポロニアスを預かろう」
シルハの提案に、オトハは顔色を失くした。
「責を問うのではない。だが、いまもトーマが近寄るのを恐れていただろう」
「無理もない」
いつになくアポロニアス寄りのモロハに、オトハにはわからぬだろうが
それほどまでに苦しいものなのだと言われたような気分になる。
自分が味わうことの出来ない苦痛を軽く見るつもりは毛頭ないが、
シルハやモロハからするとてんで分かっておらず、もどかしいのかもしれない。
「アポロニアスがどうでもよければ、一緒にしておいても構わぬが」
「どうでもいいなどと、決してそのようなことは」
「ではトーマが泣いて恋しがっても、アポロニアスのためと我慢をさせられるか?」
ぐっと詰まるオトハをよそにモロハが茶々を入れる。
「仲は悪くないようだが、まだ赤子の身で恋しがるもなにも」
「では、執着とでも言い換えよう。トーマにとってアポロニアスは、常に共に有り、
甘えても手加減無しに殴っても態度を変えずやり返しもしない、実に都合のいい玩具だ。
容易に手放せるはずもない」
「なるほど、女主人と奴隷か。赤子の分際でやるな」
変に納得したモロハの脛を、シルハの尾がびしりと叩く。
「どちらがより可愛いのかは聞かぬ。ただ、いまは離した方がよかろう」
そういってシルハは足元のトーマを見下ろした。
トーマはぐずぐず泣きながらも、まだ大きな足から逃れようと頑張っていた。
「こいつはまたえらく諦めが悪いな」
「行く末が楽しみではないか。だが」
面を上げたシルハの眼差しは、オトハの後に隠れたアポロニアスに向けられていた。
「ああ。あれでは駄目だ。使い物にならん」
戦翅の顔をちらりと覗かせたモロハに、オトハはぐっさり傷ついた。
モロハはいつも不細工だの老けてるだのとアポロニアスを嘲うけれど、それらはすべて
物の数にも入らない赤子相手だからこその冗談だ。恐ろしく性質は悪いが。
しかし今は、アポロニアスの容姿ではなく将来性を否定した。
これもまた己のふがいなさゆえとオトハは力なく項垂れた。
非常に高い能力を持つ天翅であるシルハとモロハが、揃ってアポロニアスに
低い評価を下したのは痛かった。
危険な目に遭わせてしまったと落ち込んでいたところだったから、なおさら応える。
やはり自分には荷が勝ちすぎたのか。
アポロニアスもシルハに預けられた方がいいのだろうか。
しばらくの間といわず、大人になるまでずっと。
シルハが無理でも他の然るべき天翅に、できるだけ早く変えてもらった方が。
物思いに沈んでいたオトハだったが、急に後ろから引っ張られて我に返った。
振り向けば、アポロニアスが裾を掴みながら上を向いていた。
すっかり忘れていたと焦るオトハの裾を再び引いてじっと見つめてくる。
これは抱き上げてもらいたい時の顔だ。
オトハはしゃがんで赤子を胸に抱いた。アポロニアスは涙で汚れた顔をオトハの
胸の谷間にうずめ、洟をすすり上げてだらだらと甘えて泣いた。
非常に珍しいが、単にいつもはトーマに先んじられて割り込めなかっただけかもしれない。
喜怒哀楽がわかりづらいし、追いすがることもしないから淡白な子だと思っていたが、
ちゃんと懐かれていたようだ。
今も、最後の砦にオトハの裾を選んだ。普段から後回しにされても、あらゆることが
トーマのついででも、この場で頼りになるのはオトハしかいないと思ったのか。
どれほどふてぶてしく見えようとも、まだ無力な赤子なのだ。
守ってやらねばなるまい。アポロニアスを、そしてトーマを。
どちらも大切なオトハの養い子だ。まだしばらくは手離さない。引き離すつもりもない。
オトハは気合を入れてアポロニアスを胸元から引き剥がした。
必死で空を掻く赤子を、強引に頭布の下に押し込んで背負う。
ちゃんとしがみついてくるのを確かめ、支えた手のひらでおしめの辺りを軽く叩いた。
「せっかくのありがたいお話ですが、連れて帰ります」
きっぱりと言い放つオトハを見て、シルハは笑いながら前足を緩めた。
「子育てに疲れたら、いつでも預けに来るがいい」
やっと抜け出せたトーマは、へろへろになりながらも宙に浮いた。
「別々にするのではなかったのか」
一人でも減ればその分オトハの時間が空く、という目論見が外れてしまい
モロハは苦々しく呟いた。
「残念だったな」
笑顔でトーマを迎えるオトハは、まだしばらくは赤子達に夢中で
誰かの下心になぞ気づきもしないだろう。
「あー」
トーマの思念に、背中のアポロニアスがびくりと震える。
頭布ごしに尻や腿を軽く叩いて背中のアポロニアスを落ち着かせながら、
オトハはトーマを片手で抱きかかえた。
一度に抱えてみて、これまでいかにアポロニアスを蔑ろにしてきたかを実感する。
オトハの感慨をよそに、トーマはいつも通りに胸の谷間に顔を埋めた。
そのまま頭を左右に振って乳房の弾力を楽しんでいたが、ふと動きを止め
指で乳房を軽く押した。繰り返し押しながら、じっとオトハを見上げる。
トーマがつついていた箇所を見ると洟で汚れていた。
さきほどアポロニアスをあやした時についたのだろう。
「あ、あ」
どうやらトーマは洟水を見てアポロニアスのことを思い出したらしい。
オトハの胸から伸び上がるとすぐに背中の不自然な膨らみを見つけ、手を伸ばした。
けれど、その手はアポロニアスには届かなかった。
オトハは何食わぬ顔でトーマを引きおろし、小さな手を前に戻した。
「ぶー」
抗議しつつ再びトーマは挑み、オトハもまた退ける。
「いつまでやる気だ」
あきれるモロハを無視して、オトハはトーマとの攻防を続けた。
諦めの悪さに関してはシルハとモロハの御墨付きを頂戴してしまった赤子だ。
終わりは見えないが、オトハも今回ばかりは折れないと決めた。
だが、思ったより早くトーマの心が折れた。
味方のはずのオトハが延々邪魔をするのもきつかったのかもしれない。
「あー」
トーマは半泣きでオトハにしがみつき、小さな拳でぽかぽかと胸を叩いた。
自分のものを、背中に隠したアポロニアスを寄越せとごねているのだ。
ここでアポロニアスを突き出すのは簡単。けれど、それは違う。
「トーマ様」
顔を紅くしてしゃくりあげるトーマと、じっと目を合わせた。
すみれ色の瞳は涙で潤み、淡いばら色の唇が小さく震えている。
愛しさに胸がつまって危うくほだされそうになるが、ぐっとこらえた。
「乱暴はいけませんと申し上げましたでしょう」
「あーう」
頭をぷるぷるさせるトーマに、オトハは続ける。
「そのつもりがなくたって、相手が痛がったら暴力です。
もし間違ってやってしまっても、次からはもうしてはいけません」
「うーっ」
オトハが言い聞かせても、なおもトーマは頭を振り続けた。
「言ってもわからぬだろう」
モロハがぼやくと、オトハはきっと振り向いて眦を吊り上げた。
「ある程度は分かります。だから戯言はお止め下さいといつも」
「わかった、悪かった。それよりトーマの奴が」
か弱げに泣きじゃくりながらも、しっかりオトハの隙を窺っていたトーマは、
体を下にずらして脚を伸ばし、器用にアポロニアスの爪先を突いている。
「トーマ様! まだ話の途中です!」
かっと四つの目を開いたオトハに、トーマは体を硬直させた。
これまでにないきつい叱責は背中のアポロニアスをも縮こまらせる。
上二つの眼をすぐに閉じ、オトハはいつもの柔らかな思念でトーマに呼びかけた。
「もう乱暴はしませんね」
表情をこわばらせたまま、ふるふるとトーマが頷く。
「それでは、仲直りをしましょう」
トーマを目の前に浮かせておいて、背中のアポロニアスをはがしにかかった。
ずっとへばりついていたし苦労するかと思ったが、まだ衝撃に固まっていたせいで
わりと簡単に外れてくれた。
向かい合わせにしてから、それぞれの右手をとって重ねあわせる。
ぎしぎしと音を立てそうにぎこちないアポロニアスに対し、
トーマは既に立ち直って笑顔で許婚の手を握りこんだ。
「あー」
愛らしいと評判の笑みにもアポロニアスの緊張は解けることなく、
ぎゅっと眉を寄せてうつむいた。
尻を少し後ろにずらし、左手を口元に持っていって親指をしゃぶり始める。
「嫌そうだな………おい、何本咥える気だ」
アポロニアスはしゃぶる指を少しずつ増やし続け、最終的には拳を口に入れていた。
「それだけストレスが大きいのでしょう」
半分べそをかいて左の拳をかじりだしたアポロニアスに、その右手をしっかり握った
トーマがにじり寄る。やがて隣に座ると、並んで体を押し付けた。
アポロニアスが顔を背けても構わず、手を繋いだまま覗き込む。
そして拳をかじるのを真似てか、アポロニアスの右手を自分の口元に持っていった。
きつく噛んだらすぐに引き離そうとオトハは身構えた。
だが、トーマは噛まなかった。手のひらに唇を押し当て、ついで自分の頬に当てる。
穏やかに頬をすりよせておいてから、今度は手のひらではなく親指に唇を寄せた。
自分より太い指に口付けて、少し含んで吸い始めた。
いつのまにかアポロニアスは拳をかじるのをやめ、じっとトーマの口元を見ていた。
視線に気づいたトーマは、親指をしゃぶったまま、右手でアポロニアスの左手を取った。
よだれがついたままの手を握り、自分の脚をアポロニアスの太腿に乗せて
より密着しようとする。
アポロニアスは少し躊躇していたが、トーマにあわせるように脚を投げ出し
いつもとは反対に自分から許婚を抱きしめた。
「よかった、仲直りできて」
オトハが胸をなでおろす横で、モロハも低く呟く。
「指フェラで瞬殺か。只者ではないな」
「はい?」
ただひとり、この場の怪しさに気づいていないオトハが暢気に聞き返すより早く、
シルハの尻尾がビシビシとモロハを叩いた。
―――おしまい―――