「あーボスーお姉さん」  
「おかえりなさーい」  
「ブラッド、アリス?どこ行ってたんだ?」  
 
あの時空の狭間で骨が軋むほど抱きしめられ、殺されるくらいのキスを受け、  
私は半分意識が飛んでいたのかもしれない。  
何がなんだかわからないうちに、気がつけば私たちは  
いつもの帽子屋屋敷に戻ってきていたようだった。  
双子とエリオットの暢気な声が、なんだかひどく懐かしく思える。  
「あぁ、ただいま」  
ブラッドはいつも通りのだるそうな声で、部下たちの声に応えていた。  
低い声が私の骨から耳に直接響く。  
「お姉さん、腰砕けてる?」  
「ボスー僕ら子供だからドキドキしちゃうよ」  
「しっ。……そこに口を出す馬鹿がいるか」  
……ん?直接?骨から?腰砕け?  
ちょっと、待て。  
私はひとつ深呼吸をして、自分の置かれている体勢をじっくりと考えてみた。  
見えるもの。……何も見えない。  
ブラッドの、細身に見えても意外としっかりした胸に深く包まれてしまっている。  
でも、少なくとも、双子とエリオットの3人はこの場にいる。  
ということは、3人の目の前で、私は、ブラッドの、胸の中に、いる。  
 
「………ち、ち、ちょっと………」  
ブラッドとの関係を、隠しているつもりはない。というか、隠せているとは思わない。  
しかし、それとこれとは話が別だ。  
「離してよ、皆いるのに……!」  
「そうだ、報告がある」  
無視された。それどころか、私を抱き込んでいる腕にいっそうの力がこもる。  
「明日、結婚式を挙げる。準備をしておいてくれ。以上」  
「はぁ?誰の?」  
エリオットが困惑したような声を上げた。それはそうだろう。急な話にも程がある。  
「ばぁか、ヒヨコうさぎ」  
「誰のなんて見たらわかるじゃん」  
双子がいつものようにシンクロしながらエリオットを嘲った。  
「お姉さんとボスに決まってんじゃん」  
「お姉さん、人妻?」  
「えええ、ボスの花嫁?」  
「ショックだ……」  
「ショックだ……」  
最初は笑っていたものの、例によって例のごとくシンクロして声が萎んでいく。  
「ちょっとっ」  
私はさすがに黙っていられなくなって、力いっぱいブラッドを押しのけ、そのむかつく顔を見上げた。  
その途端、文句を封じ込めるようにキスが降ってくる。  
 
「ん、ん……」  
こんなにキスが上手くなければ、こんなに抱きしめられていなければ、  
思いきり足を踏んでやるのにと思いながら、どうしようもなく力が抜けていく。  
「見せつけられてる……」  
「お姉さん……」  
「……お前ら、あんまり見てやるな……」  
もう何から突っ込んでいいやらわからない中、ブラッドがひょいと私を肩に担ぎ上げた。  
ここでやっと、今いるのが正門であることがわかる。  
「それでは、頼んだぞ。あぁ、できるだけ盛大にやってくれ」  
「………了解だ。派手にやればいいんだな」  
エリオットの返事の前に一瞬沈黙があったのは、間違いなく呆れているからだろう。  
「待ってって言ってるでしょう!」  
それが世の理であるかのごとく、私の声はスルーされていった。  
ブラッドはじたばた暴れる私を荷物のように担いだまま、悠々と玄関に向かう。  
「お姉さん……」  
「お姉さん……」  
「今から爛れた愛欲の世界に行っちゃうんだね……」  
「オトナの世界なんだね……」  
気落ちした声で、とんでもない内容を口走る双子の声に送られながら、私は本当に泣きたくなった。  
 
「ブラッド……!」  
ぼすん、と降ろされたのは、いつものブラッドの私室のベッドだった。  
いつもの、と言えるほど馴染んでしまった場所だ。そして、やっぱりひどく懐かしい気がする。  
まるで、あの小瓶を失った時に、100年も時が過ぎてしまったかのようだ。  
でも、私は、ここに、帰ってきた。  
もう否定できない。ブラッドに無理矢理攫われたわけじゃない。  
あの瞬間、ここにいるのを望んだのは、多分私なのだから。  
………だからと言って。  
「なんてことするのよ……!」  
「私はただ、したいことをするだけだが」  
だるそうな声のくせに、体勢はばっちりやる気だ。  
仰向けに倒された私の顔の横に手をついて、片膝で私の脚を割っている。  
「そんなこと聞いてない」  
「私だってそうさ」  
ブラッドが私の唇を唇でふさぐ。ほとんど条件反射で私は侵入してくる舌先を受け入れた。  
……だめだ。この男はキスがやっぱり上手すぎる。  
「……私を愛しているという言葉しか、聞いていない」  
唇の上で、唇が動く。低い艶めいた声が、私の奥の方の何かを刺激する。  
同じ声の人に、こんなことを感じたことはなかったのに。  
「それ以外の言葉を聞くと、やさしくしたいという気持ちが別の物にすり替わりそうだ」  
「……そんな殊勝な気持ちがあったなんて知らなかったわ」  
 
ブラッドの手が、私の服を一枚一枚はがしていく。指が、唇が、私を探っていく。  
彼はいつの間に手袋を外していたんだろう。私の体に触れる手は、骨張っていて、温かくて、少しざらついている。  
私の体に丹念に自分の証をつけながら、ブラッドはシャツを脱いでいた。  
こんなにもどかしげな、引きちぎってしまいそうに服を脱ぐ彼を初めて見る気がする。  
彼に抱かれるようになるまで、私は自分の体をほとんど知らなかった。  
乳房や性器は言うに及ばず、指先、背中、脇腹、膝の裏、内腿、首筋、耳、そして髪の毛に至るまで、  
ブラッドが触れるところはすべて私をおかしくしてしまう。意味のある言葉を口にできなくなる。  
熱い。息苦しい。大きく息をつこうとすると、計ったようにブラッドが私の息を奪っていく。  
自分の体が自分の意志を離れて勝手に動く。止められない。  
「……ん……ぅ……ラッ…ド」  
自分の声だと思えないくらいの甘い、鼻にかかった声が、私の唇から洩れた。  
ブラッドは少しだけ、何かをこらえるように眉をひそめ、それから私の中に押し入ってきた。  
数えきれないくらい彼を受け入れてきたはずなのに、開かれる衝撃に腰が逃げてしまう。  
「……もっとだ、アリス」  
耳元で囁かれた瞬間、私の体の奥から熱いものがせり上がってきた。  
溺れる者がすがるように、私はブラッドにしがみつく。  
それよりももっともっと強い力で、ブラッドが私を抱きしめる。  
 
「もっと呼べ。私の名を。君を抱いているのは、私だ」  
「ブラッ……ド……」  
熱い。熱い。あつい。いつもあんなに気怠げな彼は、どこにこんな熱を隠しているのだろう。  
彼の熱が私を炙る。私はどんどんおかしくなっていく。うっかり「愛している」なんて口走りそうになる。  
「もっとだ」  
声を聞くたびに、私の体が撓る。私にももっと聞かせて。余裕のないあなたの声を聞かせて。  
何かが私の体を突き抜けた。溶けるように力が抜けてしまっているのに、ブラッドは容赦なく突き上げてくる。  
動くたびにどんどん蕩けていく。何もわからない。何も考えられない。苦しい。あつい。  
 
ふいに、目の前がちかちかと光って、ぎゅっと眉をひそめるブラッドの顔を見たような気がした。  
 
一瞬、気が遠くなっていたらしい。  
ふと気づくと、私はブラッドの腕枕に頭を預けていた。  
「ご満足いただけたようだな?」  
「……オヤジ」  
温かい体が気持ちよくて、毒づきながら私はブラッドに身を寄せた。  
私もよくは知らないが、肌が合う、というのだろうか。肌と肌で触れ合っているのが、  
本当に心地よい。そんなことは言わないけれど。  
「あれほど気持ちよさそうにしてもらえれば、男としても本望だよ」  
「………ほんっとうに、オヤジよね………って!」  
ブラッドの手が、また私の体を探り始める。  
「ちょ、ちょっと待って」  
「どうして」  
「どうしてもこうしても……っ」  
たった今、瞬間気絶するくらいの行為をしたばかりで、まだ体中に余韻が響いている。  
しかしそういう話をしたら、それこそ何をされるかわからない。  
「待たされるのは性に合わないし、したいことはいつだってする。わかってるだろう、奥さん?」  
ブラッドは愉快そうに笑う。しかし、私の奥底に残っている熾火をかきたてるような愛撫の手は休まない。  
というか、私がどんな状態なのか、きっと知り尽くしている。私以上に。  
「誰が奥さんよ……」  
「君以外の誰がいるんだ。君は私の妻にぴったりだと言ったろう?」  
「だーかーらー……」  
私はそのまま言葉を飲み込んだ。まともに喋る自信がなくなったのと、  
………ブラッドの顔が、妙に幸せそうだったからだ。  
「愛しているよ、アリス」  
 
私は仕方ないような振りをして、ブラッドのキスを受け入れた。  
 
おしまい  
 

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