すれ違いの再会 |
||||||
小さな名探偵が姿を消して一月。今日も変わらず白い怪盗は夜の空を舞っていた。 「相っ変わらず、中森警部も懲りねーよな。人海戦術じゃ捕まらねーことぐらい学習しねぇのかな」 本日も首尾は上々。だけどそれが物足りないと思ってしまうのも事実で。けれど、冷たい風を切って飛ぶ度に思い出される、幾度となく邂逅を繰り返したあの小さな姿とは、もう二度と… 互いに偽りの姿で出逢った名探偵。彼を小さな姿に閉じ込める原因となった組織は壊滅し、漸く元の姿に戻れるのだと聞いたのが先月。それっきり江戸川コナンも工藤新一も姿を見せることはないままで。 沈みそうになる思考を振り切って、中継地点に降り立つ。まだ冷たい春の風を孕んだマントが音を立てて広がり、そして地上に戻った白い鳥を守るよう、暖かく包み込む。頭上から惜しむことなく注がれる己の守護星の光に本日の獲物を翳し……そして溜息。 「あーあ、白馬でいいから戻ってこねーかなぁ」 「……………白馬?」 誰の気配も感じなかった場所から掛けられた、聞き覚えのない声。だけどどこかで知ってるようなその声は、自分のものともよく似ていて。 (まさかっっ) 期待に高鳴る鼓動をポーカーフェイスの下に押し殺してマントを翻し、声の源を振り向く。 そこには………黒い小山があった。 (な、なんだありゃ…??) 階段の陰になってよく見えないその物体をじーっと見ていると、一部が崩れて腕が出てくる。ひらひらと振られるそれに、漸く正気に戻ったKIDは靴音を立てて怪しい物体に歩み寄った。 近づいてみると、それはほこほこと暖かそうな毛布に包まった人影で。 「………名、探偵…?」 「よっ、久しぶりだな、KID」 姿を消していた時間を忘れたように、実物は初めて見る姿で、小さな姿のあの頃と同じに笑いかけてくるのは、確かに逢いたくて逢いたくてしかたのなかったその人だった。 (本当、に…?) 変わった姿と変わらない笑顔、そして離れざるを得なかった距離を埋めるように差し伸べられる自分と同じ大きさの手に、堰を切る行き場を失っていた一月分の淋しさ。溢れ出す想いのままに跪き、彼を抱きしめようとすると、慌てたように制止の声が上がった。 「ちょ、ちょっと待てっ」 「いやです」 本当に彼がここにいることを実感させて欲しくて。構わず引き寄せようとすると、小さく悲鳴が聞こえた。 「…っっ」 (え……? まさか怪我、して!?) 「すみませんっ」 組織の残党に襲われたか、元に戻った副作用か、道を歩いてるだけで遭遇してしまう事件の数々か、はたまた未だKIDとパンドラを狙う者に巻き込まれたか。この天然事件吸引機な人が怪我なり体調不良なりを抱える理由は山のようにある。おまけに自分の事には無駄に我慢強い彼が声を殺しきれないとなると、相当のことで。 慌てて毛布を剥がすと――その下にはまた毛布があった。無言でそれも剥がすとその下にはファーのついた厚手のコートとふかふかのマフラー。暖かそうなそれを肌蹴させれば、分厚いダウンジャケット。 (一体何枚着こんでるんだこの人は…) これも脱がさないと、とファスナーに手を掛けたところで、されるがままに剥かれてた相手はほっとしたように声を上げた。 「あー、よかった。零れてないな」 「…はい?」 彼の視線を辿ってみると、気にしていたのはしっかりと抱え込まれた……魔法瓶? 思わず顎に手をやって考え込んでしまったKIDの腕を今度は新一が引っ張り、自分の隣に座らせる。厳重に梱包され過ぎててよくわからなかったが、座った時の柔らかな弾力からして下にもエアマットが敷かれているらしい。おかげでコンクリートの冷たさも伝わることがなくて快適なのだが、何故ここまで周到に準備をして、まだまだ寒い屋上で待ち構えていたのだろうか。 KIDがそんな当然の疑問に頭を悩ませている間に、どこか気だるそうな新一は、欠伸をかみ殺しながら夜風に冷えた白い怪盗を自分と一緒に毛布で包みなおしていた。 「あの、名探偵…? お怪我をなさってるわけではないのですよね?」 「へ? 元気だぜ、俺は」 大丈夫そうだとは思ったけど念のために確認をとってみれば、案の定きょとんとした顔になる。 (か、可愛い…v) 無力な姿になり、その姿になる原因となった組織の影に気を配らなくてはならなかったことで、常に全身で周囲を警戒していたコナンの時には、どれだけ自分に気を許してくれても本当に無防備になることなんてなかった。だから全く警戒もせず常時装備な猫の姿も見せない素のままの表情を見るなんて初めてのことで。愛しい人のそんな姿を至近距離で見てしまえば、自分の内に踏み込まれることに免疫のない怪盗の心臓はあっさりと鼓動を早めてしまう。おまけに今度は(まだかなり間に障害物があるが)引き寄せるまでもなく彼の体温がすぐ側で。あー、幸せ、と抱きつこうとした手に触れる暖かい…いや熱い物体。 「あ、こぼすなよ」 ってことはこれはさっきの魔法瓶の中身ですか。 空に奪われた体温を取り戻せていない手には痛みを感じさせるほど熱いそれを傾けないよう、包み込まれた毛布の中の暖かい空気が逃げないよう、そーっと慎重に引っ張り出してみれば、自分が持たされていたのは予想通りの紙コップ。名探偵が事件と推理小説の次に愛する薫り高い琥珀色のはずの液体は、珍しいことに夜目にも判るほどはっきり白く濁らされている。おや、と隣の相手を見れば、同じものを不本意そうに抱えていた。 「…んだよ。おまえ、ブラックはあんま好きじゃねーだろ」 俺の分にもう一本持ってくるのは面倒だったし、灰原にも刺激物は控えろって怒られるし、夜更かしはダメだって外出させてもらえねーし、挙句こんな大荷物押し付けやがって。視線を逸らしてここにはいない小さな科学者に文句を言った後、新一は再びKIDに向き直った。 「だから、酒っつーわけにも行かなかったんだが…再会を祝して、ってな」 照れたように勢いよく突き出されたコップに、自分のそれを触れ合わせて。紙に過ぎないそれらはポスッと軽い音を立てるだけだったけど、その小さな響きは、確かに一ヶ月の空白を埋めてくれた。 「お帰りなさい、私の名探偵」 伝わる暖かさに漸くその人がここにいることを実感して口に出せた言葉と渡された甘いカフェオレは、愛しい人の不在に凍えていたKIDの体と心を、暖かく溶かしてくれた。 ぼーっと温もりに浸っている怪盗に、新一は穏やかな瞳を向け… 「で、オメーは白馬に会いたかったわけか」 ピキーン 次の瞬間発せられた一言に、甘やかな周囲の空気は一気に凍りついた。瞬間冷凍されたKIDがギギッと首を曲げて見れば、そこにいたのは温もりを分かち合う想い人ではなく、謎を解決してご満悦状態の名探偵。 「め、名探偵? 一体何を……」 「さっき、オメーが言っただろうが。白馬が戻ってこねーかって」 あれで目が覚めたんだから間違いねーぞ。笑顔で言い募る新一にKIDはガックリ項垂れた。 (気配を感じないと思ったら寝てたのか……いやそうじゃなくて) 「…誤解です、名探偵」 (新一がいないから白馬でいいから遊んでくれって思っただけなのに〜っ。なんで新一本人にそんなこと言われねーとならないんだよっっ) 内心の絶叫にも関わらず、怪盗モードの習性になっているポーカーフェイスは張り付いて剥がれないままで、KIDの本心を表に出してはくれなかった。告白前の片思い状態の所に恋人に浮気の疑惑を掛けられたような気分で慌てたり照れたり忙しい怪盗は、うっかり想い人の肝心な言葉を聞き逃してしまっていた。 「………だってあいつのことは名前で呼んでるし」 小さな小さな声で呟いた新一はジーッとKIDを見詰めて。 まだまだ内心パニック中のKIDはジーッと見詰め返して。 1秒、2秒、3秒、4秒、5秒。沈黙のまま緊張した時間が過ぎる。 「………帰る」 「へ?」 張り詰めた視線をばっさり切り落とし、唐突に宣言した新一は同じ温もりを包み込んでいた毛布を放り出――そうとして、思い直したように怪盗だけを包みなおして立ち上がった。 「じゃ、またな」 身動きが取れないほど怪盗をしっかり厳重に毛布で包み込んで。そして動けないKIDに自分から手を伸ばし…愛しげに頬に触れ、そっとキスを落とした。 呆然と想い人からの初めての口付けを受けたKIDは、己のファーストキスを奪うだけ奪ってあっさりと階段を下りていく姿を梱包されて身動きの取れないまま見送るしか出来なかった。 (次は白馬も連れて来て、んで、適当に抜ければいいかな。邪魔かもしんねぇけど、少しくらいは一緒にいたっていいだろ…?) あいつに惚れてんのはどーしようもねぇし、嫌われちゃいねぇはずだし。悔しいけど、それであいつが幸せなら応援してやる。どうやれば次の現場に参加して、そっから白馬だけを連れ出せるかな。中森警部と一緒にいるし、結構難問だよな、これって。 KIDが聞いてたら泣き伏しそうなことを考えながら、時計のライトだけを頼りに暗闇に包まれた廃ビルを出た新一は、人工の光を圧して眩く輝く満月に、ふと目を細めた。 (でも……あいつにまた逢えて、よかった) 自分が彼にとっての唯一でなくても、それだけは真実の想い。 互いに同じことを思いながら伝わることはなく、真実と偽りの姿での邂逅は幕を閉じた。 |
||||||
|
||||||
|