始まりはアポロが帰ってきて二週間ほど経った日の晩のことだった。
夜も更けてきて、クロエはベッドに身体を置いていた。
元から不眠症の気があるクロエはその日もいつものように眠れずにいた。
このまま目をつぶっているか、本でも読むかなんて悩んでいると
不意に声が聞こえてきたのだ。
『あはは、ごめーん、お待たせー』
突然の声に驚いて起き上がったのを覚えている。
シルヴィア?なんて返事までしてしまったのだ。
『ったく、おせーぞ。
もう、ちび子達寝ちまったじゃねーか』
続けて聞こえてきた声はアポロのもの。
だけど、慌てて電気をつけて部屋を見渡しても二人の姿などどこにもない。
『あっちゃ〜…』
『ま、明日、いっぱい遊んでやればいいさ』
『そうだね、そうしようかな』
そして、ようやく訪れる沈黙。
だが、クロエにはアポロとシルヴィアが
子供たちのベッドの傍で寄り添っている姿が見えた気がした。
状況すら推測できるほどのリアルな音声がクロエの中に流れ込んでくる。
『…あー、その、シルヴィア?』
『なに?』
『かっ、可愛いぞ、それ』
『えっ、あっ、うん…………ありがと』
(何なの、これ?)
間違いなくアポロとシルヴィアの声…のはずだが、妙に甘い。
あの二人はそんなにべたべたとくっ付いていないし
一緒にいる事は多いけど、キスしたり愛を囁いたりする姿なんて見たことない。
にも関わらず今の二人は露骨なまでに恋人同士だった。
まるで二人きりの時のように。
(これ、もしかして……私が受信しちゃってる!?)
考えてみればテレパスを受信している時と全く同じような感覚があった。
そう考えると声が聞けた事には説明がつく。
ただ、本来クロエのテレパス能力は
エレメントスクールでも指折りとはいえ大した事は無い。
送信は誰にでも出来るが距離が短く
受信に至っては送信側にテレパスの素養が無ければ受け取れもしない。
相手がクロトであってさえ、あんな風に気付かれずに会話を聞くのは難しいのだ。
あまりに不可解な状況にクロエはふらふらとベッドに倒れこんだ。
『ん……ねぇ、私重くない?』
『軽い』
『ほんと?』
『ああ、アクエリオンで地球支えてた時に比べればな』
『なによ、もうっ!
地球と比べたら軽いの当たり前!』
『いでででで』
恋人達の甘いやり取りにドキドキと鼓動が高鳴る。
クロエも年頃の女の子であり、そういった事には非常に興味がある。
だが、悲しいかな寮生活の中では本やネットで知識を得るのは難しく
友達との会話で仕入れるにしても
委員長然としたクロエの性格ではクロエにはそんな事を話す友達がいなかった。
そこに来て突然のこれである。
興奮するなというのは不可能であった。
『あっ、あんっ…やぁ…』
『へへっ、シルヴィアはほんと柔いな』
『んっ、もう…ばか』
言葉が途切れ途切れになる事に疑問を抱く。
そして、すぐにそれがキスをしているからだと気付くとクロエは一人で真っ赤になった。
ドキドキして思わず聞き耳を立ててしまう。
既に、何故聞こえてくるのかなど気にならなくなっていた。
『…これ、どうやって脱がすんだ?』
『あ、リボンは飾り』
『じゃあ、このボタンか?』
『そうそう』
今、アポロがシルヴィアを脱がしている。
その光景を想像してしまい、クロエは着布団を頭からかぶった。
身体中が熱くって仕方なかった。
『…シルヴィア』
『ぅん……』
『こうしてると…なんか、いい』
『ほんとアポロってばおっぱい好きね?』
『いやか?』
『ううん、私もアポロに触られるの好きよ。
こうして抱き締めてるの、すごく幸せ…』
(きゃーーーーーーーーーーーっ!!おっぱいって!幸せって!何やってるのよ、
二人とも!は、は、は、裸でだ、だ、d、だ、抱き合ってたりするのぉ!?
駄目よ!不潔よ!何やってるのよ!あんた達まだ14歳のくせに大人すぎるわよ!
私と同い年のくせにーーーーーーーーっ!!)
思いのたけを心の中で絶叫しクロエははぁはぁと息を切らせた。
どうやら、アポロが裸のシルヴィアの胸に顔を埋もれさせているらしい
という情報はクロエにはあまりに過激すぎたようだ。
『今日は、して…いいよ』
『…いいのか』
『今日は安全な日だし』
『でも、痛いんじゃねえのか』
『いいってば。
そう言って昨日も一昨日もアポロは我慢してくれたもの』
『シルヴィア…』
(いやぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!
昨日も一昨日も我慢したって何をよ!何を我慢したの!
それにたった二日我慢したからってさせてあげるなんてシルヴィアったら助平だわよ!
もっと自分を大事にしなさいよ!
いくら一万二千年待ってたからって!
また一万二千年待つことになりそうだったからって早すぎるわよおおお!!)
なんだかよく分からない恥ずかしさのようなものに突き動かされ
クロエはごろんごろんとベッドの上をのたうち回った。
「ハァ…ハァ…ハァ…」
着ている服を脱いでしまいたいような、どこかに走って生きたいような
訳の分からない衝動にクロエは口の中で唸った。
だが、呻いた所で何も事態は改善されない。
それどころか、アポロとシルヴィアの二人は更に盛り上がっていた。
『本当にいいのか?』
アポロの声。
だがクロエには聞き覚えのない、甘く優しい頼りがいのある声。
『アポロってば…いいのよ。
アポロが私で気持ち良さそうにしてるの、見たいもん』
シルヴィアの声。
だけどクロエは聞いた事のない、甘く可憐な可愛らしい声。
唾を飲み込む音が五月蝿く響く。
身体の芯がジンジンと疼く。
これから始まる事に覚悟と期待をして、クロエはベッドの上に正座をした。
少し長めの静寂にパジャマの太腿のところを握り締めた手が緩もうとした。
その刹那、声は聞こえてきた。
『んんっ!』
『くっぅぅ……』
苦しげにくぐもったシルヴィアの声。
押し出されるようにして吐かれる悲痛な響き。
何をしているのか、想像の余地すらなく伝わってくる。
乱れた息で囁くアポロの声はストレートに愛を語り
泣き声やうめき声に混じってシルヴィアも嬉しそうに応えている。
クロエは何も動けなかった。
ただぐっとパジャマを握り締め聞き耳を立てるだけ。
『っく…出る!』
『うん!うん!』
短いやり取りの末、声が途切れる。
十秒…二十秒……一分を超えた頃、クロエはハァっと息を吐いた。
握り締めすぎた指がジンジンと痛い。
どうやら、テレパスの暴走は終わったらしい。
そう思うと同時にクロエは自分の異変に気付いた。
思わず誰も居ない部屋をきょろきょろと見渡し、恐る恐るズボンの中に手を差し入れた。
ジュッという濁った音と共に指先が不快な感覚に包まれる。
(これ……)
指先に付着した粘液にクロエは軽い戸惑いと驚きを覚えた。
(こ、これ…わたしが…だよね…)
指で擦ってみて感触を確かめる。
クロエは今まで自慰をした事が無い。
愛液というものをクロエはこの時、初めて目にしたのだ。
(と、とりあえず着替えるべきよね…)
しばし、己の分泌した液体をみつめていたクロエだったが
濡れてしまって気持ち悪い下着を替えようと立ち上がった。
ズボンごとパンツを脱いで下半身を裸にする。
お漏らしをしたようになっているパンツを見下ろし
なんとはなしに持ち上げてみる。
再び声が聞こえきたのはそんな時だった。
『ありがとな』
『……うん』
一拍の沈黙。
『キスして』
そして、無声の卑猥。
声が聞こえてこない分だけキスの熱烈さが想像できる。
『泊まってけよ』
『‥いい?』
『……離れたくないんだ』
『うん、…お休みなさい』
今度こそ本当に二人の会話は聞こえなくなった。
しばらく待ってそれを確認したクロエは最後の会話を反芻していた。
なんと愛に溢れた会話だろうか。
声だけでもアポロがどれほどシルヴィアをいたわってるか分かるし
シルヴィアがどれほどアポロの事を想っているか伝わってきた。
それに対して、自分ときたら下半身を露出させたまま
愛液で汚れたパンツを持ってつったっている。
何故だか惨めな気持ちになってきてしまい、
クロエはこの夜、全く眠る事が出来なかった。
翌日、クロエは寝不足で痛む頭を抱えて教室へと向かった。
エレメント能力の暴走という特殊事例が起きてさえ休めない性格なのだ。
「あっ、クロエおはよう」
「おはよー、クロエ」
「あ、おはよう」
「どうしたの?今日遅かったね」
「う、うん、ちょっとね」
扉を開けて机に向かうまでに幾人かと挨拶を交わす。
その当たり前の行為を繰り返す最中、クロエの身体が固まった。
「おっはよ、クロエ」
聞こえてきたのは幼さと気の強さを匂わせる声。
甘さも可憐さも消されているがどうしても昨夜の会話を思い出してしまう。
「えっ!?え、あ、お、おはよう……シルヴィア…」
これだけの事を言うのにクロエは全身の力を振り絞らなければならなかった。
「どうしたんだ?」
「クロエ、具合でも悪いの?」
シルヴィアの隣には当たり前のようにアポロがいる。
会話を聞かれたなんて思いもよらないであろう二人が揃って視線を向ける。
ひっついてはいないが大分近い、
そんな二人の距離が昨夜の愛の囁きを連想させクロエの鼓動を早めてしまう。
「な、なんでも無いのよ。
昨日、少し眠れなかっただけよ」
きっと確実に顔は赤い。
そう自覚しながらもクロエはぶんぶんと顔を振って誤魔化した。
本当ならそんな事で誤魔化せる程度の動揺では無かったが
タイミングよく助けが入った。
その無自覚ながらも助けてくれたのは彼女の想い人だった。
「大丈夫か、本当に?」
「あっ、ピエール…」
「熱があるんじゃないのか」
珍しく真面目な顔をしたピエールが傍に来て顔を覗き込んできたのだ。
クロエがピエールに対して抱いている想いは元一軍メンバーなら誰もが知っている。
だから顔を真っ赤にした事を不自然がられる事も無かったし、
実際クロエはピエールの声を聞いて赤面した理由を変えてもいた。
「だ、大丈夫…」
「ならいいけどな。
でも、無理はするなよ」
「うっ、うん…」
ピエールの優しい声色に少し自己嫌悪に陥りクロエはうつむいた。
実はあの後、アポロとシルヴィアの会話を
自分とピエールに置き換えて想像してしまったのだ。
眠れなかったのは聞こえてきた会話よりも、むしろそちらに原因があったといってもいい。
勝手に火照り潤みだす体を抑えクロエは口を開いた。
だが、声を出す寸前、パンパンと手を叩く音が教室に鳴り響いた。
「はいはい、みんな席についてー。
楽しい授業の時間よー」
本日の一現目担当、ソフィアが入ってきたのだ。
「おっと、じゃあ…無理、すんなよ」
「う、うん…心配してくれてありがと…」
背中にかけたお礼の言葉は
慌てて自分の席に帰っていくピエールに届いたのか分からない。
だから、クロエは口の中でもう一度同じことを呟いた。
どんな会話だったか具体的に話さなきゃいけなかったらどうしよう、
アポロとシルヴィアの会話を話す事になったら悪い、
ただの妄想だと思われたら、
他人の会話を盗み聞き出来るなんてばれたらみんなに嫌われてしまいそう等々・・・・
全てクロエがソフィアに相談しないで済むように考え出した言い訳である。
クロエは自分の能力を低く見積もっているつもりは無かったが
それでも今度の事の原因を自分で探り当てる事は出来ないと見切っていた。
だが、それでもすぐに相談しようとはならなかった。
その理由は多様にあったけども、やはり最大の理由は聞こえてきた会話の中身である。
あれが世間話であればクロエはすぐにでもソフィアの所へ向かっただろう。
それに、わずかばかり期待していたのだ。
あの現象が一回きりで終わってくれる事に。
勿論、そんな期待通りに物事が進むはずもなかったのだが。
『あ……今日も、する?』
『いや、そうじゃねえ……触ってたいだけだ』
ぶっきらぼうな言い方だが、照れているのは聞いているだけのクロエでも分かった。
勿論、目の前で言われているシルヴィアはもっと分かっているのだろう。
クスクスとちょっと馬鹿にしたような、それでいて嬉しそうな笑い声を漏らしている。
『もう、アポロってば甘えん坊さんねぇ』
その直後、シルヴィアの声が不自然に途切れた。
もうクロエにだって何をしているのかすぐに分かる。
アポロがキスで黙らせたのだ。
『…ちょっと大きくなってきてないか』
『そ、そう…かな?
ね、アポロはおっきくなった方が嬉しい?』
『俺はどっちでもいいぜ』
(触りながら話したりするのね…)
恋人同士がどんな風にすごすのか想像すら上手く出来ないクロエには
二人のやりとりは刺激的な事ばかりだ。
『ねえ、本当にしなくていいの?
いいんだよ、別に。
…アポロが私で気持ちよくなってるの見るの好きだし』
(そんなもんなのかな…)
枕を抱きしめてシルヴィアの言葉を考える。
二人の話を聞いているとどうやら"あれ"をすると
アポロだけが気持ちよくてシルヴィアの方はむしろ苦しいようだ。
だけどシルヴィアは何度もアポロにするように薦めている。
『危険日になったらさせてあげられないし…』
『いいんだよ。
これからはずっと一緒にいるんだから焦る事なんか無いだろ?
それより、俺はお前と話していたい』
『アポロ…』
それからの会話はクロエにとっては聞くに堪えない辛いものであった。
何しろアポロとシルヴィアはただの14歳の恋人同士ではないのだ。
一万二千年前の前世の記憶を持ち、一緒になる為に生まれ変わった二人である。
好きだとか愛してるなんて言わなくても分かりきっていて、それでも言葉にする。
キスで言葉を切り、時折はシルヴィアが艶めいた嬌声を上げながら
交わされる他愛もない会話。
夜が更け、会話が聞こえなくなった頃にはクロエは二人に関して多くの情報を得ていた。
シルヴィアの身体が柔くてすべすべしていて良い匂いがするらしい事や
胸は既にセリアンよりも大きくなっている事、
アポロのは大きく逞しすぎてシルヴィアは受け入れるのが大変らしい事、
二人の身体の性的な弱点までも教えられ
自分の身体からシルヴィアの匂いがする状態が好きだなんていう
アポロのどうでもいい告白まで聞かされるに至って、
クロエは恥ずかしくともソフィアに相談しようと決意していた。
そして時間は流れ、翌日の放課後。
クロエは人影の少ない寮の廊下をふらふらと歩いていた。
その足取りは引き摺るように重い。
(嘘よ…私が……私のせいだったなんて…)
二日続けて起きたエレメント能力の暴走。
その相談に行ったクロエはかつてないほどの精神的ショックを受けてしまっていた。
(あ、駄目よ…こんな風に否定するとまた…でも…)
つい先程言われたばかりのソフィアの言葉がクロエの思考を縛り上げる。
『あなた達のエレメント能力はまだ不安定なものなのよ。
つまりそれは変化や成長する可能性が十分にあるという事。
特に思春期の強い欲求や願望はその糧になりやすいと言えるわ』
言われてみれば授業でも習ったはずだった。
強くなりたい、速くなりたい、そんな気持ちを持ち続ける事こそ
エレメント能力を強くする、と。
だが、クロエは全くその事に思い当たらなかった。
気付きたくなかったからである。
己の内なる欲求に。
『断定はできないけど、おそらくあなたの抑圧された思いが
そういった現象を引き起こしたと考えられるわ。
あなたはとても真面目だから…年頃の女の子なら持って当然の
性的な欲望に対して意識的にも無意識的にも抑えつけてきた。
その出口を求めて能力の暴走が起こった…
夜のアポロとシルヴィアの会話だけしか聞こえないのは
最も身近にいるカップルがその二人だったから』
ソフィアはそういった可能性もあると言っただけだ。
しかし、クロエは気付いていた。
それが真実なのだろうと思ってしまった。
二人の会話を聞いて興奮していた自分、
下着を汚してしまう程に聞き耳を立てていた自分、
アポロとシルヴィアの関係に自分とピエールを当てはめて想像し、うっとりしていた自分。
それらが事実となってクロエに襲い掛かり打ちのめす。
認めなければいけない、でも信じたくない、
堂々巡りに苦しむクロエを救ったのはまたしてもピエールだった。
「クロエ、どうしたんだ?」
声に気付き顔を上げたクロエの前にはピエールが壁に寄りかかって立っていた。
少し格好つけすぎなポーズも柔らかな笑みを浮かべたピエールがやると様になっている。
少なくともクロエにはそう思えた。
「ピエール………ピエールこそどうして?」
「…今日はえらく具合が悪そうだったからな」
(見ててくれたんだ……心配もしてくれた…)
胸の中に暖かいものが広がっていく。
おおげさなものじゃない、だけど保健室と寮の間で待っててくれる優しさが
クロエの苦しみをあっという間に溶かしてくれる。
うちのめされた心に他人の優しさは劇薬である。
クロエは湧き上がってくる抱きつきたい衝動を必死で抑えた。
抑えて抑えて――涙となって溢れ出した。
「クロエ…」
さすがにピエールは女の涙だからといってうろたえたりはしない。
慰めるように優しく微笑むとクロエの涙を指で拭った。
ふにゅっと柔らかい頬に人差し指の背を滑らせる。
熱い涙に少し喜んでいるとクロエがゆっくり、ほんの少しだけ顔を上げた。
「うっ、ぅぅぅ〜〜っ」
泣き始めてしまったせいでクロエは開いた口から言葉を出せず
みっともなく唸ってしまった。
(きっと今、不細工な顔をしていただろう、
突然、泣き始めちゃって訳分かんない奴とか思われてるわ)
心の中では意外にも冷静に考えられるのだが
泣いている事が恥ずかしくて涙が止まらない。
クロエが再び顔を伏せた時、不意に暖かいものに身体が包まれた。
「ぁっ…!」
小さな驚きの声はピエールの胸へ吸い込まれていく。
抱きしめられている、そう分かった時
クロエは恥ずかしさのあまり涙が止まりかけた。
「泣けよクロエ、何でなのか俺は知らねえけど胸ぐらいは貸せるぜ」
頭上から振ってくる声も、髪を撫でてくれる手も、背中に添えられた手も、
涙を拭ってくれるサッカーのユニフォームまで優しくて暖かい。
嬉しくて、もう涙は止まりかけていたけど
クロエはゆっくりと手をピエールの背中に回した。
逞しい温もりにクロエはしばくの間、酔いしれていた。
毎日使っているドアがいつもよりも少し重い。
緊張と嬉しさと恥ずかしさと様々な感情で乱れた頭は既に思考能力を失っている。
「こ、紅茶でもいれるわ。
座ってて」
「あ、ああ」
何とかそれだけを言葉にするとクロエはピエールを部屋の中に招き入れた。
感嘆の声をあげながら部屋を見渡すピエールを背中にティーカップを取り出す。
どきどきと高鳴る鼓動に陶器のたてる音が煩く響く。
勿論、葛藤はあった。
どんな理由があろうともこれは男を部屋に連れ込む行為に他ならず
クロエが汚らわしいと断じていた事そのものである。
それでも、クロエはピエールに相談にのって欲しかった。
きっとピエールだったら聞いてくれる。
アポロとシルヴィアにも迷惑をかけないでくれる。
そう思った時、クロエは声に出していた。
「ここでいつも寝てんのか?」
「う、うん」
ピエールが椅子じゃなくベッドに腰掛けた事にクロエの鼓動はますます激しくなる。
不快感を感じない事に自分がピエールを好きだという事を改めて認識してしまっていた。
「クロエの匂いがするぜ…いい匂いだ」
「ば、ばか!もう…」
枕を抱えて大げさに息を吸うピエールに突っ込む。
へへっと笑う姿にピエールが元気付けようとしてくれたと気付き
クロエの顔に笑みが咲く。
くだらない、だけど大切なやり取り。
「はい、紅茶…」
「おっ、サンキュー」
ベッドに座るピエールにカップを渡す。
クロエは座る場所を探して部屋を見渡した。
テーブルも椅子も遠い。
ピエールがベッドに座ってしまった以上、そこしか座る場所を見つけられなかった。
そんな言い訳めいた理由を心の中で呟いて
クロエはピエールの隣に腰を下ろした。
「…………………………」
「…クロエ」
「うん…」
紅茶を一口飲むとクロエは覚悟を決めて口を開いた。
説明なんて簡単なものだ。
エレメント能力が暴走してアポロとシルヴィアの会話を聞いてしまった。
その原因はいやらしいものへの興味を私が持っていたせい。
文章だと二行で済んでしまうこの事をクロエは30分以上かけて話し終えた。
恥ずかしくて言葉に詰まっても、焦って言葉をもたつかせても
ピエールは苛立った様子すら見せなかった。
それは女好きを標榜するピエールにとっては当たり前の事だったが
クロエにとっては嬉しい事だった。
だから、さり気なく肩を抱かれても、ピエールは慰めてくれてるんだと
疑いもしなかったし、感じる温もりを拒まなかった。
「そうだったのか……大変だったな」
「うん、でも、アポロとシルヴィアに悪くって…」
「う〜ん、そうだなぁ」
明るい調子であいづちを打つとピエールはクロエの肩に乗せた手にぐっと力を込めた。
「クロエ、顔を上げてくれよ」
言われた通り、クロエはゆっくりと顔を上げた。
視線が交わり、ピエールの手がクロエの耳の下をつかむ。
親指に撫でられる感触を頬に感じながら、クロエは唇を奪われていた。
「んっ…」
クロエの手から空になったティーカップが転がり落ちた。
ちゅっと音を立てる軽いキス。
唇と唇を触れ合わすだけの行為にクロエはわずかに失望を覚えた。
なんだこんなものか、とすら思ったものだ。
だが、すぐにその認識は改められた。
立て続けに行われたキスでピエールはクロエの中に舌を入れたのだ。
「……っ!?」
驚き、戸惑い、仰け反ろうとするクロエだったが
ピエールに抱きすくめられて逃げる事は出来なかった。
そうしているうちにピエールの舌は
ろくに防御方法もしらないクロエの口の中を舐めまわしていた。
そして、舌を舐められるにあたってクロエは身体を震わせ
未知なる刺激に快感をすら覚え始めていた。
そっと離される唇に唾液がか細い橋をかける。
クロエの口からほぅと吐息が漏れると、ピエールはにっこりと笑った。
その笑顔と髪を撫でられる感触にクロエの顔の赤みが増していく。
「どうだった?」
「ど、どうって……その…」
「もう一回、してもいいか?」
恥ずかしくて声なんか出せない。
だからクロエは何も言わず小さく頷いた。
「っん…」
唇を甘噛みされて舌を舐められて唾液をすすられる。
何度も繰り返すキスの中でクロエはうっとりと酔いしれて
ピエールにブラウスのボタンを外されている事に気付く事は出来なかった。
そして気付いた時には14歳の少女らしい控えめな胸を揉みしだかれていた。
「んぐっ!?」
慌てて身を捩り抵抗する。
だが口はふさがれ抱きすくめられている状況でクロエに何が出来ただろう。
その上、この期に及んでクロエはピエールを突き飛ばす事など考えもしなかった。
元から暴力的な発想が浮かばない性格だったし
何よりもピエールに対して抱いていた感情がそうさせなかった。
「ぅんっ…あ…ぁ…」
ピエールの手が力強かったけども乱暴ではなかった。
揉みしだきながらブラをずり上げ全体を包み込むように揉みあげてくる。
膝を擦り合わせるだけでほとんど抵抗を諦め
ピエールの好きなように胸をまさぐられていたクロエだったが
ピエールの指が乳首を揉み始めると劇的に拒否反応を示した。
身をひねり突き飛ばさないまでも必死にピエールの身体を押し返す。
その反応にクロエの本気を見てピエールは胸から手を離した。
「クロエ……泣いてるのか?」
「ぅ…ぅぅ……」
「すまん…!」
神妙な顔をして頭を下げるピエール。
だが、クロエは涙を滲ませながらぶんぶんと首を振った。
「違うの、ピエールが悪いんじゃないの…」
ぎゅっとスカートの裾を握り締めてクロエはピエールを見上げた。
「これ以上されたら駄目なのよ。
私、ピエールに嫌われてしまうわ…」
「ど、どうしたんだよ。
俺がクロエを嫌いになったりするわけないだろぉ?」
少しおどけて振舞うピエールを見つめクロエはぐっと息を飲み込んだ。
「だって、だって私―――エッチだから」
「・・・・・・・・・は?」
「さっき言ったでしょう!
私は、エッチな事を知りたくてエレメント能力を暴走させるような人間なのよ!
だから、だから――」
何が起きたのかピンときたピエールは
言葉を詰まらせたクロエの腰を抱いて引き寄せ、耳元に囁いた。
「クロエ、濡れたのか?」
随分と下品な言い回しだったがクロエは怒らなかった。
それどころか、顔から首、脱げかけたブラウスの間から覗く肌までも
見る見る内に桜色に染めてしまい、無言のうちに肯定してしまっている。
「俺はクロエが好きだ。
そして、スケベな女も好きだ。
…つまり、スケベなクロエだったら最高に好きって事だ」
「す、す、好きって……そんな………本当に?」
ピエールはこっくりと頷くとクロエの唇にそっとキスをした。
初めにしたような触れるだけのキス。
だけど今度はクロエが失望する事は無かった。
「わ、私…嫌われてるかもって思ってた。
私が好きだって、ピエールの事好きだって知ってるはずなのに
何も言ってくれなかったから……」
泣きかけのクロエにそう言われピエールは照れくさそうに顎を掻いた。
「最初はさ、いいのかよって思ったんだ。
アポロは俺達の犠牲になって消えた。
堕天使に捕まった仲間も友達も助かって平和になってすげえ幸せなのに
それを作り出した奴はその幸せを味わえない。
それなのに俺はこの幸せだけに飽き足らず、
好きな女と付き合うなんていいのかってな」
「ピエール……」
真剣な表情のピエールの手をクロエの手がそっと握り締める。
「そんであいつが帰ってきて、よしじゃあ俺も遠慮しなくていいかと思った。
けどさ、何て言っていいか分かんなかったんだよ。
きっかけが無いっていうかさ。
踏ん切りがつかなかった」
ピエールは白い手を握り返し、真剣な目でクロエの顔を覗き込んだ。
「俺はクロエが好きだ。
そして、クロエとエッチな事もしたい!」
「ぴ、ピエール…」
「正直言うとさ、チャンスなんて思ったよ。
悩んでるお前を見て、心配もしたけど下心もあった。
嫌なら無理強いはしない。
でも、俺はクロエを抱きたい」
ピエールの真剣な瞳にクロエは見惚れていた。
いつになく真剣な表情、力強く握られる手、いまだに残っている口の中を舌が這う感触
抱きしめられた温もりと慰めてくれた汗臭い匂い。
これら全てのものが求めてくれている。
そう思うとクロエの下着はまた水分を含んだ。
「ど、堂々と言うのね。
恥ずかしくないの……?」
「ぜーんぜん!
好きな女を抱きたいって思うの当たり前だろ!
俺は全く恥ずかしくないぜ!」
クロエの価値観ではエッチ=いけない事だった。
だけど。
もしかしたらそうじゃないのかもしれない。
勇気を振り絞ったクロエは繋いでいる手を控えめな胸に抱き寄せた。
「私で…いいの?」
鼻にかかった甘い声で上目遣いにピエールに確認する。
盗み聞いたシルヴィアの声を参考に、本能が女の魔性を作り出す。
手に当たるふにっとした感触と潤んだ瞳の見上げる角度にピエールの理性は崩壊した。
「クロエっ〜!」
「きゃっ…んぐっ」
唇を塞ぎ、胸を揉みながら圧し掛かる。
胸をこねくり回しても唾液をいっぱい飲ませてもクロエにもう逃げ場はない。
勿論、逃がす気もない。
「はぅ…んっっ、やぁ…」
クロエの口の中を堪能するとピエールは口を離し
そのまま乳房にかぶりついた。
新たな刺激に柔らかな肢体が跳ねる。
舐められる事自体初めてなのに、吸われて転がされ甘く噛まれて
少女の身体がもがくようにベッドの上で身を捩った。
ピエールの手は踊るようにくねるクロエの腹を、背中をさすり
新たな弱点を探し出そうと探索の旅に出ている。
その旅が腰に到達するとピエールは乳房から口を離した。
「いいよな、クロエ」
スカートのホックに手をかけられてそう聞かれればクロエにだって
どういう意味か分かる。
もう今更引き返す気も無いが、一回だけ深呼吸をして体を起した。
「…自分で脱ぐから、ピエールも脱いで?」
「そうか、脱がせたかったんだが…分かった」
ピエールはいつもの調子で明るくそう答えてくれた。
その事に感謝しながらクロエは靴を脱いでベッドに登った。
ギシギシと頼りないスプリングを踏み確かめるように中央まで行くと
ピエールに背中を向けて、羽織っていただけのブラウスを脱いだ。
そのままずらされていたブラも取り去ると顔だけで振り返りピエールの様子を盗み見る。
「ちょっと!何見てるのよ!」
「いいだろ?見たいんだよ」
「駄目よ!もう!」
残念がるピエールが可哀想な気もするがこればかりは仕方ない。
目の前でストリップするなんて恥ずかしすぎる。
クロエは憤慨した振りをしてベッドの上に座り込むと
着布団を腰に巻くようにバリケードを作ってスカートに手をかけた。
じたばたしながらスカートを取り去ると靴下を脱ぐ。
あとはもう下着一枚だけになってクロエは自分の下半身を見下ろした。
小さなリボンがついているだけの白い下着のほとんどが黒く濡れている。
アポロとシルヴィアの会話を聞いていた時よりも更に酷い。
(こ、こんなの見られるわけにはいかないわ!)
咄嗟にそう考えたクロエはさっとパンツをずり下ろした。
そして、下ろしてからハッと気付く。
汚れた下着は見せたくないが中身だって見られるの恥ずかしい。
「クロエー、いいかぁ?」
「い、いいよ」
さっさと全裸になり、避妊具まで装着して完全体となったピエールが振り返った。
そこでピエールが目にしたもの。
それは着布団をすっぽり被って顔だけを出しているクロエの姿だった。
「ぴ、ピエール、あ、開けないでよ!」
「どうやって入るんだよ?」
「入るのはいいわ。
でも、開けて見ないで!」
そう言うとクロエは真っ赤な顔を向こうに向けてしまった。
ピエールは可愛らしい態度に微笑みながら布団の端に手をかけた。
希望に沿うように開けてから素早く中にもぐりこむ。
そして、クロエの上に身体を重ね合わせた。
「………………」
熱気のこもる布団の中で
しっとりと柔らかな肌がピエールの肌を受け止め
逞しい筋肉の詰まった身体がクロエの身体を包み込む。
どちらともなくキスが始まる。
どうしたって経験の差でクロエは攻め込まれてしまうが
それでも懸命に舌を動かしてピエールを喜ばせる。
そして、キスをしながらピエールはクロエの脚を掴み
強固に閉じられた太腿を撫で摩る。
太腿を揉む手が徐々に内側へと迫り、きわどい場所へと差し掛かった時
クロエは少しだけ脚を開いた。
「クロエ…」
すでにはちきれんばかりに膨張したものをクロエの女陰へとあてがう。
自然と見つめあい、口を吸う。
吐息のかかる距離で見つめられたクロエは視線を逸らして、
こっくりと頷いた。
「っっ!」
ゆっくりと、腰を掴んだピエールがクロエの中へと侵入していく。
肉の門を押し開き、張り付いた肉を引き裂いて奥へ奥へと進んでいく。
「っ〜〜!!」
痛みで背を反らし、シーツを握る指から血の気が失せる。
息を吐くことすら出来ずクロエは歯を食いしばった。
そこでようやく、ピエールの動きが止まる。
ぜえぜえと苦しそうに息をするクロエをピエールはおもむろに抱きしめた。
「ぁ…ぅんっ…!」
「クロエ、愛してるよ」
腹の中に埋められた熱い肉の塊にクロエは返事を封じられ
腕の下で恥らう乙女の柔肉にピエールは酔いしれる。
沢山分泌したはずの体液も痛みを消してはくれない。
だけどクロエは幸せだった。
シルヴィアが苦しくてもアポロに身体を許していた気持ちが分かった気がした。
クロエはそれをピエールに伝えたかった。
自分に構わず動いていいと言いたかった。
だけど、上手く話せそうになかったので、
クロエはピエールを抱きしめ返した。
「クロエ…」
どうやら意図は伝わったらしい。
それからピエールはクロエの身体を突き上げ始めた。
両腕を回し抱きしめたまま激しく腰を振ってクロエの粘膜を撫で擦る。
パンパンと肉を叩く音が布団にこもり、熱気に溶けていく。
何度も貫かれてクロエが泣いているような声を上げ始めた頃、
ようやくピエールは欲望を吐き出した。
終わった事にも気付かずに痛みを堪えるクロエの髪をピエールの指が梳いていく。
しばらくして終わった事に気付いたクロエがそっと目を開いた。
見えたのは抱きしめてくれる恋人の姿。
痛かったけど、苦しかったけど、クロエは幸福だった。
「クロエ、大丈夫か?」
「うん…」
本当は凄く痛かった。
労わってくれたからそれだけで満足してしまいそうだけどやっぱり痛かった。
だけど、どうしようもなく嬉しい。
「私、良かった…?」
「ああ、最高だった」
「良かった…」
もう一度、キスをする。
分かり合えた、繋がったキス。
「クロエ、これからはどんな時も俺がついててやるからさ。
元気出せよ」
「ピエール…」
そうだ、これからは一人で悩まなくていいんだ。
そう思うだけで不安も吹き飛んでいく。
だから、クロエは早速わがままを言う事にした。
「ピエール、今日泊まって行ってくれる?」
「今日だけ、なんて言うなよ?
俺はもうずっとクロエを離すつもり無いからな」
この日からクロエがアポロとシルヴィアの会話を聞く事は無くなった。
代わりに、弟ではないある男と離れていても会話できるようになったのだが
それはまた別の話である。