―――   黒猫×ネコ 著者:742様   ―――



あの方は確かに、ここにいた。

この部屋に座して私の名を呼び働きに期待すると笑んだ、
私は忘れない。

はじめて床を共にした夜、動揺して強ばるばかりの私を撫でて
なにも怖がることはないのだと教えてくれた、私は忘れない。

やさしい口づけ、触れる指の感触、子供のように少し高い体温、
ときどきひどく意地悪い響きになる声、熱を帯びて潤んだ瞳の色。
私は忘れない。

こんなにも覚えているのに。
主のいない板張りの間はしんと冷えて、あの方の存在を否定する。

呆けた足取りで中央の座へ寄りながら、ああそれは違うと思い知らされた。

この部屋が否定しているのは自分だ。自分とあの方との間にあった関係だ。
戦いではお互いの背中を預け、床では肌を重ねる、
そんな幸福のさなかにあって愚かにも自分は思い違えたのだ。
信頼されていると。
自分は必要とされていると。

彼の人の気まぐれを鵜呑みにして舞い上がっていた、なんて無様な自分。

座椅子の前まで辿り着くとなんだか気が抜けた。
膝をついてへたりと座り込む。
暗闇にも慣れた眼でぼんやり椅子を眺め、何もかもが
どうでも良くなってそのままうつ伏せに倒れこんだ。

皮張りの座面は冷たかったが、柔らかく使い込まれた肌触りは
そこに居た人の名残を少しだけ感じさせてくれる。
かすかに甘い香りがした。

「よい香りには心を落ち着ける効力があるのじゃ。
ささくれた神経を癒したり、心地よい眠りに誘ったりな。どうじゃ?」

二人だけの静かな時間、小さな皿の上で香を焚きながら夜一が尋ねる。
砕蜂は香と夜一を見比べ、意図を計りかねるといった顔で
少し間を置いてから申し訳ございません、
私にはよく判りません、と答えた。
いつまでたっても堅苦しい砕蜂の物言いを、しかし夜一は
予想していたのか対して気にも留めず
まあおぬしはそういうことに疎いからのう、と面白そうに眼を細めた。

砕蜂はわずかに眉を曇らせて、思考を巡らせる。
もしや自分の心が乱れているのだろうか。
自分が不甲斐ないばかりに、主君に気苦労をかけているのではないか。
そう思うところを述べると彼女の敬愛する主は本格的に笑い出した。

ますます混乱する砕蜂の手をとって、夜一はそうではないのだ、と言った。
「戦場でのおぬしは、背中を預ける相手として申し分ない。
心に乱れも迷いもない。
ただ平時には、時折どうにも危なっかしく見えてならん。」

夜一はお互いのてのひらを合わせて、指を絡めるように手を握った。
「不安や恐れは押し殺しても消えはせぬぞ。
蓄積され増幅していずれ己に襲いかかる。解るな?」
ああ矢張り自分の未熟を憂いているのだ、と
恥じ入るように頷く砕蜂を見て
夜一はわずかに口の端を上げ、おぬしはどうもややこしく考え過ぎる、
まあそこがおぬしらしいところであるが、と呟いた。

「寂しいなら寂しい、恐ろしいなら恐ろしいと言えば良いのだ。
その感情に流されるも打ち克つも、その後の話であろう。
なにも最初からなかったようにすることはない」
「恐れながらそのようなことは、」
「あー、やめやめ。この件についておぬしと議論する気はないぞ。
あとでじっくり考えるが良い」
「夜、…」
なおも言いつのろうとする砕蜂の唇を夜一のそれが塞いだ。

舌でくすぐり、歯列を割って口腔に侵入する。
上顎の奥を探る舌に反応して反射的に閉じたまぶたに力がこもる。
ちゅ、と強く舌を吸われて細い肩がぴくりと跳ねた。
もはや抵抗もなくされるがままの砕蜂を押し倒そうとして
ふと夜一は思い付いたように身体の位置を入れ替えた。
砕蜂を後ろから抱えるように座って、耳元に唇を寄せ
くすぐるように囁く。

「良いことを思い付いたぞ。
砕蜂、儂に苦労をかけたくないのであろう。ならば自慰をして見せよ」
「……… えっ」

朦朧とした意識では理解するまでに多少の間が必要とされた。
砕蜂のまなじりがみるみる朱に染まっていく。
「お言葉ですが… あっ!」

首筋をきつく吸われて粟肌がたつほど刺激される。生理的な涙がにじんだ。
「口答えは許さん。つべこべ言わずに見せよ。
それとも独りではできぬか?」
耳元に感じる熱い吐息に思考能力は奪われ、薄絹の上から
胸に触れてくる腕がかすかな快感を呼び起こす。

身体の奥に生まれた疼きはしだいに熱を帯びて、じわじわと広がっていく。

堪えるように内股を摺り合わせる様子が逆に扇情的だなどと
砕蜂は知る由もない。わずかな嗜虐心も手伝って着物の上から乳首を捻った。
声を上げて身をよじる砕蜂をがっちりと腕の中に封じて、
なおも刺激を続ける。
うなじにキスを落とした。そのまま首筋から耳まで舐める。
泣きそうな声で名を呼ばれて少しだけ満足するがまだもの足りない。
上気した肌はうっすら汗の味がした。

浅い呼吸を繰り返す砕蜂の着物をはだけると、なだらかな曲線を描く
乳房と赤く充血した蕾が晒されてかすかに震えた。
「ほれ、見てみよ砕蜂。身体は正直に反応しておるぞ。
 恐怖も快感も、たとえ押し殺したとしても必ず身体に影響を及ぼす。
 逃れられないおぬしはどうする?」

脱力して少しゆるんだ両膝と着物のすそを割れば、
足の付け根はすでに濡れてかすかな光を反射していた。

「欲しいものがあるなら望め。おぬしはどうしたい?」

羞恥と情欲が入り交じって揺れる砕蜂の視線と
まっすぐな夜一の視線が交わる。
眼をわずかに逸らして、震える唇が言葉を紡いだ。

「…手を、」
「うん?」
「手を握って、頂けますか」

「これでよいか」
夜一は砕蜂の右手をとってそのまま濡れた花弁へと押し付けた。
不意をつかれた砕蜂は短く悲鳴をあげ、膝を折り曲げた内ももを震わせる。

荒い呼吸で上下する胸を肩越しに眺めながら先を促されると、
空いた左手をおずおずと夜一の手に重ね、ゆるゆると愛撫をはじめた。
中指で秘裂をなぞるととろりとした液体が溢れてくるのが分かる。
くちゅ、ちゅく、ちゅぷり。
かすかな水音がやけに大きく響いて羞恥と快楽が煽られる。
そこへ夜一が追い打ちをかけるように耳元で囁いた。
「もうずいぶん濡れておるな。
本当は触りたくて仕方なかったのであろう?」
砕蜂は返事のかわりに短く喘ぎ、かぶりを振ったが、
右手の動きは止まらない。
上下になぞりながら時々指を差し入れて、蜜をかきだすように動かす。
あふれた蜜を敏感な芽にまぶしてちろちろと弄れば
突き抜けるような快感が走った。
身体の奥に生じた熱が蜜となって溢れ、
菊座のほうへと流れてシーツを濡らす。

呼吸と抽送が徐々に激しさを増す様を、夜一は愛しく見つめた。
砕蜂の華奢な背中に身体を寄せてぴったり密着させると、普段は体温が低く
ひんやりしている肌が自分よりも熱を帯びていることが判る。
もっと熱くしてみたくて、空いた左手を伸ばした。

胸の蕾はすでに熟れきって、弄ぶとこりこりとした感触を返した。
砕蜂はもう声を抑えようとはせず、少しかすれた涙声で断続的に喘いだ。
砕蜂の指はいつの間にか花弁の奥へと進み、
添えられた夜一の右手はもう何の役も果たしてはいないが、
さらに上からぎゅうと押さえてくる左手の圧力が
この手が必要なのだ、と告げていた。

こみあげるものを感じて夜一は再び首筋に吸い付いた。
「あ!あっ、はっ、あっ、よるいちさまっ、もうだめ、もうだめっ…」
無理に振り向かせて口づけようとして、
可愛い声が聞こえなくなるのが惜しくて止めた。
かわりに肩口に顔をうずめて汗と香の入り交じった匂いを楽しむ。

そうして砕蜂の右手に添えられた自分の右手を可能な限り伸ばして
砕蜂の指の上から熱い彼女の体内へ指を埋め、乳首をきつく捻りあげた。
砕蜂は長く尾を引く泣声をあげて全身を緊張させ、足の指をきゅっと丸めて
びくびくと大きく痙攣したのち糸が切れたように弛緩した。

「…は、ぁ!」
夕闇に沈む冷えきった部屋で、砕蜂は座椅子にうつ伏したまま、
四肢を強ばらせ身体の奥から伝わる痙攣をやりすごした。
戻ってきた理性で、先ほどまでの自分の行為に吐き気を覚える。
見慣れた天井も、香の香りも、内股でぬめる欲情の証も
四楓院夜一に結びつく何もかもが煩わしく、呪わしかった。

結局明解な答えを得られなかったあの問いも。


欲しいものなど、望むものなど、もはやひとつしかない。


あの方は確かにここにいた。忘れようはずがない。
ここにはもう誰もいない。忘れられようはずが、ない。
暗く冷えた板間に熱を奪われるように心が冷えていく。
決して泣くものか、と瞼をきつく閉じた。       <了>






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