「お待たせ、さくらクン」 「花輪くん、アンタ車なんか持ってたの?」 残念だがいま和彦が乗ってきた車はレンタルである。 普段は公共交通機関で事足りるものだから必要性を感じなかったが、そうか、こういう場面が増えるのならば購入を考えてもいいかと思った。 初めての旅行は自由気ままにしたくて車移動を選択したが、少し失敗したかもしれない。 「花輪くんが運転する車に乗るのって、なんか変な感じがするねぇ」 エスコートされながら助手席に座るももこがハニカミながら頬を染めた。 夏らしい白と水色のストライプ柄ワンピースが似合っていた。いつもはすっぴんなのに、出掛けるからか珍しく薄化粧をして。 運転していてはこんなに可愛い彼女の姿を、じっくり眺めることが出来ないではないか。しまった。が、もう遅い。 「じゃあゆっくり行こうか」 「うん!」 道中は長いようで短い。 初めての旅行が、ふたりの距離を違うものにしてくれるのを信じて。 別荘にいくことはあらかじめヒデじいに伝えておいたので、邸内は小綺麗に整えられていた。 出来るだけ自炊をしたいからとも言っておいたら酷く心配されたが、きちんと言いつけ通り使用人を残していないあたりが仕事人として信頼を置いている彼らしい。 途中で買った食材を馬鹿でかい冷蔵庫にしまい込み、早速夕飯の支度にとりかかる。 こういう時はカレーライスでしょ。 そういうももこの言に従い、シンクに並んで一緒に野菜をむいていく。 「……ぷ」 「なんだい、マドモアゼル」 「いやね、花輪くんのエプロン姿ってレアだな〜ってさ」 「心外だな」 「ていうか、せっかくのリフレッシュ休暇なのにわざわざご飯作る労働はリフレッシュにならないんじゃないのかい?」 「いつもと違うことをするのがいいんじゃないか」 「指! 切っちゃう!」 「うわぁッ」 そんな軽口を叩きつつ、途中で米を炊いていないことに気づいて大わらわになったのは今となっては笑い話。 なんとか出来上がった和彦初めての料理は、基本の料理らしく無難な味だったけれど、それ以上に美味しく頂けた。 いつものように食器を洗って順番に風呂を使って、今日はバルコニーでお疲れ様のコーヒーを飲む。 「ねぇ、見て見て花輪くん! ベッドの上にこんなの置いてあったよ〜!」 いつものパジャマで爆笑しながら持ってきたのは、総レースのネグリジェ。 それを持ってきたももこも、それを見た和彦も、一気に頬を紅潮させて慌てた。 彼女が同伴することをわかっているヒデじいの確信犯的な行動に、ふたりの方が追いついていけない。目的がアケスケすぎて逆に恥ずかしくなってしまった。 「き、きっとジョークだから気にしないでくれたまえ、さくらクン!」 「だよねだよね! も〜、ヒデじいったら、あたしにこんなの似合うわけないじゃんッ」 いや、たぶんかなり似合うと思うけど────。とは、口が裂けても言えないヘタレな自分を殴ってやりたい。 仕切り直して椅子に落ち着くと、照れ笑いのようなものを口の端に貼り付けながら顔を合わせた。 「……子どもの頃に来た時はヒデじいも他の使用人さんもいたから、こうしてこの場所にふたりきりなのは変な感じがするねぇ」 満天の星空の下でキミとコーヒーを飲む未来だって想像してなかったさ。そう告げると、あたしだって、と返ってきた。 他愛もない会話が愛おしい。 時間はたっぷりある。もう寝ようか、そう切り出してこの日は別々の部屋に分かれて眠った。 果たしてあのネグリジェは使われるのだろうか? そんなことをぼんやりと考えながら、いつの間にか睡魔に誘われて気づいたら朝だった。 ※ いつもより強い朝陽に射られ、和彦はゆっくりと目を覚ました。しばしぼんやりと見慣れない天井を見上げ、そう言えば伊豆の別荘に来たのだと思い出す。 午前八時四十分。 使用人たちがいればすでに起こしに来る時間だが、今回はふたりきりの────そう、ももことふたりきりの旅行なのだ。 のそりと身体を起こして伸び上がる。ベッドを降りてカーテンを引くと、途端に眩しいくらいの青空が迎えてくれた。 今日の予定は特に立ててないけれど、朝を軽めに済ませて街中を散策してみようか。どこかでランチを食べたり土産物を見繕っていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいそうだ。勿体ない。 いや、勿体なくないか。ももこと過ごす時間は、どれも貴重なことの連続で。 そう言えば彼女はもう起きたのだろうか? いつも大抵徹夜して原稿を描いていたももこが、そのまま和彦の朝食の準備をして送り出してから本格的に寝るらしい。 コンコン、と控えめなノックでは気づかなかったようだ。もう一度、今度は強めに叩いてみたがやはり返事はなかった。 「────失礼するよ」 僅かな躊躇いを持ちながらなるべく音を立てないようにドアを開けると、案の定ももこは未だ夢の中の住人だった。 「さくらクン?おはよう……」 「……ん……」 声をかけるとベッドの中から緩慢な動きでヒラヒラと手を動かして反応が返ってきた。 「そろそろ起きたまえ。散策でもしないかい?」 「ん〜……」 「先に何か食べているよ」 「あぁ〜。今、起き、る……」 こうしてゆっくりとした一日が始まった。 「なんで伊豆にワニなんだろうね!」 あははと笑いながら歩くはバナナワニ園。温泉の熱を利用してバナナの栽培とワニの飼育をしているのだが、よく考えるとよくわからない組み合わせである。 そこそこ人もいて、やはり観光地は人が溢れていた。 「こうやって花輪くんと歩くのって、凄く久しぶりじゃない?」 「そう……言えば、中学以来かな」 和彦の休日は基本別行動である。和彦は身体を休めたり自分の買い物をしたりして、ももこはももこで原稿を描いては気分転換に外に出たりする。 そもそも一緒に行動する関係もルールもない。 しかし改めて並んで歩いてみると、悪くなかった。 「そっちに回ろうよ」 「──さくらクンッ」 柵の向こう側に回ろうとしたまる子と和彦の間に観光客がどっと割り込み、見失いそうになった小さな手を思わずぎゅっと握りしめる。 「!」 「……」 止まった歩み。振り返ってぶつかる眼が揺れて、握った掌が熱かった。 「……はぐれたら危ないよ、ベイビー」 言葉では茶化して、でも握った手は離さなかった。離せなった。ももこも無言で指を絡めてきたから、逆に手を離す理由などなくなった。 手を繋いでから言葉を失くすふたり。 だけれども掌で交換する熱があれば、何もいらなかった。それだけで十分な気がしたのだ。 ────もし、ここでキミに告白をしたら……。 非日常は明日で終わりだ。その間にももこを攫ってしまわないと、きっとこの先なにも変わらないだろう。 幼かった小学生の時分ではない。不安定な中学生のふたりではない。 色々な経験を経て再び巡り会ったふたりに、例えば亀裂が入ったとしても、大人として粛々と溝を埋めていくだろう。 頬と繋いだ手が熱い。彼女も同じ気持ちでいてくれたなら。 降ってわいたような淡い恋心が蘇ったのは、偶然とは思いたくなかった。 |