十数年も昔の幼少期の出来事である。
『ボクも、お父さんがそうであったように弱い人を守るために強くなるんだ!』
エリス達に毎日のように聞かされた父――レオンハルトの武勇伝。ラディウスは
瞳を輝かせて自分に課せられた使命を受け入れる。
『アタシもね、将軍様になるの!強い将軍様に!』
同じように胸を張り、高々と宣言する幼馴染のヴァレリア。
『え〜〜?なんでヴァレリアが?』
ヴァレリアの発言に、軽く非難めいた声を出すラディウス。
『な、何?その言い方!アタシには無理だって言いたいの?!』
『ううん、違うよ。そうじゃなくて、ヴァレリアは女の子だから』
ラディウス本人にはおそらく深い意味はなかっただろう。が、彼に好意を寄せているヴァレリアは“女の子だから”発言に喜びを隠せずにいた。
『大丈夫よ!きっと――』
多分、いや絶対。絶対強くなって、責任の持てる大人になって、何処に出しても恥ずかしくない人間になって、そして・・・・・・いつか、あなたの隣に立てるだけの女性に――。
『う〜ん・・・・・・将軍様以外になりたいものって何かないの?』
ラディウスの問いかけに、ヴァレリアはニコッと笑顔で、
『・・・・・・うん!最終的な夢は、もちろん――』
ラディウスのお嫁さん、と言いかけて、慌てて口を噤む。
『あ、あはは!な、なんでもないの!・・・・・・それにね、その夢は私自身じゃ叶えられない夢だから』
そう言ってヴァレリアは少し淋しそうに笑う。
――アタシの本当の夢は、自分の意思だけではどうにもならない・・・・・・
『自分で叶えられない・・・・・・ならボクなら叶えられるのかな?』
『と言うよりも、ラディウスしか叶えられないことなの』
と、バカ正直に答えてしまい、慌てて顔を背けるヴァレリア。
『じゃあボクが叶えてあげるよ』
『えっ?!・・・・・・ほん・・・・・・とう・・・・・・?』
ヴァレリアの手を握り、ラディウスは笑顔で言った。
『うん。ボクにしか叶えられないんだよね?ならボクが叶えてあげる』
『絶対?嘘つかない?約束忘れたり、破ったりしない?』
『うん、しない。約束する』
『・・・・・・・・・・・・』
ぱぁっ、と彼女の顔が明るくなり、笑み崩れていく。
『でも具体的にどんなお願いで、いつ頃に、どんなことをすればいいのかまったくわからないんだけど――』
と言ったがヴァレリア本人には聞こえてないようで。でも、彼女の満面の笑みを見ていると、なんだかこちらまで嬉しくなってきて――その“夢”を叶えてあげたら、きっと同じ位、いやそれ以上に喜んでくれるんだろうなと思って。
絶対叶えてあげたいな、と子供ながらにそう思った。
――十数年も昔の、幼少期の出来事である。
ヴァレリアはベッドに突っ伏していた。
「はぁ・・・・・・」
若いながらも一軍の将を務める彼女。必要とあればいくらでも冷徹になれるヴァレリアにしてはめずらしく弱気で、だらしなくもベッドの上でごろごろと左右に転がる。
(何よ、ラディウスの奴・・・・・・俺には使命がある!!とか言っちゃって。アタシの知らないところで女と旅してるんじゃないわよ・・・・・・!!)
アンドラ・ラ・ヴェラ連峰で再会した時、ラディウスはエリス達以外に「アタシからラディウスを盗った」(とヴァレリアは思っている)憎いネオコロムの女、シェルファニールと、ヴァレリアの見たことのない・・・・・・ヤマトの巫女である夜宵と共にいた。
たとえ次に逢うのが敵同士だとしても――想い人に会えなくてイライラしていたときにそんなところを見てしまい、怒りが爆発してしまいそうだったのをなんとか堪えた――のだが、そのときに言われたシェルファニールの発言が未だに頭から離れない。
『それはぁ〜ラディウスにとって、ワタクシが運命の相手だからじゃなぁい?』
『運命の相手はワタクシだけじゃないわよ。ね、夜宵ちゃん?』
瞬間、ヴァレリアの怒りは爆発した。よくは憶えてはいないけど、そうとう怒っていたらしい。
(絶対!絶対運命の人なんかじゃないんだから!・・・・・・・・・・・・)
ヴァレリアは多少ながらも自分の容姿に関して自負している。だが、シェルファニールは相当な美人である。スタイルも胸など出るところは
出ているし、大人の雰囲気が漂っている。もしもラディウスが年上好きだったら確実に落ちていただろう。
逆に夜宵は小柄で、純情で、控えめで――女のヴァレリアですら思わず守ってあげたい、と素直に思ってしまうような可愛らしい女の子だ。
では逆に自分はどうだ?“ラディウスの幼馴染”――それはヴァレリアにとってアドバンテージだと思っていた。でも、そういう問題ではないのだ。
彼に近づく女に対して対抗心をむき出しにし、勝手に勘違いして暴走したにもかかわらず、挙句には自分の本当の気持ちを伝えていないのに
「どういうこと?!」とラディウスに問い詰める始末。
前にシェルファニールに遠まわしに子供扱いされ、否定し、言い合いをしたことがあったが悔しいながらも自分は、
少なくとも恋愛に関しては、子供同然だった。
(・・・・・・もしも)
もしも。本当にラディウスの運命の人が彼女達だったら?
ラディウスが、自分以外の女性を好きになったら?
あの時の約束を忘れていたら?
その時は多分耐えられないだろう。自分は、これまでラディウス以外の男性の隣に立つなんて、
一度たりとも考えたことがなかった。いつだって彼のために、努力してきた。
将軍になったのだって、ラディウスと少しでも長く居たいからだ。
そうだ。自分は本当に、バカみたいに、彼のためだけに頑張ってきたのだ。
「あ〜〜〜もうっ!本当にっ!!なんなのよっ!!!」
「うわっどうしたヴァレリア?!」
枕を掴むと乱暴に投げ飛ばしたその時、いつの間にか部屋にラディウスがいた。
「・・・・・・えっ?えぇ?!な、なんでいるのよ!ノックくらいしなさいよばか!!」
「ノックしたが、返事がなくて何か喚いてるような声が聞こえたから入ったんだよ」
「・・・・・・わめ・・・・・・」
ヴァレリアはかぁっと赤くなった。みっともない姿を見られたのと、想い人が部屋にいるから。
そこでようやく思いついた。もともと部屋で寛いでたヴァレリアの格好は普段の服ではなく、黒のキャミソールに短パン、という完全に部屋着だった。
(!!!・・・・・・忘れてた!ど、どうしよう・・・・・・)
ちら、と隣りに座るラディウスの様子を見る。彼は、ヴァレリアの格好についてなんとも思ってないみたいである。
(な、なによそれぇ〜〜〜?!屈んだりしたら、胸元とか見えちゃうような大胆な格好なのに?ラディウスにとってアタシなんてやっぱりそんなものってこと?!)
今すぐにでも彼を一発ぶっ飛ばしたくなったが、そんなことをしたら彼に嫌われる、とまではいかないまでも、少なくともラディウスのヴァレリアに対する好感度は下がるであろう。強敵がいる今、それだけは避けたい。
ならばこう考えよう。お互い気心が知れていて、そんなの今更恥ずかしいような関係ではない、と。安直、単純だが――そう考えるだけで、心に余裕が生まれる。
「で、ラディウス何の用なの?」
「街についた途端、すぐに宿に入ったから、疲れたのかと思ってな・・・・・・俺達のために、厚意でいろいろしてくれていたのに、結局俺達は、その手を払ってしまったから。ヴァレリアは誰よりも辛い位置についていただろう?それなのに今は俺達の仲間で居てくれる・・・・・・」
「ラディウス・・・・・・」
しいて言えば、“俺達”ではなく“俺”だけでいいのに、と思ったが彼が、自分のことをちゃんと心配してくれているんだなと思えて・・・・・・それだけで、敵に回っていた今までの辛い日々も報われる・・・・・・
「い・・・・・・」
いいのよ、そんなの。あなたがちゃんと私を心配してくれてるってわかったから。それだけで、それだけで――
・・・・・・と正直に言おうと思っていたのだが。
「い?」
「あ・・・・・・あ・・・・・・あぁ・・・・・・」
ガタガタと身体を震わせ、口をパクパクとさせ・・・・・・“アレ”を見つめる。
「ヴァレリア?」
「・・・・・・虫・・・・・・が・・・・・・」
ヴァレリアのもっとも苦手とする・・・・・・小さい毒虫が、壁に張り付いていた。
更にその毒虫は羽を広げ、こちらに向かって飛んできた。
「・・・・・・いやぁぁぁぁぁ〜〜〜!!!!」
「うわっ?!」
ヴァレリアはラディウスに抱きついた。だが今の彼女に羞恥心など、ましてや下心もない。ただただ虫から逃れたく必死に抱きついてきて、ラディウスから離れない。
「やだやだやだぁ!!!虫が、足が、虫が、足が・・・・・・!!!」
虫がいる!足が何本もついてる!と言いたいのだが、完全にパニックになったヴァレリアは満足に呂律も回らない。
ラディウスは彼女のパニックの原因である虫を退治したいのだが、こうも抱きつかれると満足に動けない。
「ヴァレリア、虫を退治するから、離れてくれ」
「やだやだやだぁ!!!」
ぶんぶんと頭を振って否定する。今の彼女には何を言ってもムダである。
「・・・・・・・・・・・・」
どうしたものか、と考えていると彼女からふわ、と甘い香りがする。女性の香り。
一度「そういうこと」に気づくと、なかなか頭から抜けなくなる。
これ以上「そういうこと」を考えないようにしないと、と思っていると件の虫が丁度近くに来た。剣の刃先に乗せると窓から逃がしてやる。
「ヴァレリア、もういないから」
「・・・・・・本当に?」
「あぁ。今窓から外に逃がしたよ」
ようやく顔を上げ、安堵の表情を浮かべる。
「よかったぁ・・・・・・でも、もうこの部屋では寝られないわ。まだいるかもしれないもの」
「・・・・・・ははっ・・・・・・」
「な、何がおかしいのよっ!アタシ的には重要なことなんだからねっ?!」
今なお笑いながら、謝罪する。
「あぁ・・・・・・ごめん。昔、同じ様なことがあったなぁと思ってな」
「あ・・・・・・」
幼馴染の彼らは、子供の頃はどちらかお互いの家に寝泊りするということが日常茶飯事であった。
その日の夜、ラディウスとヴァレリアの寝る部屋に虫が出たのである。
『やだやだやだぁ・・・・・・!!怖くて眠れないよぉ・・・・・・』
『だいじょうぶだよ。ボクがいるから』
『ラディウスが寝てる間に出るかもしれないでしょ・・・・・・!』
抱き枕をぎゅっと抱きしめながら、ぽろぽろと涙をこぼすヴァレリア。
『じゃぁ、気休めにしかならないだろうけど、一緒のベッドで寝ようよ』
手を差し伸べて、優しく微笑むラディウス。
『・・・・・・!・・・・・・うん・・・・・・』
ごそごそとラディウスのベッドの中に入った。こんなことができるのは、幼さゆえである。
ヴァレリアはラディウスと手を繋ぎ、安心して眠れたのであった。
「そんなこともあったわねぇ・・・・・・」
幼い頃とはいえ、思い出すだけで照れてしまう。
今の2人はあの頃とは違う。あの頃は身長もたいして差はなかった。けれども今は頭ひとつ分くらい違う。
(身体だってこんなに男の人じゃなかった・・・・・・アレ?)
先ほどの虫騒ぎから、未だにラディウスに抱きついたままだった。
距離が、近い。
「あ、え〜と、そ・・・・・・その、買い物!アタシ、買い物行かなきゃ!」
名残惜しいがラディウスから離れてしまう。これ以上抱きついていたらどうにかなってしまいそうだった。
「そうか」
「そう!・・・・・・ラディウスも一緒に行きましょ?えっと・・・・・・その、荷物持ちが必要なの!」
「・・・・・・まぁ暇を持て余していたところだから構わないが」
「じゃ、早く行きましょ!着替えていくから、下で待っててね」
ラディウスを部屋から追い出し、ドアにもたれかかる。
「はぁ・・・・・・」
虫は大嫌いだけど、今だけは少しだけ感謝したい気持ちになった。