推薦者であるコンラートに部屋番号を聞き、乗船直前に頭に叩き込んだ船内見取図と比較しながら、は狭い廊下を歩く。狭いといってもあくまで有利たちの部屋のある付近と比較しての話だ。あれよりいくらか劣るとはいえ、さすがに豪華客船の肩書きは伊達ではない。何人もの人がすれちがうのに充分な幅と、かかとの高い靴を履いた御婦人方のために手すりがしっかりと準備されている。
「…3、4…ここか?」
 客室の規模としては一番小さい----三等船室の2人部屋の続く並びだ。
 コンラートの言うことだから信頼に値すると、ほぼ無条件に信じて来たはいいのだが、相手の事を何も聞いていない。さすがに部屋の内装までは調べずにここに到っているけれど、このあたりのクラスの部屋は普通、人数分の人間が既に使用しているのではないだろうか。
「こころよく提供してくれるんですか、ほんとうに…?」 
 なんだか急にいやな予感がおしよせてきて、は眉をひそめると、ここにいないひとに疑問を呟いた。しかしいつまでもこうして立ち尽くしているわけにもいかない。意を決してノックのために右手を握って掲げる。
「失れ…っわ」
 自動ドア!?と、この国には無い機能名称を胸中で叫びながら、は空を切った右手をひきもどした。木製の扉が自動的に開閉するはずも無く、当然内側から引き開けられただけなのだが、部屋の中の気配がまったく読めなかった。
 目線はちょうど件の人物の胸の辺りだ。大きな布の花が飾られたデザインは、少しセクシー路線を狙ったツーピースドレスの上着。…しかしこの、なんだかおもわず目を逸らしたくなる不自然な胸は。恐る恐る視線をあげると、あざやかなオレンジの髪が鎖骨の辺りでゆれた。
「きゃーってば久しぶりじゃないのー!」
「わああ抱きつくな抱きつくな重い軋む!」
「まー失礼ねレディに向かって重いだなんて。立ち話も何だからこちらへいらっしゃいな」
 ハスキーすぎる声は、確実に笑いを我慢しながら、の腕を掴んで室内へとひっぱりこんだ。
 ぱたん、と乾いた軽さで閉まる扉の音を背後に聞きながら、は改めて『レディ』の部屋を見回した。
「…何、これ」
「何って、衣装合わせ以外の何に見えるのかしら?明日の夜には優雅な船上舞踏会。今からきちんと準備しておくのが淑女のたしなみってものじゃなァい?」
「誰が淑女だ、だ・れ・が!女装する必要がどこに…ああ、まずはその肌寒い言葉遣いをやめてくれ!」
「やーだねェこれだから免疫の無いお子様は。んで?なんでお前がこんな所に来たの?」
 隅の方にあった椅子をひっぱりだして差し出すと、自分はベッドの上の衣装を片付け、グリエ・ヨザックはどかりと腰を下ろした。上半身だけの物凄い違和感にうなだれながら、はおとなしく彼に倣う。
「こっちの台詞だ。ヨザックこそ、いつのまに戻っていたの?まだソンダーガードの調査に行っているものだと思っていたのに」
「行ってましたよ、数時間前まで。戻ってきたと思ったら、すーぐこっちのお呼び出し。オレってば敏腕だからー」
「…すぐ呼ばれたわりに、随分と準備万端なようで」
「そのマメさが上司の心を掴んで話さないのよん。…ああ睨むな、冗談だって!」
「ところでこの部屋、まさか二人分の料金が出したわけじゃないよね?」
「そんな資金提供してくれるわけねーでしょ。かわいいヒヨッコがいたんだけどね、グリ江ちゃんの魅力に悩殺されたみたいで、隣部屋に荷物まとめてっちゃったわ」
 頭が痛い。
「オレはちゃんと質問に答えたんだから、次はお前の番だよな?何でわざわざこんな部屋くんだりまで来んのよ、特別室のお客サマが。予想1、新王陛下へのヨコシマな想いを自制できそうにないから、予想2、どっちかに襲われそうになった、予想3、オレに夜這い…」
 無言で剣の柄に手を掛けるを笑いながら抑えて、ヨザックは彼女の耳元に低くささやいた。
「それとも、何か動きでも」
「…いや」
 ひさしぶりにまのあたりにするロジャーラビットと敏腕諜報員のギャップに脱力しながら、、は横に首を振った。説明するのもだんだん面倒になってくる。着衣越しに伝わる体温に向かって目を合わせないまま言い募る。
「船酔い婚約者閣下が追いかけてきちゃってね。しかも部屋がダブルベッド。陛下が『女の子を床に寝かせられない』、閣下が『婚前の男女がひとつベッドで』云々とそれぞれ仰いまして。最終的にコンラート閣下の紹介にあずかったわけだけど…ヨザック?」
 肩を震わせて笑いをこらえるヨザックを不信もあらわな眼差しで眺め、は同僚の名前を呼んだ。
「っはーオレってば信用されてんのねェー。それとも何、あいつ本気で自分より安全だとか思ったんじゃねぇだろうな…あー久しぶりに笑わせてもらったわ。んで?どうすんのちゃん?」
「どうもこうも、他に行くあてが無いんだ。泊めてもらうほかにない。そのへんのスペースを勝手に使うよ。ついでに毛布一枚提供してもらえれば御の字…だ、けど」
 完全に呆れているのだとわかる男の視線に気がついて、は言葉を切った。  次の行動に迷い、半端な呼吸を三度、くりかえしたところで、ヨザックの顎が彼女の頭上に乗る。ほとんど抱き込まれているような距離の近さにが背筋を強張らせる。気づいているのか否か、ヨザックは笑うように短い声を漏らす。彼の声帯の振動は、頭蓋を通して彼女に伝わる。
「新王陛下はおまえを床に寝せられないっつったんでしょ?」
「…だから何だ」
「あいにくとオレは兵士だ。しかも気が利くんでね。ここはひとつ陛下の御意向に沿わせてさしあげるさ」
「ベッドを譲ってくれるの?」
「まっさか」
 ついに黙り込んだと視線を合わせるようにかがみこみ、ヨザックは、一見ひとのよさそうな笑顔を向ける。
 そのむこうがわにあるものが自分に優しくないとわかっていても開けずにすませてしまう方法を、は知らない。

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