「ギャ――――――ッ!!」  
「ほーほー、ハルユキはこういうのが……あっ、おかえりなさい、おにーいちゃん!」  
「な…なにしてるんだよ、ニコっ!?」  
 
 玄関をあけて目に入ってきた見覚えのある赤い靴に猛烈にいやな予感がして自室に飛び込むと、ハルユキのデスクトップPCでニコが違う意味でZ指定なゲームをプレイしていた。  
 赤いTシャツにデニムの短いキュロットパンツを履いたニコが座る目のまえのモニターのなかで、黒髪清楚系の先輩キャラクターが『キ、キミになら……いいぞ』とかいいながら自らのスカートをめくりあげているわけで――  
 
「な、なんで……」  
 
 と呆然とつぶやいたところでニューロリンカーの視界の隅の点滅に気付き、いつかの再現のようにホームサーバーに残された母からのボイスメッセージを開いた。  
 
【――ハルユキ。この上月由仁子ちゃん、あなたの知り合いなんだって?  
 寮を焼け出されたこの子の預かり先にうちを希望してるって話が、断りづらい取引先の伝手から廻ってきたの。  
 会ってみたらお行儀のいい子みたいだし、かわいそうだし、数ヶ月のあいだ、妹ができたと思って上手くやってちょうだい。  
 そうそう、一応信じてるけど、くれぐれも人さまから後ろ指さされるような問題は起こさないでね。とりあえず3日後までは帰れないから】  
 
「……う……そ」  
「うそじゃねーよ。ほら」  
 ニコから転送されたニュースメッセージはたしかに、練馬区の《遺棄児童総合保護育成学校》の寮が全焼し、入所児童たちで一時的な預かり先の見つからない者は各地の保護施設に送られる見込みと報じていた。  
 
「つ、つまり……」  
「ああ。どこか地方に送られちまったら、《プロミ》の面倒もみてられなくなるからな。パドん家は親と同居でいろいろあって、送り迎えはともかく居候は難しいらしい。《ネガ・ネビュラス》にはなるべく面倒かけないようにするからよ。頼むわ」  
 
 たしかに、東京近郊であるか否かは《バースト・リンカー》にとっては死活問題だ。ニコが《スカーレット・レイン》であるためにできるかぎりのことをするのに依存はない。ただ、問題は――  
 
「ニ、ニコはそれでいいの?」  
「ああ?」  
 ぐっとよせてくる顔に思わず後退る。天使のような笑顔と声でハルユキを問い詰める。  
 
「――よくなくなるようなこと、するつもりなの? おにいちゃん?」  
「ど、どどどどんなことするって思って……」  
「こんなこと」  
 
『あ、あんまりじろじろ見るな。恥ずかしいんだぞこれでも』  
 
 くいっとニコが親指を立ててさした背後、デスクトップのモニタの画面のなかではいま、まさに、黒衣の先輩によく似た少女を主人公が脱がしはじめているところだった。  
「ちっ、違っ……!」  
「いやいや、どうみてもロータスそっくりだろこれ」  
「違っ、ただの偶然……」  
 
『あんっ……ば、馬鹿っ、いきなりそんなとこ舐めてッ……』  
 
 黒髪を振り乱してのけぞる画面のなかの少女を正視できず、慌てて目をそらす。崇高な存在たる黒雪姫を自分が貶めているようでいたたまれなくなってくる。  
 
「ほ、ホントに――そのゲームをやってた頃は、先輩とまだ出会ってなかったし!! それに、先輩を汚すみたいで、その……」  
 そう。先輩と出会ってからはこの手のゲームには手を出していない。それでも、他のソフトは綺麗さっぱり削除したにもかかわらず、先輩によく似たキャラとの思い出が詰まったデータを消すのもためらわれてついついそのままにしてしまったのだ。  
 まだ納得せず不満げなニコは一旦回想を終了し、カチャカチャと画面を切り替えはじめる。  
「あー、たしかにセーブデータが随分古いな――って、《ブレイン・バースト》をインストールする前のアンタって……」  
「うっ……」  
 
 ニコが示唆するものに絶句する。そう。ハルユキはついうっかり、初対面のサイトウトモコちゃんに、二人の幼馴染との経緯あれこれを話していたのだ。  
 あの頃の自分は、タクムとチユの関係への嫉妬と劣等感、それらに苛まれドロドロな自分を慰めるため、ついに、Z指定のノベルゲームにまで手を出してしまっていた。  
 もちろんそんなことまではニコには話していないが、内心の葛藤が顔に出てしまっていたらしい。  
 
「あー……わりぃ。その……すまん。アンタの心の傷まで掘り返すつもりはなかった」  
「い、いや、いいよ。それにいまはそのチ……幼馴染との関係もリセットして、築き上げていくところで――  
 だから僕も、自分の過去の心の闇に蓋をするんじゃなくて、向き合って乗り越えることも必要なんだきっと。だからその……」  
「あ…んと、だな、そ、そこまで深刻にならなくてもいいんだ、が……ところでだ」  
「えっ、な、何?」  
 急にニコが浮かべた意地悪い笑みに頭のなかで最大級の警報が鳴ったが、それでも何かに吸い寄せられるように問いを発していた。  
 
「そのアンタの幼馴染でハカセの元彼女ってさ、こんなかに似たキャラいる?」  
「――っ!!」  
 
 今度こそハルユキは絶句した。  
 
 
「ほおー、ふーん……」  
「な、なんだよ、なにを根拠に」  
「顔に出まくってるっつの。で、それはこいつか? それともこいつ?」  
「うわ、ち、違うよ。そのなかにはいないってば」  
 
 次々と画面を切り替えてはヒロインとの会話シーンを再生していく。おさげの委員長キャラ、ショートカットの後輩キャラ、高飛車なお嬢さまキャラ。  
 これでもない、これでもない、とハルユキの反応を見ながらニコがヒロインを総当りしていくうち、ついに問題のキャラに差し当たった。  
 
『あ、あんたなんて、私が面倒みてやらないと、なんにもできないんだから!』  
「――っ!!」  
「ほぉ……」  
 
 ニコの視線が一気に氷点下に冷たくなる。  
 
 そのキャラはポニーテールの世話焼き幼馴染キャラだが、はっきりいって容姿でいえば後輩キャラのほうがチユリに似ている。  
 しかし、その口調や声のトーンや口ぐせがどうしようもなくチユリを想起させ、当時取り残されたと感じていた自分の感情がフラッシュバックして胸をしめつけるのだ。  
 
 あの頃も、このキャラだけは直視できなかった。  
 そう、他のヒロインはことごとくオカズに使った。  
 毎夜、自分のなかの黒いものをすべて吐き出すように、モニタの前で握ったティッシュのなかに己の精を放出しては捨てた。  
 それなのに、このポニテ幼馴染だけは、苦しみながら、泣きそうにながらテキストを読み、エンディングまで読みすすめ――  
 
――引き裂かれるような思いを胸に抱きながら、それでも、最後まで、オカズにすることはできなかった。  
 
 当時の記憶がフラッシュバックして、喉の奥の空気が急速に硬度を増した。なんとか弁解しようと、絞りだすように声を出す。  
「その……」  
「あーそうかよ……けっ、そりゃあたしと同じ屋根の下で暮らしても、問題起こすわけなんかないわけだよなあ」  
「へっ?」  
「ロータスにも同情するぜ、ったく……」  
「な、なんの……」  
 予測していた軽蔑とは異なり、なにかやり場のないかんしゃくを撒き散らすような様子で、困惑するハルユキの眉間に、びしっとニコの指が突きつけられた。  
 
「で、ロータスは知ってんのかよ? 最愛の《子》がじつは巨乳好きってことはよ?」  
「は……」  
 
 一瞬、なにをいわれているのか理解できずに思考が凍った。  
 
「はあっ――!?」  
 
 ポニテヒロインがチユリに似ているのはあくまで口調と性格であり、容姿は背丈も顔立ちも服装もまったくもって似ていない。  
 胸のサイズに関しては、セーラー服の隙間からはちきれんばかりの胸元のゲームキャラに対し、現実のチユリのサイズは黒雪姫よりはさすがにあるとはいえ、比べるのはあまりにもかわいそうだ。  
 
「ち、ちが、ごか、誤解っ!」  
「要するにい――」  
 
 ハルユキの言葉を封じるようにニコは、両手で握りしめたハルユキの右手を自分の胸に押しつけた。Tシャツの布地ごしの感触に動揺したところに足払いをうけ、ハルユキは後頭部からフローリングに倒れこんだ。  
 
「痛っ――ニコ、なにを……っ!?」  
 
 抗議しようと起こそうとした頭の両脇に、どん、と両の手のひらが突き立てられる。  
 蛍光灯の光を背にハルユキにのしかかる小悪魔な表情と、逆光のなか透き通るニューロリンカーの真紅の輝きが、その下の首筋から胸元にかけての白い肌を否が応にも引き立てる。  
 
「あたしのおっぱいじゃ興奮しないんでしょ? おにいちゃんは」  
 
 下腹部に押しつけられたデニム越しに伝わる女の子の体温、喉元に光る首輪の赤と揺れるTシャツの赤のあいだで見え隠れする鎖骨の突起、  
 そしてなにより、上気するニコが八重歯の隙間から吐く息が顔をくすぐる感触に、ハルユキの背筋がぞくりと震えた。  
 
 
   TO BE CONTINUED..  
 

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