『あ……ん…………ダメ、待ってくださいぃ……』  
 
『ん…………ちがいます……そこはお尻の……』  
 
『だから!お尻はダメだって言ってるじゃないですか!!』  
ガシッ!!  
『いてっ!』  
 
「………………」  
「逢ちゃんだよ……」  
「そ、そう……だね」  
今、美也は非常に気まずい思いをしていた。  
転校生である中多紗江と親睦を深めるため、自分の家に呼んだのは良かったが、  
まさか、隣の部屋の兄が、女性と行為に及んでいようとは思いもしなかった。  
しかもその相手が、美也、紗江の両者とも面識がある七咲逢であったのだから堪らない。  
満足に防音加工などしていない中流の橘の家では、女性の声はほど良く漏れ聞こえてくるのであった。  
「ご、ごめんね、紗江ちゃん、ウチのにぃ……お兄ちゃんが……」  
「ううん……美也ちゃんは悪くないよ」  
紗江はそう言って、目の前にある『テニスの王子様』の単行本に集中しようと試みるのであった。  
 
『あ!…………もう……ダメだって言ってるのに……』  
 
「美也ちゃん……」  
「うぁ!な、なに?」  
「手塚先輩と不二先輩の仲ってアヤシイよね?」  
「は?」  
「……私は、手塚先輩総受だと思ってるんだけど」  
「え、えーと……紗江ちゃん大丈夫?」  
男嫌いの気が有る紗江のその感覚は、ほぼ現実逃避に近かった。  
 
翌日。  
「おはよう、美也ちゃん」  
朝、1年B組の教室にて、逢が美也と紗江に声を掛けるが、  
「!?」  
「あ、逢ちゃん!!」  
逢とまともに目を合わせることができない美也と紗江であった。  
 
その日の夕方。  
 
『あ……ん…………す、すごい……』  
 
まさか二日連続で連れ込んでいるとは思わなかった。  
思わなかったからこそ、美也は紗江を部屋に呼んだのだが、美也はまだ思春期の男を理解していなかった。  
「ご、ゴメンね……紗江ちゃん」  
「ん?いーよ、私はテニプリの続き読みたかっただけだし……」  
その時、  
 
『わお!オーキードーキーーー!!』  
 
今までとは明らかに調子の違う声が隣から聞こえてきた。  
「あ……逢ちゃんじゃない!」  
 
その異変にいち早く気付く美也。  
「え?そうなの?美也ちゃん」  
一方で紗江は、目の前の漫画に集中していたこともあってか、いまいち事態を飲み込めないでいた。  
「うん、違うよ!逢ちゃんの喘ぎはもっとこう……声を出すのを我慢して我慢して、思わずでちゃった、みたいな」  
「よく聞いてるね……美也ちゃん……」  
「わかるよ!少なくとも、あんな変なエセ外国人みたいな声は出さないよ!」  
「エセ外国人……み、美也ちゃん……」  
今までとは違う事態に興味を引かれたのか、美也は兄の部屋の方向の壁に耳を押し当てていた。  
「ほら!紗江ちゃん!紗江ちゃんもよく聞いて!」  
あまり気は進まなかったが、美也に気圧されて、壁に耳を当てる紗江。  
 
『すごいわ!橘くん!こんなの初めて……』  
 
「ホントだ、『先輩』じゃなくて『橘君』て言ってるし……」  
紗江はそれほど逢と親しくないため、彼女の声を正確に覚えているわけではないが、それでも違和感はあった。  
「でしょ!それに、いつもと違ってにぃにが蹴られる音が無いもん!」  
「逢ちゃん、いつも先輩蹴ってるんだ……」  
「そうだよ!『ガシッ!』って音がしてちょっと揺れるんだから」  
「み、美也ちゃん……凄くよく観察してるね……」  
紗江は隣の部屋の声より、兄の行為を恥ずかしがりながらしっかり観察している美也に恐れ入った。  
「こ、この声は……森島先輩だ!」  
「え?そうなの?」  
とうとう、相手を言い当て始めた美也。  
「そうそう、こんな感じで『わお!』とか『むむむ!』とか言いながら、にぃにに言い寄ってるもん」  
「へ、へー……そうなんだ」  
紗江は森島先輩のことは、何となく聞いたことはあっても、声だけでは判別できない。  
「お、おのれー、あのあっぱい魔人め!にぃにをたぶらかす気だな!」  
「な、何言ってんの?美也ちゃん」  
「紗江ちゃん!明日、逢ちゃんに報告だよ!一緒に!」  
「ええ!わ、私も!!」  
 
翌日、美也は学校の屋上に逢を呼び出した。  
「……というわけなの!逢ちゃん!」  
「そ、そんな……橘先輩が……」  
昨日、橘純一の部屋で行われていた行為を赤裸々に報告する美也。  
その相手が、森島はるかであり、逢とは対称的に巨乳であり、また純一がその巨乳を殊更褒めていたことを付け加えた。  
「…………」  
はっきりいって盗み聞き以外の何物でもない行為を報告するのはどうかと思い、紗江は黙っていた。  
これでは、美也が逢と純一の行為もずっと盗み聞きしていました、と言っているも同然である。  
「橘先輩……私……初めての人なのに……」  
しかし、一方の逢は自分が裏切られたことの方がショックのようで、美也の行為についてはよく理解していないようだ。  
「う……うぅ……」  
挙句には泣き出してしまう逢。  
「で?どうするの、逢ちゃん?とりあえずお兄ちゃん蹴っとく?」  
泣き出した逢の肩を叩きながら、そう言い放つ美也を見て、  
(美也ちゃん何だか楽しそう……)  
と、紗江は思ってしまうのであった。  
 
その日の夕方。  
「なるほど、事態はよくわかったわ」  
美也、紗江、逢の1年生三人は、3年生の塚原響の前にいた。  
塚原響は、逢の所属する水泳部の部長であり、尚且つ森島はるかの親友でもある。  
従って、両者をよく知る彼女に間をとりなしてもらおう、と美也は考えたのである。  
(でも、美也ちゃんがわざわざ言わなければ良かったのに……)  
と、紗江は考えたが、最早自分の力ではどうにもなりそうになかったので、成り行きにまかせることにした。  
「私達がここで言い合っていても埒が明かないわ。私は橘君とも面識があるし、本人にはっきりさせましょう」  
響は、そういった人の揉め事を放っておけない性格である。  
また、はるかの親友であるからこそ、彼女が悪く思われる事態も良しとしない。  
状況をあやふやのままにしたくないのである。  
「はるかは私が連れて行くから、美也ちゃんは七咲を連れてきて。それと、あなたのお兄さんも!」  
「了解しました!」  
響に対して、警官のような敬礼で答える美也。  
やはり事態を楽しんでいるようである。  
 
 
「こ、これは……いったいどういう会議なのかな?」  
美也に連れられて自分の家の妹の部屋にやってきた純一は戸惑っていた。  
美也、紗江、逢、はるか、響と5人の女性にぐるりと囲まれ、純一は、自分の家なのに激しい疎外感を感じていた。  
「どーいうことなの橘君!」  
口火を切ったのは、はるかであった。  
彼女も今日初めて純一と逢との関係を聞かされ、激しい怒りを覚えていた。  
「橘君!やっぱり、私の身体だけが目当てだったのね!!」  
はるかは、今にも純一に掴みかかりそうな勢いである。  
「何言ってんですか……」  
次に口を開いたのは、逢であった。  
その部屋にいる誰もが、はるかの問いに対する純一の答えを次の言と思っていただけに、逢が話し出したのは意外であった。  
「何言ってんですか……そっちが、森島先輩が、橘先輩で遊んでるんでしょう?その身体で」  
逢は、絞り出すようにそう言った。  
これだけの事態に直面しながらも、逢はまだ純一のことを信じているようである。  
「そ、そうだー!このおっぱい魔人めー!」  
美也はまた余計なことを言った。  
「…………」  
紗江は、純一を囲む輪に加わりながらも、『テニスの王子様』の単行本を読み続けていた。  
なるべく事態に関わりたくないようである。  
「な、なに言ってるのよ!橘君は、『私のことを好きだ』って2回も告白してきたのよ!」  
自分に向けられた矛先に対して応戦するはるか。  
「ウソです!先輩は……橘先輩は……私とポンプ小屋で……いっぱいキスしたんですから!!」  
2つも年上の先輩に大しても、逢は物怖じしなかった。  
「な、何よ!ポンプ小屋なら私も行ったんだから!そ、そこで私の膝裏に……やだもう……」  
ポンプ小屋での逢瀬を思い出して顔を赤らめるはるか。  
その様子が、更に逢の神経を逆撫でるのであった。  
「…………――っ!!」  
無言で立ち上がる逢。  
「いけない!待って、七咲!!」  
危険を察知した響が、逢を止めようと立ち上がったその時、  
 
「♪ク〜ラブ〜とホワイ〜トそーーすですぅ〜 かにかにかにかにかにくりぃ〜む〜」  
 
と、何とも間の抜けた歌が近づいてきた。  
 
そして、ガチャリと部屋のドアが開く。  
「あ!純一、ここにいたんだぁ〜。も〜、探しちゃったんだから〜」  
入ってきたのは、純一と美也の幼馴染である桜井梨穂子であった。  
「だ、誰?」  
しかし、今この部屋においては、純一と美也を除いて梨穂子を知る者はいない。  
突然の来訪者に、一触即発であった逢とはるかも動きを止めてしまう。  
そんな何ともあやふやな空気の中、口を開いたのは純一であった。  
 
「あ、ああ、みなさん紹介しますよ。僕の彼女の梨穂子です」  
 
「え?」  
「は?」  
「何?」  
「どーいうこと?  
「…………」  
一同、純一の言った事が全く理解できない。  
「や、やだぁ〜もう〜、まだ恥ずかしいんだから〜」  
梨穂子は能天気なものであった。  
「どうしよう〜、美也ちゃんはお友達がいっぱいみたいだから、純一はウチに来る?」  
梨穂子はそう言って純一の側に寄っていくと、  
「今日は……お父さんもお母さんもいないから……」  
と、純一に耳打ちした。  
「わかったよ!梨穂子、行こう行こう!!」  
梨穂子の家の状況を知るや否や、純一の表情が一変して明るくなった。  
「じゃ、じゃぁみなさん、ゆっくりしていってね」  
それだけ言い残して、梨穂子を連れ立って、そそくさと家を出る純一であった。  
 
美也の部屋に残された、美也、紗江、逢、はるか、響の5人。  
「……すみませんでした……私、先輩に対してあんなこと……」  
最初に口を開いたのは逢であった。  
表情は沈み、膝を抱えるようにして体育座りをしている。  
「い、いいのよ……私も大人気なかったし……それにしても……」  
 
「「あんなに最低な男とは思わなかった……」」  
 
初めて気が合ったように、声を揃えて言う逢とはるかであった。  
「で?どうします?私、橘先輩を蹴り飛ばそうと思うんですけど……」  
「そうね、私も一緒に蹴るわ」  
更に気が合ったように、恐ろしい相談を始める逢とはるか。  
「そうね、いっそのことだから、プールに沈めちゃいましょ」  
そして、その恐ろしい相談に、響も加わるのであった。  
「沈める……グーッド!いいアイデアね、ひびき!」  
「あ!沈めるなら、私いい場所知ってます!山の上に温泉があってですね。そこなら叫んでも誰もわかりません」  
恐ろしい相談は、徐々に危険度を増していった。  
 
「ご、ごめんね、紗江ちゃん」  
「んー、別に美也ちゃんが悪いわけじゃないし」  
紗江はずっと『テニスの王子様』を読み耽っていた。  
 
 

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