封印忘却

これも時間がなかったんですよ…

 小学校時代の友人に、街でばったり再会した。塚本郁美は、よく顔を覚えてたもんだと心の奥底でその友人、菅田紀子にも自分にも感心しながら、誘われるままに喫茶店で休憩することになった。その席上の会話で。
「郁ちゃん、三年の時猫のお墓作ったの覚えてる?」
「あー…、覚えてる覚えてる。アレ、三年の時だったんだ」
 あれって、一緒にいたののっこだったんだ、という台詞は言わないでおいて。ぼんやりと思い出をさかのぼった。
 下校途中、小学校の裏門に続く歩道の植え込みの中に見つけた子猫の死骸。まるで眠っているようだったけど、所々に乾いた血がこびりついた小さな体は、ぴくりとも動かなくて、子供たちは死を悟った。
『ねえ、お墓つくってあげようよ』
 誰が言い出したのか、自分が言い出したのかも覚えてないけど、そういう話になって。そして郁美が手に持って運んだ。子供だからできた所業だ。今、二十歳を迎えた郁美ならば、素手で猫の死骸を触ることはできないかもしれない。
 横たわった形のままに硬直した体の、土に接していた右半分を見ようとして、そのあまりの赤さと崩れた形に慌てて目をそらしたことをよく覚えている。野犬にでも襲われたのか、郁美が運んだ子猫の右半身は、所々食い千切られていた。
 その傷口の生々しさと、露出した肉と乾いた血の赤。小学生の郁美にはその光景はかなり衝撃的だったのだろう、だから、今まで忘れていたくせに、こんなにも鮮明に記憶が蘇る。
「私と、郁ちゃんと、マキちゃんと…、あともう一人くらい居なかったっけ?」
「さあ…。ねえ、そのお墓、確か焼却炉のそばに作ったんだったよね?」
 誰が一緒だったか、ということはもうどうでもよかったけど、子猫たちの墓の行方が気になった。
「そうそう、あそこいっぱい銀杏の木が生えてて、学校で飼ってたウサギとかが死んだらいっつも右端の木の根元に埋めてたから、そん時は右から二番目の木のとこに埋めてあげたんだよ」
「そっか…」
「うー、懐かしいね。私は結局高校まで地元だったから、こっち出てきてまだ二年だけど、郁ちゃんは中一の時に引っ越してったきりだから…」
「もう七年行ってないよ、小学校はもちろん藤巻町にも」
 自分で言ってみて、それだけの時が流れてしまっていることにびっくりする。
「七年かあ。私は実家が藤巻だからね、ちょこちょこ帰るけど。あの頃に比べたら、だいぶ都会になったよー」
「へえ、小学校の時は、ほんと何も無い田舎町だったのに?」
「そーそー、CD屋さんもなくってさあ…」
 そして紀子は別の話題を喋り始めた。それに適当に相槌を打ちながら実は上の空だった郁美は、ずっと子猫の墓のことを考えていた。


 子猫の墓が気になるからなんて、たいした理由ではないけれど、それは大きなきっかけとなって、郁美は久しぶりに藤巻町へ行って見たいと強く思った。
 どうしてこんな突然、幼少の頃が懐かしくなったのか。郁美はうすうす感づいていた。専門学校を今年卒業する郁美は順調に就職活動を始めていたが、その一方で社会に放り出される恐怖を感じていた。そして自分がいまいち社会が求める「大人」になりきれていないことを自覚していた。だからこそ、「子供」であったころの自分がとてもいとおしいのだ。小学校時代の思い出を辿ることは逃避避行動であり、回帰行動だ。それをわかっていても、郁美は行動に移さずにはいられなかった。
 藤巻町へは、最寄駅からバスに乗り換え、一時間ほど揺られなければならない。しかしその間、郁美は自分の記憶にある風景を忠実に再現してくれる窓からの眺めに熱中していたせいで、飽きることはなかった。
 やがてバスは終点である、町の中心に位置する小さなターミナルに止まった。まばらな乗客に続いて、ひとつしかない乗降口から、郁美は藤巻町に降り立つ。
「なんだ、やっぱりそんなに変わってないじゃん…」
 ぐるりと辺りを見渡し、その町並みが自分 の居た七年前とほとんど変わっていないことに郁美は安堵する。目的の地へと向かう前にぶらりと散策しようと商店街を歩いてみると、大きなスーパーマーケットが建っていたことと、そのせいかシャッターが閉じたままの店舗が目立つことに七年という時間の長さを実感する。しかしその一方で、学校帰りによく寄り道した駄菓子屋が健在で、郁美は嬉しくなる。
 一通り商店街を歩くことで現在の藤巻町に体を馴染ませて、郁美はやっと小学校へと足を向けた。正門を越えると、日曜日のグラウンドでは数人の子供がドッジボールを楽しんでいるのが見えた。娯楽の少ないこの町では、小学校のグラウンドというのは貴重な遊び場のひとつで、そんなところも変わってないのかと、郁美は子供たちの歓声に目を細める。
 目当ての焼却炉は、体育館の裏手にある。賑やかなグラウンドを通り過ぎ、石畳の細い通路を踏みしめ、角を曲がる。
 雑草だらけの一面の緑に、ぽつんと浮かぶすすけた焼却炉。それを囲むように立ち並ぶ銀杏の木。
 
 そんなものは、なかった。
 
 替わりにあったのは、真新しいアスファルトと、整然と引かれた白線。
「そんな…」
 目の前に広がる駐車場に、郁美はただ呟くしかなかった。
 昔の面影など跡形もない駐車場を、それでもなんとかふらふらと歩き、確か二番目の銀杏はこの辺りだったと目星をつけたところにうずくまり、手を触れてみる。でもそこはやっぱりアスファルトで、子猫の墓どころか土の感触すら伝わってこない。
 そうしたまましばらく微動だにしなかった郁美だが、やがてゆっくりと立ち上がった。もう、どうなるものでもなかった。
 右端の銀杏の木の根元に葬られた歴代のウサギたち、そしてその隣、二番目の銀杏の木の根元に、自分が葬った子猫。それらの体は土と共に掘り起こされ、混ぜられ、土と同化してこのアスファルトに塗り固められ、閉じ込められてしまったのだろう。そして郁美は、自分の思い出まで一緒に封じられてしまったような錯覚に陥った。
 純粋であった幼少期の思い出は所詮過去だから、ふいにすがってしまわないように。切り捨てるために心の奥底に塗り固めて、閉じ込めて。そうしないと不器用な自分は、大人として社会の中で生きていけない。そう思った。
「もう、子供じゃいられないんだね…」
 ここまで来て、やっとその現実を実感したことに、郁美は自嘲するような笑みを浮かべる。寂しげな独り言に応える者はいない。
 やがて郁美は立ち上がり、ゆっくりと、しかししっかりとした足取りでその場を去っていった。
 後にはただ、ウサギや子猫、銀杏、そして郁美の思い出をも飲み込んだアスファルトが、墓標がわりに残されていた。

 

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