眠る前に見る夢がある。
彼女にとって夢というのは随分と前に支配下に置いたはずのものなのに、
その夢だけはいまだに全然支配出来ない。「あっ」と思う間もあらばこそ、
白く柔らかなシーツの上で全身を強く抱きしめられて、そうすればもう、
彼女には何もできない。できるはずがない。
その夢は一度、己の唇をその赤く長い舌で湿し、
それから彼女の固く結んだ唇へとそれを重ねてくる。
まるで蜜を求めて花に止まる蜂のように静かな舌先のノックに、
彼女が少しだけ目を見開くと、もう一度それが繰り返される。
入れてよ、ねえ、君の中に。
そんな声が、固く結んだはずの唇を、たやすく痺れさせる。
一度でも少しでも開いてしまえば、もはや逃れることなど出来はしない。
蜂は蜜を求めてさらに舌先を伸ばし、彼女の歯茎を、舌の根を、頬の裏を、
口内全てを執拗に弄る。透明な唾液が開かれた口の端から零れて、
着物の袖に垂れ落ちた。しかし彼女はもう、そんなことも気にはならない。
やがて荒くなる吐息が誰のものなのか、自分のものなのか、相手のものなのか、
それすらも判然とせず、目が耳が鼻が肌が、五感全てがただ此処にあるものを求めるためだけに、
ふつふつと燃えていく。
唇が離れ――夢は笑う。
「かわいい、ハナちゃん」
そしてまた彼女が何かを言う前よりも早く、夢は手を伸ばしてくる。
指先で首筋に甘く触れるその感触が、つぅ――と鎖骨に向かって落ちていく。
煌々と火照る肌にはこそばゆい、けれど心地の良いその感覚に、
彼女の細い喉から意図せず声がまろび出る。
「ふっ……あっ……」
夢は、それを聞き逃すことなどありえなくて、口元を悪戯な孤へと変える。
「気持ちい?」
彼女は答えない。自覚のない先の声を恥じるように耳を真っ赤に染め上げてなお、
こんなのはどうってことないんだとと言わんばかりに、目を閉じてきゅっと下唇を噛んでいる。
けれどそんな抵抗も、支配下にない夢の前では、砂上の楼閣より脆い。乗り出して来たその頭を耳元に、
彼は小さな、けれど強い声で再度問う。
「気持ち良い? 答えて」
とろけるような甘い、あまい囁きが、赤々とした彼女の耳朶を噛む。
「気持ち、いい……、ですっ、コウ」
「……嬉しい」
不意のタイミングで、舌先が耳の裏を撫で――
「はぁあっ!」
彼女の身体が快感に震えた。
そしてそこで、夢は終わる。
眠る前に見る夢は、まだ彼女にも制御できない。
何時終わってくれるのか、何時消えてくれるか、そんなことを思いながら、毎夜見ている、眠る前の夢幻の一時。
舞原イハナ、彼女には、眠る前に見る夢がある。