第2回 2月第4週 「花粉が大伽藍で服部幸應」
読了本
佐々木幸綱『男うた女うた──男性歌人篇』(中公新書)
服部幸應『コロンブスの贈り物』(PHP)
河合雅雄編『ふしぎの博物誌』(中公新書)
三雲岳斗『聖遺の天使』(双葉社)
過去の読書記録を振り返ってみて気が付いたのだが、脈絡のある読書なんてものは、実際のところしたことがないの
だ。ときどき興味を持ったジャンルの本を一気に集めることはあるけれど、でもやはり読了した本をジャンルで並べると バラバラである。要するに「片手間に読める本」もあれば「電車などで集中して読まなければ理解できない本」もあるわ けで、自然とそうなってしまうということらしい。何冊も同時進行で読んでいるということも珍しくない。そもそも集中力が なくて飽きっぽいし。
そんなわけでのこれである。順番に「短歌の解説」「食べ物に関するエッセイ」「昆虫や動物、植物などに関する科学
エッセイ」「本格ミステリ」となる。バラバラ。
短歌のそれは、万葉集の時代から現代まで、作者の選出した歌が時代順に並べられているのがおもしろかった。
時代の変遷がよく分かる。自然の素晴らしさを詠ったものから、核について詠ったものまであるのだ。
こうして見ると、短歌というのは、その時代その時代の風潮を知る上でなかなか便利なものかもしれない。なるほど、そ
ういう用途もあるのだ。
なにしろ自分史を短歌で綴る人もいるくらいだものね。短歌には詠まれた当時の生活が凝縮されていて、読み返すと
イメージが溢れ出る。それってなんだか生きているかたわらで作製する秘密のカプセルみたいで、おもしろい。植物に おける花粉みたいな感じ。その中には『自分』がそのまま縮められて、エキスのように入ってる。触れた瞬間にそれは 割れて、中身が一気に飛び出てくる。
一年の最後に、その一年を総括した短歌をひとつ詠み、年を取ってから数十と連なったそれを並べて読み返す、なん
ていうのは相当に楽しそうだ。なかなか名案かもしれない。
そうです。花粉なのですよ。
こうしてかなり強引に科学エッセイのほうに話が移動する。昆虫・動物・植物・化石・鉱物など、様々なジャンルの学者
たちによる、言ってみれば「自然おもしろ話集」。ぼくらはおもしろい話が聞ける、学者たち執筆陣はお小遣い稼ぎがで きる……いやはやとても素敵な本である。
しかし話は植物の花粉ではなく、やっぱり取っ付き易いところで、昆虫にもっとも興味をそそられた。昆虫の足が6本
なのには「あんな」理由があったんですってよ(言わない)。ヒメサスライ蟻は自分たちの体を「あんなふうに」進化させた から、統制の取れた動きができるんですって(言わない)。
しかし自然界における相互作用というものはすさまじいものがある。これは多種多様なジャンルを内包したこういう本
だからこそ感じたのだろうが、この本で語られたもののすべて──完全に一種類も余すところなく──、なんらかの形 で他の何かの作用があって成立しているのだ。食物連鎖という単純な関係に限らず、その関わり合いの形は実に多彩 である。
「自然界」という大伽藍みたいなものを想像する。その大伽藍は芸術的なバランスで設計されている。それはとても壮
大で感動的な場所だ。ところがそれの中にいる「人間」は、ガヤガヤしてて雰囲気を悪くするだけなのだ。あまつさえ設 備の一部を破壊までする。支柱を壊された大伽藍は、そのうち崩壊するに違いない。──破滅のイメージはこんなにも 分かりやすい。哀しい。
ところで大伽藍と言えば教会。天使。
今週で唯一の小説、『聖遺の天使』。レオナルド・ダ・ヴィンチを探偵役に置いた本格ミステリである。
はっきり言って途中まではあまり楽しめなかった。どうも内容に入り込めないのだ。時代が昔だし、舞台も特殊なので、
映像をイメージしにくいのである。それでも後半、というか終結部分はなかなか楽しめた。「なるほどね」という感じ。「な るほど!」ではないけれども。
実際のところ、描写がちょっとあっさり目なのではないか。もっと重厚に長く書いたほうがいいと思う。題材としては十
分にそれに耐え得るに違いから。もったいなさを感じた。
いやあ、服部幸應ですね(もう絡めきれなくなった)。
服部栄養専門学校の校長のあの人。テレビに出まくっているあの人。これまで若干の胡散臭さを感じていたが、この
本を読んで認識を改めた。
「コロンブスの贈り物」という題名は、「新大陸アメリカからコロンブスが持ち帰り、旧大陸でとっても助かったりした食
材たち」という意味。
最近まではそれほど生活の中で重視していなかったのだけど、やっぱり食べ物ってかなり大きいのだ。美味しい食べ
物を味わうために生きている、というのもあながちオーバーではない。ぼくらがしあわせを感じるために生きているのだ としたら、食べ物っていうのはそれのもっとも効果的なアイテムだろうと思う。
実を言うとぼくはいちおう芸術系の大学の学生だったりするのだけど、趣味にお金をつぎ込んで食費を削る同輩など
を見るたびに、暗澹たる気持ちになる。理念の違いをまざまざと見せつけられて、なんだか気持ちが重くなるのだ。
様々な知識を誇る哲学者に、「どうしたら人々は心地良く生きられるでしょうか?」と訊ねる。するとその哲学者は「相
手が嫌な気持ちになるだろうことはしないことだ」と答えるだろう。実に単純。小学校低学年でも十分に理解できる。し かし真実である。『資産家の贅沢よりも労働者のベッド』というのはたった今ここで作った諺であり、「大金持ちがどんな に金を使って欲を満たそうとも、くたくたになるまで働いた労働者の睡眠ほどの至福は得られない」という意味なのだけ ど、つまりはそういうことなのだと思う。ぼくは。
美味しいものを食べて、良い気持ちになって、「生きてて良かった」、と思う。
「生きてて良かった」なんてそうそう思わないよ。食べものは偉大だ。
だからそれら食材について真摯に語られているこの本は、非常に好感が持てて、そしてただ焼いただけのじゃがいも
にバターを乗せて食べたくなりました。
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