千影が見た風景 第2章 その2
人型の胸に顔が浮かび上がる。どうやら人形を操っているモノのようだ。昔そんな話を千影は聞いた。人を犬のように家畜化して愛玩し、人形を愛でる悪魔の話を・・・。どうやら相当可愛がってくれそうだ。千影は浮かび上がる顔をじっと見つめた。
浮かび上がった顔は整いすぎた青年の顔だ。温和で虚弱なイメージがするが、鎖を片手に実に楽しそうな眼で千影を見下ろしている。
「これは姫様。このようなお姿でお目にかかれるとは、このハエ光栄に御座います。ちなみにハエとは『散るに影』と書きます。まったく奇遇です。姫君を犬のように扱うなどという・・・・」
ハエと名乗った男はさらに長々としゃべり続けた。
「少し・・・・静かにしてくれないかな・・・」
千影が吐き捨てるように侮蔑を含む口調で言う。自らの姿を隠すことなく、格子によりかかりじっと見つめてその姿には気品すら感じられた。だが、ハエと名乗る顔は、引きつるように顔を歪め、こめかみの血管が浮かび上がるほど感情をかき乱している。自分が思っている程、貴族的な振る舞いが苦手のようだ。いや、ある意味これこそ一般的な貴族なのだろう。
なんの根拠も無い自信と弱者に対する圧倒的な優越感。千影にとっては関わりたくないしろものだろう。父親の人選に底意地の悪さを見るようだった。
「調子に乗るなよ。お前はもう犬なんだよ。そんな目をしていられるのも今日までだ! たっぷりと可愛がってやる」
人形の細い腕が蛸の足のように格子に絡み付いた。指の無い鞭のような腕が格子に巻きつくと勢い良く檻が舞い上がった。
ハエは、ガチャガチャと檻を開けようと力を入れて振り回す。檻は頑丈でびくともしない。怒り狂って更に力を入れる。中に入っている千影は転がるように檻に全身を打ち付けられ目を回す。肘や膝の下は只の鉄棒に過ぎない、防ぐことも出来ないでまともに檻に顔や肩を打ち付けられる。
千影は無言で堪えた。悲鳴でも上げたら舌を噛み切りかねない。まだ死ぬわけにいかない。兄くん・・・
「ぎゃはははは!! どうだ! この牝犬!! どうだ! どうだ! どうだあぁぁぁぁぁ」
檻を腰ぐらいの高さに持ち上げ壁に床にたたきつける。その度に千影の身体は檻にぶつかる。見る見る白い肌は青痣だらけになっていく、檻が壊れる前に千影が死ぬのが先かもしれない。格子が歪み、留め具が弾き飛ぶと同時に檻が弾けとんだ。千影は勢い良く床に叩きつけられて、転がりながら壁に激突した。
痛みに手で摩りたいが、肘から下が鉄棒になった今は、揺れるように天井を指して鉄棒が空に字を描くにすぎない。壁にあたった衝撃で目が回る。仰向けになろうと身体を起こそうとしても、四肢の無骨な鉄棒はカリカリと音を立てて床を引っかくことしか出来ない。
「ぐぅ・・・・・・もう少し・・・・お手やわらかにたのむよ・・・・」
うつぶさになりながら口する言葉。強がりに過ぎない。それは千影がだれよりもよく知っていた。ハエは音も無く近づいて痣だらけで悶える少女の背中をふんで、ながい柔らかそうな髪をつかんで上を向かせる。
抵抗しようにも、もう指が、いや腕自体が肘から下が無いのだ。たったこれだけで抵抗すら出来ない。ハエは鎖の先端にある重そうな鉄輪を千影の首にかけた。そのまま鎖を引くと『ガチャリ』と錠がかかる音がした。
鉄輪から延びた鎖が引かれる。影だけ見れば四足の生き物に首輪をかけた飼い主にしか見えない。もっとも、そうでないことなどは千影の意思の中でしかない。現実にはまったくその通りだからだ。
目の前で自分が見ることも適わなかった皇族の娘が四足になって足元にひれ伏している。手には、その娘から伸びた鎖があった。これこそ千影に対する支配権そのものだった・・・・
解説
日刊を目指すので短めです。