ディーバの商業区域にある小さな洋菓子店は、店内を異様な空気に支配されていた。  
「さて、そろそろ人の買い物を邪魔するお邪魔虫くんは消えてくれないかな〜?」  
サッカーのユニフォームに身を包んだ青年があさっての方向を向いて独り言を言うと、  
「邪魔なのはどこかのマイナーチームのサポーターじゃないかなぁ?  
 この店は小さいんだから、馬鹿みたいに大声を出してると店の人にも迷惑だろうな」  
学生服を着た青年が、別の方向を見ながら小声で、だがしっかりと相手に聞こえるように独り言を言う。  
「誰がマイナーチームのサポーターだ!? 俺はちったぁ名の知れたエースストライカーなんだぞ!」  
「でも、姉さんだけでなくディーバの人達はほとんど所属チームの名前を知らなかっただろ?  
 なら立派なマイナーじゃないか」  
「そりゃ堕天翅の復活で通信手段があまりなかったから……!」  
「ピエール先輩もクルト先輩も、そのくらいにして下さいよ〜」  
二人に挟まれて縮こまっていたジュンが、それぞれの服の端を引っ張る。  
「ホワイトデーのお返しを買いに来ただけなのに、なんでそんなに喧嘩腰なんですか?  
 大声以上にそっちのほうがお店の迷惑ですよ」  
「そっ、それは……」  
「……君には関係ないだろう」  
「関係大アリです。ほら」  
ジュンが指差した方向を見ると、カウンターの向こうで接客用の笑顔を引きつらせた店員が  
「あの……わたし、奥にいますので、お決まりになりましたらお声をかけて下さい」  
と言って、そそくさと去っていった。  
 
「そもそもホワイトデーというのは、バレンタイン司教のおかげで結婚できた恋人達が  
 司教が処刑されてから一ヶ月後に改めて永遠の愛を誓い合ったという逸話が元でして……」  
ジュンの長口舌を華麗にスルーしつつ、ピエールとクルトはそれぞれディスプレイされた  
色とりどりのお菓子を検分した。  
(クロエはどれが好きなんだろ。いっそのこと全部買ったっていいけど……くそっ!  
 こういう時、実の弟ってのは有利だよな)  
(姉さんの好みなら何でも知ってるけど、資金力ではプロ選手として活躍してたピエールに負けるかな)  
……訂正。お菓子を検分するふりをしつつ、お互いの一挙一足を横目で監視している。  
(こいつには……)(ピエールには……)  
((絶ッ対に負けたくないっ!))  
火花を散らす二人に全く気づかず、ジュンの長口舌は続く。  
「お菓子ならキャンディ、クッキー、マシュマロを贈ることもありますが、  
 バレンタインの告白のお返しとして指輪やネックレス等の装飾品を……」  
「「それだーーーっっ!!!」」  
「えぇっ!? なっ、何ですか!?」  
ぴったりハモった二人の絶叫に、ジュンは肩をびくつかせた。  
「……何が『それ』なのかな、クルトくん?」  
「ピエールこそ、何が『それ』なのか教えてくれないか?」  
「あ、あの〜……ピエール先輩? クルト先輩?」  
再び漂い始めた不穏な空気をどうにかしようと声をかけるが、二人の視界の中に既にジュンの姿はない。  
「まさかお前、クロエにお菓子だけでなく指輪も贈ろうなんて考えてねぇよなぁ?」  
「そう言うピエールこそ、姉さんに指輪を贈る気だろ?」  
「ふふん。指輪もいいけどネックレスにイヤリングもつけちゃおっかな〜。  
 ブレスレットにアンクレット、ヘアピンもいいと思わねぇ?」  
「姉さんにそんなゴテゴテした飾りが似合うわけないだろ!  
 そもそもピエールにセンスのいい物が選べるとは思えないなぁ」  
「ああもう、二人ともやめて下さいよ〜! ……ん?」  
二人の険悪なオーラが漏れ出したのか、店内に飾られたランプがカタカタと揺れる。  
いや、これは……  
「しゃがんで!! 地震です!!」  
突き上げるような揺れが来たのは、ジュンの警告とほぼ同時だった。  
「うおっ!」  
「わぁっ!」  
ジュンに遅れてピエールとクルトも頭を抱えてしゃがみこむ。  
ガタガタと店全体が揺れ、ディスプレイやお菓子もどんどん床に落ちて……いくものの、  
ガラスが割れたり、ドアが壊れたりするような音は全く聞こえない。  
揺れは次第に小さくなっていき、完全に収まってから三人はゆっくりと立ち上がった。  
 
「……あれ?」  
視界の端に金色の小さな手のようなものを見たジュンは、半分ずり落ちていた眼鏡を直して  
きょろきょろと周囲を見回した。  
「気のせいかな? …………ぁああああああっっっ!!!」  
「どうしたジュン!?」  
「先輩っ! お、お……」  
「落ち着くんだジュン。ほら、深呼吸をして……」  
「お菓子がありませ〜〜〜ん!!!」  
ジュンの絶叫に、二人は改めて店内を見回した。  
床に小さな穴がいくつか開いているが、建物自体は無事である。  
飾られていた絵や花瓶なども、割れることなく床に並んでいる。  
しかし、棚に並んでいたクッキーの缶やマシュマロの箱だけでなく、店頭に飾られていた繊細な飴細工や、  
カウンターに並べられていたケーキも、全てが綺麗に消えていた。  
残っているのはレジの横にあった小さな飴の入った袋が三つ。  
「な……何じゃこりゃぁぁぁっっ!?」  
「まさかピエール、僕に姉さんへのお返しを買わせないためにっ!?」  
「んなわけあっか!! 誰かがこの穴から盗んでったんだろ!」  
「穴から……?」  
ジュンは視界の端に映ったモノを思い出し、床の穴をまじまじと観察する。  
五つ目の穴を覗き込んで、半ばつかみ合いになっている二人に声をかけた。  
「…………ピエール先輩、クルト先輩」  
「ん?」「何だい?」  
「これ、見て下さい」  
ジュンに示された穴を、二人もじっと覗き込む。  
「穴をあけた誰かさんは、盗んだつもりはないと思いますよ。  
 向こうにはマナーや常識にうるさい先輩もいますしね」  
その中には、小ぶりながら上質の宝石が一つ置かれていた。  
「なるほどね。ま、これを換金すりゃぁ店の修理代を入れてもお釣りがくるだろうけどさ」  
苦笑いを浮かべて宝石をつまみ上げたピエールに、クルトも同じ笑顔で返す。  
「彼らが無事なのはいいけど、僕達のホワイトデーのお返しはどうするんだい?」  
「…………しまったあああぁぁぁぁぁっっっ!!! つぐみさんへのお返しがぁぁぁっっ!!」  
「残っているのは飴の小袋だけ、か……」  
「つまり、お菓子については平等なわけだね……」  
頭を抱えてへたりこんだジュンを尻目に、ピエールとクルトは三度火花を散らし始めた。  
 
「うっめー!! ケーキも飴もクッキーも、久しぶりの食い物は何でもかんでもうめー!  
 なぁ、もっと食べてもいいだろ?」  
「馬鹿者! シルヴィアと麗花に贈る分を忘れるな!」  
「可能な限りアームの質量を減らしても大地が揺れるとなると、  
 深夜に気づかれぬよう届けるのは無理だと思うが……」  
「んー……んじゃ、やっぱリーナに渡してもらうよう頼むしかねーかな」  
「ならばリーナへの礼の分も残しておけ」  
「……音翅の分も、いいか?」  
「わーったよ。菓子の代金立て替えてもらったしな。それよりさ、お前ら何してんだ?」  
「翅にメッセージを刻んでいる。ここには紙もペンもないからな。  
 シルヴィアならばこの翅に込めた思いを詠み取れるだろう」  
「私は……戯れに、刻んでいるだけだ」  
「ふーん…………どうせ紙があったって、字なんてろくに書けねーしなぁ……」  
「何をぶつくさ言っている」  
「ふむ……私が代筆してやろうか?」  
「えっ、いいのか!?」  
「こんな奴のためにですか?」  
「フッ、彼女にも翅を送ろうと思っていたからな……」  
「やったー! ちょっと待ってろよ、今内容考えっから!」  
「馬鹿の考え休むに似たり……」  
「フフフフフ……」  
「おい、お前ら俺のことバカにしただろ?」  
 
 
おまけ  
 
「ありがとう、お兄様……」  
緋色の翅を真新しい写真立てに飾り、シルヴィアは可愛らしい包みをそっと握り締めた。  
兄から贈られた色とりどりの飴玉にはまだ手をつけていない。  
飴は日持ちするし、後でも楽しめるから……と、目の前にいない兄に言い訳し、  
少し袋の口が緩んでいるクッキーの包みを開く。  
「……やっぱり」  
半月の形に欠けた一枚を取り出して微笑を浮かべた。  
「ま、食いしん坊にしては残してあるだけ上出来かな?」  
口唇を軽く半月の縁につけ、半月を三日月にする。  
と、袋の中に白い翅も入っていることに気づいた。  
「あれ? 頭翅からのお礼状なら読んだのに……。入れ間違えたのかしら?」  
翅を取り出し、左手に乗せたそれに意識を集中する。  
麗花がドアをノックしても気づかないほど、シルヴィアは翅のメッセージに気を取られていた。  
「ちょっといい、シルヴィア? リーナにシリウスからのメッセージを  
 読んでもらおうと思ったんだけど、あいにく出かけてるみたい……で……」  
返事がこないのでドアの隙間から麗花が覗きこんだ先には、怒りのオーラに包まれた般若がいた。  
「シ、シルヴィア?」  
「……あンの堕天翅がぁぁぁぁぁっっっ!!!!!  
 殺る! 今すぐにでもコキャッと殺る!!! いいえ、むしろゴスッと!!」  
「ちょっ、どうしたのよシルヴィア!?」  
「止めないで麗花! 何としてでも奴をシメなきゃ気がすまないわ!!」  
「だ、誰か来て! シルヴィアが!!」  
顔を真っ赤にして荒れ狂うシルヴィアとなんとか落ち着かせようとする麗花の様子を、  
リーナは庭園の影からじっと見て、  
「……やっぱり、避難しておいて正解だったわ」  
と、小さくため息をついた。  
 

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