明かりを落とそうと立ち上がったスザクをユフィは止める。
「え、でも……いいの?」
「暗くしたら、スザクの顔がちゃんと見れないもの」
 当然のようにそう言った後、ユフィは何かに気付いたように俯いた。その顔が真っ赤であろうことは、急に赤味を増した彼女の耳で容易に知れた。
 そうして、あまり見ないでね、と小声で続けられる。
 スザクはほんの数秒の間――相手は俯いているのだから見られはしないのに――表情を変えぬまま、思考を止めたり感情を抑えたりを繰り返した。そうしてようやくユフィから目を逸らすことに成功する。
「わかった。……でも、とりあえず、カーテンは閉めるよ」
 足早に窓辺へ歩み寄って、わざと音を立ててカーテンを引いた。その音の中に、様々な感情がないまぜになったため息を滑り込ませつつ。
 落ち着け、と冷静になるよう暗示をかけている背中へ、さらに声がかかった。
「ねえ、スザク」
「……何だい?」
「服は私が脱いだ方がいいのかしら。その……やっぱり、全部よね。……って、スザク、今吹き出したのはどういう意味!?」
「ぶふ、くく……いや、他意はないんだ。本当。っはは」
「そんな笑うこと……!」
 沸き上がる笑いを適当に噛み殺しながら、スザクはユフィの前まで戻ってきた。
 そう、彼女は明らかに「初心者」で、微妙に間違った知識を聞きかじっただけなのだ。
 真っ直ぐな瞳で――彼の経験上――どちらかというと想定外のことを言われただけなのだ。
「ごめん、別にユフィのことを笑ったわけじゃないんだ」
 だからスザクは、たったそれだけのことで動揺しすぎていた自分に気付いて、もう笑うより他になかったのだ。
 うそつき、と頬を膨らませる様は愛らしい以外の何物でもなくて、ぷくっとした頬を人差し指でつついてさらにユフィを怒らせてしまった。半分ぐらい涙目になったユフィから許しをもらうまで、本当にごめんとスザクは何度も謝った。
「それで、服のことだけど。ユフィはどっちがいい?」
「どっち、って……わからないから、スザクの意見を聞いたのよ。……その方が間違いがないし」
 ユフィは最後の方だけ口の中でもごもごと呟いたのだが、顔を覗き込むようにして尋ねていたスザクにはしっかりと聞き取ることができた。
「じゃあ、僕が脱がさせてもらおうかな」
 それでいい?と聞くと、はい、とユフィははにかんだ。



 最初に服だけを全部脱がせてイスにかけておいたのは、優しく押し倒されたユフィが、服が皺になってしまうことに思い当たってしまったからだ。
 あ、と一瞬迷うような色を見せた瞳をスザクが見逃すはずもなく、何でもないんですと誤魔化すのを君が不安なままこんなことをしたくはないと根気良く説得し、ようやく聞き出した理由である。
 買ったばかりの服を彼に見てもらいたい気持ちもあって着てきてしまったというその服を、皺になるばかりかまさか汚すようなことがあってはならないと、スザクは丁寧にユフィの服を脱がせて、ハンガーが見当たらなかったので仕方なくイスにひっかけたのだ。
 そうして改めて、自分の寝台に横になった、下着だけを身に着けたユフィを見下ろす。
 視線に気付いたユフィは体の前を手を寄せ、体を縮こまらせた。
「スザク、……あまり、見ないで」
「どうして? こんなに綺麗なのに」
 スザクが右手をベッドにつく。体重のかかったマットレスが僅かに沈んだ。
「そんなこと」
「あるよ」
「だって……こんなに恥ずかしいと思わなくて」
 いつもの真っ直ぐすぎる物言いを忘れたかのように、ぽそぽそと喋るユフィはひどく新鮮に思えた。堂々としていて、物怖じしない強い主が戸惑う様は、スザクの心をざわつかせる。
「大丈夫。僕しか見てないよ」
 安心させるように頬に啄むようなキスをいくつか降らしていく。その合間に、だから恥ずかしいのに、と呟く声が聞き取れて、スザクはユフィの両の瞼に唇を落とした。
 そろそろと開いた大きな瞳を見つめ、優しく頭を撫で、宥めるように告げる。
「じゃあ、ユフィが慣れるまでずっと見てるってのはどうかな」
「え、ええっ」
「冗談だよ。本当はそうしたいけど、あまり遅くなるわけにもいかないし、ね。だから、……ええと、その、恥ずかしいのとか色々、我慢してもらってもいいかな」
 相手は初めてなのだろうから、気を遣うのは当たり前だ。けれど、いちいち時間をかけている余裕はない。終わった後ここで寝泊まりする、というわけには絶対にいかないのだから。
 何より彼女は警備の目をくぐってここにやって来た。本来なら自室でぐっすり眠っているはずの身である。何としてでも、自らの足で自室まで戻ってもらわなければならない。
「ありがとう、スザク。ちゃんとわかってますから。平気」
 にこりと微笑んだユフィだったが、それからつと目を逸らした。まだ何か不安事があるのかと、スザクは聞いてみる。
「あのね、スザク」
「なに?」
「私はどうすればいいの?」
 その目は真剣で、必死だった。一瞬、聞かれていることを――もっと真面目な話であるのかと――勘違いしそうな程に。
 一応言いたいことを理解したスザクは、苦笑を噛み殺しながら、もう一度ユフィの頭を撫でてやる。
「何もしなくていいよ。力を抜いて、ただ感じてくれたら、それで」
「でもスザク、私も、その……」
「しなくていいから。そういうのは、また今度」
「こ……今度?」
 何気なく言った単語を、ユフィが顔を真っ赤にしながら復唱する。
 スザクはしまったと思ったものの、かなり動揺しているらしいユフィが妙に可愛かったので、
「うん。今度、ちゃんと時間の余裕があるときにね」
 冗談半分で、そっと耳元に囁いておいた。



「は、っぁ……スザ、ク」
 髪にユフィの指先が割り込んでくる。舌や指を動かす度に、きつく力が入ったり震えたりするその感触は、ぎこちなく頭皮をマッサージされているようでもあった。その動きに誘われるまま、柔らかな胸へ顔と手を埋めていく。
 形のいい胸を力を入れすぎないように手の中に収めて、一定の間隔でその形を変えていく。少しずつ力加減を変えていくうちに、ユフィの呼吸が規則性をなくしていった。硬くなった先を軽く押し込むようにしただけで、高く短い悲鳴があがる。
 自分の声にびっくりしたのか、ユフィは上気しかけた頬を一気に赤く染め俯いてしまった。
「ユフィ。……痛かったかな」
「い、いえ。そうじゃないの、大丈夫だから」
 ふるふると首を振りながらも、決してこちらを見ようとしない。
 ユフィの頬にそっと手を添えて、ゆっくりと首の位置を戻させた。抵抗はしないものの、その表情には困惑の色が散見している。
「ユフィ。痛かったりしたら、ちゃんと言うんだ。いい?」
「……ええ」
「我慢したらダメだよ。……それと」
 薄く開いた赤い唇に、人差し指をそっと当てる。
「声もね」
「……っ!」
 ユフィが一気に赤くなった。指を当てられたままの唇は、何かを言おうとして言葉にならず、ただ緩慢にぱくぱくと動くだけだ。
「平気だよ、僕しか聞いてないから」
「……い」
「い?」
 嫌、と言われるのかなと思っていたら、違った。
「いじわるです、スザク」
 半ば涙目になりながら、目つきが少しだけ睨む感じになったユフィは、そんなことを言ってきた。
「え……あ、いや、そういうつもりで言ったわけじゃ」
 言ってから、その言葉が言い訳じみていると自分でもわかった。
 スザクはただ単純にユフィの声が聞きたいと思っただけで、何も辱めようとかそういう意図があったわけではないのだが――ユフィからしたら意地の悪いことを言われていると思えたかもしれない。
 相手は初めてなのだ。それもたぶん、何かひどく偏った知識だけを持った感じの。
「ごめん。僕の配慮が足りなかった。嫌な思いをさせて、本当にごめん」
「そんなスザク、謝らないで。嫌な思いとかはしてないし、その……ちょっと思っただけだから」
 それからじっとこちらを見つめていたユフィは、意味ありげに視線を逸らした。声をかけようとすると、ちらりと視線だけ戻したユフィと目が合った。
 どうもそれで決心がついたらしい。ユフィは真っ直ぐな瞳を向けてきた。
「スザクは、……経験が、あるのよね?」
「え。あ、ま……まあ、一応」
 そう答えてしまってから、正直に答えない方が良かったのだろうかということに思い当たる。だがここで経験がないと嘘を言ったところで、妙に鋭いところのある彼女のこと、見抜かれてしまう可能性は大だ。
 きまりの悪さにスザクが目を逸らそうとしたその時、まるで狙ったかのような絶妙のタイミングでユフィのフォローが入ってきた。
「あ、あの! 私、そういう意味で聞いたんじゃなくて。相手がどんな方だったのかとか、その、気にしてませんから。……そりゃあ、色々気にならないと言ったら嘘になるけど……でも」
 ユフィは一度言葉を切ると、柔らかくて、温かい微笑を浮かべてみせた。
「今は私を見てくれてるって、そう思っていいんですよね?」
 きっぱりと言い終えてから、えへへ、と照れ臭そうに笑う。固まっていたスザクの表情がそれにつられるように緩んでいった。
(……まったく、君って人は)
 計算とかそういうのは一つもない。
 ただあるがままを受け入れて、ただ素直に解釈して――誰もが普通はできそうにないことを、彼女は当たり前のようにやってしまう。
「……うん、そうだよ」
 どうしてだろうと、スザクは思う。
 どうして自分は、彼女に会うことができたのかと――どうして、彼女と会えるという幸運に巡り会えているのかと。
「今の僕は君しか目に入ってない」
 自分はこんなにも愚かで、罪深いというのに――どうして、彼女は受け入れて、理解して、許そうとするのかと。
「きっと、これからもね」
(でも、……そんな簡単に許されたらいけないんだ、僕は)
 心の隅で自分をそう律しながら、スザクは触れさせた唇を深く交わらせた。

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