和彦の部屋には掃除と食事、ゴミ出しなどの家事全般は家事代行サービスの人間が週三回来てやってくれている。だからキミも特に何もしなくていいんだよと告げれば、相変わらず坊っちゃん病だねと言われた。
やったことがないのだから仕方ないだろう。そう反論すれば、掃除に洗濯くらいはあたしがやってあげるよと言われた。
「……僕の下着も洗うことに、抵抗はないのかな?」
「え? 家でお父さんのパンツも一緒に洗ってたけど?」
父親と同じカテゴリーか。なんだか複雑な気分になりながらも、まる子がやるというのなら頼むことにした。仕事をあてがうことで責任が人を育てるのは、会社でも一緒である。
「しっかしご飯も作ってもらうだなんて、さすが花輪くんだね〜」
家事代行の職員が作っておいてくれた夕食のおかずをタッパーから摘み食いしながら、それを皿に移して温める作業をももこも手伝う。
「効率という言葉があるだろ? 僕が出来ないことにかける余計な時間を、仕事をする時間に変換出来るなら、そちらの方がいいに決まってる」
「無駄こそが人生における贅沢ってもんだよ、セニョール」
「しかし無駄に食い尽くされては話にならないのさ、セニョリータ」
主食に副菜二品、汁物をつけて。それだけの品数を作る時間が自分の為に使えれば、確かに効率もいいのだけれど。
何かが違うな、ともももこは思う。
向かい合わせの食卓は不思議な気がしたけれどご飯は美味しくて、雰囲気も物凄く和やかで。
まるで昔に戻ったような錯覚に陥った二人だけれど、風呂を使った段階でお互いが同じ香りを纏っていることに気恥ずかしさを覚える程度には男と女だった。
「あの……、おやすみ花輪くん。今日は急に押しかけて無理難題ふっかけたのに快く受け入れてくれてありがとう。凄く、助かった」
「おやすみ、マドモアゼル。僕は明日から出張だけれど、部屋の中は好きに使っていいから。その代わり、きちんとご実家には電話を入れておきたまえ」
わかった、そう言って与えられた部屋に引っ込んだももこの残像をしばらく追いながら、和彦は一層ソファーに深く沈みこんだ。



どうしてこんなことをしてしまったのか。
恋慕はない、はずなのに。
契約のような握手をした瞬間、ずっと繋がっていたいと思ってしまったのだ。
上を向いて長いため息を吐き出しながら、今は答えを先延ばしにしようと思った。
とりあえずは目の前の、出張を無事に終えることが先である────。









「いってらっしゃ〜い」
不意に背後から掛けられた声に、驚いて和彦は振り返った。そう言えば昨日からももこが住んでいるのを忘れていた。
「ソーリー、起こしてしまったかな?」
相当早い時間だからか、すっぴんで寝癖のついた起き抜けのまる子は隙だらけだった。
「ん〜ん、そういうんじゃなくってさ。一緒に住んでるんだから、見送ってあげたいじゃん?」
「そんなものかい、レディ?」
「そんなものだよ、花輪くん」
なんだかこそばゆい。しかし悪い気はしなかった。
そして同時に、遠い日に胸に宿っていた淡い気持ちが再び熾火のようにじわりと温まるのを感じずにはいられなかった。
「いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
送られる方と送り出す方。
静かにドアをしめてから、そう言えばこの部屋に人を入れたのは初めてだったことに改めて気づいた和彦だった。









「最近花輪さん、雰囲気が柔らかいですね」
書類を渡されたついでに女性社員から言われた言葉に思わず口元が緩みそうになったのは、そろそろももこへの感情に名前がつき始めた辺りのことだ。
「そうかな? 僕はいつも通りだと思うけれど」
「彼女さんでも出来ました? 前はもっと取っつきにくい感じでしたよ」
そんなにわかりやすいのだろうか?



まる子との同居生活は思っていた以上に穏やかで、何事もなく和彦の生活の潤いになっていた。
ひとりよりふたりで住むということは、熱も音も増えるということ。それが心地よく、例えば仕事で疲れてささくれて帰っても、ももこが迎え入れてくれるだけで気持ちが凪いでいくのだ。
最初は彼女の都合で始めた同居生活だったが、今や和彦にとってもかけがえのないものとなりつつあった。
しかしこれは偽りの同居生活だ。もし和彦が一歩踏み出してしまえば、たちまち居心地のよい場所を失うだろう。
それが怖くて、和彦はももこに本当の意味で近づけない。



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