季節の割に、暖かい日が続いていた。こういうときは、昼間でも無性に眠くなって仕方がない。  
授業中はどうにか耐えたが、それももう限界に近かった。  
 
 放課後の教室で、梨穂子は机に突っ伏していた。  
もし寝入ってしまっても、いつも通り純一が迎えに来てくれるから心配はない。  
あの夢のようなクリスマス以来、ふたり揃って下校するのがすっかり日課になっていた。  
 
 寝ようと決めてしまうと、そこからは熟睡に向けて一方通行だ。  
時おり廊下に響く足音をなんとなく気にしながら、梨穂子は眠りに落ちていった。  
 
「……桜井?」  
「んにゅ……」  
「おーい、桜井ー。おきろー」  
「ん……じゅんいち?」  
 
「残念、私は伊藤です」  
「……わっ、か、香苗ちゃん?びっくりしたぁ……」  
「彼氏じゃなくて悪るございましたね〜」  
「も、もう、からかわないでよ〜」  
「まったく、こんなとこで寝てると風邪ひくよ?……てか、橘君は来てないんだ。今日は一緒に帰るんじゃないの?」  
「……あ、そっか。香苗ちゃん、いま何時?」  
「もう5時近いよ」  
「えっ?そんなに!?ど、どうしたんだろう」  
「ふむ……なんかあったのかねぇ」  
「先に帰っちゃったのかなぁ……」  
「ひょっとして、勘違いして校門辺りで待ってるんじゃない?」  
「それはないと思うなぁ。いつも教室まで迎えに…………あっ!」  
「ん?」  
「そうだった……今日は用事があるから帰りは別って、あの人がお昼に言ってたんだ……」  
「あらら。そんじゃ桜井は、来るはずのない迎えをアテにして、いままで暢気に眠ってたわけだ」  
「うう〜、意地悪な言い方しないでよぉ」  
「いや、なんだか桜井らしいわ。どうせだから私と帰る?彼氏の代わりにゃならないけどさ」  
「そ、そんなことないって。香苗ちゃん、一緒に帰ろうよ。えっと、かばんかばん……」  
 
「……と、ちょっと待った桜井」  
「え?」  
「帰るのは、もうちょっと経ってからの方がいいかも……」  
「な、なあに香苗ちゃん?ちょっとにやけてるけど……」  
「だってあんた、……ぷぷっ。顔に思いっきしセーターの跡ついてるよ?」  
「え?……うあっ、本当だっ。ほっぺがでこぼこしてる〜……」  
「まあ、あんな姿勢で寝てりゃあね。それが取れるまで、なんかお話でもしてよっか」  
「うう……ごめんね〜……」  
「いっていって。私も、ちょうど桜井と話したいことがあったし」  
「え?私と?」  
「うん。その、橘君のことで、ちょっと聞きたくてさ」  
「純一!?」  
 
 思わず、声が裏返ってしまった。香苗が、純一のことを気にしている。一体なんだというのか。  
純一が好きだなどと言われたら、どうしたらいいかわからない。  
 
「ちょ、なんて声出すの」  
「だって、香苗ちゃんが…………じ、純一が、なあに?」  
「心配しなくっても、横取りする気なんかさらさら無いって」  
「えっ?な、なんで私の思ってること……」  
「あー……まあ、桜井の思考って、言っちゃ悪いけどあんまり複雑じゃないしね。彼氏に関わることでは、特に」  
「ひ、ひどいよ〜」  
「褒めてるんだって。……でね、私の聞きたいことってのは、あんたらふたりの話なわけ」  
「純一と、私?」  
 
「そ。普段何してる、とか、どんなこと話してる、とか。そういうカップルの……生態?教えてほしくてさ」  
「そそ、そんなの聞いたって面白くないよぉ!」  
「それがそうでもないんだって。ねえ桜井、ダメ?思いっきり惚気るチャンスだと思ってさ。ね?お願いっ」  
「普段は冷やかしてるくせに……」  
「それとこれとは別だって。ね?いいでしょ?」  
「そんなに知りたいの?……な、なんで?」  
「あ……いや、実はね。あんた達の幸せそうな様子見てたら、私もそろそろ行動してみようかな〜、なんて思えてきてさ。  
そのための予習というか、男の子の振り向かせ方……までは行かなくても……。  
とにかく、その手のリアルな話を聞きたくなって……」  
「それってつまり、香苗ちゃんも誰かに告白するってこと?」  
「……まあ、近いうちに……ね」  
「うわぁ。そうなんだぁ。素敵だなぁ。……ねね、それってやっぱり」  
「わあぁっ、個人の特定はナシ!ね?そんなわけだからさ、話してよ桜井!」  
「むぅ……本当に香苗ちゃんのためになるなら、まぁいいけど……」  
「さっすがっ。持つべきものは彼氏のいる親友だね!」  
「じ、じゃあ、この間のデートの話からするね……」  
「うん!!」  
 
 それからしばらく、梨穂子は自分と純一との蜜月をほとんど隠すことなく話していった。  
途中から妙に楽しくなってきて、気が付けばかなり恥ずかしい話も混ざってしまっている。  
どの日に、どこへ行って、どんな遊びをして、どんなキスをしたのか。  
香苗は、その全てを食い入るように聞いていた。  
 
「……それでね、そこは人通りの少ない場所だったから、ついドキドキしちゃって……」  
「……また、キスしちゃったんだ?」  
「えへへへ……。その日はね、帰るまでに4回もしちゃったんだよ……」  
「……う〜ん。多少の胸焼けは覚悟してたけど、こりゃ想像以上だね……」  
「か、香苗ちゃんが話してって言ったんだからね?」  
「わかってる。まだまだ限界は超えてないから大丈夫」  
「も〜。限界って、なんのぉ?」  
「……でもさ。ここまでの話聞いてると、あんたらってけっこうお互いの家に上がりこんでるんだね」  
「うん?まあ、そうかな。昔もよく行き来してたけど、付き合ってからはその頃より多くなったかも……」  
「それだけ部屋にいたりしてさぁ、その……」  
 
 香苗の言おうとしていることは、すぐにわかった。  
これまでの話の中で、梨穂子にはひとつだけ避けている話題がある。  
それを承知した上で、あえて聞き出そうとしているのだ。  
 
「……香苗ちゃん。そこから先はだめだよ……?」  
「だって!ここまで来たら聞きたくなるじゃん!」  
「だめったらだめなの〜!」  
「ねえねえ、ちょっとだけでいいからさっ。デートの最後……キスの後ってさ、やっぱり……」  
「き、聞こえないんだから〜」  
「……やっちゃってるんだよ……ね?」  
「……もくひけん、です」  
「それは自供と見なしてもよろしいか?」  
「ぜんぽう!こうえん!ふ〜〜ん!」  
「ごまかした!すごく無理やりごまかそうとした!やっぱりそうなんだ!」  
「恥ずかしいから思い出させないでぇ〜〜〜っ」  
「……ありゃ。白状しちゃったよ、この子は」  
 
 顔が、熱い。  
香苗につつかれた拍子に、純一と交わった日々の光景が、まざまざと浮かんできてしまった。  
落ち着こう、と思うことすら、もうまともに出来ない。  
 
「ゆるしてぇ……」  
「だぁいじょうぶだって、誰にも漏らしたりしないからっ」  
「そんなの当たり前だよぉ。香苗ちゃんに言うのだって、もんのすごぉく恥ずかしいんだよ?」  
「そこをこらえてさ。ほんのちょっとだけ、聞かしてくんない?そしたら、クレープおごっちゃう!」  
「恥ずかしくてクレープどころじゃないってばぁ」  
「桜井の好きな、チョコチョコシュガープリンバナナティラミスダブルスペシャルでどう?」  
「……う」  
 
 香苗の声に合わせて、頭の中でみるみるぶ厚いクレープが完成していく。  
 
「さらに、アイスも追加しちゃおっかな!?」  
「……うう〜〜〜〜」  
「ドリンクもいいよっ。ほろにがココアで味のバランスを取っちゃおうっ」  
「は、話してもいい……かなぁ……」  
 
 口が、勝手にそう言っていた。少なくとも、そう思いたかった。  
 
「やりぃ」  
「うぇっ!?し、しまったぁ……」  
「前言撤回は禁止だよ?ほら、さっさとよだれ拭いてっ」  
「よだれ……垂れてたんだ……」  
「垂れてる垂れてる。……よし、じゃあまずはその話からだね」  
「え?その話って、クレープ?」  
「違くて、よだれ。大人のキス、っていうかさ。……舌とか、絡めちゃうんでしょ?」  
 
 梨穂子は、もう観念するしかなかった。なぜか、少しは喋ってしまいたいような気もする。  
クレープのことは、早々に頭から消え去った。  
 
「う……うん。する、よ。最近は、キスする時はほとんど舌も入れちゃうかな……」  
「……始まりましたな。そ、それで?どんな感じなの?」  
「味はね、意外となにもなくって……  
ただ、あの人の舌は、いつも私のをいっぱいいっぱい舐めようとするから、すごく嬉しくなっちゃって……」  
「……ごく」  
「だから、私も純一の舌がすごくほしくなって、気が付くと音とか立てはじめっちゃったりするんだ……」  
「……」  
「それにね、私の方が背が低いから、あの人の唾がどんどん流れ込んでくるの。それもね、飲んじゃう。  
そうするとね、なんだかふしぎなお薬みたいに、幸せな気分にしてくれるんだよ……」  
「……」  
「か、香苗ちゃん、大丈夫?顔が真っ赤だよ?」  
「えっ!?へっ、平気平気。で、その先は?いつまでもキスしてるわけじゃないんでしょ?」  
「あ、うん。そうしてるうちにね、あの人が、その……触ってくるから……」  
「……触るって、どこを?」  
「最初は、腰かなぁ。そこから、上か下かって感じ」  
「うえか、したか……」  
「うん。普段はなんともないのに、キスの後に触られると、なぜか嬉しいんだよね。  
腰だけでも、ちょっとゾクッてなっちゃったり」  
「でもって、上か下か、と……」  
「う、うん。どちらかというと、胸に行く方が多いかなぁ。お腹とかも、さすってくれるけど……」  
「おなか?」  
「うん。こうやって、服に手を入れて。梨穂子の肌、あったかいよって、すごく喜んでくれるんだよ。  
大抵は、そのままバンザイして上着を脱がせてくれるかなぁ」  
「う…」  
 
「でね、私ってこんな体型だから、見られるとちょっと自信なくて。  
……でも純一はね、梨穂子の体はやわらかいし、あったかくて大好きだよ……って言ってくれるの。  
そのまま抱きしめられると、あたまがぼーっとなっちゃって、すごくすごく幸せなんだぁ……」  
「……そう、なんだ」  
「そこから、またひとしきりキスですよ。今度は私が唾をあげたりしてね、あの人もどんどん飲んでくれるの。  
……でね、いつの間にか、ホックが外されてるんだよね」  
「ホック?あぁ……ホック、ホックか。えぇっ?ホック!?」  
「そうなの。不思議なんだよねぇ。  
私は、キスしてたらそれに夢中になっちゃうのに、あの人はキスしながら他のことができちゃうの。  
でね、そこからは、胸を……」  
「なるほど、その大きい胸を……」  
「……いままでは、大きくて嬉しいことってあんまりなかったけど、いまは違うんだ。  
あの人を、喜ばせてあげられるから……」  
「そ、それはどんなふうに……」  
「……それも、言わなきゃだめ?」  
「聞きたい」  
「……自由にさせてあげる、ってだけだよ?それでもね、純一はすごく優しいの。  
最初は絶対に強くなんかしないで、やわやわ〜ってしてくれるから、私も少しずつ、き……きもちよくなっちゃって……」  
「……じゅるり」  
「おっぱいの下の方をね、こう、くすぐるみたいにされるとね……  
ゾクゾクってなって……そうすると、こんどは先の方が硬くなってくるから、そこを……」  
「……」  
「きゅう、って押し込まれて……ぴんっ、って弾かれて……思わず、声が出ちゃったりして……」  
「……」  
 
「でね、私も純一のことが好きで好きでしょうがなくなっちゃって、胸の中にぎゅう〜、って抱きしめてあげるの」  
「……」  
「そうするとね、純一は胸にもいっぱいキスしてくれて、それで……おっぱいも、舐められたりして……」  
「うあ…」  
「あの人ったらね、赤ちゃんみたいなんだよ。ずうっと、私のおっぱい吸ってるの。  
片方を吸いながら、もう片方は手で弄られてね。あれって気持ちいいから、私もつい変な声が出ちゃって……」  
「あう……」  
「……」  
「そ、それで?桜井」  
「……」  
「さくらい〜?」  
「うえっ!?あ、ごめん」  
「だ、大丈夫?なんか、表情が恍惚っていうか……」  
「えへへへ……思い出してたら、ボ〜っとしちゃった……」  
「そっか。……まあ、気を取り直して続きを……」  
「ねえ、香苗ちゃん。ここまでじゃだめ?」  
「え〜っ?なんでなんでぇ?ここからが重要なんじゃん!」  
「だ、だからだめなんだよ〜。いくらなんでもアレのことは……誰か聞いてるかもしれないし……」  
「誰も来やしないって。ね?話してくれなきゃクレープ抜きだよ?」  
「く、クレープが懸かってても、これはだめなんだからっ」  
「む……」  
「……じゃあ、交換条件。香苗ちゃんの好きな人、教えて?そしたら、その……最後まで話してあげるから」  
 
 こうすれば、香苗も引き下がるはずだ。梨穂子自身、ここまでつい調子に乗ってしまったところはあるものの、  
さすがに『本番』のことまで晒すつもりにはなれない。  
梨穂子にすれば、かなり上手いことを言ったつもりだった。  
 
「え?それでいいの?じゃあ、言う」  
「え」  
「……梅原君、だよ。っていうか、もうとっくにばれてるかと思ってた」  
「……あ、そっか。やっぱり、そうだったんだ。……えへへ。頑張ってね」  
「うん。さんきゅ」  
「……」  
「……さて、桜井」  
 
 梨穂子の作戦は失敗した。香苗の目が、らんらんと輝いている。  
 
「えっと、香苗ちゃん……」  
「交換条件って言ったよね?」  
「それはその、ナシの方向で……」  
「言ったよねぇ?」  
「……うぅ〜」  
「さささ。小声でいいからさ。……キスして、触られて、その後はどうなっちゃうわけ?」  
「そ、そのあとは……」  
「あとはっ?」  
「純一もシャツを脱いで……はだかになって……」  
「おお……」  
「スカートとか穿いたままだったら、私はそれも脱いで、そのくらいでいつもは……べ、ベッドに寝かせてくれて……」  
「……それで、いよいよ?」  
「えっと、まだそこまではいかなくて、しばらくは触り合ってるの。  
……肌と肌がいっぱいくっついて、純一をいっぱい感じられて。  
なんだかね、抱えきれないくらい幸せになっちゃうんだよ……」  
「……ごくり」  
「純一の手って大きくて、安心するんだけどドキドキして……  
それがだんだん下に動いていってね……おしりとか……そこ、とか……」  
 
「……そこ?」  
「わ、わかるでしょ?」  
「う、うん。……その部分、だよね。他人に触られるのって……どうなの?」  
「……他人っていうか……純一に触られるのは、すごくいいよ。  
……どうすれば私が喜ぶのか、ちゃんと覚えていてくれて……ゆっくり、じっくりなぞってくれて……」  
「……」  
「指だけじゃなくて、てのひらで覆うみたいにしてね、波みたいにゆらゆら〜、って手を動かすの。  
熱くて、優しくて、どうしようもないくらい気持ちよくて……」  
「……」  
「でもね、ときどきいじわるなんだよ。濡れちゃったのを、私に見せてくるの。  
指についちゃった〜、って。梨穂子、どうしてくれるんだ〜、って」  
「ぬ、ぬれ……」  
「ひ、ひどいよね?それで私が恥ずかしがってるとね、梨穂子はかわいいなぁ、なんていって、何回もキスしてくれるの。  
ちょっと悔しいけど、すごく嬉しくて、私はもう我慢できなくなっちゃって……」  
「……」  
「目を見るとね、ちゃんと通じるんだよ。何も言わなくても、黙って頷いてくれるの。それでね、下着も全部とって……」  
「……」  
「あ……えっと……」  
「ど、どうしたの?その先は?」  
「な、なんというか……どう説明したらいいのかわからなくて……」  
「わかんないって?」  
 
「その、実際にしてるときは夢中というか頭がいっぱいだから、うまく言葉にできないっていうか……」  
「なな、なるほど。じゃあ、私から質問していい?」  
「うう、まあいいけど……」  
「……入ってくるときって、どんな感触なの?」  
「うぇ、えっと……例えるなら、内臓の下からなにかが潜ってくる……みたいな?」  
「ないぞう…」  
「香苗ちゃんは、ナプキンだよね?」  
「えぇっ!?な、何を突然っ??」  
「た、タンポン使う人なら、少しはわかるかもと思って……私は違うんだけど」  
「そ、そう。残念ながら、中1で始まって以来ずっとナプキン系だなぁ……」  
「……中1なんだ」  
「ううううるさいなぁ、余計なことはいいから!」  
「ご、ごめん」  
「次いくよ、次っ。ええと……そ、それって痛いの?内臓えぐってくるんでしょ?」  
「うんと……最近はほとんど痛くない、かな。無理しなければだけど」  
「でも、最初の頃ってやっぱり……」  
「う、うん。痛かった。でも、覚悟してたほどじゃなかったよ。血がどわわーっ!  
……なんてこともなかったし。まあ、少しは出たと思うけど……」  
「けっこう、うまくいったんだ?」  
「うん。多分、純一が相手だったからだと思うな。  
普通にしてても、お互いのことがなんとな〜くわかっちゃうこととかあるし。  
だから、あんまり痛くない風にできたんじゃないかな、って」  
「……うーん。なるほどぉ。愛の力、ってわけですか。  
……そんでさ、実際に入れてもらうのって、どのくらい気持ちいいもんなの?」  
「それは、その……さっき言ったとおりだよぅ」  
「夢中で、頭いっぱいになっちゃうくらい?」  
「……ん」  
「……想像できない」  
「うん。ほんとに気持ちよくなれたのは4回目くらいだったけど、そのときは口に出しちゃったもん……」  
「……なんて?」  
「……なにこれ、すごい〜!……って……」  
「うわぁ……」  
 
「お、お願いだから引かないでぇ……」  
「引いてない。引いてないけど……桜井って、もう大人なんだね……」  
「そんなことないよぉ……香苗ちゃんだって、いつか梅原君と……」  
「わわわ、私達はまだ付き合ってすらないしっ」  
「でも、見てるといい感じだよ?ふたりとも、お似合いだと思うけどなぁ……」  
「……ああっ、もう、変なこと言わないでよ!明日からまともに顔見れなくなるじゃんか!」  
「ふふん。私にばっかり恥ずかしい話させた罰ですよ〜」  
「こ、この桜井め……」  
「……ねえ、今度こそお終いにしていい?なんだか疲れちゃった」  
「……そだね。私も疲れた」  
「な、なんだか暑いね……」  
「うん。…帰ろっか」  
「ふふ。そだね」  
 
 喋っていただけなのに、頭の芯がぼうっとする。深呼吸を2回して、梨穂子は立ち上がった。  
陽はほとんど落ちて、部活動の喧騒もなくなっている。早く帰らないと、先生に小言をもらうかもしれない。  
梨穂子にとって思いもかけない声が響いたのは、昇降口に着いたときだった。  
 
「あれっ、梨穂子?」  
「じ、純一!?なんで……!」  
「なんでって、こっちの台詞だよ。帰ってなかったのか?」  
「おやおや、運命の再会ってやつ?さすがだねあんたらは」  
「あ、香苗さんも……ふたりとも、なんか顔が赤くない?」  
「ええっ?き、気のせいじゃないかなぁ?」  
「そ、そうだよ、気のせいだよねぇ、桜井?  
……つーかさ、この子ったら、今日はあんたが来ないってことすっかり忘れて教室で居眠りしてたんだよ?」  
「……梨穂子、お前なぁ……」  
「め、めんぼくない……」  
 
「でもさ橘君、今日は愛しい彼女をほっぽってまでなんの用事だったの?しかも校内でさ」  
「それが、ちょっと委員会の手伝いを押し付けられちゃってね」  
「ふうん。断れなかったの?桜井、しょんぼりしてたよ?」  
「し、してないよ〜」  
「うーん。僕も断ろうと思ったんだけど、なにせあやつじ……  
げふんげふん、すごく丁寧にお願いされちゃったからさ。梅原まで巻き込んじゃって、ちょっと悪いことしたなぁ」  
「私にはぁ?」  
「わ、わかってるよ梨穂子。ちゃんと埋め合わせはするから」  
「ふふん。よろしい。許して進ぜよ〜」  
「……ねえ橘君。梅原君もいたの?」  
「え?ああ、いたいた。あいつにとっては、僕といたのが運の尽きだったね。  
なんの脈絡もなく手伝わされてさ。飲み物買ってから来るって言うから、ここで待ってるんだけど」  
「ふうん。そっか……」  
 
 香苗の様子が、おかしかった。間違いなく、梅原のことを気にしている。  
ふと、意地悪に近い考えが梨穂子に閃いた。  
 
「……ねえ、純一」  
「なんだ、梨穂子」  
「さっき言った埋め合わせって、今してもらってもいいのかなぁ?」  
「い、今?ずいぶんいきなりだな。まあ、出来ることならいいけど」  
「じゃあね……私、今日は純一とふたりで帰りたい」  
「ち、ちょっと待て梨穂子。そう言われても、僕は梅原を待ってて……  
それに、梨穂子は香苗さんと帰るんじゃないのか?ねえ、香苗さん」  
「……いや、まあ私だってあんたらの仲に割り込む気は無いけど……ちょっと友情薄くない?桜井」  
「だ〜か〜ら〜。純一、わかるでしょぉ?」  
「……ああ、なるほど。わかった。すごくわかった。よっくわかった」  
「ちょ、おふたりさん?」  
「と、いうわけで香苗さん。梨穂子は僕と帰ることになったから、悪いけどこれにて」  
「これにて〜」  
「ま、待ってよ桜井!一体どういうこと?」  
「さあ。どういうことでしょ〜?」  
「そうだ香苗さん、梅原が来たら伝えといてくれるかな。  
薄情な親友は先に帰ったから、今日は香苗さんと帰ってくれってさ」  
「……あ、あんた達……そういうことか……!」  
「えへへ。頑張ってね、香苗ちゃん」  
 
「ちょ、な、それで気ぃ遣ってるつもりなの!?いくらなんでもあざとくない!?」  
「じゃあ、行こうか梨穂子」  
「うん!」  
「あ、え、ちょっと、お願いだから待って……!」  
 
 騒ぐ香苗を置いて、梨穂子は昇降口を後にした。横にいる純一と、してやったりの笑顔を交わす。  
自然に、ふたりは手を繋いでいた。  
 
「ひょっとして、余計なことだったのかなぁ」  
「いや、あのくらいはいいんじゃないか?梅原も、ほっとくと人の背中を押してばっかりだし」  
「……そうだよね。香苗ちゃんも、ちょっとそんな感じだから」  
「あれって、梅原や香苗さん自身が積極的になれない反動なのかもな」  
「む……珍しく大人びた意見」  
「ぼ、僕は大人だぞ?」  
「ふふっ。そっかなぁ?」  
「……まあ、いいけどさ。ところで、梨穂子……」  
「ん?なあに?」  
「今日、これからうちに来ないか?」  
「え?い、いまから?なんで?」  
「……学校の帰りに言うようなことじゃないけどさ。なんか、いまの梨穂子ってやたらこう……色っぽいというか……」  
「いろ……え、ええっ!?」  
「フェロモンが出てるっていうのかなぁ。なんか、こう……ごめん、つまり、僕は変な気持ちになってるってことなんだ」  
「……純一……」  
「まあ、嫌ならいいんだけど……でも、僕はいますごく梨穂子が欲しい」  
「……いいよ。私も……同じ気持ちだから……」  
「梨穂子……」  
「えへへ……」  
「……それじゃ、行こうか」  
「……うんっ」  
 
 それから純一の家に着くまで、まともに言葉を交わせなかった。  
恋しさと照れくささが、とめどなく湧き上がってくる。  
今日は、純一にも色々してあげたい。一緒に、沢山気持ちよくなりたい。  
そんなことを思いながら、梨穂子は香苗のことをあっさり忘れ去っていた。  
 
 

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