Novel

 外伝的な掌編とか。試しに書いてみました。
 好評なら色々増えるかも。


 世界に朝が訪れる様になった日より幾日経ったか、民が数えるを止めた、或る朝の事。
 世界は朝を一杯に孕んでいた。夜の冷気も徐々に、曙光に溶かされつつある。光の稜線が界の外れ、狭間の森にも注ぎ込み、輝かしい光と影のコントラストを描いている。
 そんな稜線を時折、縫う様に遮る影が、一つ。影の元を追えば、逆光に白い輪郭を描く男の姿があった。
 舞踏にも似た動きを丹念に繰り返す男の纏う、白い練り絹の緩やかな上下が風に靡いた。。短く刈り込み、後ろに流した銀髪が時折跳ねて、辺りに光を散らす。白い額には沸々と玉の汗が煌めき、時折顎を伝って首筋や胸元に汗染みを作る。緩やかな動きではあるが、地を踏む音の堅い響きが足取りの強さを伝え来る。
 清々しい空気を胸一杯に吸い込み、緩やかに吐き出す。男は陰と陽、太極の理を自らの物と為す為に、夜明け前からずっとこの動きを繰り返していたに違いなかった。
 日が高く登り始め、すっかり陰の影響を追い払ってしまうと、男は演舞を止め、木に引っ掛けた手拭いを引き寄せた。汗を拭い、首筋に手拭いを引っ掛けて森奥へと歩く。暫く行くと、遠くからせせらぎが風に乗って耳に届いた。
 森が開けた先には小さな沢があって、澄んだ清流が横たわっていた。男は手拭いを沢に投げ入れると、手拭いを拾って絞り、顔を拭く。逆光にあって良くは見えなかった面に、朝日を映した様な黄金(きん)の双眸が鋭く覗いた。晴れやかな、満ち足りた貌だった。
 せせらぎに紛れて、ニイニイと小さな声が聞こえた様な気がした。
 男は聞き流した。気の所為だろう。よしんば、いたとしても野の生き物だ。
 男は上着を脱ぐと、手拭いで丹念に上半身を拭った。良く研がれた鋼の刃にも例えられよう無駄を許さぬ肉体を惜しげもなく朝風に晒す。湿った上着をもう一度着る気にはならず、男は上着を洗おうと、川に近付いた。
 ニィ。ニィ。
 仔猫かな、と男は思った。親がこの辺で子を産んだのだろう。
 薄衣を流れに浸し、軽く絞る。気を通すと、湿っていた筈の薄衣は湯気を放ちながらまくれあがる。二三度上着を振ると、上着はすっかり乾いていた。男は袖を通した。
 ?
 鳴き声が近いのを知り、男は好奇心に負けて足を運んだ。
 とはいえ、見るだけのつもりだった。野生の生き物は、子に人の匂いが付くと世話をしなくなるという。猫がそうかは解らないが、不用意に触って親が寄り付かなくなっては仔猫が哀れだ。
 鳴き声がいよいよ近くなり、この辺かな、というところで、男は足下に、何か硬い物を感じて足を引いた。
 深い叢の中には、籠に入った仔猫が4匹、まあるく身を寄せ合い、身を震わせて収まっていた。
 三毛に黒、雉虎に錆、か。
 男は暫く籠を覗き込んでいたが、やがて、籠を手に抱え沢を後にした。

 馬を駆る蹄の音が、黒髪を靡かせる風と共に界を駆け抜ける。其の黒髪も、黒檀の肌もまた、朝日にあっては艶やかに世界を照らす。
 闇の王が笑みを絶やさぬ様になって、久しい。界王が、嘗ては凍れる魂故に民を始め、他の界王や魔族からも畏怖を以て迎えられていた過去は決して忘れ去られはしないだろう。が、それもやがては昔話、遠い伝説そして、太陽を迎える為の必然として受け止められつつある。
 世界には、朝と同じ位夜が必要なのだ。
 己の朝を迎えるべく、夜の王は漆黒の馬を駆った。
「おぉーい、ハディートォー!」
 馬が朝を迎える丘へ足を踏み入れると、遠くから馴染みの姿が駆けてくるのが見えた。上下白の、異国の衣服に身を包んだ其の姿に、何故か馴染みの無いオプションが付いているのを界王は見逃さなかった。
「何だ、それは」
「まずはお早う、からではないのか」銀髪の男は馬上の界王に向けて顎をくいと上げた。凍れる魂が和らいだとはいえ、界王に向けてこんな態度を取れる者は、この界ではこの男をおいて他にはいなかった。
「はいはい、お早う龍王(ロンワン)で、その汚らしい籠は何だ?」
「これか。これはな、猫だ」龍王と呼ばれた男は、界王に向けて籠を差し出した。「落ちていた」
「何だ、拾ってきたのか。こんな物をどうするのだ?」
「どうするも何も、喰う訳あるまい。飼うのだ」
「そうか……っておい! 宮殿で其れを飼う気か!」
「いけないのか?」龍王は籠を覗き込んだ。「見ろ。未だ目も開いておらぬ。乳離れもしておらぬ内から、親より引き離されているのだ。可哀想に、酷な仕打ちを」
「可哀想と言ったって……」
 界王は言いかけて、ふと口を噤んだ。龍王は幼くして母を亡くし、実の父より非道な扱いを受けて来たと聞き及んでいる。母から無理矢理に引き離された仔猫に、己の影を重ねているのではあるまいか。そう思うと、飼うなとはさしもの界王とて、易くは言えなかった。
「うむ……ま、まあ、仕方あるまい。下女にでも世話をさせよ」
「良かったな、慈悲深い君子が飼ってくれて」
「ま、待て。誰が『俺が飼う』と言った! 飼うならお前が世話を……あっ!」
 龍王はニヤニヤしながら界王を見上げた。
 界王は龍王を睨め付けると、「早く乳を飲ませよ。腹が減っておろう」と吐き捨てて、馬に乗るよう促した。
 帰り道、膝に仔猫の乗った籠を乗せて馬を駆り乍ら、界王はどうしても、脳裏に付きまとう嫌な予感を振り払えないでいた。

 予感は的中した。
 目も開いていない仔猫の世話にかまけて、龍王が全く相手をしてくれなくなった。やれ乳だ、体が冷える、糞をしたなどと己相手以上にまめまめしく仔猫の世話にかまけ、挙げ句夜になると疲れた、眠いと一人で布団に潜り込んでしまう。この間など布団を剥がして抱き付いたら、裏拳を叩き込まれた。界王たる威厳も、猫にあっては形無しの様であった。すっかり母親、否、父親のつもりで仔猫を世話する龍王に、或る日、ハディートは、こんな生き物の何がいいのだ、と尋ねてみた。
「何と、解らぬというか」
「解らぬから聞いておる」
「これを見よ」龍王は漸く目が明いたか明かないかの小さな仔猫を持ち上げてハディートの前に突き付けた。未だ歯も生えていない。「この愛らしい肉球を。うっすらとピンクの腹を。お口ピンクなんだぞ。ピンク」
「……もう良い、解った」ハディートはひらひらと、猫を押し退けるように手を振った。こりゃ解らんわ、重症だ、と匙を投げた様だった。
「何だ、解らぬのか。こんなにふにふにで愛らしいのに……いでっ!」龍王は肉球を唇に押し当てていたが、不意に猫が爪を出した為に、鼻の下に間抜けな疵痕を作ってしまった。
「ククク、成る程。同類だからか」
「同類とは何だ、同類とは」
「とにかく、乳離れしたら誰かにやってしまえよ。ずっと飼い続けるなど真っ平御免だ」ハディートは言い捨てると、鼻の下を抑える龍王を残して部屋を出ていった。

 仔猫が乳離れしたら何とかなる、と思っていたハディートの思惑は見事に外れた。仔猫達は調度に爪を立てるわ、あちこちに糞はするわ、夜になればなったで上へ下へと走り回るわで、一晩たりとも穏やかな安眠を許されず、龍王は龍王で「精を漏らすのを控えたい」と、週に一度しか伽を許してはくれないので、欲求不満は溜まる一方、益々不機嫌になるばかりであった。ハディートは何度も、龍王が居ない間に仔猫達を某作家宜しく窓から外へ放り捨てたい衝動に駆られたが、そんな事をしでかしたらそれこそ二度と戻っては来てくれぬかも知れぬ、と思うと、仔猫達を無碍に扱う訳にも行きかねた。
「糞をあちこちにするのだけでも、何とかしろ!」
「何とかしてるだろ! 未だ躾中だから仕方なかろうが!」龍王は尿意を催した仔猫を抱えて、急いで猫トイレに連れて行く。「他の3匹は覚えたんだが……」
「この間など、寝台の下に立派なのを生産していたが?」
「あれはお前が悪い」仔猫を抱えた侭、龍王はハディートを指差した。「散々言っておいたのに、仔猫のトイレを掃除しておかなかったではないか」
「界王が畜生如きのトイレ掃除など出来るか!」
「それこそ、下女にやらせれば良いではないか。あ、コラ、爪研ぎはこれだ」龍王はサイドボードの足に爪を立てる仔猫に、爪研ぎを放ってやった。「悪い、そっちの三毛も連れて来てくれ」
 はいはい、と仔猫の首を掴んで運びながら、ハディートは一体己は何をしているのだろう、と自問した。

 馬鹿馬鹿しい。
 何でこんな生き物が愛らしいものか。
 下女達がトイレ掃除ついでに猫を摘んでは、可愛いだのよしよしだのとあやしているのを横目に、ハディートはぶつくさ不平を漏らした。愛らしいのは龍王だけで充分だ。
 部屋が猫達と己だけになって初めて、ハディートは毛玉を摘み上げた。三毛猫の肉球は淡いピンクで、触ると爪をにゅっと出す代わりに、何とも言えぬ触り心地を味わわせてくれた。
 だが、これが何だというのだ?
 龍王が口を極めて褒め称えた、ピンクの口元にしても同様だ。同じピンクなら龍王の柔らかな唇の方がずっと良い。噛み付いたり、ましてや引っ掻いたりはしない。
 舌を絡ませた口付けの感触を思いだし乍ら、ハディートは目を細めた。仔猫がニィと鳴いた。
「そんな声で鳴いても無駄だ」
 一体、猫の何が。
 ハディートは何度その問いを心中投げかけたか知れない。犬の良さならハディートにも解る。今は昔、ハディートにも猟を好んだ頃があったが、当時飼い揃えていた猟犬たちの美しさ、賢さ、猟犬という目的の為だけに磨き抜かれた、洗練された獰猛さは界を越えて知られる自慢の種であった。が、猫と来たら言う事は聞かぬ、躾もろくに出来ぬ、好き勝手歩き回ってはニャーニャーと煩く啼く、不貞不貞しくも主に牙を爪を向けるを怖れぬ。全てがハディートの気に障って仕方がない。滑らかな柔毛も、明暗に合わせて形を変える神秘の瞳も、龍王が褒め称えるあの肉球もピンクのお口も、界王の憎しみを和らげ、歓心を買うには力不足の感があった。
 諸侯の中には殊の外猫型獣人を愛好する者が多く、猫の耳と尻尾を有する美形の奴隷には、その眼球一つと同じ大きさの玉と同じ値が付くという。ハディートには生憎奴隷を愛好する趣味は無く、猫耳奴隷を幾度か見かけた程度であったが、実物の猫と猫耳奴隷でここまで月とすっぽん、天と地程の差が有るものとは嘗ては思いも寄らなかった。猫耳獣人は見た目が猫耳なだけの、まるで別の生き物も同然であった。
 同じなのは、耳と尻尾だけか。
 そういえば、猫耳獣人の性感帯は尻尾であったな、などとたわいもない事を考えながら、ハディートは猫の尻尾を触った。が、仔猫達は尻尾を触ろうとすると嫌がって手を振り切るばかり。仕舞いにはフゥ、フニャア、と怒り出す始末。此とあれとはやはり別の生き物に違いない。そうハディートは断定した。
 となると、同じなのはこの耳だけか。
 ハディートは仔猫の薄い耳に触れた。
 仔猫の耳が、ふると震えてハディートの指を弾いた。
 薄い、のだな。
 薔薇の花弁にも、天鵞絨にも似ているように思われた猫の其れは、確かな熱を湛えていた。指で、そっと摘む。手の中で、脈打つ血潮。
 ハディートは三毛を摘み上げて、耳を唇に、そっと銜えてみた。

 戻って来た龍王が最初に見付けた恋人の姿は、両手に仔猫を抱えながら、真顔で仔猫の耳を銜えている処であった。
「龍王、どうだ? 猫耳を付けてみないか」
「要らんわっ」

とつぷ

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