ネコとメール (MIKAMI 著、元ネタ「30GIRL」)
『リリコ、そっちは元気でやってるか。俺は相変わらずだ。
メールにナオが風邪引いたって書いてたけど、もう治ったかな。
またメールくれ。浩樹』
「だってさリリコ」
「それだけ?」
「それだけ」
「むーっ! 他に何か書いてないのジョーズ?」
「そんなに言うなら、リリコが自分で使えるようになればいいじゃないか、メール」
「アタシはパソコン全然ダメなのー!」
ころんとパジャマ姿でベッドの上に寝転がって、盛大にブーたれている彼女は僕の飼い主。湯神リリコ。
元小学校教師で、今はわけ有って湯神家で専業主婦をやっている。
もう三十路なのに、そうは思えないほど外見も性格も子供っぽい。
その上短気でケンカっぱやくてガサツで乱暴で理不尽で……
「? あんた何一人でブツブツ言ってるの?」
「な、何でもない、何でもない!」
えー、コホン。自己紹介が遅れたけど、僕はジョーズ。湯上家にご厄介になってる飼い猫だ。
え、何で日本語喋ってるのかって? 気にしない気にしない。
どうして喋れるのかなんて、僕にもわかんないんだから。
機械オンチなリリコの為に、今は北極海にいる彼女の旦那からのメールを取り持っているところ。
「それにしても相変わらず、淡白だねー旦那」
「うう……ヒロちゃんが、あーゆー性格なのは今に始まった事じゃないけどさ」
呟いて、ぼふっと枕に顔をうずめる。そういう仕草は可愛いと言えなくもない。
というか、黙って立ってりゃそこそこ見れるはずなのになー。人間の美的感覚はわかんないけど。
大体人間のオスって、どうしてつがいを一人で放って置けるんだろう。
こんなんじゃ、誰かに取られたって文句は言えないぞ。
そんな事をぼんやり考えていた僕だったが、ふとメールの文章に続きがある事に気づいた。
「リリコ、追伸だって!」
「え! なになに?」
現金だなあ。ぱぁっと表情を輝かせて端末に飛び寄ったリリコの様子に、
なんとなくカチンとくるものを感じながら、僕はメーラーの画面をスクロールさせた。
続きは本文のかなり下の方にあった。っていうか、追伸の方が本文より長い。
「『追伸:リリコ、会いたい……』って、えーと」
うわ、凄いコト書いてるよ。そこから続く文章に、僕は柄にもなく口篭もって言った。
「……続き、僕が読んじゃっていいの?」
大きな目を輝かせて、真っ赤な頬でコクコク頷くリリコは、年甲斐も無くまるで少女みたいに見える。
彼女をそうさせているのが、海の向こうに彼女を置き去りにしてる男だと思うと、
ふっと、ちょっとした意地悪心が僕の中に芽生えた。
「オーケー。んじゃ、続き読むね。
『リリコ、会いたい。会って抱きたい。』」
効果覿面。ただでさえ赤いリリコの顔が「ボン!」と効果音でもつきそうな勢いで、
一瞬の内に真っ赤に茹で上がった。
僕はそ知らぬ振りで、その続きを読み始めた。
「『リリコ、おまえは覚えてるか? 俺が船に乗る前の晩のこと、』」
「うわー!? ちょ、ちょっと待った! タンマ!! 読むのやめてー!」
予想通り慌てて止めに入ったリリコに、僕は言ってやった。
「そんなこと言っていいの? 大体リリコ自分でメーラー使えないじゃん。
何慌ててるのか知らないけど、僕は猫なんだから人間のアレコレに興味なんてないし」
「うぅ……わかった」
リリコはそう言って、ベッドの上に大人しくかしこまった。
僕に読まれるのは恥ずかしいけど、愛しの亭主の言葉は聞きたいんだろう。
「『離れるのやだ、って泣きながら俺のことを求めてきた時のおまえって、今までで一番積極的だったな。
それまでは結婚してもセックスのたびに恥ずかしがって、自分からは服も脱いでくれないおまえが、
素っ裸になって俺に跨ってきた時には、本当に驚いたよ。』だって。ふーん」
「う……るさい! 続きは!?」
パジャマから覗く肌の全部を上気させて、リリコは羞恥に身を縮めてる。
その表情を楽しみながら、僕は続けた。
「『俺のこと口でしてくれたのも、あの時が初めてだったよな。
俺と付き合うまで男知らなかったんだから仕方ないけど、ヘタクソでさ。
始めのうちは歯とか当たって痛かったけど一生懸命で、俺、嬉しかったんだぞ。』」
恥ずかしさだけじゃなく薄っすらと汗ばんだリリコが、微かにもじもじと体をよじらせ始めるのに、
僕は視界の隅で気付いていた。
リリコ、発情してるんだ。
そういう僕も、発情期でもないのにドキドキしてる。
「ジョーズ」
リリコが脚をもぞもぞと摺り寄せる度に、汗の匂いが甘ったるく変化してくる。
「お願い……続き、読んで……」
欲情に掠れたメスの声が、僕の背中を押した。
「ヒロちゃん……」
リリコが小さく呟いた名前が、チクリと僕の胸を刺した。でも止まらない。
「『最後の方では、俺の方が歯止め利かなくなって、おまえのこと苛めまくちゃったな。
何度イかされても、泣き出して気絶しても、必死で俺にしがみつくおまえが、あんまり可愛くてさ。』」
心臓の下辺りがズキズキ痛かった。興奮のせいなのか、他に理由があるのか、それは僕にもわからない。
「……っふ……ぁ……」
乱れた呼吸が聞こえる。ほとんど無意識なんだろう、リリコの手が両足の間に潜り込んでいた。
パジャマ越しに湿った布地を指がまさぐる音が、猫の発達した聴覚に響く。
もう片方の手はやっぱりパジャマの上から、柔らかそうな胸を押さえて微かにうごめいてた。
「『泣きながら、ヒロちゃん、ヒロちゃんって縋りついてくるから、
俺も何度出しても止まんなかった。離したくなくって。』」
僕は冷静な声を出そうと苦労してたけど、もしかしたら失敗していたかもしれない。
尤もリリコはそんな事、気付いてなかっただろうけど。
不規則に早まっていた呼吸音が、「くぅんッ!」と一瞬途切れた。
息を殺して押さえた声も、僕の聴覚は聞き逃さない。
部屋の空気が甘ったるい匂いを一際強めて、ドサっとリリコの体がベッドに沈む音が聞こえた。
「『リリコ、待っていてくれ。いつになるか分からないけど、出来るだけ早く必ず帰る。
戻ったら、すぐにでも抱きたい。滅茶苦茶にしたい。待っていてくれ。』以上! あれ、リリコ?」
「……ふにゃ?」
ボーっと上気した顔でベッドに横たわっていたリリコだったけど、
僕と目が合った瞬間、サーッと真っ青になって、次に真っ赤になった。
「うわああああああぁぁっ!!」
「ちょ、ちょっと!? リリコどうしたんだよ!?」
「出てけーっ! もう出てってええええッ!!」
正気に返って暴れだしたリリコに、枕から縫いぐるみから片っ端に投げつけられて、
僕はたまらず部屋から退散した。
これは明日まで部屋には入れないかも。自業自得かも知れないけどと、肩を竦めて溜息をつく。
まあ、いいや。どうせ今日は眠れそうにないし。
「リリ、どうしたの!? キャァッ!!」
振り返って見れば、何事かと心配して駆けつけたお姉さんが、
飛んできた目覚まし時計の直撃を食らっていた。
南無……
―――――――――――――――――――――――――――――――終わり―――――