トゥルルルル
トゥルルルル
トゥル?────
ガチャ
 
『?────もしもし?』
「……ッ」 
初めての携帯電話は、色々とびっくりする。
「も、もし……!  あのッ」
いつも花輪の屋敷に掛ける電話には、真っ先に使用人が出てきて彼に取り次いでくれるのに、携帯電話はそれをひとっ飛びにして直接和彦と繋がってしまうのが不思議。
なんだか?────、なんだか急に距離が近くなったような錯覚に陥った。
『もしかして、さくらクンかな?』
電話口の声が受話器を当てる耳元で囁いた。声変わりの済んだ低い声がこんな間近で聴こえると、物凄く気恥しくて頬に熱が上がってくる。
「あ、あたしだよ!  まる子!」
『さくらクン、そんなに大きな声を出さなくても聴こえてるよ。キミから連絡を貰えて光栄だね』
あ。そっか、ごめん」
『公衆電話からかけているんだよね?  だったら手短に話そう』
「う、うん」
確かに百円玉を入れたのにあっという間に目減りしている。携帯電話怖い!
『仕事も後片付けも全て済んだんだよね?』
「ん。完全にフリー」
『じゃあ、これはお願いだ。このあとのキミの時間を、僕にくれないか?』
「だから電話かけたんでしょうが!」
回りくどい。回りくどいけれど、この物言いが花輪和彦なのだから仕方ない。
そう言えば久しぶりに会ったのに、たいして会話もしていなかったことに気づいた。なんだかもう少し話をしてみたい。だから和彦に会ってみたいのだ。
オーケイ。含み笑いて返してきた彼は、待ち合わせ場所と時間を指定して来て、そこで落ち合う約束をした。

ようやく電話を切って、盛大なため息。疲れから出たものではない。これは緊張だ。
「?────花輪クンだよ?」
今更、彼に対して緊張もへったくれもないと思っていたのに。
とりあえず着替えだ。いつまでもメイド服なんて着ている場合ではない。
なにせ約束の時間まで十五分もないのだから。
 
 
 

 
 
 
清水の高校の文化祭に来たのは、単純に好奇心もあった。
でも一番は、前に再会できなかった幼馴染に、強く逢いたいと思ってしまったからだと思う。その感情には、まだ名前をつけるには早かった。
 
 
 
しかし────。
「はっなわクーン!」
遠くから自分を呼ぶ懐かしい声に振り向くと、自然と笑みが零れた。 
それだけで感情を入れる枠や形はどうでも良くなって、
 
────彼女ともっと、一緒に過ごしたい。
 
この感情を確かめるために、ももこと文化祭を楽しみたいと思った。
勿論、実際はそんなに簡単にはいかなかったけれども。
 
 
 
和彦を取り囲む女子生徒達を撒いてももこを捕まえようと散々右往左往したのだが、文化祭の催し時間内ではそれは叶わなかった。仕方なく彼女のクラスメイトに言伝を頼んで一度実家に帰り、大人しく連絡を待つことにする。
なんだかそれが、自分でもおかしかった。
この花輪和彦が自ら動かないでただ連絡を待っているだなんて。
こんなワクワクが今まであっただろうか?
そして待ち望んだ連絡が来て?────。
 
 
 
 ※
 
 
 
「やあ、済まない。待たせてしまったかな?」
「うん、少し待ったかな〜」
待ち合わせた校門前。すでにメイド服から制服に着替えたももこのスカートの丈は膝丈に戻っている。若干の安堵と無念を抱えながら、和彦は何気なさを装いながらももこの手を取った。
「……ッ」
「嫌かな?」
指先から伝って来る動揺に内心こちらもドキドキしながら問えば、否の応え。よかった。
「後夜祭は何をするのかな?」
「あたしも初めてだからよくわかんないけど、お姉ちゃんから聞いた話じゃキャンプファイヤーみたいなのを囲んで……」
なるほど校庭の中心部に赤々と火柱を上げている櫓が見える。
「出し物の評価発表? して、あとミスコンとか。みたいな」
「さくらクンはどうしたい?」
あたしは、と呟いたももこが和彦の方を仰ぎ見る。
夕闇の中で覗き込んだ瞳の黒は、それだけでこちらの気持ちをざわつかせるのに十分だ。
「別に参加しなくてもいいかなって。面倒くさいし。タコ焼き食べ損ねてるから、あったら食べたいな」
至極ももこらしい答えに、思わず和彦は噴き出した。そう言えばこの幼馴染は、割りと面倒くさがりだったのを思い出す。その癖、変な場面では予想外の行動力でよく引っ張られていたっけ。
「何よぉ、笑うことないでしょ!」
「いや。物凄くさくらクンらしくていいよ」
「バカにしてるでしょ」
「してないさ、ベイビィ」
「あ、それ久しぶりに聞いたねぇ」
そうしてくすくすふたりで笑い出す。ただ単純に、こんなくだらない時間が楽しくて愛おしいと気づいて、和彦は笑いを引っ込めた。
「……花輪クン?」
クルクル変わる彼女の表情に、いつの間にか惹かれてしまう。感情のメリーゴーラウンド。飽きなくて、ずっと見ていたくなる……。
エスコートしてゆっくり歩き出すと、やっぱり近くでみたいんだ、と聞かれた。
「タコ焼きが食べたいんだろ?」
「あるかな?」
「さあね。なかったら別の機会に買ってあげるよ、セニョリータ」
それとなく次を予感させる言葉に、しばし和彦の顔を見上げていたももこが、小さく頷いた。
ささやかな次の約束。いつかなんて、まだわからなくていい。
火の粉を上げながら櫓が傾いた。わっと歓声か上がった。
「文化祭、終わっちゃうね」
「結局一緒に回れなかったね、レディ」
「アンタはたくさんのレディ達と楽しく回れたでしょうが」
「僕はキミとがよかった」
「そんな?────」
そんな事を言われても。口篭るももこの脚が止まった。
最初は友達に捩じ込まれた約束を果たすためにお互い歩き始めたから、もしかしたら最後まで彼女は約束を果たすためだけに和彦と一緒にいるのかも知れない。
今はそれでもいいという気持ちと、最早それでは足りないという気持ちが和彦の中でせめぎ合っているのも知らないで。
櫓の火柱で照らされた頬は輝くように燃えていて、思わず繋いでいない方の手でそっと包んだ。
怯えのような、期待のような。自然と上目遣いになっているももこの視線に、背筋が震える。更に触れてしまいたい衝動を理性でねじ伏せながら、和彦は出来るだけ優雅に微笑んだ。
彼女たちの嫌いな、粗野で本能的な他の男達と同じになってしまっては、絶対にいけない。
「今度は僕の高校の文化祭に来ればいい」
「お坊っちゃん学校の? あたしなんかが行ったら場違いで入れないんじゃない?」
「僕がつきっきりでエスコートすれば大丈夫さ。今日の続きをぜひ、マドモアゼル」
約束を取り付けるために差し出した手のひらを、ももこはじいっと見つめたあと、苦笑いしながらひと回りほど小さな自分の手を重ねた。
「つきっきりはウザイかな?」
「この僕が一緒なら飽きさせないよ、ベイビィ」 
「じゃあ、約束ね」
 
また今度。
ささやかだけれど、今度こそは確かな約束を。
 
 
 
踏み出そうと思えばきっと先へ進めたのかもしれない夜だった。しかしこれでいい。
文化祭の雰囲気にぼだされて焦って告白するような事は、きっとあとから後悔するだろう。だからこのままで。
ふたりの約束は、まだ始まったばかりなのだから。
 
 
 
 了



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