中指と人差し指で隠された入り口を開き、親指の側面を滑らせるように湿った肉色にこすり付けた。  
天翅であるから両性であることに間違いは無いのだろうが、滑らかな体のどこにも  
男性器に相当するような箇所は見つからなかった。  
…使うわけでもないから、あえて探し出そうとも思わなかったけれど。  
指を動かすたびに敏感な奥の粘膜から粘液が滲み出しては滴る。  
その度に、脚を開いて力無く寝台に横たわる華奢な体はか細い啼き声をあげた。  
<名前を呼んでごらん、トーマ?>  
ぬめりを帯びた箇所を焦らすように、…もしくは苛むように、  
アポロニアスはそれでもただじっくりと表面だけを嬲り続ける。  
目の前に投げ出された供物を、楽しみながらまるでゆっくりと食むように。  
 
彼の新しい仕事が一つ増えたのは、太陽が黄道の周期を三分の一ほど過ぎる前のことだった。  
その頃、彼は若いながらもすでに存分に翅なしに親しんでいた。  
親しむというのはつまり、生まれ持った強大な力を活かし、家畜である翅なしを  
恐怖と絶望で支配しながら大量に良質のプラーナを収集するという、  
天翅としての素晴らしき行いを全うしていたということだ。  
高い能力だけでなく、幼くして知の片鱗も覗かせていた彼は、  
成長し、指導者としての力を得たならたらさぞや天翅族を繁栄に導くだろう、と多くの天翅に期待をもたれていた。  
『太陽の翼』。天翅族の行く末を、明るく照らす者。  
赤銅色に輝く髪と、ブロンズの肌から、彼は輝かしい名を与えられるが、  
彼自身にとっては日々の事象はただ己の楽しみを追求しているだけに過ぎず、称号にも賞賛のまなざしにもどんな意味をも見出さなかった。  
ただ奔放に、興味と欲求を満たすだけの毎日。だがそれがひたすら己の評価を上げていくだけだというのが皮肉だった。  
 
そんな中、突然長老に呼び出されて押し付けられた、ひ弱な天翅。  
<これをお前の許婚とする。お前の血を持つ子供を作りなさい>  
引き合わされた相手の年のころは自分より2、3下だろうか、線の細さのせいで余計に幼く見える子供であった。  
真珠のように白く透き通る肌、白銀に輝く羽は優雅に波打ち、月の光を思わせる。  
(子供をつくる、ということは、これが噂の)  
聖天翅、か。  
ゆっくりと滅亡の道へ向かいつつあるという天翅族。  
一族の存亡などはまだ若いアポロニアスにとってどうでもいいことだったが、  
天翅族を復興させるため、優秀な天翅の母体となるために作られたという聖天翅には多少の興味はあった。  
 
何しろ、自分と並ぶほどの特殊で強大な力を持つ天翅だという。  
アポロニアスは、いまだかつて自分と同じくらいの強さの天翅になど出会ったことがなかった。  
それにしてもこんな細い体の天翅のどこにそんな力が眠っているというのか。  
美しいというのは認めよう。だが、教えられたばかりの生殖行為を行ったら、それだけで孕む前に壊れてしまいそうな華奢さだ。  
これでは全く使い物になるとは思えない。  
今もただ大人しくこうして繁殖のための苗床にされようとしているだけだというのに。  
束縛を煩う自分にはとても我慢のならない立場に思えるのに、この『特別製の』天翅にとってはしごく当たり前のことなのだろうか。  
 
長老に促されるままに、ただ無言で立つ聖天翅の手を取って引いた。  
この天翅とはこれから毎日共に寝台につかねばならないことになっている。  
 
それにしても、なんと誇りのない天翅なのだろう。  
いくらかの憐憫の情と、嘲りを浮かべて見つめると、それまで無言で俯いていた天翅がふいに顔を上げた。  
内包物のない澄んだアメジストの瞳が、ギラリと信じられないほど強い視線を向けてくる。  
まるで射殺そうかとでもいうように。  
 
 
…面白い。  
正直あまり乗り気ではなかったアポロニアスだが、しばらくはこの戯言に付き合ってやろうという気になっていた。  
 
 
アポロニアスは面白半分に、聖天翅に膝の上で食事を取る事を強要したりしながら二人の時間を過ごしていた。  
元より生殖行為を強いるつもりはなかったし、何をするにもこの聖天翅の反応が一々毛を逆撫でた猫のようだったことのほうが意外で面白かった。  
それを、許婚なのだからという言葉で無理矢理従えて連れ回したり、翅なしのつがいを真似て膝枕や耳掃除をさせてみたり、  
背中を流させたり、時には執拗に悪戯をしてみたりするのはたまらない。  
己の立場に縛られて逆らえない許婚は、憎々しそうに目を吊り上げ、翅を震わせて抗議した。  
その度に怒りの美しい白い燐光が舞っては弾ける。  
<今から夜昼と無く生殖行為を続けてわたしの子を孕むのとどちらがいい?>  
だがどんな抵抗も、屈辱に震える翅を無理矢理愛撫しながらそう囁くとすぐに大人しくなった。  
そうして一ヶ月ほど過ぎ、やがて聖天翅が、どうやら自分はからかわれていただけだったらしいということに気が付くと  
今度は猛然と抗議を始めるようになった。  
顔を真っ赤にして翅を唸らせ、近づくなとばかりに威嚇する。  
思念も飛ばすようになった。全く話せないかと思われた生殖行為用の天翅は、お喋りで口が悪かった。  
<いい加減にしろ、つばさ。望んだわけではないが、一応覚悟を決めてわたしはここにいる。  
 与えられた役目を果たさないつもりなら私に触れるな。気分が悪い。  
 許されているのなら今すぐにでもその身をずたずたに引き裂いてやろうものを…!>  
<…許婚は面白いな。ますます好きになれそうだ>  
<その汚らしい思考をやめろ!今すぐ塵にするぞ>  
 
よほど気に食わないのだろう。  
最初に引き合わされた時はまるで人形のようだった許婚が些細な事でも一々激昂し、本気で反抗してくる様に、  
たまらずアポロニアスは口から笑い声を発した。  
自分を羨望や微かな嫉妬の眼差しで見つめる者こそあれ、ここまで激しく拒絶する者など初めてだった。  
「はじめて見たときはまさかこんなのとは思わなかったな…本当に好きになれそうだよ、許婚」  
突然の『声』に驚き、毒気を抜かれたような顔をしてぽかんと立ち尽くしていた聖天翅は、  
体を折り曲げ涙を流して笑い転げるアポロニアスを前に顔をくしゃくしゃにして怒鳴った。  
「『こんなの』とは何だ!いい加減許婚の名くらい覚えたらどうだ!  
 トーマと呼べ、トーマと!!」  
容姿に見合うような、幼い高く澄んだ声が静寂を裂く。  
怒れる許婚は、ついでにアポロニアスに向かって手当たり次第に辺りのものを投げつけ始めた。  
アトランディアの奥深く、大事に育てられたか弱い子供のする事などたかが知れている。  
なんなくかわしたアポロニアスは、ふとあることを思いだした。そういえば、しばらく許婚をからかってばかりいて、  
狩りに出ていなかったのだ。  
<詫びといっては何だが外の世界でも見せてやろうか、トーマ?>  
<…え…?>  
トーマを外に連れて行ったらどうなるだろう。  
それは軽い思い付きだったが、アポロニアスの心をわくわくさせた。  
外を初めてみるのだろうこの許婚は、今度はどんな反応を示してくれるのだろう。  
一旦思いついてしまえば、もう止まらなかった。  
唐突に話しかけられ、動きの止まったトーマの体を、不意を付いて抱え上げ、そのまま勢いよく飛び出した。  
大きな翼をはためかせ、ぐんぐんと上昇する。きりもみのように旋回するたび、腕の中の体がしがみついて震えた。  
あの小生意気なトーマがだ。  
それが楽しくて何度も何度も無茶な飛び方をする。  
初めてのトーマはすっかりパニックに陥ってしまった。  
 
<やめて!…離してよつばさ!こわいよ!!>  
<離したほうがいいのか?そうは思えないが…だが『トーマ』のたっての願いだ、離そうか?>  
<!!>  
<はははは>  
興奮したトーマの翅が輝く。  
恐慌状態に制御できなくなり、羽ばたき散った白銀の翅がでたらめに切っ先を変えて飛び交う。  
幾筋かの翅はトーマを抱きかかえて振り回すアポロニアスの肌をも傷つけ、血を流させた。  
(ほう…)  
久しく目にすることの無かった己の血液。アポロニアスは静かに瞠目した。  
傷をつけることが出来る、というのは、すなわち己の領域を侵すだけの力を持っている、という事。  
トーマは真実、自分と釣りあうほどの潜在能力をその身に秘めている、  
その何よりの証明に他ならなかった。  
(子、とかそういうのはともかく、…伴侶とは認めてやってもいいかもしれんな)  
風を切って翻ると、今にも翅なしの地平に沈もうとする赤く潤んだ太陽が見えた。  
今度は速度を落としてゆっくりと浮遊する。  
<ほら、見てみるがいい。美しい太陽だ>  
あまりの無体な仕打ちに身も世も無く泣き叫んでいたトーマも、  
穏やかな声と風圧に促されて恐る恐る目を開ける。そこには、初めて見る世界が広がっていた。  
<あ…>  
大事に守られたアトランディアの、その奥深くでは決して目にすることの出来なかった情景が。  
日を浴び鮮やかなオレンジに染まる大地と、対比するように藍色に染まりゆく天。  
昼がその姿を隠し、眠りの夜を迎えるための荘厳な祈りの歌が、  
今まさに天空にちりばめられようとしているあまたの煌く星々から聞こえてくる。  
 
実に美に敏感な天翅らしく、色彩の移り変わりの妙にあっという間に心奪われたトーマは  
恍惚の表情を隠すことすら出来なかった。  
歌に共鳴させるように、自然と己の翅すら振るわせる。  
まるで、アポロニアスに抱かれさっきまで泣いていたことすら心の内から忘れ去っているように。  
その表情に不覚にも魅せられつつ、アポロニアスは湧き上がる苛立ちを抑え切れなかった。  
今まで夢中で自分にしがみ付いていたはずのトーマが、  
普段何くれとなく自分を警戒し、不必要なまでに威嚇し警戒していたトーマが、  
それすらすっかり忘れたように歌の虜になって自分を見向きもしない。  
(つまらんな…全くつまらん)  
今は目を閉じて振動に身をゆだね、天翅ならではの快楽に浸るトーマの  
その柔らかな翅を愛撫しながらアポロニアスは耳元でわざと声を発した。  
「忘れているようだがトーマ。お前には私の子を産んでもらうよ」  
無防備に感覚を開放していたトーマは、いささか乱暴に差し込まれた刺激にびくりと身を震わせた。  
心地よい波間に漂うような快感から急激に現実に引き戻され、  
泣いた名残か潤み腫れた瞳で、呆けるようにアポロニアスを見上げる。  
 
 
<聞こえたか、近いうちにお前と交配する、と言ったんだ>  
アポロニアスは自分の心情を正しく把握していた。  
それが純粋な興味なのか、それとも交配を行いたいという性的な欲求を伴う好意なのかは  
まだわからない。  
だが自分は今、確かに許婚としてではない『トーマ』個人に興味を持ち始めたのだと。  
だから、自分から意識が離れたトーマに苛立ったのだと。  
<もともとそういう理由でおまえはわたしに預けられたのだろう?喜べ>  
<…>  
腕の中におさまり、かつてないほど大人しくなったトーマはその言葉に、  
嬉しいのか悲しいのか悔しいのか怒っているのが、何とも心情を推し量りがたい顔をして、黙った。  
それをアポロニアスは了承の意だと勝手に受け取る事にした。  
夜の闇を受け、しっとりと煌くトーマの髪に唇を付け、そこから美しい曲線で伸びる翅を愛撫する。  
時折吸いながら、髪を掻きあげて滑らかな頬を辿る。  
初めてそのような意図で触れた体は相変わらずへし折ってしまいそうな頼りなさではあったが、  
思ったより抱き心地はよかった。  
突然の事にどうしていいかわからないのだろう、弱々しくしがみ付くトーマの体を強く抱き寄せて、  
唇を交わせあう。ゆっくりとプラーナを吸い上げ、そして同じように自分のプラーナを注ぎ込む。  
初めての聖なる交歓だった。  
最初から最後まで、常の彼女からは想像出来ないほどに、トーマは始終静かだった。  
 
それからは、とりあえず一日に一回は唇を重ねてみることにした。  
寝台の上で一緒に寝る時も、背中合わせに離れて眠るわけではなく、  
抱き合ってお互いの身体を密着させたまま眠ることにした。  
細く華奢なトーマの身体は、抱きしめると翅が丁度アポロニアスの首筋にくる。  
これがどうにもくすぐったくてたまらなく、アポロニアスには拷問以外の何物でもなかったが、  
仕方が無いので黙って耐えた。  
 
アポロニアスがからかいではなくトーマに触れるようになってから、  
トーマの態度は目に見えて軟化した。  
相変わらず身の程知らずのひどい悪態はつくし、嫌だと思うことは絶対にしない。  
抱えられて空を飛ばれ、弄ばれたのがよっぽど屈辱だったのか、  
昼間は決してアポロニアスの手の届くところに近寄ろうとはしなかった。  
その影では隠れて飛行の練習をしていたらしく、  
ある日突然目の前で自慢げに宙返りなどされた時にはアポロニアスはひどく笑い転げて  
このまま笑い死ぬのではないかと思ったくらいだ。  
無論、怒り狂ったトーマは部屋が壊れぬ程度に容赦ない攻撃を浴びせてきたのだったが。  
そんなトーマだが、夜にはうって変わって大人しく、アポロニアスと同じ寝台について  
抱き合って眠るまでになったのだ。  
その幼い寝顔を観察しながらアポロニアスは、野生動物を手なづけるとは  
こういうことなのかもしれないといささか哀しいため息をついた。  
(わたしはどうみても子育てをさせられているようにしか思えないのだが)  
天翅族の更なる繁栄などともっともな言葉を並べられながら、  
とんだ厄介ごとを押し付けられたものだ。  
 
アポロニアスは、実は天翅など滅びればいいと思っていた。  
否、滅びればいいというのは言いすぎなのかもしれない。  
アポロニアスの中にも、同胞をそれなりに愛する心はあった。  
だが、生理を捻じ曲げ、こうして繁殖用の母体など生み出さなければ  
天翅族が最早種族として成り立たないというのなら。  
…それもまた一つの運命ではないのだろうか。  
そんな思いが拭いきれないのは、地上で翅なしを多く観察しすぎたせいかもしれなかった。  
 
トーマと寝台に横たわる時、一番初めに腕を回す瞬間に、  
一瞬だけトーマが身体を固くする瞬間があることにアポロニアスは気がついていた。  
 
<トーマ、細すぎだ、まるで貧相な翅なしの雌のようだ。  
 それでは子など孕めぬだろう。プラーナが足りないのか?ならば存分に与えよう。  
 もっと大きく太く逞しくなれ>  
<うるさい、それは余計なお世話というのだ。  
 抱き心地が悪いから伴侶を変えるというのなら大歓迎、いつでも言ってくれ>  
<そんな事は言ってない。…疲れているのか?もう寝ろ>  
 
ただ抱きしめて目を閉じ呼吸を静かにすると、安心したようにトーマが擦り寄ってきてやがて眠る。  
触れられて緊張するということは、やはりトーマは生殖行為が行なわれるということに関して  
わずかでも恐れを抱いているということだろうとアポロニアスは考えていた。  
恐れというより不安なのかもしれない。  
そもそも天翅とは、誇り高き生き物。  
『役目』があるとはいえ、長老の思うがまま定められた己が運命に対して  
黙って頭を垂れて従うのを、この天翅も内心、良しとは思っていなかったに違いない。  
だからこその自分への悪態であり、反抗であったはず。  
その天翅らしいありようは、アポロニアスにとってはむしろ好ましかった。  
だが、それならば尚更何故、自分と交わると宣言した天翅の寝台で抱き合って眠り、  
唇さえ交わすというのか。したくないことなら、しなければいいのではないか。  
そのことはどうしても不思議でならなかった。  
 
<何故だ>  
疑問は、解消されなければならない。  
アポロニアスにとって、常に疑問とはそういったものであった。  
<え?>  
<何故トーマは生殖行為などしたくも無いのに、  
 ある日突然引き合わされた見知らぬ許婚とやらの寝台で大人しく孕まされる日を待つ?>  
この期に及んで、あまりにといえばあまりな質問に、流石のトーマも目を見開いた。  
<好いた天翅などは、いないのか。したくないことならば、しなくてよい>  
<…な!何を根拠に今更そのような!  
 そもそも私は種族の繁栄のため、多くの天翅の母体となるべく作られた聖天翅だぞ!?  
 私個人の意思で勝手な真似が出来るか>  
トーマは顔を真っ赤にして怒鳴った。怒鳴らずにはいられなかった。  
トーマは優秀な子孫を産むために作られた特殊な天翅である。  
そのために、群を抜いて強い力と、美とを与えられた。  
いわば子を作ることが彼女の存在意義だったが、それを今真っ向から伴侶に否定されたのだ。  
激昂するなというほうがおかしい。  
<…そもそもどうして天翅には子が出来ない?生殖能力が退化する?  
 どうして特殊な母体を作り出さねば種族が保てないというのだ?  
 これでは、搾取されながらもあれだけ地上に広がりはびこる翅なし以下ではないのか?>  
<違う!我ら天翅族は、その優秀なる力故に翅なしとは違って一人で立つことができた。  
 そのようにみっともなく手を換え品を換え醜く縋り付き合わなくても  
生活を成り立たせることができた。  
 だがその弊害として退化してしまった繁殖能力を自らの力で再び補おうとしているだけだ。  
 それの何がいけない!?>  
<退化してしまったことがだよ、トーマ。  
 手を加えなければ新しい命さえ繋ぐことすら出来ない種族は、本当に存在する価値があるのか?  
 トーマは子など産む必要は無いとわたしは思う、好きに生きればいいのだ>  
「…っ、おまえがそれを言うのか!つばさ!!」  
叫んだきり、トーマは口を噤み、ただ黙って涙をこぼし続けた。  
顔も伏せずただアポロニアスの顔を強く睨みつけたまま、嗚咽すらなく雫が頬を伝う。  
アポロニアスは自分がひどく失敗したことを悟った。  
 
アポロニアス。  
わたしのつばさ。  
わたしの伴侶。  
…わたしのからだは、つばさにあわせてつくられている。  
 
トーマは自分の身体を見回した。つややかな真珠の肌。柔らかく銀に輝く美しい翅。  
わたしを形作ったヨハネスも、わたしを美しいと言った。  
<おまえの伴侶の名はアポロニアス。太陽の翼とさえ呼ばれる、強く輝かしい天翅だ。  
 多少型破りなところもあるが、むしろそこが好ましくさえある。  
 …おまえの身体は、彼に合うよう作られている。  
 伸びた手足、下肢の狭間にある生殖器はアポロニアスのそれと合致する位置に。  
 抱き合い受粉するのにちょうど良い位置におまえの花は作られているのだよ。  
 アポロニアスも、見目麗しく強いお前のことを、きっと一目で気に入るに違いない。  
 そして、お前たち2人の結実によって作られるであろう我が同胞は実に優秀であろう。  
 それだけの力を与えてあるのだから。  
 お前たちの愛と、その子等によって導かれる輝かしい天翅族の未来を、楽しみに夢見ようぞ>  
 
わたしのからだは、つばさにあわせてつくられている。  
わたしがつばさの伴侶になることは、本当は引き合わされるずっとずっと昔から  
決められていたことだった。  
ヨハネスは言った。つばさは一目でわたしを好きになるだろうと。気に入るだろうと。  
わたしも憧れた。話でしか知らないつばさ。遠くからしか眺めることの出来ないつばさ。  
強くて輝かしい、未来の象徴であるつばさ。そのつばさがわたしをきっと気に入るだろうという。  
嬉しかった。  
与えられた運命だったが、わたしはそれにとても満足していた。  
その相手がつばさでなかったら、わたしは決して受け入れようとはしなかったかもしれない。  
わたしはつばさに恋をしていた。  
わたしはいつかつばさのものになり、天翅が忘れて久しかったという生殖行為を行い、  
聖母となり、子供をたくさん作り、つばさに愛され、わたしもまたつばさを深く愛し、  
天翅の一族は大いに栄え、このアトランディアで、いつまでもいつまでも幸せに暮らすのだ。  
その未来予想図のどこにも、悲しみの匂いは欠片も見出せなかった。  
ただ、嬉しかった。  
 
 
それなのに。  
初めて直に会ったあの日。  
 
つばさは、わたしを、まるで蔑んだような瞳で。  
 
 
 
…どうして?  
わたしは、つばさにあわせてつくられているのに。  
 
 
どうして。  
どうしてそんなに拒絶されていながらにして、  
…それでも望んで伴侶となる事などできただろう?  
 
 
自らのありようを、知らぬこととはいえ全否定されたトーマの悲しみはすさまじいものだった。  
瞳は見る見るうちに精気を失い、暗く淀んで心が閉じていく。  
プラーナが大気に溶けるように失われていく。  
アポロニアスはひたすら己のうかつさを呪った。  
]こんなはずではなかった、むしろトーマのことを個人として思ったがゆえに  
好きに生きろと言ったのに!  
<トーマ?トーマ!?トーマ!!>  
うつろな瞳が、とろんとアポロニアスのほうを見る。  
その目には何も映っていない。  
「おいトーマ!!」  
身体を強く揺さぶった。頼りない身体がガクガクと揺れる。  
とめどなく流れる涙が、揺さぶられるたびに流れ出すプラーナと共に弾けて散った。  
聖天翅は、こんな時ですら息を呑むほどに美しかった。  
アポロニアスは、たまらずトーマに口付けた。  
唇をこじ開けて歯列を割り、舌を追いかけて絡めとる。  
深く交わらせたままプラーナを勢いよく注ぎ込んだ。  
トーマの背がひどく撓る。  
もがいて逃れようとする身体を腕にきつく抱え、へし折らんばかりに拘束し、  
そして貪った。直接的に、一番深いところからプラーナが染み渡るように、奥の奥まで舌を伸ばす。  
激しい攻防の末、強制的にプラーナを注ぎ込まれたトーマが  
ついにアポロニアスを力ずくで引き剥がした。  
肩で激しい息をしながらむせる。  
同じく大量のプラーナを注ぎ込んだアポロニアスも、流石に荒い息をついた。  
<トーマ…おまえは、…そんなに、そんなに子が、欲しかったのか。  
 それとも、そんなに天翅の未来が大事か。  
 …特別生殖行為がしたいようには…思えなかったのだが>  
<違う!>  
トーマから、矢のような思念が飛んだ。  
<違う!違う違う違う!!  
 わたしは、…生殖行為がしたかったわけではない…  
 わたしは、おまえとの子が欲しかったんだ!>  
<何だって!?>  
今度はアポロニアスが驚きに目を見開く番だった。  
 
激情のままにトーマは自らの衣を引き裂いた。  
普段は幾重にも重ねられた薄絹の下にある、すべらかな裸身があらわになる。  
<好いた天翅などはいないのか、だって!?  
 …敢えて言うなら、それは君のことだよつばさ>  
<そんな、…だが、しかし……>  
<聞いたことがなかったとか知らなかったとか言うつもりなのかい?  
 どうして言える?初めて会った時、わたしを蔑むような瞳で眺めた君に。  
 はじめから、わたしにそういう興味を欠片も持ち合わせなかった君に。  
 誇りが無いなどと嘲った君の元に、それ以上どうして望んで心など寄せられよう?  
 だから、最初に言った筈だよつばさ。  
 望んだわけではないが、一応覚悟を決めてわたしはここにいる、と。  
 
 だけどそれももうおしまいだ。  
 これ以上気持ちを弄ばれることにわたしは耐えられないから。  
 君はわたしを好いてはいないし、例え君がわたしに触れても、行為を行っても、  
 それは最早ただの同情でしかないだろう>  
トーマはアポロニアスの手を取り、裸の胸部にそっと押し付けた。  
薄い皮膚の下で、規則正しい呼吸が行われている。  
アポロニアスは手のひらで暖かく脈打つ血液の流れを聞いた。  
<…それはとても悲しいことなのだよ、わたしのつばさ>  
 
トーマはアポロニアスをどんなときでも『つばさ』と呼んでいた。  
『太陽の翼』。天翅族の行く末を、明るく照らす者。  
…その呼び名は、密かに葬ることに決めていたらしいトーマの想いの、  
せめてもの発露ではなかったか。  
<例え愛情がなくとも君にはわたしに触れる義務があった。  
 わたしもついさっきまでそう思っていた。  
 だけど今は、違う>  
トーマはアポロニアスの手をそっと離した。離された手は滑って落ちる。  
<すまなかった。長老にはわたしから話しておくよ。  
 ありがとう、アポロニアス。…さようなら>  
今にもくず折れてしまいそうなトーマの儚い笑みに、アポロニアスは柄にも無くうろたえた。  
知らずに抉ったトーマの傷の深さは計り知れず、そしてこうなってしまってはじめて、  
トーマに対して生殖行為を行いたいという欲望を覚えたからだ。  
手のひらにはまだ、先刻触れたばかりの淡いふくらみの感触が生々しく残っていた。  
トーマは今自分のもとを去ろうとしている。  
それは他ならぬアポロニアス自身が与えた深い傷によるものであり、  
そしてアポロニアスはそのことに独占欲からくる微かな満足感を覚えつつ、  
その一方で深く後悔していた。このままトーマとの関係を絶ちたくないと思っていた。  
さぞ身勝手に思えることだろう、…だけど今、どうしてもトーマと繋がりたい。  
正直、それがトーマの美しさに欲情させられためであるのか、  
それとも時間をかけて心が近づいたためであるのか、判別が付かなかった。  
こんなにひどく涙を流させた罪悪感によるものかもしれない。  
これら全ての理由からかもしれない。  
定められた2人だけに許された、生殖器を直に交わらせる行為。  
自らの肉体の一部をトーマの奥底に刻み付ける行為を、  
今始めてアポロニアスは行いたいと強く思った。  
そうすればトーマを繋ぎとめることが出来るのかと思った。  
今まで知らなかった熱が下腹部に集まってくる。アポロニアスはトーマをそのまま押し倒した。  
<…!アポロニアスやめろ、わたしは…>  
もがくトーマの四肢を自らの体重で押さえつけ、唇に唇を重ねる。  
角度を変えて何度も触れ合わせる。  
硬く引き結ばれたトーマの唇を、アポロニアスは舌先で舐めた。  
<わたしとの子が欲しかったのだろう?トーマ。  
 ならば作ればいい、わたし以外に生殖行為に適するような個体も見当たらないのだろう?>  
硬直したトーマの顔が青ざめる。  
アポロニアスが言葉を間違えた、と思ったときにはもう、彼女は抵抗をぴたりと止め、  
哀しみに満ちた瞳を力無く閉じたところだった。  
<……その通りだ、好きにすればいい…わたしはつばさの物だから>  
 
動きを止めたトーマをアポロニアスが見おろすと、  
既に半裸だった体は、暴れたせいで下肢にまとわる布すら解けてあらわになっていた。  
その痛々しさはまるで傷ついたトーマ自身の心を表しているようだった。  
引き裂かれ、悲痛な皺をトーマの体の下で作っていた布の端を掴み、  
アポロニアスはトーマの体にそっとかける。  
見るにたえない惨状に変わりはないのだが、無いよりはましだった。  
そのまま布にくるむようにしてトーマを床から抱き上げ、  
アポロニアスが向かった先は寝台だった。  
<…勘違いするな。同情でも義務感からでもない。  
ただこのまま終わりにしたくないと思っただけだ。  
 わたしは子供が欲しいと思ったわけではないが、トーマに欲情し、繋がりたいと思った。  
 それではだめか?…それとももう手遅れか>  
寝台の上にそっと乗せられ、労わるように、様子を伺うように翅を撫でられながら覗き込まれ、  
トーマは困惑した。  
<わたしの気持ちは、…おまえが抱いているような恋情とは多分違うのだろう。  
 だがわたしはわたしなりにおまえに興味も好意もあるのだ、トーマ。  
 身勝手ですまないが、わたしはこのままおまえとの関係を断ち切りたくはないと思っている。  
 そのために生殖行為が必要ならば、いくらでもしようという程には、お前を気に入っている。  
 結果として子供が出来、一族のしがらみの中で一生を終えることになったとしても、だ。  
 わたしはトーマとなら名実ともに伴侶になってもよい。それが仕組まれた運命だったとしてもだ。  
 トーマはどうだ?  
 …答えてくれ、無理強いをするつもりはないから>  
トーマは微かに寂しげに微笑った。  
寝台の上に横たわったまま、かろうじて体に巻きついた布切れを払い落とすと、  
上体を少しだけ持ち上げてアポロニアスの髪に触れた。  
その手がそのまま首筋に下り、背中にたどり着いた。指先が翅に触れる。  
<言ったはずだ、わたしはつばさの物だと>  
 

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