イスラエルのフィギュアスケートの歴史はまだ浅く、冬季オリンピックのフィギュアスケート競技に参加したのは、94年のリレハンメルオリンピックからです。
そのとき出場したのは男子シングル選手ミカエル・シュメルキンで、成績は16位でした。
その次の98年長野オリンピックには、前述のミカエル・シュメルキンに加えて、アイスダンスにチャイト&サフノフスキーが出場。成績はシュメルキン18位、チャイト&サフノフスキーが14位でした。
それ以降、少しづつイスラエル国籍で大会に出場する選手が増え始め、02年のソルトレイクオリンピックには、アイスダンスでチャイト&サフノフスキーとグディナ&ベレツキーの2組が出場。それぞれ6位、19位という成績をおさめ、そしてその年の世界選手権ではチャイト&サフノフスキーが銅メダルを獲得。はじめてイスラエルに世界選手権でのメダルをもたらします。
2003年5月現在、ISUのバイオグラフィーに登録されているスケーターは、
男子シングル5人 女子シングル4人 ペア1組 アイスダンス3組
です。しかし、これらの選手は、ほとんどアメリカ合衆国、もしくはロシアやウクライナなどの旧ソ連地域出身がほとんどで、
イスラエル出身はアイスダンスのガリト・チャイト(しかし住んでいたのは生まれてたったの9ヶ月間)
と、女子シングルのKeren Shua Haimの2人のみです。(出身不明が一人いるので、もしかしたら
3人かも)
またイスラエル国籍のジャッジも、旧ソ連地域などのからの移籍が多く、
これらには宗教や人種的なことが多分に関わっているそうです。
イスラエルは、ユダヤ人であれば積極的に受け入れる政策をとっているそうで、
94年にチャイトと組み95年にはイスラエル国籍をとったサフノフスキーのように、
ある程度の条件さえ満たしていれば、移籍は他の国に比べると比較的簡単なようです。
ただ、イスラエルは今現在、国際的に大変難しい位置にあり、
世界選手権などの大会に、出場が危ぶまれたこともあったそうです。
イスラエル唯一の国際大会スケートイスラエルも、01-02シーズン/02-03シーズンは開かれませんでした。
イスラエルで開かれる国内選手権は、毎年イスラエル北方のレバノンに近い町メトゥラーのCanada
Centerで開かれます。
またイスラエル国籍の選手はたいがいここをホームリンクとしています。
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