「堺さんちょっと飲みすぎじゃないの、」


ほらあれ見て、とおかしそうにぐっさんが指さした方を見やると、目元をほんのり赤らめたまま

竜也の肩に手を回して何やら人生について切々と語っている彼がいた。














　　　　　　　　記憶のかけら













例のごとく馴染みの店で何人かの出演者とスタッフで今夜も飲んでいた。

堺さんは既に撮影を終えてしまっていたが、今はオフ期間中らしく暇なのでよく顔を出してくれていた。

声をかける側としては嬉しいことである。

それにしても堺さん、今日は珍しく酔いが早い。

体調があまり善くないのだろうか。

いつもの知的な表情が崩れさっている。

相手をしている竜也も完全に苦笑いだ。

竜也なんか本当にザルだから心配無いけど、堺さんは違う。

普通よりは強い方だとは思うがこの連中に混じれば比べ物にならない。

不味いな、と思って席を立つとそのまま堺さんのもとへ向かった。


「堺さん、タクシー呼びますから今日はもう帰りましょう」


「まだ平気だよ〜。ぜんっぜん酔ってないしぃ〜」


んふ、と笑顔全快で否定される。

大抵の酔っぱらいは酔ってない、と自分で言うものだ。


「堺さん、耕史くんの言う通りにして下さいよ、ね？」


竜也も心配そうに促す。

不満そうに顔を向けるのを見ないようにして半ば抱えるように彼の肩を抱き込んで外へ連れだした。

彼の全体重が右肩に乗しかかったようになる。

外へ出ると、熱った頬に生暖かい風が吹きぬける。

蒸し暑い今日は体にまとわりつくようだ。

ぎゃあぎゃあと騒がしかった店内から抜け出すと外はやけに静まり返っていた。


「ここでちょっと待ってて下さいね、」


そう言って、ガードレールに彼を座らせて声をかける。



堺さんが頷いてまだ意識があるから大丈夫だろうとこの時は甘く見ていたのだ。



タクシーを拾おうと、ガードレールを跨いで大通りからやって来るいくつもの車を見送っていると。

背後でドサッと鈍い音がした。

振り返ると、ガードレールを挟んで反対の歩道側にいた堺さんが車道側に仰向けに引っくり返って倒れている。

どうやら、座らせていたガードレールから後ろ向きに倒れこんだらしい。


「堺さん！！」


慌てて抱き起こしたが、彼の意識は無かった…。













慌ただしく近くの病院に運び込まれ、堺さんのマネージャーまで呼び出してかなりの大事になってしまった。

付き添いで俺とたまたま一番に駆け付けてくれた相島さんが病院に一緒に来た。

幸いすぐに意識を取り戻した堺さんは念のために頭を検査してもらったけれど、軽い脳震蕩で

特に命に別状は無いと診断された。

責任を感じて真っ青になっていた俺もほっと肩を撫で下ろしたのも束の間。

堺さんのマネージャーが俺たちのもとに泣きそうな顔でやってきた。


「ちょっと厄介なことになってしまって…」


「？」




頭を打ち付けて意識不明で目覚めた堺さんは、いわゆる記憶喪失になってしまったのだ。

記憶喪失、というより人格喪失と言った方が正しいだろうか。

堺雅人という人格が失われてしまい、代わりに山南敬介という人格だけが彼の中に残ってしまったと云うのだ。

医師によると、こういった記憶喪失のケースはごくたまにあるらしく、一時的なものでそのうち治るだろうから

あまり心配しなくてもいいと云われたらしい。

たしかに俳優という特別な職業上、堺さんの脳の中には様々な人格が存在する訳だし

演じて一番新しい山南という人格が出てきても不思議では無い。

あの壮絶な山南の切腹シーンもつい数週間前のことなのだ。



「で、どうするんですか…？このまま彼を一人で家に帰すわけにもいかないでしょう。」


相島さんが困惑するマネージャーを落ち着かせるように言った。


「記憶が戻るまでそばについていたいのはやまやまなんだけど、堺くんは今僕のことを全くの

他人と思っていますから…話しかけても何も信じてくれないし、それにひどく警戒しているようで…」


堺より少し歳上の、この人の良さそうなマネージャーはしょんぼりそう言った。


「じゃあ、俺たちがその山南になった堺くんに会えばいいんですよね」


「はい・・・一応、知っている顔を見れば安心するかもしれないので…」


お願いします、と頭を下げられた。








　　　　NEXT





















　　一応、『樹海の糸』反対バージョンのつもりです。
　　今度は明るめに。
　　そしてちょっくら長くなりそうな予感。
　　よかったらお付き合い下さいませ。