The night is long long...
朝がまだ来ない |
背中がひどくつめたくて、そのくせ体中が火照っていた。 鏡を見なくてもひどい顔をしているのであろうことはすぐにわかった。これじゃだめ、とひとり呟く。女は化けるなんていうけれど、上手に化けるためには日々の鍛錬が必要なのだ。たとえばファンデーションがきちんと埋め込まれるように、肌を整えることだとか。目の下にくまが浮いていたら、明日がちょっと絶望的になってしまう。 明日。 やちるちゃんの暑中見舞いより早くポストに入っていた手紙は、浮竹さんの文字だった。 絵のモデルを頼まれてくれないか、と。 わたしと結婚したひとは、駆け出しの癖に妙に売れる、いわゆる画家という職業だった。頼めばあらゆるものを書いてくれた。2人分のちいさな食卓、遠い外国の風景、あるいは夢の中に出てきた人物のモンタージュさえも、おぼろげな言葉を頼りに作ってくれた。 そういう彼がたったひとつ、描くことを拒んだものがある。 何故かは知らない。しかし、どういうわけか、その、志波海燕が拒んだものを、写し取ろうとしている人がいる。わたしはモデルなんてやったことがない。それを承知で、浮竹さんは「頼む」のだ。 断る理由がなかった。 …もしもここに海燕がいたなら止めただろうか。 ふと浮かんだ考えをふりはらう。体中に残る、悪い夢とともに。 闇に目が慣れてくると、たんすの上に置かれた仏具がぼんやりと見えた。あの日、陽炎のゆらぐシートを境に、海燕は「損傷の激しい遺体」から「骨壷の中」を経て、そうして今は「つやつやとした金文字の塗位牌」へと姿を変えた。 わたしが知っているのはもうここに抱きしめてくれる腕がないということ、もう家族と呼ぶべきものは失われてしまったこと。 キッチンでゆっくりと水を飲み、それからわたしはもういちどベッドにもぐりこむ。 すっかり冷えてしまった、たったひとりの眠りの中へと。
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