一度落ち着いたはずの頭の中がぐるぐる回りだし、再びぐちゃぐちゃのごちゃごちゃになって混沌という名に相応しい様相を見せたあたりでようやく、私の脳は思考その他諸々を放棄することにしてくれたらしい。
 意識が落ちていく。涙がいくつか滲んだシーツに、体全体が沈んでいく感じ。うとうとうとうと、だんだん気持ちいい――

 パタン。

 そんな簡素な音で、私は一気に現実へと引き戻された。
 のそのそ体を起こしながら、音のした方をぼんやりした視界で見やる。ああ、ドアが閉まったんだ。
 反射的に横を見ると、もうそこには誰もいなかった。皺の寄ったシーツだけが、誰かが居た残骸としてあるだけで。
(アポロも行っちゃった)
 私を置いて。
 私を一人残して。
「……ばかみたい」
 口に出してみると、思いのほか心に染み渡った。その通り、自分はバカなのだと自覚するには十分すぎて、ぼろぼろと涙がこぼれた。
 ほらやっぱり。
 期待なんかしなければよかった。
 そしたらこんな風に辛い思いなんかしなくて済んだのに。
 本当にばかだ。
 私は――何万年経っても成長してないんだ。
「……ぅ、っ」
 私は力なく崩れ落ちて、布団の中に突っ伏した。大声をあげて泣き喚きたいところだけど、さすがにそんなことしたら他の部屋まで聞こえてしまうだろう。それを誤魔化すために、布団の中で声を抑えようと思ったのだ。
 だから――私はもう一度、ドアが開いた音に気が付かなかった。気配だけを一拍遅れて感知して、がばっと顔を上げる。
 ドアを閉めた侵入者はうおっ、とか声を上げて、それから呆れたように言ってくる。
「起きてたのか……って、何でまた泣いてんだよお前!」
 アポロが私に駆け寄ってきた。あまつさえ、どっか痛いのか?とか見当違いのことを聞いてくる。
「……どうして」
「どうしてって、何がだよ」
「だって、何で戻ってきてるの」
「トイレ行って戻ってきたらダメなのかよ。だいたい、お前が言ったんだろ。一人にするなって」
「ぁ……」
「んだよ、寝惚けてんのか?」
 ひらひら、アポロの手が私の目の前で振られた。
 ものすごい失礼なことをされてるんだろうけど、でも、そんなことに構っている余裕がない。
 だって。だってだって。
(……一人じゃ、なかった)
 一人になったんだと思った。
 でも違った。
(アポロは、私を一人にしたりしない――)
 もうダメだった。止まらなかった。止められなかった。
 堰を切ったように溢れる気持ちに従って、私はそのまま、目の前に突っ立っているアポロに抱きついた。
「っな、おい、またかよ!」
 またでも何でもいい。嬉しいんだから仕方ない。怖くなくなって嬉しいから、私を一人にして欲しくない。
「……」
 やがて私の頭に温かい手のひらが乗った。ぽんぽん、何度か優しくバウンドする。
 慰められているの――だろう、か。
「……っ」
 私はなりふり構わずに泣いた。そして甘えた。子供みたいに――子供だけど――温もりに擦りよって、泣きじゃくる。
 アポロはしばらくそうしていてくれた。撫でるような頭の手のひらが、とにかく心地よくて――
「……いいかげん泣きやめよ本当。お前泣き虫にも程があんぞ」
 両肩がそっと掴まれて、ゆっくり距離を取らされた。遠ざかる温かさにきゅうと胸が締め付けられて、でもこれ以上引っ付いているのは確かに迷惑だろうと必死で自制する。
 後から後から溢れてくる何か。
 温かくて、優しくて、でも少しだけ切ない。
「アポロ……」
 涙で霞む視界の中。掠れた声で名前を呼んだ。
 呆れてるのかな。よく見えない。でもなんか、呆然としてるような、そんな感じ――
 まばたきして目にたまっていた涙をこぼし落とすと、その視界が閉ざされた瞬間、ふわりと空気が動いた。
(え……?)
「――ん、っ?!」
 すぐ目の前にアポロの顔。文字通り目の前。数センチ単位ですぐそこにある。
 ていうか、息苦しい――のは、唇が、塞がれていて呼吸ができないから、で……

 そしてどうにか理解する。
 キスされてるんだと。それもアポロから。しかもアポロは確実に正気だったはず。
(な、え、なん、なんで……っ)
 心中で慌てたところで答えが返ってくるわけでもない。

 ――だからもう、私はこの状況を受け入れることにした。

 難しいことは、後で考える。
 だって、気持ちいい。
 こうして触れ合うことは、こんなにも安心して、心地よくて、気持ちいいものだなんて、私は知らなかった。

 目を閉じる。
 暗闇の視界で、アポロの息遣いと私の呼吸とが混ざり合った。

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